管理記録2
「イゼル何処へ行くんだ?」
イゼーチェルは呼びにくいからと
対象者が僕をそう呼ぶようになって
数週間が過ぎていた。
「森へ」
「この雨の中をか?」
「日課だからね」
雨が降り止まない以上、新たな侵入者が
来たりしていないか森へと出てみないと
判断がつきづらい。
ついて行っても良いかと聞かれ
特に断る理由もなく承諾した。
もし、はぐれてしまったら
そのまま置いてくればいい。
流石に主も今度は助けないだろう。
「…………。」
どうやら森の様子は変わりないな。
依然として侵入者は隣を歩く
この人間だけのようだ。
「ね、イゼル、俺の名前覚えてる?」
「え?ああ」
突然立ち止まって何を言うかと
思えばと、僕は気にも止めず周囲の
観察をしながら適当に答えた。
「良かった。
いっつも俺を呼ぶ時、君って言うから
覚えられてないのかなと」
「そうだったかな」
どうでもいい。
殺す相手の名前なんか
一々覚える必要ないし、
どうせすぐに死ぬんだから。
「セキって呼んでみてくれないか?」
「え?……セキ、これで良い?」
「うん、ありがとう」
一体何だ?
最初の頃は異世界と聞いて動揺していたのに
帰れないと悟った辺りから変わった。
近頃では、よく話しかけてくるし
こんな風にどうでもいい事で笑う。
(……この人間、大丈夫か?)
なんか、面倒臭くなってきちゃった。
こんな事ならもっと早くに
さっさと殺してしまえば良かったな。
「イゼルは恋人いるのか?」
「恋人?」
「好きな人だよ」
好き?
って、どんな感情だった?
「見ての通り狭間での管理は一人が基本だし
誰かと一緒ってことがないからね」
「管理人様も大変だな。
……一人でいて寂しくない?」
「そんな事考えたこともない。
じゃ森へ行ってくる」
「主さまに宜しく」
セキが来て何ヶ月過ぎたろうか。
彼の世界のこと、家族、友人、
用語の意味は大抵分かるようになった。
そして彼もまた僕が時の番人であることや
森のこと、時空獣の存在の粗方を
知り理解している。
粗方というのは、森に入った僕が
何をしているのか、時空獣達の役割までは
教えていないからだ。
色々話した事も、敢えて話さなかった事も
僕にとって特別な意味があったわけで無く
しいて言えば仕事に支障が無い程度に
教えたくらいで充分だし。
いまだ彼が生存している理由もそうだ。
何時でも殺せるから今は殺さないだけ。
そう、何時でもね。
「お帰り、随分遅かったな」
「ホントこの雨は厄介だよ、もう早く……
いや、別に雨具さえあれば事足りるし、
そんな事より温かいお茶くれない?」
「それは後。
全身ずぶ濡れじゃないか、
身体を拭くほうが先だ」
セキにふわりと頭から大きな布を被せられ
ガシガシと拭かれる。
「くすぐったいよ、セキ」
抗議すると荒々しく拭いていた手が止まり
そのまま抱き寄せられた。
「どうしたの?
ちょっと何も見えないんだけど」
フザケてるのかと布を
払いのけようとした動作ごと
今度は更に強く抱きしめられた。
「セキ……??」
「心配した。随分遅かったから
森で何かあったんじゃないかって」
セキの身体が熱い?
「探しに行こうにもいつも君が
森に入ってダメだっていうから。
でも……心配でたまらなくて……」
まさか―――
「森に、入ったの?」
答えを聞く前にセキはその場に
力なく倒れていった。
「セキ!?セキ!!!!
バカな、あれほど森に近づくなって
言ってたのに!!
……君には教えてなかったけど
あそこは異端者を狩る場所で
セキ、君は……標的そのものなんだぞ」
「知って……た……」
「起きた?」
横たわったままのセキは
焦点が僕に合うと目を細めた。
「イゼルに助けられたのは二度目だな」
「ああ、全く世話が焼けるよ。
もう次はないから」
勿論、本気だ。
今度こんなことがあっても
絶対助けてなんかやるもんか。
「フフ」
「何がおかしいの?」
「さっきイゼルに初めて怒鳴られた」
意味が分からない。
怒鳴られたことが何故そんなに嬉しそうに
笑えるのか理解に苦しむ。
「だから何で笑うのかって聞いてるんだよ」
「いつも冷めてて俺の事どうでもよさ気に
見えてたから……嬉しかった」
僕の髪をセキの手が何度もとかす。
「は?今でもどうでも良いと思って……」
不意に顔を引き寄せられた。
「何、今の」
「キス。好きな人とするものだよ。
イゼル、君が好きだ」
「意味が……ん」
何度も何度も口付けされたから
お陰で僕何を言おうとしたのか
忘れてしまったじゃないか。
感情を殺すことだけを覚え、
非情であろうと努めてきた。
それが僕に課せられた唯一だった。
ここまでになるのに
どれだけ苦労したと思ってる?
ホント、台無しだ。
色んな感情が錯綜して
ずっとイライラしていた。
……君に好きだと、
告げられたあの日まで。
理解できない僕を君は辛抱強く
待ってくれた。
別れしかないのに。
限られた僅かな時間はカウントダウンすら
必要ないほどに迫っているのに。
この選択は間違っていると
分かっていながら、
僕は――君と恋をした。




