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一枚の初恋は、八時三十分から現実に  作者: 覡天狐


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8/8

第八話 突然の出来事には思考が遅れてやってくる

 つくづく自分は衝動的な人間だと思う。こうして、また走り出した。気持ち悪いかな。気持ち悪いだろう。誰でもいいわけではないから。打算的。自分の欲望に従っているだけだから。これが、全く面識のない知らない誰かだったら見て見ぬ振りをしていた。彼女に好かれたい一心、……これは違う。一ミリもないわけではないが、多分もっと単純で――。


「あー、松永さん?」


「え、高橋くん?」

 

 ――彼女が困っている姿を見過ごすことが出来ないから。


 走ってきた事を悟らせないように出来るだけ息を整え、太陽と自身からの更なる熱に吹き出した汗を拭って、そして今度は驚かせないように声をかけた。


 澄み切った青い瞳は見開かれ、驚愕に満ちている。当然だ、街で突然名前を呼ばれれば誰だって驚く。良かった。まだ気持ち悪いものを見る目ではない。


「?」


 同じ様に驚き、やや置いてけぼりの赤毛の女性に一度会釈をしてから、松永に向き直る。


「驚かせてごめん。図書館に行くとこだったんだけど、見かけて……。その女性はお知り合い?」


 どこか安心した様子の彼女はフルフルと首を振る。


「ううん。旅行中の人みたいで、多分今、道を聞かれてる? と思う……。私英語全然ダメで」

 

「へー、意が……、ムズいもんな」

 

 聞かれることを危惧しているのか、やや小さな声。自分も同じように音量を下げてみたが、恐らく相手は分からないと思う。これもまた彼女なりの配慮なのだろう。

 

 しかし、これまで僕は短絡的な考え、外見的な特徴から英語を喋れそうな偏見を持ってしまっていた。『意外』という言葉が彼女に失礼だとギリギリで気が付けてよかった。


「一応勉強頑張ってるつもりなんだけど、まだまだみたい」


 そう言いながらガックリと肩を落とす松永。


 ともかく松永が何も返事をしていなかったのは出来なかったかららしい。困った様子だったのは助けたくても助けられなかったからだろう。


 それであれば自分にも出来ることがあるはずだ。勇気を拳に握りしめて彼女の向こう側、赤毛の女性の眼前へと進み出る。


「状況は分かった……、――――えーっと、Where do you want to go?」


 初めて外国の人と交わす英語に緊張しながら頭と舌を回す。


「Kakisaka Shrine. Do you know?」


 カキサカシュライン……心当たりのある場所がある。柿坂神社。この街にある小さな神社の名前だ。寂れているし、何を祀っているのか地元に住んでいる自分でもわからない、お世辞にも観光するような場所ではないと思うが、今はそんな事どうでもいい。


 行き方。ここからの経路を考える。


 …………。


 ここからはそこまで近くない。歩いていくとなると三十分以上かかる場所だ。春や秋ならともかくこの炎天下の元歩いていくのはオススメできない、まずはそれを伝えなければ。


「OK. あ、えー、not near」


「Yeah I know. I just don’t know which bus to take.」


 流石ネイティブEnglish。リスニングと比べて格段に聞き取りづらい。しかし、要点は抑えられた。『それは知っているけど、どのバスに乗ればいいのか分からない』だいたいそんなところだろう。


 身振り手振りを加えて、言葉足らずの会話を補う。テストであれば0点でも、現実では赤点ぐらいは回避できる。


「OKOK. Please take 1:37 bus. No next bus,next next bus,OK?」


「OK! Thanks.アリガトウゴザイマス」


 サングラス越しでも伝わるオーバーなリアクション。


 バスの時刻表への指差しが功を奏したのか、なんとか赤毛の女性に伝わったみたいだった。


「いえいえ、あーYou're welcom.Hava nice day!」


「You too !」


 チラリと背後に目をやると松永も同じように大輪の笑顔をしてくれていた。……赤毛の女性の感謝も嬉しい。嬉しいが、やっぱりこれは一番特別だ。


 僕の視線に気が付いたのか、一度開かれた笑顔が弾けて、溢れ出した。彼女の右手はサムズアップの形を向けてくる。


 礼儀としてこちらも同じように親指を立てる。


 言葉は交わさない。これで十分。


 問題をなんとか解決し終えると、もう留まる必要もない。バス停はここにあるため、彼女に見送られながら僕と松永は離れていく。





「ふーっ、なんとかなった……」


 ググッと大きく伸びをする。たった一言二言、会話未満のキャッチボールをしただけで、全身にドッと疲れが流れ込んできた。この疲れはアドレナリンが切れたからだろうが、今はまだ余裕を持った装いをしなければいけない。


「凄かったね。英語喋れるじゃん!」

 

 松永はスキップみたいな浮かれた足取りで、進行方向に背を向けながらこちらの真正面を進む。


 あれから興奮覚めやらない彼女はいつも以上に可愛らしく褒めてくれる。その姿に何故か手を合わせたくなる気持ちをこらえて、装った表情を続ける。この位置では顔を逸らそうにもそらせないのだ。


「いやいや、全然。文法的に無茶苦茶だし」


 いくら何でもNext next busは酷かったと思う。


「そうなの? でも伝わったからよくない?」


「それもそう、かな?」


「そうだよ。凄いよ!」


 留まることのない松永の肯定攻撃はあまりに苛烈で、表情筋が陥落してしまいそうだ。

 

「ありがとう……」


「いやー、一時はどうしようかと思ったんだけど、高橋くんが来てくれてまた助かっちゃった」


 そんなこちらの気も知らずに彼女はとびきりの笑顔を向け続ける。


「こっちもまさか昨日の今日、それも土曜日に松永さんと出くわすとか想像もしてなかった。……そう言えば道こっちでいいの?」


 流れで自分の進む方向の道に来てしまっているが、彼女も同じだとは流石に思えない。変に連れ立ってしまっているのであれば申し訳ない。


「うん。こっちこっち」


「こっち……その、どちらまで?」


 その心配は杞憂に終わる。この先にあるものと言えば、図書館とその近くに喫茶店とケーキ屋さん。そこそこ先に大型スパーマーケットがあるはずだ。


「図書館。この先にあるんでしょ?」


「あるけど、え、松永さんも図書館行くの!?」


 畳み掛けてきた奇跡。出来すぎた出来事に、つい足を止めてしまった。


「うん。……あれ、『も』ってことは高橋くんも?」


「行きます。――いや、ちゃんと事前にね! 約束が! マジであって、一時半に清水と」


 同じように足を止めてくれた松永に捲し立てるように説明する。ここで誤解を招けばストーカーの疑惑が浮かんでしまいかねないため、必要なのだ。ただでさえ最近の行いは誤解をされかねないもののため、訂正は本当の本当に、必要なのだ。


「へー。二人仲良さそうだもんね。休日も一緒に勉強してるんだ」


「……そうなんです。本当にいい友人を持ちました。今日合ったら抱きしめるかも知れない」

 

 至って普通の反応を見せる松永に胸を撫で下ろしながら、ここに居ない一人の救世主に感謝を向ける。


 この出会いは間違いなく奴のお陰だ。昨日のこともそうだが、いつか大きなお返しをしなければいけないだろう。手始めに熱い抱擁から。


「えー、んふふふっ、なんで?」


「それはもちろん感謝を伝えるために」


 僕の達観した声音にうんうんと松永は頷くと、ポケットからスマホを取り出す。


「いいね。一時半だったっけ? 今は一時十ご……、六分。すぐそこだから間に合いそうだね」


「よか、った? ――――!」


 気が付いた。


「どうしたの?」


「スマホ」


 今更気が付いた。


「スマホ? 忘れちゃった?」


「違くて……、スマホで翻訳すれば、もっと簡単だった、かも……」


 今どきのスマホとは便利なものだ。だって翻訳なんてアプリを入れなくても出来てしまう。スマホに搭載されているアシスタントに伝えたいことを言うだけで完了し、違う言語を介する人達とも簡単に意思疎通を図ることができる。


「あっ!」


 口元に手を当てて、目を白黒させる松永も可愛い。


 …………。


「急にこういう事態に巻き込まれたら、案外気が付かないよな」


「……うん。そうみたい」


 終わったことだし、なくても上手く行ったことなのだが、どこか、もったいなさのような空虚さを感じる。


 そうして、二人は自分の思考の至らなさに打ちひしがれながら太陽の下、道を進んでいく。


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