僕はロボットになりたい。
「渉くん、そろそろ起きなー。朝ごはんできてるよー。起きなきゃ、綺麗で可愛いお姉さまがキスしちゃうぞー」
あ゛ぁ……世界が揺れている……。地震か……? ついに僕は死ぬのか……? ここ最近の不運も全部死への前触れだったのかな。それなら納得がいかないこともないや。
薔子さんへの未練も鷹嶺による暴力や鼻血も、何もかも気にしなくていいんだ。死んでしまえば考えることに縛られなくて済むんだ。全部終わり。これでおしまい。ようやく僕は自由を手に入れられる。
どうせ僕がいなくなったところで学校は新学期になるし、みんなは勉強漬けの毎日に戻るだけだし、悲しむやつなんていないのさ。はぁ、そんなこと言っている自分が悲しくなってきた。
おっ? 揺れが収まった。僕は生きているんだな、たぶん。でもまだ疲れが取れないし、もう一眠りしよ……。
「そっかぁ、私のキスじゃあダメなんだぁ。そうだよね、お姫様を夢から覚ましてくれるのは王子様のキスなんだから、眠ってる王子様を起こすのも同じように王子様のキスのほうがいいよね。じゃ、まな呼んでこよっと」
思い出した! 僕はミドリの家の玄関で気を失ったんだ。確か、ミドリのお姉さん――まな姉の投げたマンガ雑誌が僕の顔面にクリティカルヒットして……。
――ってそんなこと(で済ませられるほど軽くないけど!)よりも!
「起きてます起きてます起きてますからっ! 僕でそんな妄想しないでくださいっ……! ミドリなんかよりまな姉のキ……キスの方がいいですからぁ!!」
「キモっ。ワタルお前、人の姉貴使ってナニ考えてんだ? 引くわー、軽蔑しなおすわー」
声のする方を向けば、白いエプロン姿で(もちろんふりふりはない)左手にフライ返しを持ったミドリが、冷たい目で僕を見ていた。
「朝メシできてっからさっさと食えよな。オレのつくったメシ冷まして不味くしたらぶん殴るぞ」
流石に鼻血は止まっていたけれど、痛みの感覚はまだある。短期間に何度も痛めつけられたせいで慣れてしまったのか壊れてしまったのか、正直気にならないくらいにはなっている。まだ痛みを感じられることを喜ぶべきか、このまま何も感じないようになってしまった方が楽なのか。どうして僕はこんなことで悩まなきゃいけないんだよ。
近い将来、僕は痛みも感じない鼻血も流れないロボットみたいになれるのかな。なりたくないけどさ。
それにしてもミドリの作ったご飯か……。脳みそすっからかんな暴力バカの印象しかないこいつに、料理ができただなんて知らなかった。僕はおそるおそる訊ねてみる。
「ミドリの手作りってことでいいんだよな? 出前とかコンビニ弁当とかじゃなくて」
「当たり前だろ。自慢じゃねぇけどよ、この家で一番料理できんのってオレだぜ? 母さんも親父も滅多に家で食べねぇし、愛美にいたっては何もつくれねぇかんな」
「私だってカップラーメンくらいできますぅ」
頬を膨らませながらミドリの肩をはたくまな姉。対してミドリは盛大にため息をもらした。
「お湯沸かせんのもオレに押しつけてるやつが何言ってんだか。じゃ、先におりてっから早く来いよ。せっかくつくったんだから熱いうちに食えよな」
僕が曖昧な返事をするとミドリは一階に下りていった。
お腹は空いているし、作ってもらったんだからありがたくいただくとするか。この後の予定なんていっても家に帰るだけ。夏休み中は引きこもるって決めたんだ、しばらくはミドリの家でゆっくりさせてもらおう。
「おいしい……!」
ミドリの料理の腕は想像以上だった。白米と味噌汁、玉子焼きに野菜炒めと、ザ・家庭的な朝食って感じ。しかも野菜炒めはかなり好みの味付けで、ごはんが進んでおかわりまでした。
滅多に家事の手伝いもせず、家での調理といえばカップラーメンを作るだけ(もちろん、お湯は自分で沸かしているからな)。ここまで差を見せつけられたら自分が何もできないやつに思えてくる。実際そうなんだけどさ。
こいつ、ただ引きこもってたわけじゃないのか。僕なら引きこもっても何もせず、無駄な時間を過ごすだけなんだろうな。
「それでさ、渉くんはなんで家にいるの?」
マンガぶつけちゃったことは忘れてないよ? と続けて、にやにやしながらまな姉は言う。精神的にも物理的にも衝撃的だったのに忘れていたのなら泣くよ、僕。被害者の僕には笑えない。
「渉くんが倒れた後、まながお姫様抱っこで『今日、ミドリ家に泊めるからよろしく』って自分の部屋まで運んだところまでしか知らないからさ。お姉さんとしては、ちょっとくらい事情を教えてもらってもいいんじゃないかなー、と」
いや、いらない。お姫様抱っこの情報いらない。知りたくなかった。何なんだ? いつまでそのネタ引っ張るんだよ。実の弟とその同級生(男)がいちゃいちゃする話なんて聞きたくないだろうに……。
――事情、か。学校生活に無関係な人とはいえ知られたい話というわけでもないし、むしろそっとしておいてほしいのだけれど……。とはいえ、一宿一飯の恩があるのも事実。このまま黙って帰るのも気持ち悪いし、誰かに話すことで心のもやみたいなものが少しは晴れるかもしれない。
ミドリもいるけど、こいつは誰かに勝手に言いふらして楽しむような真似はしないってわかっている。暴力バカではあっても理不尽な暴力は振るわない。そういうやつだから今日まで付き合ってこられたのだと思う。
「実は――」
そして僕は全部話した。薔子さんに出逢い、一目惚れして告白し、薔子さんの家で鷹嶺に飛び膝蹴りされ今に至るまでを。もちろん、そのときの鷹嶺がバスタオル一枚だったこととか、浜永さんとのデートの後に家に行ったこととかは除いた「全部」だ。
わざわざ言うようなことでもないだろう。だって、鷹嶺はあいつがそういう格好で出てきたんだし、デートも脅されてしぶしぶ……だったから僕に一切の非はないんだ。ないんだけど――、少しばかり体裁がよろしくないかなと……。
ミドリもまな姉も、僕の話が終わるまで一度も口を挟まなかった。二人とも同じように腕を組んでじっと話を聞いてくれた。
「なぁ、愛美。確か来週夏祭りだよな」
「近所の神社でやるやつでしょー。忘れるわけないじゃん。この前ゲームで負けたまなが、何でも買ってくれるって言ったんだから」
「『何でも』とは言ってねぇだろうが! それはそれとして、ワタルも夏祭り来いよ。どうせ暇なんだろ?」
そうだよ、毎日が暇だよ。夏休みは引きこもるって決めてるんだからな。
この辺りの夏祭りっていえばあれだろ、祭りの終わりには大きな花火が何発も打ち上げられて、その花火を一緒に見たカップルは固い絆で結ばれるってので有名なあの夏祭りだろ?
こいつは僕にケンカを売っているのか? 薔子さんに振られて間もないというのに、そんないちゃいちゃリア充カップルだらけの地獄に、傷つくとわかっていてどうして自分から飛びこまなければならないんだ。
「まあまあ最後まで聞けって。ワタルの気持ちもわからなくはない。けどさ、お前の場合、茨城に未練たらたらだから面倒なことになってんだろ? だったら茨城のことなんてすっきりさっぱり忘れてさ、ぱぁっと楽しめばいいんじゃね? なんなら新しい出会いがあるかもだぜ」
すっきりさっぱりできないから困っているんだよ。忘れようとする度に、薔子さんの満開な笑顔が頭から離れなくて忘れられない。忘れたくないんだ。
もう一度だけでいいからあの笑顔の薔子さんに会いたい。新しい出会いなんていらない。もう一度僕に、薔子さんがあの笑顔を向けてくれたら……。
「暗い顔すんなよな。じゃあ、これならどうだ? お前になら何でも奢ってやる。だから来い」
「しつこいなぁ……。どうしてそこまでして行かせようとするんだよ。僕はこの夏休みを家で過ごすって決めたんだ。誰にも迷惑かからないし、人にも会わなくていい。それでいいじゃないか。それにまな姉と行くんだったら、別に僕がいる必要もないだろ」
姉弟仲良く楽しんでくればいいよ。花火だってミドリと見たところで何の風情もないしさ。ましてや結ばれたいだなんて考えるだけで吐き気がする。
「しょうがねぇ……。でも、待ってるからな。オレは久しぶりにワタルと遊ぶの、楽しみにしてっから」
「あぁ、気が向いたら行くよ」
「まなも私も、渉くんが来てくれるだけで嬉しいからね」
気が向くことはないだろうし行くつもりもないけれど、ここは思わせぶりな答えで流しておく。
僕だってミドリと遊びたくないわけではないんだ。ただそういう気分になれないってだけで。今は何も考えなくてもいいように、少しでも薔子さんから心が離れられるように、家に引きこもってゆっくりしていたい。
ミドリが優しいやつだって知ってはいるけれど、今の僕は優しさなんていらない。そっとしておいてほしい。
「ごちそうさま、僕はそろそろ帰るよ。泊めてくれてありがとう。まな姉も、おじゃましました」
これ以上ミドリたちに気を使わせないよう、早く帰ろうと立ち上がったとき、突然僕のスマホが鳴りだした。この童謡は妹のあかねからの着信か。いくらうちが(僕に対してだけは)放任主義とはいえ、連絡も入れずに外泊したのは初めてだから怒ってるのかな。
ちょっとごめんと言って電話にでる――と、怒ってるというよりは楽しんでいるとか面白がっているかのような、興奮した様子の妹の声が僕の鼓膜に突き刺さった。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!! どういうことなのお兄ちゃん!!」
うるさいっ……! そんなに大きな声をださなくても聞こえるよ。鼓膜が破れるかと思ったぞ、まったく……。
スマホを耳から遠ざけたまま、爆音発生装置と化した妹を沈める作業に入る。
「ごめんごめん、色々あって連絡するのを忘れていたよ。昨日はミドリの家に泊まってたんだ。ミドリ覚えているか……? あおえ――」
「そんなことはどうでもいいのっ!!」
そんなことってなんだよ、そんなことって。僕を心配して電話をかけたんだろ? もう少し優しさってものを持ってくれてもいいんじゃないかな。
「お兄ちゃんの彼女だって人がうちに来てるのっ!!」
「なんでっ!?」
「それはこっちのセリフだよっ!! お兄ちゃんもいない、来るって話も聞いてないっ!! そもそもお兄ちゃんに彼女がいるのだって知らなかったし!! おかあさんなんて今は少し落ちついてるけど、『聞き間違いかしら。耳がおかしいのかも、耳鼻科行ってくる』って本当に病院行こうとしてたんだからねっ」
それは僕に失礼じゃないかな? そのまま病院に行って精神科のお世話にでもなればよかったのに。
ところで誰の話をしているんだ? 僕だって、今日誰かが訪ねてくるなんて聞いていない。彼女……? 薔子さんが何の目的で家に来るんだ? いや、そもそもその彼女さんは薔子さんで間違いないのか? また鷹嶺とか浜永さんのいたずらの可能性だってあるし、むしろそっちの方が納得できる。
「ちょぉおっと!! 話聞いてるのお兄ちゃん!!」
「わかった、わかったから。ところで僕の彼女、母さんたちにちゃんと笑顔で挨拶したのか?」
「何いってるの、あたりまえでしょっ!! ひまわりの花みたいにきらきらした笑顔のかわいい人なんだから、あかねたちはびっくりしてるんだよっ!!」
僕もびっくりしている。信じられない。まさかほんとに薔子さんが? 僕の家に? 僕の彼女だって!?
「さ、最後に一つだけいいか? ほんとに僕の彼女で間違いないんだよな?」
「あ〜っ、もうっ!! 何度もいわせないでよっ!! 『成園くんとお付き合いさせてもらってます、茨城薔子です』って、見ているだけで元気になれそうな笑顔でそういったのっ!! いつまでも彼女さん待たせてないで、はやく帰ってきなさ〜いっ!!」
一際大きな叫び声を残して電話は切れた。
あかねが薔子さんの名前を知っているはずがないから、少なくとも、僕を訪ねて女子が来たって話は嘘じゃないらしい。彼女を名乗るその人が本当に薔子さんかどうかはわからないけれど、どういうわけか僕の家族に彼女だと説明しているんだ。ただのいたずらってわけでもなさそうだな。
「ごめんミドリ。急ぎの用事ができた。今日のお礼はまた今度、学校で会ったときにするよ」
「お、おう……。お礼とかいいから、来週夏祭り来いよな」
ごめんだが、その約束はできないや。お前と次に会うのは学校で。
ミドリの誘いの答えを濁したまま、僕は緑枝家を後にした。
薔子さんが来た意図を考えているうちに、気づけば家に着いていた。考えたところで答えが見つかるわけでもなく、ただただ薔子さんを待たせるだけになってしまう。せっかく来てくれたのに、待ちくたびれて帰ってしまうなんてことだってありうる。こんなところで時間を無駄にするよりも、直接会って話を聞いた方が早いんだ。
「ただいま……」
リビングがかなり騒がしい。まだあかねが叫んでいるのかとも思ったけれど、雰囲気としては団らんって感じがする。僕抜きで楽しそうにして羨ましい。いや、待てよ? 今なら薔子さんの笑顔を再び拝めるかも……!?
静かにリビングのドアを開けると、確かにそこには彼女の笑顔があった。
「あっ! おかえりなさい、なりぞのくん! 茨城薔子だよ」
薔子さん――の名を騙る、浜永さんの天使な笑顔が。
そんな予感はしていたんだ……。あの時さようならと言った薔子さんが、どうして僕を訪ねてくるんだ。でも、その疑問は浜永さんにも当てはまるはず。わざわざ嘘を吐いてまで家に来た理由ってなんだ?
「薔子、なりぞのくんのお部屋みてみたーい。案内してくれないかな?」
「あの、はま――」
「しょ、う、こ、なりぞのくんのお部屋がみたいなー」
笑顔なのに……、とってもかわいい笑顔なはずなのに……、すごい圧を感じる。何を考えているんだ、浜永さんは。とりあえず言われた通りにするしかないか。
「僕の部屋二階にあるから、先に階段上がっておいてくれないかな。上がってすぐ右側の部屋だよ」
「はーい!」
浜永さんの姿が消えるとともに群がってきた二匹のハエに、二階には来るなと釘をさしてから、僕も階段を上がった。
部屋の中をじろじろと見まわしていた浜永さんだったが、僕に気づくと笑顔を浮かべて口を開いた。
「しょこちゃんかと思ったら純佳がいて、何がなんだかさっぱりななるぞのくんに、今日はお願いがあってきました」
そして続けられた言葉は、全く想像していなかった突拍子もないお願いだった。
「なるぞのくん、ID教えて?」
お久しぶりです、白木 一です。
半年以上も更新していなかったみたいで……たいへん長らくお待たせいたしました!
感想もいくつかいただいておりましてとても嬉しいのに、全然続きが読めないという応援しがいのない作者で申し訳ないです。
さて、今回は鼻血でてないです。感想にちらほらかわいそうだというご意見もあって、そこを慮ったわけではないのですけれど。
あと、私はMとかSといった嗜好はないです。しいていえば、いちゃいちゃするのを眺めてニヨニヨしていたい変態なのです。自分が痛めつけたい、痛めつけられたいのような趣味はございませんとこの場を借りて申し上げます(私の性癖に興味などないかとは思いますが、そのようなご意見もあったため)。
またまた中途半端なところでしめましたが、更新が半年後にならないよう頑張りたいです。
それではこれからも、脳内お花畑、恋愛脳の痛い気100%な変態こと白木 一と、私の物語をよろしくお願いいたします。




