第七話 6月は十分に暑い夏
夏。春の次で、秋の前の季節。
最もその時期特有の色を見せる本番はやはり七月か八月だろうか。それに比べれば六月なんて前座と言ってもいい。しかし、いくら何でもこの暑さで前座とは笑えない。
光を遮る雲一つない天空。熱と光を照り返す黒いアスファルト。体感温度を高める飽和しきった湿度。スマホの天気アプリ上に表示されている現在の気温は三七度。…………。この調子で気温が上がり続ければ本番の気温を味わう前に燃え尽きてしまうと思う。
「暑ッ……」
汗とともに独り言が零れ落ちる。こればかりは仕方ない。こんな無駄に良い天気の日にお天道様の下を歩いているのだ。暑さと湿度に文句を喚き散らさない事を褒めてもらいたいぐらいだ。
土曜日。時刻午後一時。
どうせならずっとクーラーの効いている家で過ごしていたいものだが、そうも行かない。
学生の本文は学業。というわけで、図書館に向かっていた。
「勉強、ね……」
斜めにかけたバッグの口からは明らかに勉学とは不釣り合いなデッキケースが覗いている。
こんなただの休日に図書館まで行って勉強だけしている中学生は実在しない。多分。
僕が今日図書館に向かっているのは何も自主的な理由からではない。部活動で勉学が疎かになっている友人の頼みを聞いてしまったからだ。借りもあったため、断ることも出来ない。
もう一週間もすれば期末のテスト期間が始まる。つまり、テストまで残り二週間。それに備えるために友人――もとい透も声を掛けてきたのだろう。
そして、アイツの事はよく分かっている。どうせ一時間もすれば勉強に飽きてこのカードゲームを出すはめになる。こうした事は一度や二度じゃない。既に割り切った。僕は今日、遊ぶつもりで図書室に向かうのだ。
勉強はこの後夜から塾に行く予定があるため、抜かりはない。僕は。透は……まあ、仕方ない。恨むなら自分の集中力のなさを恨んで欲しい。
「それにしても――暑すぎだろ……」
赤い色の信号に止められ、電柱の生み出した細い影に隠れる。
図書館が家から歩いて十分程だからと歩いてきたのは不味かった。それに加えて水筒も持ってきていない。夏という魔物を舐めすぎていた。
意味のないような手のうちわを動かし、せめてもの風を生み出す……が、焼け石に水。
色が変わった信号を確認して横断歩道を灼熱地獄を乗り越えるように進んでいく。
一歩一歩が重い。もしかして本当にここは地獄なのかも知れない。
――――不意に話し声が耳に届く。熱による幻聴? ではなさそうだ。
街で過ごしていれば人の声は至るところから聞こえてくる。そんなものに一々反応していては更に頭を熱してしまうのだが、今回は例外だ。
「外国の人かな?」
届いた音は異国の言語。微かに聞き取れた単語的に恐らくは英語だろう。ネイティブな発音は少なくとも日本人の会話ではない。
こんな田舎……、都会ではない街ではあまり聞くことのない声につい視線が動いてしまう。
場所は道の向かいにあるバス停。
金髪の少女と赤毛の女性が話し合っている。位置的に時刻表を挟んでいるため頭のてっぺんと足元以外よく見ることは出来ないが、二人がその声の主だろう。
「…………」
それだけだ。僕に関係はない。変に立ち止まるとこちらが不審者になってしまう。それにこの暑さから一刻も早く抜け出したい。横に向いた首を正面に戻し、これまで通り道沿いに足を進める。
――――が、一応顔ぐらいは見てみたい。金髪の女性の顔が気になった。自分でも嫌になる癖なのだ。金髪であれば誰でも良いわけではない。訳では無いのだが、一瞥ぐらいは許されても良いと思うのです。
時刻表に隠された姿を見るために程よく進むと首は動かさず、目線だけが動く。
心のなかで美化された夢を膨らませながら、片隅にはそんな誰かより身近に降りてきてくれたあの娘を思い浮かべ、て。
「――――――」
松永だった。
「マジ?」
ガチだ。
本当に松永がいる。
スススッと少し進んだ歩を戻す。こちらから見えるということはあちらからも見えるためだ。
こんな偶然起こって良いのだろうか。いくら何でも出来すぎている。頬をつねっても普通に痛い。ベタな現実確認を済ませると、次は幻覚かどうかを確かめるためにスマホのカメラを起動する。写っている。パシャリと一枚を撮ってもそこに彼女は写っていた。盗撮はいけないことなので、きちんと写真は削除削除、と。
「……」
顎に手を当てる。どうするべきか悩む。声をかけるか、かけないか。
決断は速かった。かけない。正しくはかけられない。こんなタイミングで声を掛けられたのなら、僕はもっと早く松永と仲良くなれている。昨日ちょっと喋った程度で話しかけることなんて出来はしない。向こうも驚くだろう。一度会話してからグイグイ来られたら流石の松永でもこちらの思いを勘づく恐れもある。
早く図書館に向かおう。スマホで時間を確認すると一時五分過ぎ。集合時間は一時半だ。余裕はあればあるほど良い。松永も話し込んでいるみたいだし、話に割り込むことは迷惑だろう。よし、そうしよう。向こうから声を掛けてくれるのならば話は変わってくるが、そんな更なる奇跡は期待薄だ。休日に一目見ることが出来たのだ、一言を求めるのは強欲と言えるだろう。
……。
…………一言?
不意に違和感を覚える。
会話といいながら、その声が一方的であることに気が付いた。そもそも松永の声が聞こえていれば、その主が彼女だと真っ先に分かったはずだ。
つまり、これは英語を喋っている女性が一方的に松永に声を掛けている……?
偶々聞き取れていない可能性も十分にある。先程進み出た距離と同じぐらい前にスススと移動すると、再び二人の顔を覗く。
「…………」
一人はいつ見ても心に色が注がれるような金の女子。正直最初に見た時は松永に意識を奪われていて、もう一人の女性はほとんど認識していなかった。赤毛の女性はやや露出度の高めの服装にサングラスと大きめなリュック。改めて見てみると外国人観光客風の印象だ。
サングラスをした赤毛の女性の表情はまだよく分からないが、松永の表情はしっかりと見えた。
一番近い横断歩道へすぐに駆け出すぐらい僕の心を突き動かすような。




