第34話 イレーヌのエスコート役
「姫様。フェデリコ王子がいらっしゃいました。姫様に話したいことがある、と」
デボラがそう言ってきたのは、オリヴィエと部屋で夕食を楽しんでいた最中である。
約束もなく訪ねてくるなんて非常識な振る舞いだ。しかしだからといって、追い返すわけにもいかない。
「隣の部屋にお通しして」
「はい」
イレーヌの居室はひろく、いくつかの部屋に分かれている。一番廊下に近い部屋で対応するのがいいだろう。
長くなるかは分からないが、とりあえず3人分の紅茶を依頼する。
食事を中断してオリヴィエと共に部屋を移ると、すぐにフェデリコが入ってきた。
「いきなりきてしまい、申し訳ありません」
「……いえ。なにか用事があったのでしょう?」
もう少し愛想よくしなくては、とは思うのだけれど、つい表情が強張ってしまう。
フェデリコを前にすると心が落ち着かないのだ。
「はい。明日のパーティーのことです」
明後日の午後、フェデリコは帰国する。そこまで耐えればしばらく顔を合わせずに済むのはありがたい。
なんて、問題を先延ばしにしているだけなのかもしれないけれど……。
「イレーヌ様のエスコート役を、ぜひ僕に任せてほしいんです」
「えっ!?」
想像もしていなかった言葉に、つい大声で反応してしまう。そんなイレーヌを見て、なぜかフェデリコは満足そうな顔で笑った。
何を考えているの!?
「……それがこの国ではどういう意味を持つか、ご存知の上での提案でしょうか?」
驚いたイレーヌが何も言えずにいると、隣に座るオリヴィエが口を開いた。フェデリコはいつも通り優雅な笑顔のまま頷く。
「もちろん。未婚の女性をエスコートするのは、主に家族や婚約者……その女性と最も親しい男性であることを示す、でしょう?」
イレーヌを見つめながらフェデリコが話した内容は、間違っていない。
間違っていないからこそ問題なのだ。
「ここへくる前から、イレーヌ様のことはすごく気になっていたんですよ。そしてお会いしてみたら、噂以上に美しい方で、もっと気になるようになりました」
「……それは、ありがたいことですわ」
心を落ち着かせるためにティーカップへ伸ばしたイレーヌの手は、みっともないほど小刻みに震えていた。
フェデリコも、イレーヌの婚約者に関する様々な話題を耳にしたのかもしれない。
その上でこのような態度に出ているのだろうか。
わたくしと結婚しても、国王になれるわけじゃない。
だけど女王の夫として、この国では一番権力を持った男になれるわ。
フェデリコは自国で兄を支えて生きることより、他国で権力を持って生きることに興味を持ったのかもしれない。
だって、もしお父様のようにわたくしが病に臥せってしまったら、その時この国の最高権力者となるのは……。
そこまで考え、イレーヌはハッとした。
もしかして、フェデリコ様の狙いは、夫婦となった後にわたくしを殺すことにあるんじゃないかしら!?
目が合うと、フェデリコはにっこりと笑った。数多の女性を魅力してきたであろう甘い笑みも、イレーヌには恐怖の対象としか映らない。
わたくしを殺せずとも、篭絡して、意のままに操ろうとしているのでは!?
「それで、イレーヌ様。エスコートの件、お受けしていただけるでしょうか?」
「……わたくしの一存で決められることではありませんわ」
「では、イレーヌ様個人としてはどうお考えなのでしょう?」
ずいっ、と身を乗り出したフェデリコは、いきなりイレーヌの手をぎゅっと掴んだ。
「同じ王族として、恋愛の不自由さはよく分かっています。ですが、僕も一人の男。難しい話など抜きに、僕は貴女に惹かれているのですよ」
この男、こうやって今まで多数の女の子たちを誑かしてきたの!?
フェデリコが本当にイレーヌに好意を持ってくれているのか、はたまたそのように振る舞おうという戦略をとっているだけなのか、イレーヌには見抜くことはできない。
本心を見抜けるほど長い時間を共にしていないのだから、当たり前だ。
「……許可なく殿下に触れることはお控えください」
オリヴィエに身体を引き寄せられる。解放された手にほっとしたが、フェデリコはつまらなそうな表情でオリヴィエを見つめた。
「君は許可なくイレーヌ様に触れているようだけど?」
「俺は護衛騎士です。殿下を危険から遠ざけるのが俺の仕事ですから」
「危険、ね……」
ふふ、と笑ったフェデリコの目は全く笑っていない。もちろん、その視線を受けるオリヴィエも。
急に睨み合いを始めた2人を見ながら、イレーヌは内心大混乱していた。
わたくし、この状況でどう振る舞うのが正解なの!?
「大変ですね、イレーヌ様も。このように過保護な騎士が常に傍にいては」
そうだ! とフェデリコはやけに明るい声を出し、両手を叩く。そして鋭い眼差しをオリヴィエに向けた。
「どうでしょう? 僕とオリヴィエ殿が決闘し、勝った方がイレーヌ様をエスコートするというのは?」
「はあっ!?」
いきなりの提案に、王女どころか少女らしくない声を上げたのはイレーヌである。
二人が決闘? そんなのだめ、絶対にだめよ。
頭の中に、フェデリコに切られて死んだオリヴィエの姿が浮かぶ。あれはイレーヌにとって、最も避けるべき未来だ。
「そんなことをしたら、オリヴィエが……っ!」
イレーヌが自らの失言を悟ったのは、フェデリコが顔を顰めたからではない。
イレーヌを見つめるオリヴィエの瞳が、怒りに満ちたものに変わったからである。
「殿下は、俺が負けると思っていらっしゃるのですか?」
聞いたことがないほど低い声に、びくっ、と身体が震える。
「ち、違うの、そういうわけじゃなくて、その……!」
オリヴィエがフェデリコより弱い、などと思っているわけではない。あの時、既にオリヴィエはかなり傷を負っていたし、一対一の戦いでもなかった。
ただ、あの光景がイレーヌの頭に色濃く焼きついている。それだけのことだ。
「もし怪我でもしたら、その、えーっと……」
イレーヌが最後まで喋り終わる前に、オリヴィエが勢いよく立ち上がった。
「その勝負、お受けいたします」




