アンズとバラとリンゴ飴。
一歩一歩、境内へ向かう石段を上がっていく。ふもとの祭りの騒がしさが嘘のように、神社を囲う鎮守の森は静かで、人の気配どころか生き物がいる気配すらない。どうして浜永さんは、廃神社なんかを待ち合わせ場所に選んだんだろう。屋台の並ぶ通りからも離れているし、廃神社でイベントがあるなんて話も知らない。浜永さんのことだから、何か考えがあってこの場所を指示したんだろうけど……。考えたところで正解が分かるわけないし、素直に指定された場所に向かおう。
待ち合わせ場所の拝殿の賽銭箱の前には、すでに先客がいた。暗くて誰かは判断できないけれど、背格好からして女性だと思う。早めに着けるよう計算して家を出たのに、どうやら待たせてしまったらしい。女の子を待たせるなんてと、怒られるだろうな。きっと。
「ごめん、浜永さん。遅くなって――」
たった一瞬の出来事だったのに、この瞬間を一生忘れないだろうと僕は思った。まるでコマ送りで再生された動画のように、ゆっくりと振り返るその横顔。雲間から漏れた月の光が、一筋の束となって神社に降りそそぐ。月明かりに照らされた彼女は、あの時と同じ殺人兵器級の笑顔で言った。
「はじめまして、茨城杏子です。渉くん、今日はよろしくね」
もし目の前に鏡があったら、きっと僕は相当まぬけな顔をしているに違いない。だって、杏子と名乗った彼女は、どこからどう見ても薔子さんその人なのだから。
何でここに薔子さんが? というか『杏子』って何? そもそも浜永さんはどこ? 分からないことが多すぎる。これは何だ? 新手のイジメ? それともドッキリで、物陰に浜永さんが隠れていて、僕の反応を楽しんでいるのか?
「すっちゃん、アルバイトが入っちゃって、来られないんだって。だから、すっちゃんの分まで二人で楽しまないとね」
「ちょ、ちょっと待って⁉ 薔子さん、だよね? どうして神社にいるの?」
増え続ける「?」に我慢できず、つい口が開いてしまった。そんなの仕方ないじゃないか。一パーセントのデレと九十九パーセントのツンでできていたような彼女が、再び僕に笑顔を向けているのだ。忘れようにも忘れられない、ふとした時に脳裏に浮かぶ記憶。何度も何度ももう一度を願ったのに、今日という日まで叶うことがなかった。彼女の棘に傷付けられ、電話で別れの言葉を告げられ、戸惑い、悩んで、諦めようともした。それなのに、そんな葛藤していた時間がバカみたいに思えてしまうほど呆気なく、薔子さんはまた笑ってくれたのだ。
「きょ、う、こ。薔子はわたしのお姉さんで、わたしは妹の杏子です。いくら似ているからって、間違えられたら傷付くからね?」
まじめな表情で名前を訂正した彼女は、僕に右手を差し出して言った。
「ぼけっとしてたら花火の時間になっちゃうよ。せっかくの夏祭りなんだから、難しいことなんて忘れて楽しまないと」
確かに、僕は難しく考えすぎていたのかもしれない。薔子さんがここにいる理由も、偽名を名乗る理由も、どうでもいいことじゃないか。理由が分かったところで、この状況は変わらない。ならば彼女の言う通り、全部忘れて楽しもう。そう、これは夢なんだ。夢でもなければ、浴衣を着た薔子さんが僕の前に立っているはずがないのだから。
「今日くらい、いいよね……。よし! そうと決まれば屋台巡りだ! 行こう、薔子さん」
彼女の手を取り、僕は駆け出――すことができなかった。
「わたしは、きょ、う、こ。何回言ったら覚えてくれるの? あと、わたしが浴衣だってこと忘れないでほしい。わたし、渉くんみたいに走れないよ?」
「ごめんなさい……」
真顔で説教されてしまった。だけど、杏子と名乗っていても、やっぱり彼女は薔子さんなんだと、僕はその変わらないツンを少しだけ嬉しく思うのだった。
「楽しいね、渉くん……!」
薔子さんが僕の名前を呼び、微笑みかけてくれる。そして、左手に感じる彼女の熱。一度意識してしまうと頭から離れてくれなくて、今まで触れてきたどれともまるで違う、言葉では表現できない幸せの感触。そう、僕は薔子さんとデートをしている!
「楽しいね、しょ――杏子さん!」
彼女を杏子と呼ぶのにはまだ抵抗があるけれども、それを差し引いても余裕でお釣りが返ってくる。今、この時間が、僕の人生で一番の幸せだ。
「杏子さん、次はどこ行きたい?」
リンゴ飴を舐める薔子さんの横顔を、脳内フォルダに保存&保護しつつ、僕はどうすれば彼女にかっこいいところを見せられるか考えていた。かっこつけて「好きな景品を取ってあげる」と挑戦した射的では、なぜか狙った的とは見当違いの景品を当ててしまった。喜んでもらえたからいいけど、あれ、絶対銃に細工してあるよな。くじ引きは運次第だし、型抜きは地味だし……。なんかこう、一発で薔子さんに見直してもらえるようなものってないのかな。
「ねえ、勝負しない?」
あーでもないこうでもないと思案に暮れていると、薔子さんはリンゴ飴を舐める手を止め、おもちゃを見つけた小さな子どもみたいににやりと笑った。
「――勝負?」
「そう。あそこのスーパーボールすくいで勝負して、負けた方は買った方の命令を何でも聞くこと。男らしい渉くんなら、受けてくれるよね?」
どうする? やっぱり止める? と、リンゴ飴を振る薔子さん。ここまで言われて逃げるのは、確かに男のすることじゃないな。仕方がない、挑発に乗ってあげるとしよう。あっと、男としての沽券にかかわるから言っておくけれど、別に命令うんぬんが気になったわけじゃあない。あくまでも、彼女の提案を無下にしないための配慮ってやつだ。もし勝ってしまったとしても、命令なんてどうでもいいから夏祭りを楽しもうよと、僕はそう言える男だからな。命令にかこつけて女の子をどうこうしようだなんて、そんなのは下心丸出しの三流の男がやること。だが、僕は違う。勝つか負けるかのギリギリのラインを攻めながら、僅差で勝利した僕が優しく慰めの言葉をかけ、薔子さんの心をわしづかみにするんだ!
「そんな条件を出して、杏子さんが負けても知らないからね?」
――負けた。それも、僅差どころか圧倒的な差をつけられての敗北。長い長い前置きや宣戦布告をしたせいで、なおさら無様な負け姿をさらしてしまった。
「もう一回、する?」
しかも、慰めの言葉をかけるつもりが、情けをかけられるという始末。笑顔なんだけど、薔子さんの口元は引きつっていた。恥ずかしすぎる……。
でも、ちょっとだけ言い訳をさせてほしい。何も、僕は無策で大見得を切っていたわけじゃないんだ。はるか昔の悪童時代、ミドリから教わった必勝法が僕にはあった。スーパーボールをすくうポイの、輪っかと柄の繋ぎ目の部分で、延々とすくうというチート技が! たとえポイが破れようと、根気さえあれば無限にすくうことができる、はずだった。目の前に流れてきたこぶし大ほどのボールを狙うも、初撃でポイは破れてしまった。ここからが勝負だと、ポイを握り直し、ボールの動きに集中する僕。しかし、次の瞬間、ポイは手元から消えていた。「兄ちゃん。破れちまったんだから、おしまいだよ」と、屋台のおじさんにポイを奪われてしまったのだ。ミドリ直伝の技を使う前にゲームオーバー。一方の薔子さんは、お椀いっぱいにボールをすくっていた。勝敗は一目瞭然だった。
「僕の負けです……」
「うん、素直になるのは大事だよ」
薔子さんは哀れみの表情とも取れる、悲しそうな笑顔を僕に見せた。負けてしまった。薔子さんにいいところを見せるチャンスだったのに。
「それじゃあ、約束通り、渉くんは命令に従ってもらわないとね」
スーパーボールには興味がなかったのか、獲得したボールを全て返し、薔子さんは人気のない方へと歩いていった。何も言わない彼女の後ろを、僕も黙って付いていく。
そういえばと、前を行く彼女の背中を追いながら、命令について考えてみた。最初から、彼女は何かを僕にさせるつもりだったのではないかと。勝負を持ちかけてきたのは、命令の話を切り出しやすくするため。もしかすると、薔子さんが今ここにいるのも、その命令とやらがかかわっているのかもしれない。あんなに距離を取っていた薔子さんが、杏子という偽名を使ってまで僕にさせたいことって何だろう。
「――っ、ごめん! 薔子さん!」
立ち止まったことに気付かず、薔子さんにぶつかってしまった。名前も言ってしまったし、また叱られるかもと身構えていたら、彼女の反応は全く違った。
「動かないで。あと、静かにして」
薔子さんの意図を理解できず、聞き返そうと口を開いた瞬間、僕は彼女に押し倒されていた。浴衣の袖に口を塞がれもだえる僕を無視して、薔子さんは防犯ブザー付きの小型携帯――子ども携帯と呼ばれる電話で、通話を始めた。先程までとは打って変わったか細い声のせいで、内容は何一つ聴き取れなかったけれど、切る直前の一言で相手が誰なのかだけは知れた。
「また後でね、お父さん」
そう言って、薔子さんは子ども携帯をしまった。
「ごめんね、渉くん。急な電話にびっくりしちゃって」
「え、あ、うん。別にいいよ。お父さんから?」
僕は起き上がるのを手伝ってくれた薔子さんにありがとうと言う。いや、押し倒してきたのは薔子さんだから、感謝する必要はないと思うんだけどね?
「そう。花火が終わったら迎えにくるって。わたしのお父さん、過保護だから」
「しょ、杏子さんのことが心配なんだよ」
「そんなことより、花火が始まっちゃう。はやく行こ?」
無理やり話題を変えられた感じがする。まあ、薔子さんが楽しそうだからどうでもいいや。命令のこともうやむやになったし、最後まで楽しい気分で終われたらそれだけで十分。かっこつけようとか、薔子さんにいいところを見せようとするから、結果がダメな方へと転んでしまうんだ。薔子さんの笑顔をもう一度見ることができた、それでいいじゃないか。もう一歩先を望んでしまうから失敗する。だったら僕は、今この時間を大切にしよう。
「すっちゃん……。みーちゃんもいる」
薔子さんの声に反応して顔を上げると、少し先の屋台の前に、浜永さんと鷹嶺がいた。それと、もう一人。
「あれって、緑枝くん、だよね……?」
すっかり忘れていたけれど、ミドリからも祭りに誘われていたっけ。あいつの誘いを断っておいて、薔子さんと二人っきりのところを見られるのは良くないだろうな。気付かれないうちにこの場を離れよう。それにしても、変わった組み合わせだな。浜永さんと鷹嶺は分かるけど、そこにミドリって……。というか、鷹嶺の様子がおかしくないか? いや、あいつはいつもおかしいが、鷹嶺の周りだけ何か景色が歪んでいるような……?
「みーちゃんを止めないと……!」
この時のことを振り返ってみても、身体が勝手に動いていたとしか答えられない。記憶が曖昧だったせいでもあるから、簡単な説明になってしまうのは勘弁してほしい。
突然駆け出した薔子さんと、それを追いかける僕。鷹嶺に蹴飛ばされたミドリが薔子さんを襲う。気付いた時には、僕は薔子さんを引き寄せて、ミドリと彼女の間に割り込んでいた。ここから先の展開はもはやテンプレ。人間ミサイルをまともに食らった僕の視界は、あまりの衝撃で真っ暗になった。
――懐かしいな、気絶オチ。
また半年以上経っておりました、お久しぶりです。白木 一です。
スマホゲームにハマりすぎて本編が全然進まないこと、誠に申し訳なく思っておりますが、好きでやっていることですので生温かい目で見守り続けていただけたら幸いです。
夏休みがしばらく続いておりましたが、私の脳内ではそろそろ学校生活に戻るはずです。学校といえば、のイベントも催されるみたいです。おそらく。
かなりマイペースな投稿になっておりますが、現在の心情では二次創作より一次がやりたい、ですので、「あ、これ書きたい」というネタが降ってこない限りは一次創作をちまちまやろうと思っています。
というわけで、終わりがまだまだ見えませんが、早く続きを読みたいなと作者が思っていますので、気長にお待ちくださいませ。




