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一枚の初恋は、八時三十分から現実に  作者: 覡天狐


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1/8

第一話 実在の彼女は、初恋より鮮やか

 教室は既に登校を終えた生徒で溢れている。時刻は八時二十分を回った頃。この時間大体の生徒の取る行動は大きく分けて三つある。HRに備え自分の席に座るもの、談笑を行いギリギリの時間まで友人の机に張り付くもの。こうして、誰かの成果物をギリギリまで写すもの……。

 

「違う違う。そこはbeen to、gone to は行って帰ってきてない時に使うやつ。写すんならちゃんと写しなさい」


 トントンと指先でノートの一部をつつく。


 間違えていたとしても口出しをする気はなかったが、目の前で行われるとやはりつい教えてしまう。


「gone to……ん、……なんで?」


「知るか、英語を考えた人に聞いてくれ」


「考えた人って言うと、ワシントンとかか?」

 

 この男は清水透(しみずとおる)。この中学校に入学して一年、二年と二年連続で同じクラスになった僕の数少ない友人だ。別に不真面目と言うわけではないのだが、宿題をやらない罪常習犯の男。去年の夏休みは一つも宿題を提出しなかった猛者だ。勿論先生はカンカンで放課後呼び出されていた。


「いや、アメリカの初代大統領よりもっと古いだろ、……多分。いいからさっさと終わらせろ、一限英語だぞ」


「いつもありがとうございますー」


 そんなコイツが宿題である英語をやっている理由は単純だ。授業中に当てられるから。そして、答えられなければあの恐ろしい先生の更に恐ろしい顔を拝むことになってしまう。


「はいはい。お返しに期待しています」


 それが毎週のルーティーン。二年生ももう直ぐ二ヶ月。新しい学年、クラスも馴染み、代わり映えのない単色な日常だった。決して幸せとは言えないものの目立った不満のない平静の一日。


 これがいい。これでよかった。楽しい出来事はその間は幸せになれるが、それが終わってしまえば普通が寂しく感じてしまう。だから、何一つ隆起のないモノクロみたいな日々が僕は好きなのだ。


 今日もそんな記憶に残ることのない一日だと思っていた。


「それより、知ってるか? 今日はこの学年に転校生が来るらしいぞ」


 学園ものではお約束、現実では早々起こり得ない一大イベントにピクリと体が反応する。


「……転校生?」


「こんな時期に変だよな? どうする、めちゃくちゃ美人だったら?」


 僕の鋭い視線を受けた透は辺りを見回しながら小さな声でそう聞いてくる。


 別に聞かれて困ることもない会話だが、明らかに下心を思わせる話を皆に聞かれれば僕達への心象に悪影響を及ぼしかねない。こちらも同じ大きさに声を整える。


「アニメの見すぎだ。そんな美人来るわけない。男の可能性もあるし、そもそも四クラスあって、2-A(ここ)に来るとかどんな確率だよ」


「どんなって、クラスに来るだけなら普通に四分の一だ」


 この学年はABCDの4つのクラスしか存在していない。それに加えて性別は男女、二分の一。かけ合わせれば八分の一。奇跡というほどの確率ではない。


「……そうだな」


「絶対って言い切れないけど、クラスの人数的にここは硬いらしいぞ。他は四十人でうちだけ三十九人だろ」

 

 納得の行く事態に気が付くと神妙な面持ちを作り、顎に手を当てて透に向き直る。


「――割とマジな話になってきたな。なら後は美人かどうかだけ、か」


「一番重要な部分だ、な」


「……」

「……」


 いつになくキリッとした瞳を僕達は交換し合う。やけに肌寒い風が二人の間を通り抜けたような気もしたが、誰も言及は出来ない。


 美人な女子。結局その確率を超えることが難しい。そんな天文学的確率に匹敵する事象が起こるはずもないと透も薄々気が付いているが、人は夢を持たずにはいられない。僕も全然全く、一切期待していないが、取り敢えず祈っておく。一応。


「まあ、美人が来たとしても俺達が振り向かせるのは難しいけどな……」


 しかし、結局手の届く距離に来たとしても、その手を取ってもらえるかどうかは分からない。こんなクラスでパッとしない男子では一般女子でも太刀打ちできないのだ。


「それを言っちゃあ、おしまいよ」


 透は現実を実感させるような僕の言葉に肩を竦めてみせる。


 同級生でワックスだのヘアスプレーだのを操ってヘアセットを行っている者もチラホラ現れだしているが、まだまだ縁のない話。どちらかと言えば僕達、……僕は真面目を売っている生徒として、ヤンチャの代名詞なそれを憚っているという部分もある。

 

「……でも、驚いた」


「何が?」


 これまでのおちゃらけた振る舞いが抜けた透の声音に言葉の続きを促した。


「世界は女子に興味ないって思ってたもんで」


 

 ――あの日から僕、高橋世界(たかはしせかい)の瞳は色を失っている。

 


 それは僕の持つ叶えられない夢のせいだ。

 


 厳密に言えば、可能性はゼロではないと思う。ただ僕はそれを叶えられる気がしないだけ。

 

 人は大なり小なり夢を持つ。個別の名称こそ違えど未来への希望や憧れ、叶えられるかどうかは考えない無謀極まる空想。僕はそう考える。であるならば、これも夢の一つにすぎない。

 

『恋』

 

 人が最初に持つ夢であり、最初に手放すもの。


 初恋は叶わないなんてジンクス、一度は聞いたことがあるだろう。


 “あの子が好き” “あの子に自分が好きになってほしい”


 幼い子供でも抱く無自覚の夢。将来への願望より余程身近で具体的。そして、手が届くと考えてしまう。誰に教わることなく持ってしまう軽率過ぎる感情。


 僕はそれに囚われていた。


 同級生? 近所のお姉さん? 先生? 


 どれも違う。いつか見た一枚の写真に映る女性。水色のワンピースを身にまとい、陽の光を紡いだような長い金髪に青い星に生まれた証みたいな碧眼。日本人離れした特徴だけじゃない、見ているこちらまで幸福な気分にしてしまう満開の笑顔。原っぱを背に木陰に座り込むそんな姿が今も脳裏に焼き付いている。


 僕の父は写真家だ。あの一枚も父が撮影した一人らしい。生涯最高の一枚だと断言した写真。この街で撮ったものだと言っていた。それ以外は何も分からない。


 どれだけ知りたくても、分からなかった。

 

 

 それが僕の身近でも具体的でもない幻想じみた初恋。

 

 

 同級生が語るクラスのマドンナも、芸能界一の女優も、アイドルも、モデルも僕の目には灰色に映る。到底手の届かない美人であることは分かるが、……それだけ。


 多分脳の色を司る部分が故障したんだと思う。後悔はしていない。瞼を閉じればその姿(いろ)を思い浮かべられるから。

  

 常日頃夢想する。僕の隣に色を放つ彼女が居たとしたら、――――。


 登校は毎日一緒に。同級生に出会うまでは手を繋ぐ。知り合いがいつ現れるかハラハラしながら学校に向かって『今日はここまで手を繋げたね』なんて会話を交わしながら一日を始める。


 休憩時間はお互いの友人を優先して、偶に視線を交換しながら笑い合う。


 休日はカフェを巡る。甘いパンケーキを食べるのも、苦い珈琲を楽しむのもいい。別にどこにも行かず、ただ街を散歩するのも悪くはない。


 定期試験の時期が来れば勉強はどちらかの家で。熱が入りすぎたせいで遅くなって、夕食の時間を共に過ごしてしまうことだってあるだろう。


 夜は時々眠るまで通話する。深夜まで話し込んじゃって、次の日は起きるのが辛くなるかもしれない。


 ――――現実ではありえない。夢のまた夢。


 気持ち悪いとも。でも、仕方ない。実在しない恋はこんなものだ。


 

「……。女子に興味ぐらい、あるだろ……人並みには」


 変ないたたまれなさに目線を逸らす。


 案外仲のいい友人にも好きな人の趣味を教え合ったりしないものだが、特に僕の場合は顕著だったのだろう。


 透には変に勘ぐらせてしまっていたみたいだ。一年以上も一緒にいると分かるものなのだろうか。生憎この国に僕の好みの女性は少ないため、こうなることも致し方ない。気が向いたら僕のお気に入りの写真集ぐらいは教えてあげてもいいかもしれない。



 キーンコーンカーンコーン


 

 小学校から変わらない鐘の音に似た電子音が学校中に響き渡り、生徒たちは慌ただしく自身の席を目指して動き始める。


「――と、予鈴もなったし、席に戻りますか」


 透はそそくさと机に広げていたノートと筆箱を抱え立ち上がる。


「変なやつが来てもこっち振り向くんじゃないぞ」


「分かってるって」


 手を振って自分の席に戻る背を最後まで追うことはない。

 

 程なくして教室の扉が開かれた。


 現れるのは中学生たちと比べれば巨人のような背丈を持つこの教室の長。国語を担当している杉山先生だ。珍しく生徒からも評判のいい、優しい先生。


「全員席に着いてるな。よし、ホームルーム始める前に――皆さんに嬉しいお知らせがあります」


 来た。


 他にも知っていた生徒がいたのか教室中が忙しくなる。耳を済ませれば転校生の噂だらけ。


 やや前方から振り返って向けられている視線を一つ感じるが、『言ったとおりだろ』と言うようなドヤ顔なのでスルー。


「静かに! 知ってる人は知ってるかもしれませんが、このクラスに新しい仲間が増えることに成りました。じゃあ、入って」


 期待なんか微塵もしていないくせに僕の瞳は開かれるはずの扉の先にピン留めされる。


 ガラララッ


 再び開かれた扉から件の転校生が、現れ――――。


 

「――――」

 

 

 クラスが一瞬にして興奮に飽和した。

 

 

「ヤバッ!」

「マジかよ……」

「うおー、このクラスで良かったー!」

 

「え、え!」

「外国の子!?」

「可愛い!」

「地毛? 綺麗!」


 男子は明確にそれを形容することはないが、女子たちと考えている事は一緒だろう。


 当の本人はクラスメイトの歓声を一身に浴びて、大輪の花束を思わせる笑顔のまま教卓の側まで進み出てくる。


 太陽の輝きなんて比ぶべくもない。彼女が放つ後光だと思ったぐらい。


 金の髪が黒板前の宙に靡く。


 カンカンッと軽い音が響いて、綺麗な文字が彼女自身の手で黒い壁に白く並んでいく。


 

「おはようございます。私の名前は松永明莉(まつながあかり)です。……これからよろしくお願いします」



 記憶を上塗りする空と海を飲み込んだみたいな青い瞳。夢想したものより何十倍も澄んだ声。


「――――」


 どんな小さな言葉も発することが出来ない。


 クラスを見据える彼女の青に落ちていく。

 

 不明瞭な世界に待ちわびた色が現れた。


 時刻は八時三十分――、僕は起こり得ないはずのありきたりな出会いに吹き飛ばされていた。



 ――そして、僕は盛大に椅子から転げ落ちた。


 

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