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第四話

 呆然と立ち竦む姿は、どこか滑稽だった。


 姫希は焦点を合わせているように見えるが、優子を見るその目はどこか虚ろだ。


「それは、あたしがやるべきイベントでしょ……?」


 イベント。それは、怜の好感度を上げた場合の話ではないか? 実際は、好感度を上げるどころかろくに会話をしていないのだが。


 まるで信じ難いが、今でも二次元に侵されている姫希の言葉なら間違いはないのだろう。優子は朧な記憶を引っ張り出す。


 秋峰怜のイベント。廊下。壁ドン。……確かに、似通ったイベントがあった気がする。


 ゲーム内でも、怜は万年首位であった。


 ヒロインは編入生で、白羽学園での考査の難しさがよく分かる。だから、常に首位に居座る怜が気になり、同時に憧憬を抱いた。


 そして、高一の秋、偶々出会った怜に、ヒロインは「一度だけでも貴方の順位を抜いてやる」と啖呵を切る。天才と持て囃され続けた故に傲慢だった怜は、有り得ないと鼻で嗤うだけだったが。


 しかし、勉強のステータスを最高値近くまで上げると、三年になって、首位を奪い取るイベントが発生する。怜曰くの“有り得ない事”が起こったのだ。


 初めての敗北に、怜はヒロインをライバルと認め、徐々に心を開き始める。


 しかし、そこから彼女への苛めが酷さを増す。怜を信奉する集団が彼女を潰しにかかったのだ。伊川優子を中心に、その集団は悪意を持ってヒロインを傷付けた。彼女はクラスメイトから邪険にされ、私物を隠され、気付いた時には、根も葉もない噂が学校中に広がっていた。そんな扱いを受けても、ヒロインは気丈に学園に通い、首位を獲り続けた。


 苛めに果敢に立ち向かっていたヒロインは、ある日、伊川優子に呼び出される。そして、ヒロインの顔を使った卑猥なコラージュ写真を見せつけられ、考査で首位を降りなければ校内中にその写真をばら蒔くと脅されるのだ。テクノロジーが発展したこの時代では使い古された手段だが、いつもの嫌がらせと比べ、数段質が悪い。都合の良い助けなど無く、彼女は泣く泣く首位を諦めた。


 それで丸く収まる訳が無かった。それから暫く怜を押さえて首位だった姫希の順位が、十数位も落ちたのだ。何かがあったのだと、何も言わずとも知れる。


 せっかく出会えた本気を出せる存在が、手を抜いた。怜の目にはそう映り、その事実は、怜に思いがけない打撃を与えた。姫希が対等であると認めたからこその、失望だ。姫希に裏切られた怜によるその尋問、いや、詰問がこのイベントだったか。


 言われてみれば、先程の「何故、手を抜いた」という台詞はイベントでも使われた気がする。悪役令嬢の代わりにヒロインが描かれた壁ドンスチルもあった気がする。多分。


 ……あれ。


「何で私はここにいるんですか?」

「こっちの台詞よ! あたしの怜に近寄らないでくれる?」


 そんな状況でもないのに、何だか聞いてて笑ってしまう。自分が世界の中心にいると、まだ信じているのか。


 敵愾心を剥き出しにした表情を優子に向けたまま、姫希が怜の腕にしがみつく。


「ねえ、怜。そこのガリ勉なんて放っといて、あたしの相手をしてよ」


 言葉だけ聞くなら、彼女の方がヒロインを苛め抜く悪役令嬢に相応しい。


 怜は口を噤み姫希にされるがままでいるが、その表情は酷く厳しい。……忘れていた、自分の要求が通らないと、この男は途端に機嫌が急降下するのだ。久々に言葉を交わしたが、未だに直ってないらしい。


「……お前が何の話をしているのか知らないが、俺が話をするのは優子だけだ」


 あくまで穏便に済ませようとする怜。顔こそ不機嫌丸出しだが、まだ沸点には達していない。それが分かるからこそ、優子は早く姫希に退散して欲しかった。姫希に対する怒りがこちらに向いたらどうする!


 しかし、ここで攻略対象者の気持ちなど分からないのが柏木姫希という攻略者だった。


「数学で分からないところがあるの、教えてくれない?」


 ……大人しく引っ込んでくれたら良いものの、火に油を注ぐどころか、ぶちまけやがった。


 優子など焦りなど露知らず、姫希は目を潤ませ、怜の腕に胸を押し付ける。


 彼女の分かりやすい媚態びたいに、そこで初めて、怜が姫希を真正面から見据えた。しっかり目が合った姫希は、彼の双眸に宿る冷たい光に気付かず、うっすら頬を染める。


 怜は構わず言葉を紡いだ。


「邪魔だ。俺は、今こいつと話している」


 凪いだ声は、感情を映す事を知らない。表情が削げ落ちた顔からは、怜が何を思っているのかなど分からない筈なのに、優子の身体が勝手に震える。


「行くぞ、優子」


 横柄に言い捨て、怜が優子の腕を掴む。


「まッ! 待ってよ、怜!」


 相手にされてないのは誰の目にも明らかなのに、姫希は必死の形相で怜に追い縋る。


「ねえ、どうして? どうしてあたしを優先しないの? イベントは残さずこなしたじゃない。選択肢も一つだって間違わなかったじゃない。隣にいても良いかって聞いたら、勝手にしろって言ってくれたじゃない! なのに、どうして……!?」


 どうして、シナリオ通りに動かないのか。慟哭にも似た叫びに、優子は同情より先に不快感を抱いた。この言い方は気に食わない。


 怜も苛立ちを隠そうともせず、深々と溜め息を吐いた。


「だから、イベントとか、選択肢とか、何の話だ」


 ここがゲームの世界なのか、良く似た現実なのか。それは優子にも分からないが、怜からしたら、得体の知れなくて、聞く価値すらもない話なのだろう。


「何の話って……、決まってるじゃない! あたしは、」

「しつこいぞ。何度言わせたら分かる」


 怜が警告する。それはそれは、お伽噺の魔王ですらしないだろう冷たい眼差しを向けて。


「お前の妄言に付き合っている暇はない。さっさと消えろ」


 姫希の目が、ゆるゆると見張られた。


「……嘘でしょ?」


 視線を怜に固定したまま、腰の力が抜けたか、廊下にへたり込む。


「嘘よ、そう、そうに決まってる! だって……」


 ここはゲームだから。あたしはヒロインだから。だから、こんなの有り得ない。


 そんな姫希の声が聞こえた気がした。


 ずっと――それこそ姫希の編入時から彼女の言葉を聞いてきたが、そろそろ忍耐の限界だった。


「……怜君を、否定しないでくれませんか」


 思った以上に低い声が出た。


 言葉として思っている事を形にし、ようやく自分が怒っていると自覚する。

“秋峰怜”は確かにいる。ただ、それは、設定通りに動くキャラクターではないだけだ。


 確かに、イベントに似た状況は度々起こったのだろう。優子だって、姫希が怜と仲良く話す場面を何度も見たし、その度に、何とも言えない痛みを味わった。今も立場は逆だが、酷似した状況だ。


 でも、だからと言って、ここがゲームだとは限らない。自分以外の誰かが、人形の如く思い通りに動くとは限らない。


 それなのに。


 シナリオ通りではないから。ヒロインの為の世界だから。たかがそんな理由で、どうして目の前にいる怜を否定されなければならない。


「ごめんなさい、柏木さん。私、やっぱり、柏木さんの為になんて動けません」


 心の底からどうでも良かった。その筈だった。今世よりも、前世の方が重要だったから。行きたい大学に行って、怜とも仲良く会話を交わす、なんて、そんなの叶う筈もない夢だから。


 だが、この女の為に、婚約破棄などしてやらない。


「……何よ、あんた、あたしを裏切るって言うの?」


 怜の言葉で打ちのめされた姫希が、優子の宣言に強く反応する。


「ああ、でも、あんたは“そういう女”だったわね! 薄汚くて、保身の為なら取り巻きだって平気で売るような奴よ!」


 そうよ、そうだった、と姫希が半笑いを張り付け、優子を指差す。可愛らしい面立ちの筈なのに、姫希が浮かべる侮蔑の表情は、彼女をただただ醜悪に映す。


「何を言ってるんですか?」


 怜は優子に興味がない。それはゲームでも、この世界でも同じだろう。優子はそれを疑わないし、怜が良いなら、婚約などどうでも良かった。自分には関係ない事だと思っていた。


 だけど。


「怜君を“秋峰怜”としか見ない奴に奪われるのは、心底許せないだけです」


 精一杯の嫌悪を込めて言い放つ。


 本当は、無関心を装っただけで、最初から嫌だったのだと、今更気付く。この柏木姫希ヒロインには、彼女だけには、奪われたくなかった。ちゃんと一人一人に感覚があり、感情がある、何事もままならない現実として存在するこの世界を、ゲームという単語で片付ける奴なんかには。


「イベントとか、選択肢とか、そんな尺度で、怜君の気持ちを計らないで下さい」


 どれ程の間、姫希と睨み合っていたのか。不意に、怜が掴んだままの優子の腕を引っ張った。


「ほら、もう行くぞ」

「あ、……はい」


 熱くなりすぎて、怜の存在をうっかり忘れていた。変な事は何も言っていないと思うが、大丈夫だろうか。……大丈夫な筈だ、気に入らなかったら直ぐに言ってくるだろうから。


 恐々と怜の顔を伺うと、意外にも目には理知的な光が宿っている。いつの間にか、油ではなく、水が火に注がれたらしい。


 怜の歩調に合わせ、優子は小走りで付いていく。


 姫希は、追ってこなかった。

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