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 待っていたサラダとサンドイッチがやっと来た。やっと、と言ってもここ、カフェ《アストレイア》のコックは腕が良いだけじゃなくて、調理も早い。

私がやっと、と感じたのはただ単にこの男グレイがいい歳こいて子供みたいに貧乏ゆすりを止めないからだ。

 本人に聞けば、美味い料理を待つ間はこうして落ち着きなくしているのが礼儀というものらしい。そんな礼儀は始めて聞いた。

 わたしがウェイトレスのキティに「ありがとう」と言っているうちに、早くもこの男はサラダと一緒にテーブルに置かれたドレッシングのボトルを手にしている。

 慌てたせいか、必要以上に力を加えられたボトルからドロッとしたサウザウンド・アイランド(サウザンと呼ばれるのは誤りらしい)が床に飛び散る。

 グレイは慌てた様子もなく平然と無視して、残りをサラダに掛けてうっとりしているが、同じオープンテラスで食事をしている他の客は顔をしかめている。

 わたしはため息を吐きつつ、まだ傍にいたキティに今度は謝った。

 彼女は「良いですよ。どうせ外ですから。後で掃除しときます」と苦笑しながら言う。

 時間があれば日がな一日アストレイアに入り浸っていることさえあるグレイの扱いには慣れているのだ。

 グレイはといえば、自分の仕出かした不始末はどこ吹く風と幸せそうにサラダにフォークを突き立てている。

 新鮮な野菜に付き物のシャキシャキという音は、食欲など本来無いはずのわたしも確かに食べたくなってくるくらいである。

 それでもグレイときたら。皿に残るサラダをかき込んで、口いっぱいに頬張ると、あろう事かドレッシングを直接口に注ぎ始めた。

 信じられない不行状。これだから育ちの悪い男は嫌い。周りの客の視線がますます痛くなる。グレイと同じく常連の数人は、見慣れたのか呆れたのか、自分の食事と談話に集中している。

 わたしが文句を言う前に、なんとわたしにドレッシングが掛かった。さすがにグレイも慌てて拭き取る。まったくわたしを何だと思ってるのかしら。

 その後はさすがにグレイも少し大人しくなって少しずつサンドイッチを口にする、なんてことは無くてさっきと同じように口いっぱいに頬張ってモグモグやっている。

 ムグゥ、と変な声を出して自分の胸の辺りをバンバン叩く。喉にサンドイッチを詰まらせた様子。わたしはキティに「お冷をお願い」と言う。

 心得たものでキティはすぐにコップ一杯の水をお盆に載せて運んでくる。

 グレイはひったくるようにコップをお盆から、かっさらうと急いで喉に流し込む。つかえは取れたようで、頭をかきながら「ありがとう」などと言っている。

 わたしにはお礼は無いのかしら、と思っているとわたしを指先でコツコツとやって「ありがと、助かった」ときた。こういうところはかわいいと思うのだが、いかんせん直ぐに残りのサンドイッチをすごい勢いで食べ始めたのはいただけない。

 今度は喉に詰まらせずにサンドイッチを完食する。

 グレイが皿に残ったパン屑を指先でつまんで一生懸命食べていると、テラスに《アストレイア》の店主ジョニーが出てくる。

 キティはいつの間にか店の中に引っ込んでいた。

 ジョニーは、パン屑に執着するグレイを呆れた様子で見下ろすと(ジョニーはかなりの大男だ)後ろからグレイの頭をポカリとやった。

「あいたっ」顔をしかめてグレイ。「何だよ、この店。客に暴力振るうなんて信じられない」

「うるさい。俺の店ではマナーを守れ。それでも公務員か」

 ジョニーがもう一度グレイの頭をポカリ。

 グレイは心外そうな顔。

「公務員はリストラがないんだ。偉いんだぞ」誇らしげにグレイが言う。

「この税金泥棒が。ペネロペも何だってこんな奴の相棒やってるんだか」

 ジョニーの意見に賛成しかける。わたしもなんだってこんなしけた男とつるんでるんだろ。

「それは俺にゾッコンだからさ」相変わらずグレイは偉そうだ。本当こんな男のどこがいいんだろ。自分でも疑問。

「ごめんなさい、ジョニー。グレイったら、昨日の昼から何も食べてなかったから。それにあなたの料理が美味しすぎるのも悪いのよ」仕方なくわたしがフォローに入る。謝りつつ、ジョニーをおだてるのも忘れない。

「そ、そうか。じゃあ、多少は仕方ないか。俺のサンドイッチ美味かったろ、春の新作だぜ」

 ジョニーは直ぐに機嫌を直してくれた。それにもともと大して怒っていなかったのだろう。ジョニーはわたしよりグレイとの付き合いも長い訳だし。

「ほらな。俺が困ってると助けてくれる。惚れてるんだ。これが証拠だよ」

 グレイは余計なことしか言わない。本当はグレイのほうがわたしにゾッコンなのに。

「グレイ、勘違いしないでね。あなたってば、しつけのなってない子供みたいだから、仕方なく面倒見てあげてるの。放っておけないだけ」

 まったく、どうして男って自分に都合の良いようにしか解釈できないのかしら。本当困っちゃう。

「そうだ、そうだ。調子に乗るなよ、グレイ」ジョニーも乗ってくる。

「ちぇ、二人して俺を苛めて。何が楽しいんだか」

 グレイは拗ねてしまった。調子に乗って、注意されたあとはいつもこう。

「はい、はい。ジョニー、お会計お願い。行くわよ、グレイ。クルップ局長に、二時に来いって言われてるでしょ」

 クルト・クルップは温厚だが、時間には厳しい。この前も出勤時間に大幅に遅刻して減俸をくらったばかりなのに。グレイの辞書には学習という言葉は無いみたい。

「六百五十五サンズだよ。早く行きな。減俸になったってウチはツケはお断りだからな」

 グレイはシャツの胸ポケットに刺さっていた札入れを取り出して、中から千サンズ紙幣を抜き出してジョニーに渡す。

「ジョニー、お釣りは取っといて。迷惑代よ」わたしはすかさず言った。

「おい、嘘だろ、ハニー。俺の財布にゃ、残り五千サンズしかないんだぜ。あと半月どうしろってんだ。なあ、ジョニー返してくれるよな。友達だろ」

 グレイは哀れっぽい声で懇願するが、ジョニーは取り合わない。わたしのことをハニーなんて呼ぶのも気に食わない。

 それはまあ、わたしだってたまにそう呼ばれて悪い気はしないけど。グレイがわたしをハニーと呼ぶのは金欠のときだけだし。

「だいたい、あなたの給料の半分はわたしの物でしょ。クルトだって言ってたじゃない。半分はわたしの分として二倍払ってるんだって。確かに普段はお金なんて必要ないけど、権利まで放棄した訳じゃないんだから」

 グレイはあからさまに肩を落としている。自業自得ってものよ。

「どうせお前、ペネロペにゃかなわないんだから、諦めて出勤するんだな。帰りに寄れば、余りの食材でも分けてやるからよ」

 ジョニーはそう言ってわたし達を送りだした。なんだかんだ言ってグレイのことを心配しているのだ。美しい友情ってやつかしら。そんなにお上品な物じゃないだろうけど。

 二人とも元は孤児だったのだ。太陽の周りに築かれたダイソンスフィア。太陽自治区の首都サンスポット市。その地下、太陽を上と考えるなら天上。ホメオスタシスフィールドも充分には効かない、そんな場所。地獄の熱気が篭る場所。

 貧民街、太陽スラム、呼び方は何だっていい。そこで親もいない子供が生き抜くのは至難。孤児達は協力しあって暮らしていたらしい。そんなグループの、同じグループの一員だった二人。

 並みの結束じゃないと思う。お互いをかばいあわなければ生きていけない。

一人は成長して真っ当な職に就き、もう一人は金のために堕ちるところまで堕ちた。それでも失われない友情。人間て不思議。

 グレイが汚れ仕事から足を洗って公務員になって、それからは今日みたいな日常を送るようになった。

 そのグレイはぶつぶつと文句を言い続けてる。ジョニーに比べてなんて心が狭いのかしら。ちょっとは見習ったらどうなのよ。思っても口にはしないが。

「どうしたんだよ、ペネロペ。顔色悪いぜ、さっきから。生理かい」

「ちょっとはジョニーを見習って紳士になったらどうなの? 見えもしないわたしの顔色よりマナーを気にしなさいよ、マナーを」

 なにが生理かい? よ。もしかしてわたし以外の女性にもこんなこと言ってるのかしら。

グレイはやっと黙って駐車場を自分のエアカー目指して歩く。

 赤いスポーツタイプのエアカー。三百キロ以上出るやつ。わたしは車には詳しくないけど、カーショップで一目みて気に入った。グレイは金がないって渋ったけど、わたしが無理を言って購入した。

 流麗なフォルム、なだらかな曲線はなんとなく女性を感じられる。何度見ても美しいと思う。

 なんだか、わたしみたい。とグレイに言ってみたことがある。グレイは君のほうが綺麗だよ、なんて言ってくれたけど。適当に答えただけなのは分かってる。嬉しかったけど。

 近くからグレイがキーを操作する。左のドアがゆっくりと上がる。まるで片翼をもがれた天使みたい。

 グレイとわたしが乗り込む。座席のセンサーが感知してドアが閉まった。

「なあ、まだ怒ってる? 空腹だったんだ、許してくれよ。悪かったから」

グレイは反省してるみたいだ。三十分もすれば、このしおらしい態度も消えて元に戻るのだろうけど。

「……来月……」

「えっと、何? なんでも言って、君のためなら何でもするから」

 そこまで言うのなら。わたしは言うことにした。

「来月、クレメンスホールで上演される演劇観に行きたい」

「そうだ、《アストレイア》で夕食にしよう。豪華な奴、ケーキだってオッケーさ。ね、だから機嫌直してよ」

 まったくこの男ときたら「君のためなら何でもする」って何だったのかしら。

「違う。クレメンスホールで《ロミオとジュリエット》観るの。それ以外は、嫌」

 グレイは困っている。だってクレメンスホールのチケット代だけで給料半月分が吹っ飛ぶ。もちろん、半分はわたしの給料だけど。グレイはいつも自分のお金にしちゃってる。

「映画、映画にしようよ。君の好きなディスク借りてきてさ。家で二人っきりで観ようよ。絶対そのほうがいいから。ね、ね」

 グレイは瞳をうるうるさせてる。そういえば地球産の哺乳類でこんな目をした愛玩動物がいた気がする。でも、今日のわたしは騙されない。

「い、や、よ。いつも我慢してるんだから、それに今日の仕事でボーナス貰えるかもしれないじゃない。いえ、貰いなさい。貰ってわたしをデートに連れてって。料金だってどうせ一人分なんだから」

 グレイは瞳うるうるをしばらく続けていたが、今日のわたしには効き目のないことを悟ると諦めて、降参、というように両手をひらひらさせた。

「分かったよ。君には敵わない。ジョニーの言うとおりさ。何処へなりともご招待いたしますよ」

 降参したあとの思い切りはいい。グレイのこういうところは好きだ。

 グレイがアクセルを踏み込み、エアカーがゆっくりと浮上する。ここサンスポット市の整理され、管理された街並みもそう悪いものでもない。少なくとも、汚くはない。

 ここはサンスポットでも郊外にあたるから、周囲にはあまり高い建造物はない。

 情報管理局本部があるのは、第三区、市の中心部。ダイソンスフィア、太陽自治区の情報が集中する地域。だからこそ情報管理局がある。

 グレイの運転で空中標識を時折無視してショートカットしながら、管理局へ向かう。警告灯は点けていない。捜査でもないのにそんなことして、ばれたらクルップ局長は許さない。まして遅刻しない為なんて言ったら、向こう三ヶ月は減俸に違いない。

 お金がなくてもわたしは一向に困らないけど、グレイには大問題。お腹を空かせて惨めったらしく、わたしやジョニーに泣きつくグレイの姿。想像すると笑っちゃう。

「なに笑ってんの? 機嫌、良くなったみたいだね」グレイが言う。

 わたしの機嫌が完全に直ったので安堵したみたいだ。

「別に。それより、あと十五分で二時よ。大丈夫なの? 減俸されて食費もなくなってひもじくしてる貴方見るのなんて嫌よ。急ぎなさい」

 言ってやる。デートに行くお金も無くなったら、愛想つかしてやるんだから。

「おいおい、あと二回スピード違反で捕まったら免停なんだぜ。徒歩で出勤なんてごめんだよ」

 知らない。どうせ歩くのはグレイだけなんだし。ちょっとはなまった身体も引き締まるかもしれない。だいたい仕事じゃないときのグレイはだらだら過ごしすぎなのだ。

 時間まであと八分。

 管理局が見えてきた。これなら間に合いそう。

 空中標識は赤を示しているけど、グレイはそんなの無視して突っ込んだ。当然のように横から、別のエアカーが迫ってくる。

 グリーンの小型車だ。低燃費、低排出ガスとやらで最近流行っているやつ。

 向こうは慌ててブレーキをかけている。でもエアカーはすぐには止まれない。グレイが思いっきり、出力レバーを上げる。最大噴射で車体がさらに五メートルほど浮き上がる。

スリップする小型車を尻目に、そのまま管理局の屋上駐車場に着地する。運転手が何か叫んでいるけど、グレイは気にしない。わたしも見なかったことにする。

 わたし達は車を降りる。

 忘れていた、このエアカーの名前を思い出す。《アルテミス》たしかそうだった。ドアを開いたその姿はやっぱり天使にみえる。名前は女神だけれど。

「あと五分よ」わたしは一応、警告する。でも、おそらく間に合うだろう。

「分かってる。もう着いたんだから大丈夫だって」グレイが言う。

 降りボタンを押してエレベータを待つ。ほとんど待たなかった。上がってきたのは空のエレベータ、二人で乗り込む。グレイが十階を押す。屋上は十三階にあたる。たった三階だけ。すぐに着いた。

 まだ三分ある。わたし達は悠々と局長室に着く。でも、クルトの口癖、なんだったかしら。学校の先生みたいな、あの科白。

「グレイ、ペネロペ入ります」グレイが名乗ってドアを開ける。

「グレイ、やっと来たか。ペネロペも。いつも言っているだろう? 五分前だ、約束の五分前には来ていろと」

 そうそう、この科白。時間を守るのが大好きなクルト・クルップと時間の存在自体を時々忘れたみたいになるグレイ。足して二で割ったら丁度よくならないかしら。

「どうせグレイ、お前がペネロペの足を引っ張ったんだろうが」

 クルップ局長はグレイに原因ありと決め付けている。正しい判断。だって、わたしは悪くないもの。

「局長、彼女に足なんてないことくらい分かってるでしょう。まったく、頭の固い中年はこれだから。それに遅刻してないんだから、怒られる謂れはないですよ」

 そんなこと大真面目で言うグレイ。クルップ局長が怒るのも無理はないわよ。

「すみません。彼の代わりにわたしが謝ります、パートナーですから。それより、仕事の話を。休日に呼び出すということは急ぎですよね」

 一瞬、真っ赤になって怒鳴りかけたクルップ局長の顔が元に戻る。仕事の顔。プロだ。

 これに比べてグレイときたら、わたしの意見を聞いて怒りを静めた局長を不思議そうに見るばかり。

「仕事、うむ仕事だ。公務員は国民の血税で雇われてるんだからな、その分の仕事はしなきゃならん」

「俺だって税金は払ってるのに」

「それ以上に給料貰ってるだろうが。仕事しろ、仕事。ほら、これが資料。早く目を通してくれ」

 クルップ局長は、コピー用紙の束をグレイに渡す。グレイは受け取るけど、あまり嬉しそうじゃない。でも、仕事ってそんなもの。わたしは仕事するの好きだけど。

「身辺調査? なんでまたこんなこと。警察に任せたほうがいいんじゃないですか。だって張り込みとか面倒だし、疲れるし、たまに徹夜だし」

 グレイはもうあからさまに嫌そうな顔して紙束を机に投げ出す。

 何でか分からないけど、いつもの尊大な態度。一応相手は上役なのに。わたしのパートナーの変なところ、何時でも、誰に対しても、とにかく偉そう。

「何でわたし達がこの仕事を? やっぱり、この男が何か情報生物と関係があるんですか?」

「そう、だから君達の仕事。正確にはこの男じゃなくて、この男の恋人だった物に情報生命体が寄生してる、らしい。詳しくは分からんが、疑いがあるから調べる。簡単なことだ。もし実際に寄生されていれば、話し合うか、駄目なら"情報凍結インフォフリーズ"して捕まえろ」

 そう言ってクルップ局長は一丁の銃を差し出した。新しい"情報凍結銃インフォフリーザー"。グレイが前に使ってたのと見た目はそっくり同じ。たぶん同一品。

 情報が寄生した物体を、それごとフリーズさせて捕獲するための、銃。わたしとグレイはこの銃で、わたし達が情報寄生体と呼ぶものを何度も捕まえてきた。

「二度と壊すなよ、グレイ。こいつ一丁でお前の給料五年分だぞ、五・年・分! まったく分かってるんだか」

 そう、前の仕事のとき、情報凍結銃が壊れた。グレイの不注意で、とはいってもあれは避け難い事態だったことは確かだけど。でもだから、厳重注意だけで済んで、備品である情報凍結銃を弁償させられたりはしなかった。

 情報管理局、ダイソンスフィア太陽自治区に突如現れ始めた情報生命体を調査するために創設された機関。

 発生、生態、存在理由、全てが謎の宇宙生物、情報管理局によって情報寄生体と名付けられたそれは、生物に無機物、有機物を問わず寄生して生きている。あらゆる物質を媒体として既に存在するそれに自己の情報を書き加える、あるいは上書きする。

 例えば、小型犬を媒体に選んだ情報寄生体はその犬の遺伝子情報と宇宙に記録されたその固体情報に干渉して、子犬を突然巨大な水星蜘蛛に変化させた、なんてこともある。

 でも、それはやり過ぎで、子犬も、正確には子犬だった水星蜘蛛も、情報に干渉して存在を革変した情報寄生体も、復元力にやられて跡形も無く消滅した。

 あと少しばかりゆっくりやれば、宇宙は広いし、復元力も見逃してくれたかもしれないけど、実際は復元力は働いたし、その結果あの破壊的現象が起こった。

 復元力、宇宙を宇宙足らしめている力、情報の改竄を行い過ぎれば宇宙は元の状態に戻ろうとして復元力が働く。簡単な理屈。宇宙だって、他人に弄くり回されるのは嫌に違いない。だって、もしわたしだったら絶対嫌だし。

「しつこい男は嫌われますよ、局長。俺みたいに過去は気にしない男のほうがモテるんです。間違いありません。銃は壊れるときは壊れるし、壊れないときは壊れない。だから大丈夫です。壊れてもそのときは俺の責任じゃない。別の誰かのせいに違いない」

 別の誰かって誰よ。わたしは突っ込みたかった。違いないってどんな自信なんだか。わたしのパートナー、グレイらしいといえばらしい。

「とにかく、だ。いつまでもここで油売ってないで、外に出て仕事しろ。お前がそんなんだから、税金泥棒と罵られるんだ。公務員は働いてるってところを市民にアッピールして来い」

 クルップ局長はわずらわしそうに手を振る。これ以上グレイが局長の機嫌を損ねない為に、早く局長室から出たほうが無難ね。

「行きましょ、グレイ。局長の言うとおり、わたし達が優秀な公務員だって事を証明してあげましょうよ。そしたら、ジョニーも見直してビールの一杯もおごってくれるかもしれないわよ」

 グレイはわたしの話もクルップ局長の話も全然聞いてなかった。何故って、新しく貰った情報凍結銃に夢中。嬉しそうに弄くり回してる。

「う、ああ。分かった、行こう。家に帰るんだっけ?」とグレイ。

 やっぱりまったく聞いてなかったみたい。ほら、早く行くわよ。そう、資料も忘れずにね。

 わたしはこれ以上、グレイが失言しないうちに早く部屋を出るよう急き立てた。後ろからクルップ局長がにらんでるけど、忘れる。ようは仕事をさせればいいんだ。このぐうたら男に。

 入ってきたドアをくぐって廊下に出る。よく見ると、蛍光灯が一個切れてる。さすが、万年金欠部署。太陽中探したって、ダイオード以外の照明使ってる公共施設なんて情報管理局ぐらいなものじゃないかしら。

 エレベータだってそう考えてみると、なんだか薄汚れている気がする。

 今度はボタンを押してもなかなか来ない。グレイは口笛吹きながら、情報凍結銃で近くの花瓶を撃つ真似なんてしてる。安全装置は、ちゃんと掛けてるみたい、一安心。

 やっとエレベータが来た。今度は人が乗ってる。事務のマリーともう一人は知らないスーツの男。

「はぁい、マリー。元気してる? うちのグレイは馬鹿なのに元気だけはあって困っちゃうわよ」わたしが出し抜けに言う。

 マリーがちょっと、五センチくらい跳ね上がって、きょろきょろした後、グレイを認めて、思い出したようにはにかんだ。

 この子はもう二年の付き合いになるっていうのに、わたしがいきなり話しかけると驚いてくれる希少な人間だ。根が純なんだろうか、かわいい。

 でも、グレイがでれでれするのは許せない。グレイはわたしをつついて、駄目じゃないか驚かしちゃ、なんて言ってる。ふざけるのもいい加減にして。

「ほら、もう五階着いたんだから降りるわよ」

 わたし達が降りたのは、情報管理局ビル五階にある情報統合センター。太陽中の情報が集まる場所。ここでなら、クルップ局長から受け取った資料以上に精細な情報が手に入る。

 グレイはトコトコ歩いて自分のデスクへ行くと、わたしを外して中央コンピュータに繋いだ。

 わたし、ユリシーズ社製高性能パーソナルコンピュータ内蔵型サングラス「U226」、に寄生する情報生命体。それがわたし。

 今はペネロペって名乗ってるし、そう呼ばれるのが好き。

 情報生命体は他の物質を媒体として、この宇宙に存在する。正確には太陽系、しかも詳しく言えば太陽限定。他の場所では情報生命体の目撃証言、って言っても目に見えるわけじゃないけど、一切無し。

 わたし達は、その物質の記録に寄生する。全ての物は情報、宇宙に存在する情報の塊。宇宙という本に書き込まれた文字と言ってもいい。その文字に紛れ込む存在、それがわたし達、情報寄生体と人間から呼ばれる所以。

 もっと言えば、わたし達はその記録にも干渉できる。言うなれば、編集者のような存在になることも可能だ。そこに在る情報を別の情報と入れ替えたり、部分的に情報の読み取りを妨げるようにしたり。でも、実際は万能なわけじゃない。

 だってわたし達は本当の宇宙の著者じゃない、まがい物にすぎないから。やり過ぎれば、復元力が働いて、わたし達ごと改変箇所は修正される。

 その方法もあんまり優雅なものじゃない。角の尖った消しゴムで丁寧に書き直してくれればいいのだけれど、宇宙はそんなに甘くない。修正方法は至って単純、ホワイトをぶちまけるだけ。周囲一体真っ白け。

 現実にはどうなるか、といえば、空間が爆縮したりする。周囲は凄まじい破壊の嵐。塵一つ残らず消える。

 もちろんやり過ぎれば、の話だ。細かい部分をゆっくり改竄するくらいなら、影響はほとんどない。復元力が働く境界線は曖昧なので、調節にはひどく気を使うけど。

 それでわたしは、このU226に寄生してる。わたし達は単体では存在できず、必ず媒体を必要とする。当たり前だ、媒体も無しに情報は存在しえない。

 おかげでこうやって中央コンピュータにアクセスして必要な情報を引き出すこともできるわけ。

 ジェイムズ・バルザク、二十七歳、既婚、しかし配偶者死亡により現在は独り身。住所は、サンスポット市第八区ミナス446‐21。職業、戦略宇宙軍第三師団技術士官中尉、三ヶ月前までは。現在は無職。突然軍を辞めた理由は、時を同じくする妻の死亡が原因か。しかも、辞めたと言っても円満にというわけではないようだ。

 勤務外に基地に戻り、私物の一部と軍の第五級機密書類を持ち出し、それ以後消息不明になり、除隊処分。持ち出した書類は機密と言っても第五級、紛失漏出したところで、三ヶ月も経ってしまうと意味を成さないものね。だから、軍警察も熱心に捜査はあまりしなかったよう。軍に所属している間は、謹厳実直な軍人の見本のような男だったらしい。

 脱走の理由は、個人的なものだろうと締めくくられている。これだけの期間が過ぎれば、既に恒星殻上に潜伏していると考えるほうが不自然だ。恒星殻上空に張り巡らされた整極性電磁バリヤーは、外側から来るものは強固に退けるが、内側からのものはむしろ押し出すうように働く、脱出はそう難しいことではない、一生ここへ戻らないつもりならば。

 そればっかりは本人に聞いてみないと分からないだろう。でもこれぐらいは、クルップ局長から受け取った資料にも載っており、分析の材料は手に入った。

 さらに管理局権限で今日の行動を検索。情報管理局の情報収集能力は警察、軍すらも上回る、その分陽の当たらない部署だが。

 クレジットカードの使用状況や、街中に設置された監視カメラなんかで居場所も特定できる。写真と照合。本人と思しき人物は現在、エアカーで区外に移動中。

「なあ、何でこいつ区外に移動してるんだ? あんなとこ何も無いのに。ピクニックかな」グレイが言う。

 そんなこと、わたしにだって分からない。でも、もしかしたら妻を亡くしたショックで、区外にある整備用エアロックから投身自殺なんてことも考えれなくも無い。ピクニックという可能性は完全に否定できるけど。まともな神経をした人間なら、金属の地肌むき出しの区外の地面の上でピクニックしようという気にはならないだろうから。

 というか、クルップ局長が言ってた、恋人だった物って奥さんのこと、かしら。

恐らくそうなのだろうけど。

「とりあえず、追いましょうよ。もし、自殺しようとかしてたら止めて話を聞くの。別の用事だったら様子を見ましょう」わたしが言う。

「面倒だな、なんか。今回も警察に協力仰いでもいいって書いてあるし、警察にやらせようぜ。そのほうが楽だ」

「そうね。一人くらい応援は必要かも。張り込みしましょう。何か尻尾を出すかもしれない」

「全部任せればいいのに」ぶつぶつ。「家帰って寝たい」

「いいから! 全部任せるのは駄目。わたし達の仕事が無くなっちゃうでしょ。クルップ局長になんて言い訳するのよ」

 グレイに接続端子を引っこ抜かれながらわたし。

「じゃあ、ドーソンにまた頼もう。あいつ、いい奴。俺、結構好き。俺が寝てても仕事はちゃんとやっててくれるし」

 嬉々としてグレイが言う。

「ドーソンにはいい迷惑ね。あなた絶対嫌われてる、断言するわ」

 わたしはドーソンに同情的だ。

 ひょんなことからわたし達の仕事を手伝ったのが運の尽き。グレイがサボってても生真面目に仕事するもんだから、便利屋扱いされて、毎回あたし達に付き合わされる。

 そんなことお構いなしに、グレイはドーソンのPWP―Parsonal Wearable computer Phone―に繋ぐ。ドーソンがわたし達にPWPのナンバーを教えてくれたことはないが、管理局の情報統合センターはどんな情報でも手に入る。PWPのナンバーくらい何でもない。

『こちら、ドーソン・ハルだ。あんた、一体誰だ? 何で俺のナンバー知ってるんだ』

 こっちのナンバーは向こうに登録されてないはず。だから疑問を持つのは普通だと思う。

『お前の娘は預かった。返して欲しければ、チーズバーガー三つとフライドチキン一つを持ってこちらが指定する場所に来い。娘はパパを恋しがって泣いてるぞ。娘が酷い目に遭うのが嫌だったら警察には知らせるんじゃないぞ』

 まぁた、悪ふざけを始めた。グレイはいちいち不真面目にならないと死んでしまう病でも抱えているのだろうか。

 というか、ドーソンに娘がいるのかすらも定かで無い上、警察に連絡するなと言ったところでドーソン自身が警官なのに。

『グレイか? そうに決まってる。俺の知ってる中でこんな馬鹿げた事をするのはお前ぐらいだ。だいたい俺の娘はもう成人してる。しかも、保安官として、俺の部下として、サンスポット市に奉職してるんだ。俺を恋しがって泣くわけないだろうが』

『なんだ、つまらん。何でもいいから、また仕事手伝ってくれよ。これ情報管理局員としての正式要請ね』

 当たり前のようにグレイ。指ではくるくるとペンを回してる。

『無理だ。俺は忙しい。他を当たれ。お前の相手なんて二度と御免だと前に言ったろうが。忘れたのか』

 ドーソン刑事は声が荒い。やっぱり怒ってるのかしら。当たり前だけど。

『照れ隠しは別にいらないぜ。俺達の仲じゃないか。遠慮はいらないさ』

『お前は少しでも遠慮というものを学べ。少ない脳容量をもっと有効活用しろ』

 ドーソンたら、完全に頭にきてるみたい。グレイのこの態度で怒らない人なんていないはず。一種の才能と言えるかも知れない。

 グレイは回していたペンを落っことして、床を見回してる。

『はい。久しぶり、ドーソン刑事、ペネロペです。グレイのことは謝るわ、勝手にナンバーを調べたことも。でも、応援が必要なのよ。一人でいいから、誰か寄越してくれないかしら』

 代わってわたしが話す。なんというか、飴とムチみたいな感じ。もちろん、わたしが飴でグレイがムチだけど。

『……言っとくが、こっちだって人手が足りないんだ。半人前のやつでいいなら貸してやる。俺の娘を行かせる。まだまだ経験は浅いが、素質はあるんだ。鍛えてやってくれ。ああそれと、もしグレイがケイシィにちょっかい掛けやがったら、情報管理局ビルに"特殊捜査突入班ケルベロス"を突っ込ませるから覚悟しろと言っといてくれ』

 おお怖い。

 "地獄の番犬ケルベロス"と言えば泣く子も黙る自治警察機構の特殊部隊、そんなの本当に動かせるわけないけど、ドーソンの本気だけは伝わった。

『オーケー。じゃあ、こっちから向かえに行くわ。一応、銃は持たせて。何があるか分からないから。身辺調査だけのつもりだけど、いざって時のために』

『銃ね、止めといたほうがいいと思うがな。我が娘ながら、とんでもないデンジャラスビューティに育てちまったもんでね』

 複雑そうな声だ。

『あなたの娘が射撃が下手なんて信じられないわね。でも、グレイがいるから戦闘力には別に期待しないから大丈夫よ』

『そういうんじゃないんだが……。とにかく気をつけてくれ。タフな娘だから、荒っぽいのは平気だと思うがな』

 わたしは『三十分くらいで行くわ』と言って通話を切った。グレイはわたしとドーソンが話している間は手持ち無沙汰に再びペンを回していた。

「ドーソンは手伝えない。でも娘を貸してくれるって」わたしが言う。

「わぁお、ドーソンの娘か。どんなマウンテンゴリラだろうな?」

 たしかにドーソンは力強い顔立ちをしてるけど、流石にそれはないんじゃない。

 でもまあ、たとえ半人前でもドーソンの娘という人物なら背中を預けられる気がしないでもない。得体の知れない新人よりは数倍マシね。

「失礼なこと言ってないで、さっさと行くわよ。自治警察ビルまで三十分もあれば充分到着するでしょ」

 今日の天気通告は曇りのち雨。これで三日目だ。気象のローテーションも、もっと過ごしやすく組んでもらいたいものね。

わたし=U226は防水だから気にはならないけど、グレイの場合は天気が悪いと晴れの日の二倍は仕事をサボろうとするんだから。もっとも、晴れの日だって昼寝してばっかりだけど。

 グレイはU226=わたしのズレを中指で正すと、情報統合センターの出口に向かった。


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