第十話 あまりに良い事のあった後は集中ができない
三人掛けの丸いテーブル。図書館の領域と直ぐ側にあるカフェの領域との境目にある中間空間。多少の大きな声は許される部分として、勉強目的だけでなく談笑目的にも利用される一等席に僕と松永は座っていた。
広めの椅子は浅く座るも、深く座るも腰への負担が少ない良い形。そこに腰を下ろして、一応持ってきておいた教科書を机に広げる。
「ねぇー、ホントにないの?」
向かいに座る松永は机に頬杖をついてこちらを睨む。
一見するとぶりっ子のような印象を受けかねないが、真正面から受け取ってもわざとらしい感じは見えない。正直男の子はぶりっ子にそこまで不快感を抱かない事も多いし、すごく可愛いからよいのです。
「大丈夫大丈夫。ホントにないから」
「……あ! 図書カードとか忘れてきてない?」
つい数分前に出来上がったカードが彼女の手のひらで踊る。
「借りる本ないし……」
申し訳無さそうに首を振って却下の姿勢。それに図書カード、持ってきてます。
「うーん」
目を瞑り、眉に皺を寄せ唸り声を上げているが、ないものはない。そもそも、実際そんなに助けていないのだ。こんなことでお礼をされてはこちらが心苦しい。
しかし、どうしてもと言うならいい塩梅の答えを実は少し前から持っていた。こうして、場が膠着した今を見計らってそのカードを切ってみせる。
「それなら、一緒に勉強しない? 何教科か持ってきてるから、好きなの選んでよ」
机に並べていた教科書とは別の教科書をいくつかカバンから取り出してみせる。僕は一緒に居られるだけでいい。
「いやいや、高橋くんは透くんと勉強しに来たんでしょ? 私迷惑じゃない?」
「ない! 絶対全然全く迷惑とかないから! 透も喜ぶよ! 絶対!!」
予想だにしない提案だったのか、松永は手をブンブン振って拒否してくるが、迷惑なんてことは無い。むしろこれが一番のお礼と言っても過言ではないのだ。
透が迷惑と言い出した時は普通に縁を切る。
「迫力凄いね……。うーん。でもさ、私が逆の立場になって考えると、仲のいい子と二人で勉強する約束してて、当日急にあんまり知らない男の子が居たら……場の空気的に表面上は気にしないとか言っちゃうと思う。けど、本当は嫌なんだよね。だから、ごめん……」
引き受けられない事を気にしているのか、頬を掻きながらあらぬ方向に向けられている青い視線。
想像以上に意思は硬そうだ。これは何を言っても絶対に拒否されるだろう。一応もう少しだけ押してみるが、望み薄。
「透は別に大丈夫だよ?」
「…………ごめんね」
「そっか……。こっちこそ、ごめん」
無理な提案をしたのはこちらだというのに松永は謝ってくれる。そんな事する必要はない。するべきは自分だというのに、彼女は本当にいい人だ。
「ううん。何か別で助けられることはないかな?」
すぐさまその雨雲みたいな空気を吹き飛ばす、太陽にだって負けない笑顔がやってくる。
こんなものを向けられれば、悲しい雰囲気なんて残っていられない。
「他……、やっぱり今すぐにはない、と思う。また、いつか困ってるときに助けてもらってもいい?」
持ったまま使われていなかったペンを置いて真剣に考えてみるが、パッといい答えは浮かばない。それにこうして次に持ち越しということにしておけば、もう一度話す機会が増える。それが今取れる最善だ。
「うん分かった。高橋くんみたいに驚かせてみせるね」
驚かせたつもりはなかったのだが、どうやら一度目急に声を掛けた事をいい意味で相当根に持ってくれているみたいだ。
「お手柔らかに……」
「じゃあ、そろそろ行くね」
彼女が立ち上がる。
――遂に来た別れ。
「うん」
「今日は、今日もありがとうございました!」
いつものごとく手のひらをおでこに当ててピシッと敬礼を向けてくる。
「はい。ありがとうございました」
同じように敬礼を返してみせるが、学校ではなくこうした公共の面前で行うのは少し恥ずかしい。だけど、行わないという選択肢が全く浮かばない時点で僕はどうしようもない。
松永が席から離れていく。
「バイバイ」
「ばいばい」
手を軽く振り合うと彼女は背を向けて出口へと向かっていった。
いつだってこの時間は寂しいものだ。また月曜になれば会えるというのに。
無意識にその背を落っていた視線を意識的に元に戻し、平然を装って席に向き合う。
スマホの時計を見ると一時四十五分。いつもならそろそろ透のやってくる時間だ。
一足先に広げるのは英語のワーク。
……。…………。……………………。
しかし、ペンは宙に浮いたまま。
「…………」
本の文字が頭に入ってこない。湧き上がるのはつい先程までの行動の自己採点。
“ああしておけばよかった” “こうしたほうがよかった”
無駄なこととは分かっていながら、過去のシミュレーションを脳内で繰り広げている。
時々胸を掻きむしりたくなる衝動をこらえながら、ペンを浮かばせ続けた。
「おっす! 遅れてすまん!」
唐突な言葉に意識が浮上する。
「ん、透か……」
振り返れば全く申し訳なさそうに両手を合わせる見慣れた顔。息が上がっていないところを見ると急いできた様子でもない。
透は斜めがけバッグを外しながら先程まで松永が座っていた席に腰を下ろす。
「どうしたんだぼーっとして? 眠いのか?」
「眠いわけじゃない。あと、二十分も遅刻してきてその態度はヤバいぞお前……」
「ごめんごめん。悪かった。次の遅刻の分も今謝っておいて良いか?」
「流石にその時に謝ってくれ」
「了解」
今更遅刻をしないように頼むことはしない。馬の耳に念仏と言うやつだ。それに今回ばかりはそれにいい思いをさせてもらった。責める気分にはならない。
「それより世界、ついさっき松永さんっぽい人見かけたぞ」
バッグから数学のワークとノートを取り出しながら喋る透。
「ふーん」
「ふーんって、驚かないんだな? ……もしかして図書館来てた?」
「そうそう。ちょっと喋ったぞ」
出来るだけ嬉しさを見せないように声に発する。表情は机のワークに向けられているため見られる心配はない。
「マジか! どうなんだよ?」
「……どうって?」
「そりゃあ、進展、的な?」
「別に普通だよ。いきなりめちゃくちゃ仲良くなれはしないだろ」
自分でも分かるそっけない返答。
何度か助けられているとは言え、こういう話にズカズカと突っ込んでくる透に早くも面倒臭さを感じ始めた。自分自身初めて気が付いたが恋バナはあまり好きではないみたいだ。上手く行っていれば話は変わってくる、のだろうか?
「それもそうだな。でも、意外とすぐにいい感じに慣れるんじゃないか」
「……、……というと?」
ただのいじる言葉ではなく、どこか根拠を持ったような言い方に引っかる。
顔を上げると透は既にワークの問題を解き始めていた。
「いや、見かけた時に声を掛けようとしたんだけど……、暇なんだったらこっちに連れてこれないかと思ってさ」
「……」
「だけど、やけに嬉しそうだったからこれからどこか行くんだと思ってやめておいたんだよ。ワンチャン世界と喋ってたことが楽しすぎたんじゃないか」
「なわけ」
「いやいやいや。全然あり得るだろ」
もしそれが本当なら飛び上がりたい気分だが、その“もし”はありえない。喋ったことではなく図書カードを手に入れた事が嬉しかったのか、この後に本当にどこか楽しみなところに行く予定だったかだろう。
思い上がり、勘違い、そんな事は絶対にしてはならない。後々傷つくくらいなら、最初からありえないものだと理解しておけばいいんだ。




