見えない顔
「流石はマイマスター、寸分の誤差もない。
おかえりなさい、また贄になりそこないましたか?
貴方は余程運が強いとみえる……それとも逆でしょうかね」
「オーイ、いたぞ!!大丈夫か?セキ」
「う……う……ッ」
揺り動かされた刺激で目が覚めたセキは
自分が雨でぬかるんだ湖の傍で
倒れていたのだと友人の話の内容から次第に理解した。
「探したぞ」
キリトが大声で叫んでると
トウコ、コウが続けて駆けつけてきた。
「しっかし、さっきは雨凄かったな~」
キリトの呆れた声と、
「もう泥だらけよ、もうあの雨何なの一体」
トウコの怒った声。
どれもが懐かしく感じる。
「……みんな久しぶりだな」
セキの言葉にみんなギョッとした顔をして
恐る恐る覗き込んだ。
「オ~イ?大袈裟過じゃね?
つい5~10分の間の事だろ」
「打ちどころが悪かったとかないわよね?
もーキリトが思いっきり動かしたりするからよ」
「はぁ??俺の所為?」
「だって凄い勢いで揺り動かしてたじゃないの」
「そもそも、お前がこんな妙なとこに
連れてきたのが悪いんだよ!」
「なんですって!」
相変わらずのキリトとトウコの言い争いに、
コウがまぁまぁと口を挟んだ。
「ちょと二人共、落ち着いて。
どっちも悪くないし、言い足りないなら後でゆっくりやりなよ。
それより今はそんな事で揉めてる場合じゃないだろ」
目の前の三人の声がとても遠くに感じる。
「………………。」
ほんの5~10分の出来事だという
キリトの言葉を反芻していた。
そうだったような気もする。
みんなで山に来てトウコが変な湖を見つけて
それから……それから、あ、雨が。
雨?
雨が―――降っていた、ずっと。
……ずっと?
一瞬、頭に浮かびかけた雨の情景は
遥か濃霧の先で、明確に象ることなく
朧げなまま消失してしまった。
何だ……いまの。
おかしい。
何か忘れているような気がする。
それはとても大事な何か……。
『その雨は降り止まないよ』
「っ!!!」
その声にハッとして目が覚めた。
――多分、目が覚めたんだと思う。
おかしな言い方をしているのには、それなりの理由がある。
瞼は開いている筈なのに一部の視界が
やけにぼんやりしていているからだ。
もっと厳密にいうなら、
再び目醒めた今の自分の寝ている場所が
病院のベッドだということも窓や椅子、
クローゼットの色や形の細部まで
ハッキリと見えるのにも関わらず
“ソコ”だけが不自然に不明瞭だった。
もしこれが窓にブラインドがかかっていなくて
……いや、せめてその半分でも上がっていれば
外から注ぎ込む光の逆光現象の所為だとの
自分に説明できたかもしれない。
頭の中でそれこそ突発性、一過性の病名が
様々浮かぶが、あまりに不可解な現象の所為で
眼科疾患というよりも脳の疾病を疑うべきか
と考え出すと限がなく診断確定には到底至りそうにもない。
もしかしたら、やはり夢の続き?
そう思いたいがなによりこの状況を
冷静に分析している自分が存在している限り
流石に無理がある……か。
回りくどく考えるのを諦めて
あらためてそちらに目を動かした。
その問題の1箇所――。
ユラユラ?それとも滲み?歪み?
ぼやけているような?
霞がかっているような?
見る人によって表現の仕方が
全く異なるだろうと思える表現し難い“何か”
自分の視界内のベッドすぐ左脇で、
何かの気配がするものの不思議なことに
どんなに目を凝らしてもその部分を
どうしても捉えることができない、
水で滲んでいるかのように歪んで認識できないソレは、
恐らく人物とおぼしき“顔”だと思われた。
「お目覚めのようですね」
(…………!)
不意に“その箇所”から発せられた声に驚く。
しかし、声を出そうにも
さっきから瞼以外指一本動かせない。
当然振り向けない行動規制から“ソレ”は
あくまで視界の端の位置を譲らず
自ら調整することもままならない状況だった。
その状態を知ってか知らずがソイツは
フフッと小さく笑った気がした。
「あぁ、全ての物事が目に見えて
存在しているわけではないんですよ。
寧ろ殆どの事が見えないし、聞こえない。
その鈍感たる横柄さが貴方がた人間には
あるから、のうのうと生きていけるでしょうね。
良かったですね、愚鈍で」
(…………。)
嫌味に聞こえないのは恐らくソイツが
それを本気で言っているからなんだろうと思う。
それはとても聞きなれた声でありながら
見知らぬ口調だった。
「貴方には色々と聞きたいことがあるんです」
その極度の違和感が喉の乾きを誘発し
体中に嫌な汗を吹き出させた。
ダレダ?オマエ。
「私の名ですか?」
(!!)
頭で考えたことに答えてきた。
「私は―――」
「失礼します、ピピピ、ピー」
電子音の後にドアがスライドし病院スタッフが病室に入って来た。
「お加減はいかかですか?セキ先生」
“では……また後ほど”
「っ!?」
直接頭に響いた声に驚いてセキは声を上げた。
「どうされましたか?先生?」
が、それと同時にソイツの気配が消え急に体が軽くなった。
「いや……何でもないよ」




