女子の涙は剣より強し。
『合格』のスタンプを眺めているだけで自然とにやにや笑いがこぼれてしまう。とても気持ちの悪い顔になっているかもしれないが、こればかりはどうにもできない。
あっ、くれぐれも間違えないでほしいのだけれど、浜永さんに恋をしたというわけじゃあない。決してない。浜永さんは僕が言うまでもなくかわいいし、勘違いさせるような言動や行動ばかりする。「不二峰高校彼女にしたい女子ランキング」なるものがあれば、浜永さんがぶっちぎりで一位をとるだろう。ちなみに最下位は鷹嶺。当然ぶっちぎりで。薔子さんは――、薔子さんは僕の中では不動のナンバーワンだ。ただ、男子人気はあまり芳しくない。例のツンツンほど露骨ではないものの男子とのコミュニケーションは淡泊で、鷹嶺という悪名高い壁がそばにいるのも相まって、好意的な評価はそう多くない。
話がそれてしまったが、つまり、浜永さんはかわいい。だからこそ僕は二度と勘違いしないよう、そのままの勢いで告白なんてしないように、浜永さんから距離を置くって決めたんだ。
彼女が欲しい、マンガやアニメのような青春を送りたいって気持ちに変化はない。ただし、僕は「普通」の青春を送りたいんだ。毎日のように鼻血を流し、付き合ってすぐに性格が一八〇度変わる彼女のいる青春なんて青春じゃない。平凡で日常的な、ほのぼのとしていて、でも退屈のしない青春を僕は送りたい。特に深い理由があるというわけではないけれど、彼氏・彼女が欲しいだなんて全国の高校生の誰しもが持っている悩みだろう? それに、薔子さんの棘に触れたというか突き刺されまくったおかげで、僕の心はぼろぼろなんだ。つまり、癒やしを求めているんだ。鷹嶺はもちろん論外として、浜永さんのような優しくてかわいい彼女が欲しい。高望みだと自分でもそう思っている。それでも、夢くらい見させてほしい。お昼休みは一緒に弁当を食べ、放課後は並んで何気ない会話をしながら帰って、テスト前は勉強を教えあったり、休日は遊園地やショッピングモールでデートしたり。ベタベタな妄想だけれども、僕はそんな青春に憧れているんだ。
――と、まあ長々と将来への憧れを語ってみたけれど、それは夏休みが終わってからでいい。今はとにかく休みたい。殴られ蹴られ続けて傷ついた、心と身体を癒やしたい。残り四日間、浜永さんの命令に従うだけで僕は自由を手に入れられる。誰からも干渉されない最高の夏休みを過ごすことができる。そう思えば、笑顔がこぼれてしまうのも仕方がない。さて、今日のミッションは何でしょうかね。
『しょこちゃん&みーちゃん とお泊りデートだから
今日のお勉強はなしでいいよ〜♪☺』
『しっかり反省もしてくれたみたいだし
次のお勉強は金曜日にしようねっ』
少し遅めの昼食をとっていたら『なす』からメッセージが届いた。せっかくやる気になったのに……と思わなくもなかったけれど、自由な一日を手に入れることができたわけだし、久しぶりにゆっくりしようと気持ちを切りかえた。
でも、そういう日ほど忙しかったりするわけで、夏休みの課題を進めたり庭の草抜きを押しつけられたり(妹も頼まれていたはずなのに、数分もしないうちにクーラーの効いたリビングで昼寝をこきはじめた)と、結局自由とは程遠い一日となった。
ピンポーン。
――誰だ? 昨日の肉体労働のせいで僕は疲れているんだ。どうせ家族の誰かしらが出るだろうし、もう少し寝かせてくれ……。
いや、そういえば、この状況に覚えがあるような……。しかも、つい最近の出来事だった気がする。記憶通りだと、このまま無視し続ければベルを連打されて僕が切れるはず。
ピンポーン。
こんな時間に何の用だとスマホを見ると、もう昼を過ぎていた。ため息をついて起きあがり、ジャージ姿で玄関へと向かう。これもお勉強ってやつなのかね。前回はわけの分からないまま連れ回されて終わったけれど、今日は笑顔で出迎えてポイントアップでも狙ってみるか。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン。
ほら来た。誰も出ないってことは、家族はまた僕を置いてどこかへ出かけているんだろうな。今日に限ってのことではないし、置いていかれて寂しいとかずるいとかいう気持ちもとっくに感じなくなったけどさ、一言くらいあってもいいんじゃないか? 別に、寂しくなんてないんだけどさ。
(後で妹からのメッセージで知ったことだが、家族はテレビで紹介されていたピザを食べに、車で片道二時間の山奥まで出かけていたらしい。ご丁寧にピザの写真も送られてきた)
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン。
うるせぇ! どれだけ鳴らしたら気がすむんだ! 居るって分かっているのなら一回で充分だろうがっ! こんな時間までごろごろしていた僕にも少しは非があるかもしれないけれど、これだけベルを鳴らして無反応なら留守だと思うだろ、普通。本当に何を考えているんだ浜永さんは……。
ピポピポピポピポピポバキッ。
ドアノブにかけていた手が止まった。聞き間違いか? ベルから鳴ったことのない音が聞こえてきたのだが……。呼び鈴に『バキッ』なんて音あるわけないよな……? 気のせいか、鼻がズキズキと痛みだしてきた。とてつもなく嫌な予感がする。
居留守なんて通じるわけがないし、もしも予想が当たっているとすれば(心底外れていてほしいのだけれど)待たせれば待たせるだけ僕の血液と寿命が減ってしまうだろう。扉の向こうに天使のような笑顔が待っていることを願って、僕はおそるおそるドアノブを回した。
「お、おはよ……」
僕の願いは神様的な存在に届いたようだった。確かにそこに笑顔はあった。ただし、僕の予想が外れることもなかった。想像通り、玄関の先には鷹嶺三戸が立っていた。今どきロボットの方が愛想良くできるんじゃないかと思えるほど、引きつった笑顔を貼りつけて。
「ちょっと付き合え――じゃなかった、付き合ってくれないかしら、ナル――成園くん」
これは夢なのだろうか。いや、むしろ夢であってほしい。僕の家に鷹嶺がやってきたかと思えば『付き合ってくれないかしら』だって? あの鷹嶺が⁉ 二言目には『変態』と吠えて手を出す(鷹嶺の場合は脚か……)不良少女が……? 何のために?
しかも、袖なしのふりふりしたブラウスに薄ピンクのスカートという不良とは対極の服装と、妙なしおらしさが相まって普通にかわいい女の子に見えてしまう。これは何の罠だ? どうせまた『変態』だの『死ね』だのあらぬ疑いとともに蹴りを入れるつもりだろう? とにかくパスだ、パス。痛めつけられると分かっているのに付いていく馬鹿などいない。
「学校の課題に加えて塾からも山ほど課題が出されているんだよね。後回しにして焦りたくないから、終わらせるまで出かけるつもりはなくてさ。ごめんだけど一緒には行けない」
我ながら会心の言い訳だ。塾なんて通っていないし、夏休みの課題も八月前半には終わるペースで進んでいる。が、勉強を理由にすれば食いさがってくることはないはず。
「そういうわけだから、気をつけて帰りなよ」
散々痛めつけられた相手でも気配りを忘れない。完璧な敬遠だと思う。浜永さんのお勉強が役に立っているのかもしれない、後でお礼を伝えておかないとだな。
「今日じゃねぇと……、今日じゃないとダメなのよ」
ところが鷹嶺は帰るそぶりを見せるどころか、震える声でそう言った。
「らしくないのは、うち――私が一番理解してる。理解しています。こんなことナル――成園くんに頼みたくもないしそんな予定もなかったし……。とにかく、ただ付いてくるだけでいいから、うち――私と今日一日付き合ってください……!」
開いた口がふさがらないのを通り越して顎が外れるかと思った。
鷹嶺ってこんなキャラだったのか⁉ 一度ならず二度までも、僕に向かって『付き合って』だと⁉ 最後に会ってから(薔子さん家で飛び膝蹴りを食らってから)一週間と経たない間にどんな心境の変化があったんだよ。不自然な言葉遣いとかくん付けとか、変わりすぎてなおさら怖い。
はやく諦めてくれないかな……。様子がおかしいとはいえあの鷹嶺だ、鼻血塗れになる未来しか見えない。それにお腹も空いてきたし、二度寝もしたい。玄関で突っ立っている今この時間が一番無駄なんだ。
「――ごめん、なさい」
どうすれば帰ってくれるだろうかと考えあぐねていたら、突然鷹嶺が深いお辞儀とともに謝罪した。
「成園――くんには、色々やり過ぎたかもとは反省してます……。許してもらえないと思う。許してもらわなくてもいい。けど、どうしても成園くんがいないとダメなの。蹴りません、殴りません、脅しません。だからお願い……お願いします……」
泣きだしそうなのを必死に堪えているのか、顔を上げた鷹嶺の表情は不自然に強ばっていた。歯を食いしばっているせいか迫力があって、恐怖すら感じるほどだった。――ここで断ったら、僕はどんな未来を迎えてしまうのだろう。
それにしても、今までバーサーカーと見まがう所業を散々行ってきた鷹嶺だが、涙目で震えているのを見てしまうとどういうわけか調子が狂う。踏まれて蹴られて罵られ、一歩間違えれば僕は心に深い傷を負い、不登校の引きこもり生活を送っていたかもしれないというのに。女子の涙に弱いのは男子の抗えない性なのかな……。せっかく二度寝できると思ったのになあ。
「なあ、鷹嶺。殴る蹴るうんぬんは当然守ってもらうとして、付き合うのは今日一日だけでいいんだよな?」
「――うん」
鷹嶺の涙に負けたんじゃあない。鷹嶺が実力行使に出る未来を回避し、僕自身を守るため。そう、これは僕が自由な夏休みを得る上で必要な決断。決して、年相応に乙女チックな鷹嶺をもう少し見ていたくなったとか、鷹嶺の「お願い」ってセリフにドキッとして断りきれなくなったとかじゃないからな……? あくまでも自分のため。ここ、重要な。
「僕が必要だという用事が済めば二度と押しかけないって約束してくれるなら、付いていってもいい」
「いいの……?」
「とりあえず着替えてくるから、少し待ってろ」
「――ありがと」
強ばっていた表情が感謝の言葉とともにやわらいだ。本心なのだろう、照れたような不器用な笑顔に一瞬間目を奪われる。
正気に戻った途端恥ずかしさがどっと込みあげ、視線をそらしたところでようやくそれに気づいた。
「親が帰ってくるまでに、インターホンも元通りに直――せるのか……? いや、直してもらわないと困るぞ。壊してなくても怒られるのは絶対僕だからな?」
呼出ボタンから放射状にヒビ割れたインターホンを見なかったことにして部屋に入る。どうベルを鳴らしたらあんな風に破壊されるのか、鷹嶺に付き合って本当に大丈夫なのか、不安がふつふつと湧いてきた。
格好つけて了承した手前あとには引けず、僕は非暴力の約束が破られないよう願いながら、ティッシュをポケットに突っ込んだ。
初めまして、もしくは、お久しぶりです。白木 一です。
およそ5ヶ月振りとなる更新となります……。
このお話、2017年に7話、2018年に3話、そして2019年7月現在で3話と、かなりとろとろしたペースで進んでいるみたいです。毎日更新どころか、毎月更新さえ夢のまた夢なサボり魔となっております。
これが今年最後の更新となるのか、はたまたまだまだ更新できるのか、私にも分かりません。
何度も伝えておりますが、未完で終わらせるつもりはないです。何年かかるかどうか……分かりませんが、私の望む結末を書き終えるまで更新は続けていきます。
推しと絵師様に貢ぐ生活を続けている怠惰でお花畑な私と、私の物語を今後ともよろしくお願いします。




