勇者様、世界を救うのは結構ですが国が破産します
勇者レオンが魔王討伐の旅に出た日、アルディア王国は朝から祭りだった。
城門前には人が溢れ、窓という窓から王国旗が垂れ下がっている。
国王アルベルトの前へ進んだレオンは、深く頭を下げた。
「必ず魔王を倒して、戻ってまいります」
「勇者様ー!」
「頼んだぞ!」
「絶対帰ってきてくれよ!」
「ガッハッハ。魔王だろうがなんだろうが、ぶん殴ってやるぜ!」
大柄な武闘家ガルドが拳を打ち合わせる。
「馬鹿ね。私の魔法があれば、あなたが殴る暇もなく魔王なんて消し炭よ」
魔法使いのセレナが涼しい顔で返し、ヒーラーのミアが困ったように2人をなだめる。
少し離れたところでは、ガンナーのカインが欠伸をしていた。
「今日くらい仲良くしてくれよ。カイン。お前からも何か言ってくれ」
「興味ない」
「相変わらずだな」
レオンが笑う。
その足元へ、風に飛ばされた子供の帽子が転がってきた。
カインは無言で拾い、子供へ渡した。
「……ありがと! おにいちゃん、まおう、たおしてきてね」
「ああ」
第一王子ユリウス・アルディア――つまり俺も、この日ばかりは胸が熱くなっていた。
レオンとは幼い頃からの付き合いだ。
昔から、困っている人間を見れば考えるより先に走る男だった。
「頼んだぞ、レオン」
「ああ、ユリウス」
「世界を救ってこい」
「任せろ」
レオンが笑った。
「帰ってきたら、また城下の串焼き食おうぜ」
「魔王を倒した報酬が串焼きでいいのか?」
「あれがうまいんだよ」
「なら、好きなだけ奢ろう」
「約束な!」
レオンたちは旅立った。
父アルベルトは、丸い腹を揺らして笑っている。
「ほっほっほ。頼もしいのう」
母エレノアも微笑んだ。
「きっと大丈夫ですよ」
妹のセシリアは、小さくなっていく5人へいつまでも手を振っていた。
俺も同じ気持ちだった。
レオンたちなら、きっと魔王を倒す。
ならば俺は、俺の仕事をすればいい。
◇
翌朝。
俺も王都を出た。
魔王軍への備えを確認するための国内視察だ。
北部の穀倉地帯。
西の砦。
各地の避難経路。
数日かけて回った。
「備蓄は?」
「2か月は持ちます」
「避難経路は?」
「整備を進めております」
「急がせろ。だが農作業の人手まで持っていくな」
「はい」
派手な仕事ではない。
だが、こういうことをする人間も必要だ。
馬車の窓から外を見る。
畑で働く人々。
道端で遊ぶ子供たち。
レオンたちは、こういう景色を守るために戦っている。
ならば。
その帰る場所を守るのが、俺たちの仕事だ。
◇
数日後。
王都へ戻った。
「殿下、お帰りなさいませ」
「ああ」
出迎えた宰相グレゴール・フォン・ハイゼンを見る。
細身の体。
眼鏡。
そして、出発前より少しだけ濃くなった目の下のクマ。
「……留守中、何かあったか?」
「ございます」
「魔王軍か?」
「いえ」
「では何だ?」
グレゴールは答えず、執務室の扉を開けた。
机の上に、書類が積まれていた。
「……何だ、それは」
「勇者様一行に関する補償申請です」
「……補償申請?」
嫌な予感がした。
◇
グレゴールが書類を一枚、俺の前へ置いた。
「聞き間違いか? 魔王軍による被害の補償申請ではなく?」
「勇者様による被害です」
「……もう一度頼む」
「勇者様です」
民家への無断立ち入り。
収納家具の開閉。
壺5点、木箱3点破損。
銅貨12枚、薬草2束の持ち出し。
「グレゴール」
「はい」
「これは一般的には盗賊の行為ではないか?」
「勇者です」
「呼び名を聞いているわけではない」
しかも村人は怒っていなかった。
『壺ならまた買えます』
『娘が握手してもらいました』
むしろ喜んでいる。
「持ち出した銅貨は?」
「勇者パーティの資金になったようです」
「返却させろ」
「はい」
翌日から勇者の進路上へ特別通達が出た。
『宿泊及び食事について便宜を図られたい。費用は王国が負担する』
『貴重品は鍵付きの収納家具へ移動すること』
『壺、木箱等は安価な物への交換を推奨する』
「……グレゴール」
「はい」
「これは勇者パーティを歓迎するための文書だな?」
「その認識です」
「災害への備えではないな?」
「運用上はかなり近いものがあります」
「その表現は公文書には載せるな」
さらに一文。
『勇者一行へ緊急性の低い依頼をむやみに持ち込まないこと』
その一文が必要な理由は、すぐに分かった。
「勇者様! 東の森にゴブリンが!」
「分かった!」
「畑を荒らす魔獣が!」
「任せろ!」
3日後。
「182名」
「何の人数だ?」
「ギルドから生活支援を求められた冒険者です」
「……理由は?」
「勇者様が初心者向けの依頼まで、鍛錬も兼ねて無料で処理されました」
目を閉じた。
「冒険者の仕事を根こそぎ奪ったのか」
「はい」
昼食の席で父へ報告すると、父は楽しそうに笑った。
「地方の魔物が消えたそうじゃな!」
「冒険者の仕事も消えました」
「ほっほっほっ。新しい仕事を用意すればよいことじゃ」
「誰が?」
「ユリウス」
「……俺ですか」
「次期国王じゃろう?」
「冒険者の雇用先ですか……」
「ほっほっほっ」
この頃はまだ、静かに返せていた。
◇
問題が大きくなったのは、レオンたちが隣国ベルガリアとの国境へ到達してからだった。
ベルガリアにも魔王軍の被害は出ている。
当然、レオンは助けに行くだろう。
だから先にミアへ通信を入れた。
「正式な入国許可が出るまで、決して越境させるな」
『はい!』
「レオンが何を言ってもだ」
『……はい』
「今、間があったな?」
『ありません!』
「カインにも協力させろ」
『興味ない』
「聞こえているぞ」
『そうか』
「お前が一番冷静なんだ。止める側へ回れ」
『外交はお前の仕事だろ』
「こちらも最速で進めている。少しだけ待たせてくれ」
『ユリウス!』
レオンの声が割り込んだ。
いつもの明るさがない。
『国境の向こうから煙が上がってる』
「……何? こんな時に限って……」
『村だ。魔物に襲われてる』
「ベルガリア軍は?」
『まだ来てない』
遠くで悲鳴がした。
『殿下』
ミアの声。
『屋根に子供が取り残されています』
言葉が止まった。
待たせるのが外交上は正しい。
だが、許可を待っている間にも人は死ぬ。
『俺は行く』
「レオン」
『すまん』
「待て! いや……」
走り出す音。
『俺も行くぞ!』
『魔物は70前後。東から回り込むわ』
『カインさん!』
『見えてる』
銃声。
『屋根の周りは片付けた』
『待ってください皆さん! 殿下はまだ――』
通信が切れた。
頭を抱えた。
「……馬車を出せ」
◇
ベルガリアへ着いた時、戦いそのものはほとんど終わっていた。
村は半分焼けている。
だが、人々は生きていた。
「まだ中にいるぞ!」
声の方を見る。
ガルドが崩れかけた家の梁を両腕で支えていた。
額から血が流れている。
「早く出せ! 俺はいい!」
梁の下から老夫婦が引きずり出される。
最後の1人が離れた瞬間、ガルドは梁を横へ投げ捨てた。
「ガルドさん! 怪我を――」
「後だ! もっと酷いやつがいる!」
ミアが怒鳴りながら後を追う。
少し離れた場所では、セレナが燃え広がる炎を魔法で押さえていた。
銃声。
物陰から飛び出した魔物が、こちらへ飛びかかる前に倒れる。
鐘楼の上で、カインが次の標的へ銃口を向けていた。
そして。
「ミア!」
レオンが燃えかけた家から飛び出してきた。
腕には火傷。
背中には女性を背負っている。
「息があります!」
少女が駆け寄った。
「お母さん!」
母親の手を握って泣き出す。
「勇者様……ありがとう!」
「……よかった」
レオンが笑った。
無断越境だ。
許可は出ていない。
外交上は、間違っている。
それでも。
こいつは、間違いなく勇者だった。
◇
その後、俺はベルガリア王都へ向かった。
「321名」
ベルガリア王は言った。
「あの村で救われた民の数じゃ」
「……」
「越境については今回は不問とする」
「よろしいのですか?」
「我が民を救った者を、国境を越えたという理由だけで責めるほど余は狭量ではない」
「……ありがとうございます」
肩から力が抜けた。
よかった。
今回は純粋に人を救っただけだ。
これで一件片付いた。
そう思った。
「陛下!」
兵士が飛び込んできた。
「どうした」
「地下宝物庫へ侵入した魔物を、勇者様方が討伐されました!」
「おお。さすがは勇者殿じゃ」
「ただ――」
兵士が言いにくそうに口を閉じた。
嫌な予感がした。
「どうした?」
「封印されていた魔剣グラムハルトを装備し、そのまま出発されました」
沈黙。
ベルガリア王と目が合った。
「……あれ、国宝なのじゃが」
立ち上がった。
「追います」
◇
「レオン!」
「あ、ユリウス!」
夕方。
ようやく追いついた。
レオンは当然のように魔剣を腰へ下げていた。
「なぜ俺がここまで来たと思う?」
「会いたかった?」
「返せ」
「え?」
「今すぐだ」
「でもこれ、すげえぞ」
ガルドが口を挟む。
「岩ごと魔物斬ってた」
セレナが腕を組む。
「魔王への有効性は高いわ。返却する合理性は――」
「他国の国宝だ」
「でも世界全体の利益を――」
「だとしても、物事には順序というものがあるだろう」
ミアが青い顔をしている。
「殿下……すみません」
「ミアは悪くない。この4人を1人で止められるなら、お前を宰相に推薦する」
「それは嫌です」
「賢明だ」
期限付き貸与。
損傷時はアルディア王国が補償。
魔王討伐後、即返却。
契約をまとめるため、俺は再びベルガリア王都へ逆走した。
◇
アルディア王都へ戻れたのは5日後だった。
「……今日は休もう」
扉が叩かれた。
「殿下。エルフ王国シルヴァーンより緊急使者です」
「勇者か?」
「はい」
「……馬車を出せ」
魔王軍を追うため、セレナが聖域の森に一直線の道を作った。
理由は、
「迂回すると2時間17分かかるから」
だったらしい。
現地の長老曰く、森が戻るまで100年。
ただし勇者たちが来なければ、村そのものが100年後まで残っていたか分からない。
長老の話では、勇者たちが発つ直前、助けられたエルフの少女がセレナへ花冠を差し出したという。
『これ、あげる! 助けてくれたから!』
『私に?』
セレナは少しだけ黙り、
『……ありがとう』
と受け取ったらしい。
「それはそれとして、森林復元については」
長老が俺を見る。
「……承知した」
◇
それからまた数日かけて王都へ戻ると、
「殿下」
「何だ」
「ガルガン王国から通信です」
「……ドワーフだな?」
「はい」
「勇者だな?」
「はい」
「結論だけ」
「鉱山を救いました」
「素晴らしい」
「希少魔石を大量に取得しました」
「はい」
「一括売却しました」
「……」
「相場が3分の1です」
窓の外を見た。
「馬車をガルガンへ」
ガルガン王は大喜びだった。
「勇者殿は最高じゃ! 鉱山を取り戻してくれた!」
その横で財務官が死んだ顔をしている。
「陛下……魔石市場が……」
目が合った。
無言で頷いた。
それで十分だった。
◇
勇者たちは世界を救いながら進んだ。
俺はその後ろを追いながら、救われた世界を立て直していった。
そんな中。
ミアから通信が入った。
『殿下……』
「どうした」
『大規模な奴隷商です』
声が震えていた。
『子供も、病人もいます』
『ユリウス』
レオンの声は低かった。
『今すぐ助ける』
「……」
『駄目か?』
少しだけ考えた。
「いや」
椅子へ深く座る。
「やれ」
『いいのか?』
「どうせ止めても行くだろう」
『ははっ』
「今回は止めない」
『分かった』
通信が切れた。
◇
次に連絡が来たのは、夜が明けてからだった。
『殿下』
「終わったか」
『はい』
「何人だ」
『237人です』
少し黙った。
『ユリウス』
「何だ」
『この人たち、頼めるか?』
「ああ」
『ありがとう』
◇
「237名」
「食料、住居、治療、身元確認、受け入れ先だな」
「はい」
「現地政府とも連携して、すべて手配しろ」
「かなりの費用になります」
「構わない」
「国庫が」
「今日は聞かない」
「承知しました」
そこから先は、報告が来るたび数字が壊れた。
「ポーション価格が3倍です」
「勇者だな?」
「はい。買い占めているようです」
「魔王戦用?」
「はい」
「国内の備蓄を放出して市場を戻せ」
「承知しました」
もう報告の続きを聞きたくなかった。
ベルガリア。
シルヴァーン。
ガルガン。
そして、まだ名も覚えていない土地まで。
俺はひたすら行ったり来たりを繰り返した。
◇
久しぶりに王都で過ごせたある日。
机に突っ伏していると、扉が開いた。
「お兄様」
セシリアだった。
茶と焼き菓子を置く。
「お帰りになっていたのですね」
「ここは俺の家なんだが、もはや宿のようだな」
「勇者様たちは、今日もたくさんの方を助けたそうですね」
「ああ」
「お兄様も?」
「俺は各国に頭を下げて、書類に署名しているだけだよ」
セシリアは少し考えてから、茶を俺の前へ寄せた。
「でも、勇者様に助けられた方たち、お兄様がいなかったら困ってしまいますね」
「……」
「お茶、冷めますよ」
一口飲む。
「セシリアは時々、嫌になるほど正しいな」
「まあ、お兄様ったら」
「褒めてない」
向かいではグレゴールも茶を飲んでいた。
「……美味い」
「宰相様、少しお休みになっては?」
「姫殿下」
「はい?」
「もう一杯いただけますか」
その夜だけは、よく眠れた。
◇
翌朝。
通信具が光った。
『殿下』
「どうした」
『魔王軍の将軍を確認しました』
一気に目が覚める。
「戦力は?」
『現地の兵から情報がありました。何度傷つけても再生するそうです』
『核があるわ』
セレナの声が割り込んだ。
「分かるのか?」
『魔力の流れを見ればね。核ごと消せば終わる』
「待て。セレナ、何をするつもりだ」
『大魔法よ』
『セレナさん、ここ湖の近くです!』
「他にやり方はないのか?」
『考えてる時間がもったいないわ』
「待て!」
『行くわよ』
通信が切れた。
「ミア!」
返事はない。
しばらくして。
通信具が再び光った。
『……殿下』
「無事か!?」
『はい。全員無事です。将軍も倒しました』
息を吐く。
「……よくやった」
『ありがとうございます』
沈黙。
嫌な沈黙だった。
「それで?」
『……湖が』
「湖?」
『なくなりました』
「……もう一度頼む」
『湖がなくなりました』
意味が分からない。
「湖がなくなるとは、どういう意味だ?」
『セレナさんの魔法で水が全部――』
『蒸発しただけよ』
セレナの声が入る。
「だけ?」
『将軍は倒したわ』
「湖は?」
『なくなったわ』
「それを“だけ”で済ませるな!」
『必要な威力だったのよ』
「どこの湖だ!」
ミアが申し訳なさそうに答えた。
『ラウゼン王国の……国内最大の湖です』
「……最大……」
『はい』
目を閉じた。
「馬車を出せっ!!」
◇
ラウゼン王国へ到着した時、湖だった場所には巨大な窪地だけが残っていた。
水面も。
湖畔の桟橋も。
何もない。
「……本当に消えているな」
「はい」
ラウゼン王は、元湖を見ながら静かに言った。
「魔王軍の将軍は倒れた」
「はい」
「周辺の民も救われた」
「はい」
「勇者殿には感謝しておる」
「ありがとうございます」
「それはそれとして」
来た。
「周辺の村で飲み水が足りん」
「……はい」
「農地へ引いていた水も止まった」
「……はい」
「どうする?」
元湖を見る。
自然に戻るのを待つわけにはいかない。
「……水を生み出せる魔法使いを集めます」
ラウゼン王がこちらを見た。
「湖を戻すのか?」
「一度に全部は無理でも、生活用水と農業用水を確保しながら水を戻します。人数を集めれば何とかなるはずです」
「殿下」
グレゴールが眼鏡を押し上げる。
「問題があります」
「もう慣れた。言え」
「ここはアルディアからかなり離れております。魔法使いだけを送るには道中が危険です」
「まだ魔物がいるか」
「はい」
少し考える。
「なら、冒険者パーティごと雇え」
「パーティごと?」
「水魔法を使える者がいるパーティだ。魔法使いは給水。ほかの者は道中の護衛と物資輸送を任せる」
「なるほど」
そこで、ふと思い出した。
「グレゴール」
「はい」
「以前、勇者が仕事を片付けすぎて仕事を失った冒険者がいたな」
「182名です」
「その中から探せ」
「全員ではなく?」
「全員連れてきてどうする」
「ごもっともです」
「水魔法を使える者がいるパーティから声をかけろ。足りなければ他の街にも募集を出す」
「承知しました」
一つ問題を処理できそうだった。
少しだけ気が楽になる。
「殿下」
「……まだあるのか」
「依頼料」
「払う」
「往復の旅費」
「払う」
「馬車代、食費、宿泊費」
「……払う」
「複数パーティを長距離移動させるとなれば、かなりの額になります」
元湖を見る。
次にグレゴールを見る。
「勇者が仕事を奪った冒険者に、勇者の後始末を頼むのか」
「そうなりますね」
「……世の中、うまくできているな」
「国庫以外は」
「それを言うな」
湖に水が戻る目処は立った。
国庫に金が戻る目処は、まだ立っていなかった。
◇
その数日後。
グレゴールが一枚の紙を机へ置いた。
「殿下」
「国庫だな」
「はい」
「結論だけ」
「このまま勇者様が順調に進まれますと、魔王討伐より先に財政が死にます」
立ち上がった。
「父上!」
◇
玉座の間。
「ほっほっほ。どうしたユリウス」
「勇者一行を一度止めていただけませんか」
「なぜじゃ?」
「国が滅びますっ!!」
「魔王に負けても滅びるではないか」
「それはそうですがっ!!」
「ならば何が問題じゃ?」
「全部ですっ!!」
「全部?」
「壺! 冒険者! 外交! 魔剣! 森! 魔石! ポーション! 湖っ!!」
息が切れた。
父はしばらく黙っていた。
「ユリウス」
「……はい」
「勇者殿は人を救った」
「はい」
「お前は、その後を走り回った」
「……はい」
父は窓の外を見る。
「森も、湖も、国庫も。どうにかなる」
「……」
「世界が残れば、な」
「それは分かっています」
「ならよいではないか」
「よくありません」
「なぜじゃ?」
「その“どうにかする”を全部俺がやっているからです」
父は少し考えた。
「……大変じゃな」
「他人事みたいに言わないでください」
一瞬だけ、この王の息子であることが嫌になった。
◇
そしてついに。
『殿下』
ミアから通信が入った。
静かな声だった。
「どうした」
『魔王城へ到着しました』
グレゴールも手を止めた。
『これより、突入します』
「……分かった」
『……今回は、何も言わないのですか?』
思わず笑った。
待て。
戻れ。
壊すな。
持っていくな。
ずっと、止める側だった。
「ミア」
『はい』
「もう止めなくていい」
『え?』
「好きにやらせろ」
『ユリウス!』
レオンの声。
「好きにやれ」
『……』
「後始末は、こっちで引き受ける」
少し間を置く。
「だから必ず勝て」
『当たり前だ!』
「それと、生きて帰れ」
『もちろん!』
通信が切れた。
静かになった通信具を見る。
レオンは昔から変わらない。
困っている人がいれば進む。
止めても進む。
そのせいで、俺は何度も世界中を走り回った。
でも。
今だけは、それでいい。
「……行ってこい」
◇
それから、何も聞こえなかった。
10分。
30分。
1時間。
通信具は沈黙したままだ。
執務室には、俺とグレゴール、それに連絡を待つ役人たちが残っていた。
誰も余計なことを言わない。
壁時計の針だけが進んでいく。
やがて父と母、セシリアも執務室へやってきた。
「……長いな」
「はい」
それしか言えなかった。
さらに時間が過ぎた。
通信具が光った。
全員が立ち上がる。
「ミア!」
『……殿下』
声が震えていた。
「どうした」
一瞬の沈黙。
『勝ちました』
「……」
『魔王を倒しました』
息が止まった。
「全員いるのか?」
『はい』
「5人とも?」
『はい。全員、生きています』
そこで初めて、息を吐いた。
「……そうか」
隣でグレゴールが目を閉じる。
「よくやった」
『ありがとうございます』
通信の向こうで、誰かが笑った。
レオンだろう。
「グレゴール」
「はい」
「各国へ連絡を」
「直ちに」
役人たちが一斉に動き出す。
「魔王討伐成功。勇者一行は全員生存」
その報せが、各国へ送られていく。
そして。
城の鐘が鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
やがて王都中の鐘が応える。
魔王討伐。
勇者一行、全員生存。
街から歓声が爆発した。
父が大笑いした。
母は涙を拭った。
セシリアが俺に抱きつく。
「お兄様! 勝ったんですね!」
「ああ!」
久しぶりに何も考えず笑った。
横を見る。
グレゴールが椅子へ沈んでいる。
「終わったな」
「はい」
「世界は救われた」
「はい」
「国も残った」
「辛うじて」
「……勝ったな」
「はい」
◇
それから、しばらくして。
勇者たちが帰ってきた。
5人とも、旅の跡を全身に残していた。
装備は傷だらけ。
それでも、全員いる。
「ユリウス!」
レオンが手を上げる。
「ただいま!」
言いたいことは山ほどあった。
壺。
冒険者。
ベルガリア。
魔剣。
森。
魔石。
湖。
おそらく、まだ知らないこともある。
それでも。
「ああ」
笑った。
「おかえり」
レオンが少し目を丸くする。
「よくやった」
「ああ!」
「本当に、よくやった」
ミアが泣き出す。
ガルドがレオンの背中を叩いた。
「やったな!」
「痛え!」
「ガルドさん! 怪我人なんですよ!」
「それくらい平気だろ!」
「帰ってきてまで騒がしいわね」
「お前が言うな、セレナ」
カインはもう帰ろうとしていた。
「カイン」
「なんだ」
「少しくらい余韻に浸ったらどうだ?」
「興味ない」
「……そうか」
ただ、口元がほんの少しだけ笑っていた。
レオンが俺を見る。
「ユリウス」
「なんだ」
「約束、覚えてるか?」
「……串焼きか」
「好きなだけって言ったよな!」
「世界を救った男が、それでいいのか?」
「あれがいいんだよ」
笑ってしまった。
「ああ。好きなだけ食え」
「よっしゃ!」
世界は救われた。
全部報われた。
ようやく終わった。
「あ、そうだユリウス」
嫌な予感がした。
「……なんだ」
「帰り道で、困ってる村があってさ」
「待て」
ミアが目を逸らす。
「殿下……山から降りてきた魔物が渡っていた橋を、ガルドさんが……」
「ガルド」
「崩した」
「なぜだ」
「魔物が渡ってきてたからな!」
「その橋は?」
沈黙。
グレゴールがやってきた。
「殿下。商人組合から使者が」
目を閉じた。
「……主要街道だったか」
「はい」
レオンが俺を見る。
「ユリウス」
「なんだ」
「そこは頼んだ!」
「串焼き全部自腹にするぞっ!!」
「それは困る!」
城門前に笑い声が広がった。
魔王は倒れた。
世界は救われた。
そして俺の戦いは、今日も終わらない。




