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続きです。

(HPより転載)

 俺は誰を愛しているのか? 何故愛しているのか?

 ジェイムズ・バルザクにとっての専らの関心、近頃ずっと考えていることだった。

 妻のマリリンは、貞淑だ、美人だ、従順だ、両親は金持ちだし、彼女自身が俺と結婚するまではキャリアウーマンとして俺より高給取りだった、文句の付け所など、ない。

 宙軍技術士官の俺は、基地にいる時間のほうが自宅にいる時間よりも長い。だが、家に帰れば彼女が温かい飯を作って待っていてくれる。

 例外なんてない、必ず。

 宙軍の同僚には、いつも羨ましがられる。それが、俺には誇らしくもある。

 俺も彼女の為に、基地から帰るときは必ず、何かプレゼントを買う。これにも例外はない。それは、観葉植物だったり、マグカップだったり、アクセサリーだったりするが、彼女はそれが何であっても喜ぶ、俺からの贈り物というだけで嬉しいらしい。

 休みの日にはいつもピクニックへ行く。近所の公園だったり、たまに区外と区内の境界辺りまで行くこともある。

 大抵の場合、気象管理局は週末に晴れを持ってくる。大昔の習慣に従って、太陽自治区の大半では仕事を週休二日に定め、土日にその休日を持ってくることが一般的になっているからだ。

 ダイソン殻の天蓋には、地球のものを模した蒼空が広がる。

中には、こんなものは偽りの空に過ぎないと言う者もいるが、生まれた時からこの球殻で育っているし、地球の空など見たことがある人間などこの都市には存在しない。

 よしんば、現在の地球へ行ったところでそこに広がるのは、汚濁と放射能で爛れた荒野と黒く濁った死の海、巻き上げられた粉塵で空は閉ざされ、生物は死に絶え、動くものは地球環境観察用自律機械が各大陸に数体ずつ。

 本物がそんなに好きなら、勝手に地球へ行って、勝手に放射能に塗れて死ねばいい。

 地球への立ち入りは、そんなに難しいことじゃない。行政府に届出を出せば容易に許可が下りるだろう。適当な理由、例えば地球に生態系の回復状況について観察と研究を行うとでも言えば、僅かばかりは補助金さえ出る可能性さえある。

 それでも、誰も、本物を実際に求めて行くやつなど、俺は見たことも、聞いたこともない。

 口先だけで本物を求め、偽物を嘲る人々は多い。だが、彼らはここに満足している。普通に暮らしていれば、飢えることもない。病になれば、無料で治療を受けられ、子供達へ教育は無料で与えられ、不自由なことは何一つない。

 彼らが引き合いに出す偽りの空さえ、見た目には本物となんら変わりはなく、天候は気象管理局でコントロールされ、天気通告さえ見逃さなければ干した洗濯物を大慌てで取り込む必要もない。

 不満がないことが不満、文句を言う捌け口を求めて、完璧であることにけちをつけているに過ぎない。

 現状に満足していることを悟られたくないだけ。人類は常に進化し続ける選ばれた存在である。彼らは、自らの慢心と失われたフロンティアスピリッツを認めたくないのだ。

 若い頃は俺もそうだった。しかし、今は違う。安定したここの生活に愛着が湧いている。冒険と進化を求める若い心は去り、ささやかな、妻との変化のない生活に満足している。

 適当にレジャーシートを広げて、適当に弁当を開き、適当につまみ、適当に飲み、適当に景色やら何やらを堪能したところで帰途に着く。

 そうしていると俺も彼女も楽しい気分になってくるのだ。

 家に帰って、ワインで乾杯し、それなりに気分が盛り上がったらベッドへ、大抵はいつもより好い。次の朝は彼女の作った朝食を食べ、基地へ戻って仕事。

 その月末も似たような予定だった。

 基地から帰る途中、立ち寄ったレンタルホロディスク店で、ミリ・ブライトに遭うまでは。

 エアカーを駐車して、店に入る。マリリンから頼まれていた、新作のディスク。

二人で、居間にある、再生装置で観るのだ。おれ自身もホロムービーは、割と好きだ。

 旧作コーナーを当てもなくふらふらと見て回った後、本命を探して新作コーナーの角を曲がる見覚えのある顔があった。

 幼馴染で、初恋の相手、初めて付き合った女性、死んだはずの、そして何より無級市民の、ミリ・ブライトがそこに立っていた。

 彼女は死んだ。質の悪い三級市民が、ふざけ半分でスラムに火を放った。ミリもミリの家族も、煙にまかれ、炎に焼かれ、死んだ。

 法律上、無級市民は存在しないものとして扱われる。存在しないものを幾ら殺そうと市民たちは罪に問われたりしない。自治区民管理法ではそうなっている。

 そんなことは日常茶飯事、誰も気にしない、だから俺も気にしない、すぐに忘れる、そう思い込むことにした。

おかげで大した動揺もなく、むしろ事情を知る友人には驚かれたものだった。

 だった、過去の話だ。それで良かった。彼女、ミリ・ブライトが再び俺の前に現れなければ。

 再開の言葉は不思議なほど、あっさりしたものだった。

「よう、久しぶり、ミリ。何年ぶりだったかな、君が死んでから」

 君が死んでから。おかしなその言葉にも違和感はあまり感じなかった。

「ええ、久しぶりね、ジム。会いたかったわ。貴方のこと、探していたの」

 ミリの言葉にも淀みはないし、迷いも無かった。

「一つ教えてくれ。何で君は俺の前に現れたんだ?」

 何故生きているのか、ではない。何故現れたのか。

 俺が理解出来なかったのは、その部分。

 彼女、ミリ・ブライトが死亡、少なくとも俺がそう判断してから、十年以上は経過している。

 火災のときに生き残っていたのなら、すぐに無事を知らせなかった訳は? 事情があり、身を隠していたにしても十年間も連絡が無いことは、どう考えてもおかしい。

 不自然、且つ理解不能、思考停止。

「何でだと思う?」

「さあ? 俺には見当もつかないね。ただ、言えるのは、もう君を手放す気は無いってことだけ」

 謎、疑問、懸念材料、数え切れない不安はあれど、その気持ちは間違えようがなかった。

 自分の、自分だけの心。そう、そのはずだ。

「奇遇ね、わたしもよ」

 彼女は、嗤った。

 その琥珀色の瞳に吸い込まれた気がした。

 吸い込まれ、その先で造り変えられ、吐き出され、再び其処に存在した。

 (改竄、訂正、修正、固定。作業完了。存在情報、思考情報、再構成完了。造り変えた部分は微細。復元力の発生は感じられない。順調、順当、異常無し)

「わたしの為だけに存在して」

「いいとも」

 謎、疑問、懸念、不安どれもこれも綺麗さっぱり、消えた。完全な消失。

 その後、彼女とは連絡先を交換して、別れた。

 終始彼女は機嫌が良かった。まるで、ずっと欲しがっていた玩具を手に入れたみたいに。俺と離れることも嫌そうだった。俺の気持ちとは関係の無い場所で。

 家に帰る前に、一旦基地へ戻った。

顔馴染みの憲兵には、忘れ物を取りに来たと言い、中に入った。軍用PWP、IDカード、銃、軍施設に立ち入れるキーカード等。全てを持って基地を出た。

 半分以上の品は基地外持ち出し禁止だった。デスクの上の妻の写真には見向きもしなかった。

 俺は、家に帰るといつもと同じように妻に接し、妻もそうした。

 ワイングラスを傾けながら、ホロムービーを楽しんだ。俺が何の面白みの無いシーンでもくすくすと笑っているのを見た妻に「今日は、貴方、やけに陽気ね。何かいいことでもあったの?」と聞かれた。

「ああ、あった」とだけ俺は答えた。嗤いは止まらなくなっていた。

 ほろ酔い気分のまま、彼女を散歩に誘った。夜の、散歩。

 初めて夜歩きに誘ってきたのは、確か妻だった。サンスポットの管理された夜には、いつでも心地よい夜風が吹いている。

 近所の川縁を歩く。整備された遊歩道。なのに、あまり整った印象は受けない。綺麗だが、冷たくはない。

 澄んだ水には清掃用ロボットが、数匹泳いでいた。無骨な機械丸出しの姿ではない。魚類やら両生類のリアルな模造品。中には本物も混ざっているのかも知れないが。

 素人には、分からない細かな様子で分かる。宙軍技術士官の自分には。夜陰を透かして目に映る、薄い溝、点検用の開閉部分。計算しつくされ、パターン化され、プログラミングされた動き。

 そう考えると澄んだ水も、潤滑オイルにしか見えなくなってきた。

 見た目は綺麗な川に、ツギハギだらけの住民たち。

 隣を見ると俺よりも酔った様子の妻が腕にすがり付くようにしている。普段はそれほどアルコールを摂取したがらない妻に、無理に飲ませた。

 安心しきった目。川を泳ぐ機械のガラスの眼球とは違う。生き物の目だ。

 その妻をゆっくりと腕から引き剥がし、困惑した様子の彼女を川へ突き落とした。

 もっと溺れてもがく、かと思っていた。しかし、その様子もない。さほど深くはないただの小川。川底の石に頭部を強打し、意識不明、溺死。

 それが数年連れ添った妻のあっけない最期。数年、何年だったのかすら、最早思い出そうともしない。

 幸せで、何の意味も、目標も変化もない生活の終焉。

 俺は足早に、近くの駐在所に急ぐ。

 歩行を加速させた得体の知れない何かは、もしかしたら妻への愛だったのかも知れない。

 警官に話すことはもう考えてある。

 妻が酔って川に落ち、溺れたと。自分も飛び込んで助けようとしたが、やはり酒が入っていて危険だから、人を呼ぶことにした。近くの民家は、光がなく。呼び鈴を鳴らしても、家人は寝入っている様子で反応がなかった為に、最寄の駐在所へ来たと。

 俺が妻を殺したのではない証拠は無い。

 同じように、殺した証拠も無い。付け加えて言えば、殺す理由も無い。冷静な対応は、軍人であることを鑑みれば妥当。

 残りの問題は、この顔に張り付いた薄ら笑いをどう消すかだけだった。

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