諸刃の告白
セキは俯くイゼルの頬を親指の腹で撫でると、
ビクッと反応して揺れた前髪に口付けした。
「……バカだな。
もっと早く言えば良かったんだよ、
そしたら君は苦しまなくって済んだのに」
それは紛れもない本心だった。
例え歪みの余波が元いた世界に何らかの影響を
及ぼしたとしてもそれは彼の意図によるものでは
無いと分かっているから。
だが、イゼルの硬い表情は変わらない。
「君が前に来たのは、この世界の都合。
しかし本来の目的を果たす前に
僕が逃してしまった」
「目的?」
「君は僕の贄だった」
“にえ”
聞きなれない言葉を問い返すと、
イゼルは正式な管理官になる為の
生贄としてセキが選ばれ此処に
召喚されていたのだと教えられた。
「代々そうやって管理官は育成されてきた、
例外はない」
セキは自分が殺される為に連れて来られたと
言われても話があまりに突飛過ぎて
俄かに現実味が湧かなかった。
「当然報いは受けなければならない、
それが今の僕だ。
人格を分断され、子供の姿である時は
言葉が届かないよう遮断された。
大人の姿になれるのは夜のみ。
ただし、再び過ちを犯さぬよう
君との記憶は取り上げられて
代わりに子供の心を持たされた」
「誰がそんな真似を」
わかり易く例えるなら
この世界の意思だとイゼルは答える。
「解らない……神様みたいなものか?」
「さぁ。僕も君の世界でソレを何と言うのか
分からないから答えようがない」
「随分姑息で卑劣な仕打ち過ぎるだろ」
「だとしてもこれは罰だから
一番苦しいと思うようなものでなければ
意味が無いだろ」
「何故、そんなリスクを犯してまで」
「――――それを聞くのか?」
その時の彼は酷く淋しそうにも、
それでいて一番幸せそうにも
見える表現し難い笑い方をした。
「イゼル、どうして今まで黙ってた?」
窓辺に腰掛けるイゼルと向かい合わせで
もう一度その言葉を口にする。
どんな言葉でもセキは受け止める自信があった。
それ程いま過去の記憶が無くても
イゼルに対しての気持ちが強くなっていた。
だからこそ、イゼルがやがて視線を伏せ
小さく呟いた言葉に我が耳を疑った。
「全てを思い出したら君はこの世界に
存在できなくなる。
そしたら……もう一緒にはいられない」
「――今、何て?
何て言ったんだ?イゼル」
「言った通りだ」
「何故そんな大事なことを
一番最初に言わない!?」
セキの言葉を遮ったのは
イゼルの弱々しい声だった。
「では、どの時点で言えば良かった?」
「だから、最初に」
「君が僕を不審人物と疑っていたあの時にか」
「……そ、それは、
確かに最初は疑っていたが、
他にも言う機会はあったはずだろ」
イゼルは首を横に振った。
「僕はこれでも君の性格は把握してるつもりだ。
どの時点であってもきっと問うだろうな、
“何故?”と」
「……っ!」
セキは返す言葉に詰まった。
「責めているのではない、
もとより君に非はないからな。
愚かな僕の取った行動全てが起因だ」
このイゼルがそこまでして
頑なに真実を告げようとしなかったは
何故なのか深く考えもせず闇雲に追求した。
“俺が信用できないのか?
好きなら言えるだろ”
隠されることが、信用されてないと
勝手な思い込みで陳腐な言葉を使って
イゼルを追い詰めた。
彼はそんな自分の感情を察したからこそ
応えるしかなかった。
全部言ってしまえば終わりだと
知っていながら……俺の為に。
最後の最後まで
とうとう吐かせてしまった。
セキとて、こうまでひた隠しにされていた裏に
そんな事情があると知っていれば……
いや、皮肉なことにそれに気付くには
やはりイゼルから聞かなければ
分からなかったのだとセキは改めて思う。
知ってしまった今だからこそ、
やっとイゼルの気持ちが理解できた。
自分がもしイゼルの立場だとして、
かつて愛した人が全てを忘れ、
目の前にいたとしたら。
言えないジレンマは
どれほどのものだろうと想像して
眉間に深くシワを寄せた。
……恋人だったと、
口にしてしまえば
もう歯止めなどかかる訳がない。
どんなに苦しかっただろう。
―――諸刃の剣を隠し持つことは。
「僕の所為で理を破り
再び此処にいる君は世界に歓迎されていない。
隙あらば抹殺しようと常に蠢いている。
僕がいる限り時空獣に手出しはさせないが、
それにも限界がある。
せめて何も知らないままでいれば
時間だけは――」
「イゼル」
「セキと一緒にいたいのに……馬鹿だ。
僕は……どうかしてる、っ」
ギュッと握り込まれた彼の両手は
僅かに震えている。
「もう、いい」
「職務を放棄した上、
あまつさえこういう結果を
招くことを分かっていながら
止めることも出来ないとか……」
セキが止めても依然、
彼は話を止めようとはしない。
「僕のことを忘れ目の前で
赤の他人を見るような顔をされても
それでも良いと……君が“ノーチェ”の
話をする前は自分を抑えてられた。
だが……
君がもう一人の僕の話をする度、
一緒に過ごした日々や感情が溢れ出して
……それからはもう思い出して欲しい
気持ちが抑えきれなくなってた」
「よせ、イゼルそれ以上何も言うな。
俺の言っていることが解らないのか?」
「だから、夜の僕に脅しをかけたんだ。
“お前が余計な事を話す度その男の
寿命は縮まっているのを知っているのか?
なんならお前が引導を渡せ、
よもや管理官の役目を忘れたわけでは
あるまい?”と。
まさか怖がってセキに頼ってああなるとは
考えも及ばないくらい余裕を失ってた」
「イゼル!?」
おかしい。
その目はハッキリ自分を捉えている。
見えていないはずは無いんだと
確証があるのに彼はどうしても
話を切ろうとはしない。
「ヤメロっ!
一緒にいたいというなら、何故、まだ話す!?」
「……本当に勝手だな、君は。
散々隠し事をするなと言ったくせに」
小さな両肩を抱きしめた体から
ダラリと力なく腕が垂れる。
「それは何も知らなかったからだ。
だから、もうそれ以上喋るな……頼む」
「もう、遅いんだ。
一度外したガードは元には戻らない。
……花は咲き始めてしまった」
「花?」
「僕が過去を話す度、君が真相を知る度に
忌花草が芽吹き花を開かせる。
――侵入者の最期を告げるこの世界唯一の花だ」
「最後?唯一の花?」
そういえば、部屋に散りばめられているのは
あくまで造花でイミテーションのものだと
触ってみて随分前に知ってはいたが、
この世界で生花が咲いているのを
見たことはなかったとセキは今更のように気付く。
時々むせ返る似た香りも花ではなく
それに近しい何かであったのだということにも。
「此処での花は特別な意味合いを持つ。
だから他の花は咲かない。
部屋に飾ってあるのは君が好きだと
前に言ったから作っただけ。
――僕は花が嫌いだった、特に赤い花がな」
「アレが……そうか?」
イゼルの肩ごしに映る花をめがけて
外に飛び出し、忌草花を引き抜こうと
試みたが折ることはおろか
曲げることさえ出来ない。
「無駄だ、一旦つぼみが綻び始めたら
誰も止めることはできない。
それが例え主であったとしても」
背後からイゼルの声が聞こえた。
「君は綺麗だと言っていた。
真紅の血にまみれたようなこの赤い花々を」
この忌々しい花を?
「無意味な警告だ。
僕はどうやったって君を殺せやしない」




