7 全日本中学校通信大会A県大会 2
男子1年1500m予選 第1組目。
走るのは、うちの学校からは和也と正樹。
まあつまり俺は仲間はずれにされたわけだが、その分応援もできるし、何より自分の時間を持てる。自分の体の調子を確実に確認することができる訳だ。
今のところはかなりいい調子だ。多分突如走りが乱れたりはしないと思う。
さて。1組目のレースがもうすぐ始まる。
「和也正樹ファイトー!」
叫んで応援をするが、2人とも反応は無しだ。まあ、仕方ないとも言えるけど。
「ファイトー!!」
隣では田中先輩も応援している。すっきりした田中先輩の声は、競技場でもよく響く。
正樹は多分予選を楽に突破してくるだろうが、和也にも頑張って欲しい。俺は祈る気持ちでスタートを今か今かと待ち構える2人を見つめる。
号砲が鳴った。
いよいよ、男子1年1500mが始まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
やはりと言うかなんというか、正樹はいつもの様にスタートダッシュを強めにかけた。順位ではなく記録で決勝に行けるのかどうかが決まるから、1位でいるからと油断は許されない。
一方和也は、後続の集団の中盤についている。正樹のハイペースに流されることなく、落ち着いて自分のペースを保っているところが流石は和也といったところだろう。
正樹の1000m通過タイムは2分57。これは大体4分30前後が出るペースだ。対して和也は3分07。ちょっと苦しそうだ。
「正樹いいぞー!、そのままそのまま! 和也ファイト! あと500だ~!」
レースは正樹が先頭でフィニッシュ。ラスト200mを流したようだが2位と3秒の差をつけた。記録は4分33秒84。
そして和也は9位でゴールした。記録は4分42秒26。予選突破は厳しいかもしれないが、自己ベストを大幅に更新した会心の走りだったと思う。
「お疲れ様!」
「ありがとう……勇輝もガンバ」
俺のレースはもうすぐだ。既に最終コールも済ませ、あとは走るだけ。和也の応援で、俺の中には確かに闘志の炎が宿った。
今日は行ける。なぜかはわからないけどそんな気がした。
「勇輝頑張れ~!!」
「勇輝くん頑張ってー!」
「中原ファイト~!」
不思議と俺への応援がよく聞こえてくる。とてもすっきりとした気分だ。
「オンユアマークス」
位置についての合図がかかり、俺はスタートの体制をとる。
静寂の時間が、1、2、3……
バァン!!
号砲の音。
俺は、走りだした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あいつ、いい表情してるじゃないか」
田中は、走り終わったあとの浅井と青木に声をかける。
「そうですね。俺は多分ダメだけど、勇輝は決勝に残っちゃうかも」
浅井はスカッとした表情で笑う。元から予選の突破は叶わないだろうと悟っていたのだろうか、その表情はとても穏やかだ。
「僕の記録、抜かされないかな……」
対する青木は、とても不安そうな顔。予選突破ができるかがわからないためか、それにしてもその表情は硬い。
「それはいいんだけどさ……」
浅井が言う。
「なんかアイツ、足引きずってない?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
どういうことだ。何が起こったんだ。
600m通過の時に、その違和感は突然やってきた。太ももに、今までに感じたことのないような痛みが走る。
こんな時に何なのだろう。仕方がないが、走った後に救護室に行こう。
俺は、3番手のポジションを守り、前に付いて行った。
大丈夫。足が痛いがまだ行ける。
その時だった。
観客席からざわめきが起こる。隣を走っていた選手が驚きの表情で通り過ぎていくのを、俺は確かに確認できた。
俺は左太ももに発生したとてつもない痛みに、思わずうずくまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
A県陸上競技場の建物内部に特設された救護室。俺は、ベッドに寝かされて足を冷やしていた。
そのおかげか先ほどのような強い痛みは引いてきたが、まだまだかなり痛い。
「肉離れやっちゃったか~……」
隣でずっと処置を手伝ったり話してくれていた小坂先生も、深刻そうな顔だ。
「今家の人と連絡したから。お母さんすぐに来てくれるって」
「あ、ありがとうございます」
しばらくの沈黙。俺は、まだ気持ちの整理がついていなかった。
肉離れ? けっこう重度かもしれない? もしかしたら3ヶ月位走れないかも?
さっき俺の足に手早くシップを貼り、包帯を巻いて氷のうをくれたスポーツ外科医さんの言葉だ。
触診だけでは分かりづらいが、痛みや太ももという部位から見るに回復するには時間がかかることは確実なのだそうだ。
ショックだった。同時に、なぜ、と思った。
ストレッチはしっかりしていたし、タンパク質をたくさん摂るようにと食生活も心がけていたのに。
気がついたら、涙がこぼれていた。
泣くな。スポーツをやっている以上、故障を避けられることなどできない筈だ。泣くな……
頭では理解しているのに、心が拒否する。この大事な時期に3ヶ月も走れないなんて、致命的なんて一言で表せるものなんかじゃない。
「先生はね……」
小坂先生が、突然口を開いた。
「中学生のときからすごい故障がちで、入部して一週間でいきなりシンスプリントやっちゃってさ。、高校と大学の時のも入れると疲労骨折を2回、肉離れもやったし、故障じゃないけど貧血は何度もやった」
「そんなに……」
「でもね、故障と故障の合間で頑張って練習して、最後の高校総体では県大会で入賞するところまで行ったんだ」
「はぁ……」
「うーん、上手く言えないんだけどさ」
困ったように笑う小坂先生。
「大丈夫。短い間だけど先生は中原を見てきて、故障1回で潰れるような選手じゃないっていうのは確信出来てるから。中原は自分で思っている以上に、強い選手だと俺は思うよ」
サラッと素が出てるなーと思いながらも、俺は泣くのをやめて小坂先生の話に耳を傾けていた。
「確かに青木も浅井も今かなり乗っているし、離されるかもしれないって思うのも仕方がないとは思うけど、中原なら治ってから練習しても2人には追い付けると思う。むしろ体幹とか柔軟性とかを見直せる貴重な時間が手に入ったんじゃない?」
「そっか……。それもそうですね」
「うん、良かったー泣き止んでくれて」
「あっ……なんか今思うとちょっと恥ずかしいですね」
そこからは、母親が来るまで穏やかな気持ちで小坂先生と話せた。小坂先生は話すのがとても上手くて、とても明るい気持ちになれる。
「あ、お母さんから電話が来た……。多分着いたんだと思うから、ここに呼んでくるね」
「あ、はい」
暫く。
「勇輝! 大丈夫?」
俺の母さんが、救護室に入るなり俺にアタックしかけた。
流石に怪我してるので小坂先生が止めてくれる。母さんは俺の元気そうな顔を見て安心したのかホッと息を吐くと、俺が大好きなりんごのジュースをくれた。
「結構派手にやっちゃったわね~……」
母さんが俺の太ももの包帯を見て言った。
「とりあえず、予約はとったから病院に行こう。勇輝、荷物はまとめられてる?」
「あ、うん。さっき友達が持ってきてくれた」
「じゃあ、はやく行きましょうか。先生、本当にすいませんでした」
「あ、いえいえ大丈夫です! お大事にね」
「ありがとうございました」
……結局俺は小坂先生におんぶされて母さんの車に乗ったのだが、これは正直さっき泣いたのより恥ずかしかった気がする。