切ない願い
「君が闇雲に元の世界に帰りたいと
焦燥に駆られるのはその為だ。
きっとそれを聞いたら僕より
自分の世界を選ぶだろう」
「それは――」
「無い?……どうだろうな。
聞いた後、君はどんな反応をするか」
「大丈夫、信用しろ」
「…………」
「イゼル、俺の気持ちは変わらない」
迷っている彼にセキは
それと伝わるように穏やかに話しかけると、
やがてイゼルは静かに目を閉じた。
「………………」
それは長い沈黙だった。
イゼルは目をゆっくり開けると立ち上がり
部屋を横断すると、窓辺の定位置へ腰掛け
何時もの方角に目を向けた。
「そう、だな。
もう……頃合なのかもしれない」
その風景を暫し眺めてから決心したように
一言つぶやきセキへと視線を戻した。
「セキ、自分の職業を覚えているか?」
「……え」
「では、家族のことはどうだ?」
「それは…………」
セキは答えられなかった。
尋ねられる今の今まで元の世界のことは
全部覚えていると思っていた。
友人のこと、過ごしていた家、
何が好きでどんな風に過ごしてきたか、
多分それら全部。
――が、そこに一番大事な
家族や、仕事のことは含まれていなかった。
おかしな話だが、指摘されて
初めてすっぽり抜け落ちていることに
気がついた。
「君には妹さんがいる。
血の繋がった身内というものらしい」
「い、う……っっ」
“妹”
そのフレーズを耳にした途端、
セキは今までに感じたことのない程の
激しい頭痛と吐き気に襲われた。
「その人、君の時代では
まだ特効薬も治療法も見付かっていない
不治の病だそうだ。
その治療の為、医学博士である君と
特殊薬物研究員の両親とで
長年研究をし続けていると昔、話してくれた。
君があの山に入ったのはそこでしか採れない
特別な植物が効果があると聞いての事だったとも」
セキの脳裏に病床で横たわる痩せた少女の姿が
朧げに蘇りかけ、そして―――
「!!」
「ああ……そっちも思い出したか。
そうだ、君はこの世界に来る前に
身内を亡くしている」
「……!」
断定的な言い方に戸惑っていたセキは
次のイゼルの言葉に背筋に悪寒が走った。
「しかも一人ではなく同時に二人、だろ?」
「どうして……それを?」
あくまで言い切るイゼルの態度に
流石にそう聞かざる得なかった。
「一度目は何らかの偶然が重なり来れたとして、
その情報は既にインプットされているから
この世界に自動的に排除対象となっている。
つまり、二度とこの地を踏む事は
出来ない筈なんだ。
――なのに、その君が此処にいる。
ねぇ、強引に道理をねじ曲げた結果
歪が生じた場合何が起こると思う?」
「ちょ、言ってる意味が」
それはつい反射的に返したのだが
答えを求めていたわけではない。
理由は分からなくとも、これ以上は
聞かない方が良いと本能が警鐘を促している。
「その代償が要求されるとしたら」
「!!!!」
その言葉が一気に不安と疑念を直結させた。
信じられないといった表情のセキを
イゼルは眉間に皺を微かに寄せて見つめ返す。
「知っていながら僕は何も言わなかった。
言えばきっと君は―――」
「イゼル」
「僕のことを恨んでも足りないか?」
「恨む?何故」
「それが僕の所為だとしてもか?」
「イゼルが直接そうしたとでも?」
イゼルは僕にそんな力は無いと
かぶりを払った。
「……じゃ、イゼルのせいじゃないだろ」
この世界に来る前に起こった
両親の交通事故は単なる偶然であって
イゼルが引き起こしたものなんかじゃない。
妹のことにしても別世界のイゼルが
責を負う理由などどこにも存在しない。
セキは思わずイゼル抱きしめた。
「どうして自分を責めるんだ」
そうだ、そもそもそのロジックには無理がある。
体を少し離しイゼルの顔を見下ろした。
「だってそうだろ。
たった今、君は此処でのことは俺の世界に
影響を及ぼさないって言ったじゃないか」
「ああ。本来、同次元でない限り
世界が互いに干渉し合うことはまずない」
「なら!」
「だが、逆に作用していないとしたら、
こちら側に来る直前のタイミングで
二人もの死者が出る偶然の確率とは、
一体どれくらいだろうな」
「…………っ!」
同意を求めたセキの嘆願は
否定という形で退けられた。
「あの時は、帰れないと知った君の苦しむ姿が
見ていれなくて妹さんの記憶をだけ消した。
だが、今回は―――違う。
僕自身の為に最初から消去した」
セキを見る目が今にも泣きそうに見えた。
子供でいて決して子供には見えない
仕草と表情に魂が揺さぶられる。
「君が今回此処に来てからの記憶は
恐らく暖炉に火があった時くらいか?
実際は君を部屋に入れた時には
火が入ってなくて随分寒そうに震えていた。
“僕の事を覚えているか?”
“妹さんの病気どうだ?”
朦朧とした意識の中自白強要術で聞き出した後、
何食わぬ顔で僕は記憶を抜き
君が再び目覚めるのを待ったんだ」
「イゼル……」
「最低か?……でも」
「いや、思ってない」
涙を我慢し震える体が
イゼルの意志の強さなのだとしたら、
「君を初めて見る素振りで、
何も知らないふりをしていた。
ずっと……ずっと……!」
「…………イゼ……」
「帰って欲しく……なかった、っ」
涙を見せないその強さが却って――
詰まりながら絞り出す声があまりに切なく
聞こえるのは何故だろう、な?……イゼル。




