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第二話

2015/07/19 修正

「人の事無視するのもいい加減にしなさいよ」


 姫希の地を這った声が、優子を現実に引き戻した。


「え、あ。……ごめんなさい?」


 優子がけろりと謝罪し、姫希は不機嫌を隠そうともせずふんっと鼻を鳴らした。


「ッたく、あんた、もっとあたしを苛めなさいよ!」


 びしっと人差し指で優子を指し、姫希は傲慢な姫君の如く居丈高に言い放った。ただし、やってることは姫君でも、肝心の内容は異常者である。この女の他に、どこに苛めを望む奴がいるのか。


「嫌です。勝手にやってて下さい」


 正直、あまり関わりたくない。是非優子の知らぬところで事を進めて欲しい。

 本音が漏れているのか、姫希の眉間に皺に寄る。


「あんたバカなの? 悪役令嬢がいなけりゃ、断罪イベントが出来ないじゃない!」


 さも重要そうに言われたが、意味が分からない。


「私が断罪されようと、されまいと、柏木さんの攻略には関係ないと思うんですが」


 断罪イベントとは、ゲーム内で、姫希を苛め抜いた優子を吊し上げるイベントだ。怜が優子の悪行を暴き、姫希に対する苛めに終止符が打たれる場面でもある。人を下僕のように扱い、思い通りにならないと直ぐ周りに当たり散らす優子は元々の素行も悪く、情状酌量の余地もなく退学。彼女のその後は知らないが、伊川家が経営する会社も潰れた筈なので、随分と惨めな生活をしていたのだろう。


「あるわよ! これは“ゲーム”なのよ!? シナリオ通りに動かないと意味がないじゃないッ!」


 詰まり、怜ルートをなぞる為に、“優子に苛められたという事実”が必要らしい。


「別に、シナリオ通りである必要はないでしょう。そもそも転生者イレギュラーがいるんですから、そのままそっくり真似するなんて不可能ですよ」

「何よ、あたしの言う事が聞けないの? 所詮端役の悪役令嬢なんだから、あたしの為に動くのが当然でしょ!?」


 姫希ヒロインの為に動く――そんな不文律は無い。


 自分勝手な物言いに、不遜な態度を自覚している優子ですら眉を顰めた。例えこの世界が虚構だろうと、優子にとってはただの現実だ。それならば、自分は前世からの悲願を成し遂げたい。


「秋峰怜が欲しいのならば、勝手にしろと前にも言った筈ですが。私との婚約破棄も、向こうが望むなら私に気を使わずにどうぞとも言いましたよね?」


 それなのに、どうしてまだ優子に付き纏うのか。


 優子の発言を余裕とでもとったのか、姫希の頬が怒りで赤く染まる。


「相変わらずムカつくわね! 何よ、ガリ勉の癖に、調子に乗っちゃって!」


 ここで、どうして“ガリ勉”なんて言葉が出てくるのか。いや、否定はしないが。


「そんな事言われても……だってそうでしょう? “秋峰怜”は、……“伊川優子”に興味がないんですから」


 昔は机を並べて勉強していたが、高校で再会して以来、何となく疎遠になっている。婚約者としてどうなんだという話だが、一欠片でもその気があったら、流石に声をかけてくるだろう。


 姫希の険を多分に含んだ目にいい加減辟易し、優子はさっさと敵前逃亡を計った。


「とにかく、一途プレイでも逆ハーでも構いませんが、秋峰怜の事なら、本人に直接言って下さい」


 仲介なんて真っ平御免だ。婚約者の事なんて、自分には関係ない。言外にそう言い捨て、優子は些か乱暴に姫希を押し退けた。


 ――これで良い。良い筈なのだ。


 それなのに。


 何故だろう。こうして“怜の隣にいる自分”を否定する度、胸が疼く。


 刺すような視線を背中に感じながら、優子はそっと痛む胸を押さえた。



 ◇



 廊下を歩いていたら、突然身体を壁に押し付けられた。息を詰まらせ顔を伏せると、犯人の影が落ちる。


 背中が痛い。一体どれだけの力で叩き付けたらこんな痛みに繋がるのか。


 いきなりこんな扱いをされる謂れはない。優子はいきなり仕掛けてきたその者を険のある目で睨み上げた。元の目付きも相俟って、随分と刺々しいだろう。


 が、思いがけない正体に、優子は睨む事も忘れて、まじまじとその男を凝視した。


 繊細だが弱々しさを感じさせない顔立ち。やや癖のある枯れ葉色の髪。普段からあまり表情がないと評判らしいが、今日は随分と機嫌が悪いようだ。


「……怜君」

「何のつもりだ」


 ぎらぎらと光る目が、優子を射貫く。怒りと屈辱が混じり合う目を真っ向から見詰め、優子はひっと引き攣った悲鳴を上げた。


 怜がいつの間にか壁に手を付き、優子の逃げ場を奪っている。先日姫希にされたものと同じ、所謂“壁ドン”という体勢だが、威圧感は彼女の比ではない。長身から来る体格の良さの為か、単純に凄まじい怒りを一身に受けている為か。いずれにしても、優子は本能的な恐怖で指先すらも動かせなかった。


 ――そう、幼馴染みで、婚約者でもある男が、優子の目の前にいた。


 顔こそ遠目に見るものの、殆ど音信不通状態の男が、どうしていきなり話し掛けてきたのか。いや、話し掛けるなんて穏便な手段ではないが!


 その思いが透けて見えたのか、怜はせせら笑うように口を歪めた。


「どうしていきなり、と思っているのか? それは俺の台詞だ」


 どういう風の吹き回しだと続ける怜。押し殺した声に、抑えきれない怒りが滲む。


 どことなくゲームで感じた近寄り難さを覚え、優子は身を仰け反らせた。元々追い詰められているので大した抵抗ではないが、抵抗した事が気に入らないのだろう。怜の眉間に一本皺が増えた。


 久し振りの対面でこちらも戸惑っているのに、怜は何を求めているのか。


 重い沈黙をどうにか払拭したくて、優子は必死で頭を回転させた。


 先ずは会話の糸口を、と思うが、そもそもどんな会話をしていたか。遠い昔の事なので、記憶が曖昧だ。


 逃げ場はない。どうにか、言葉を選んで怜と和解をしなければ。


 現実逃避にも似た思考を中断し、中空を彷徨っていた視線で怜を捉えた。誰も寄せ付けない張り詰めた雰囲気が、孤高の存在として描かれていたゲームでの怜が重なる。


 どうして、思い出したくない時に限って思い出してしまうのか。


 幼少期、激情に駆られた怜の姿が脳裏に閃いた。優子は、現実にも、この男がゲームで見せた残虐性を秘めていると知っている。


「さあ答えろ。何故手を抜いた? 素直に答えたら、情状酌量くらいは考えてやる」


 ……話は見えないが、その男がこの上なく怒っている。


 とんでもない状況に、優子の顔が盛大に引き攣った。

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