第3話 わたくし、馬鹿なんですわ!?
わたくし、馬鹿なんですわ。
認めたくありませんけど……たぶん、とんでもなく勉強が向いてないんですわ。
バツ印で埋められた紙を見て溜息を吐く。採点を終えたばかりのクロエと目が合うと、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「……姫様」
「はい」
「残念ながら、その……姫様はあまり、勉学には向いていないものかと思われます」
分かってるわよ! と怒鳴りつけたい気持ちを必死に抑え、しおらしい表情を作って俯く。
点数が悪かったからと家庭教師に八つ当たりをするのはよくない。分かる。分かってはいる。
しかし……。
このわたくしが、寝る間も惜しんで勉強してやったっていうのに、なんでこの点数なのよ!?
悲しみを通り越して腹が立ってきた。とはいえ、このままではまずい。
王位継承権を持つ王女にとって、頭が悪いというのは致命的だろう。美しいだけで国民が慕ってくれるのなら、あんな予知夢を見ることもなかったはずだ。
「……先生、どうしましょう、わたくし……」
「姫様。なにも、姫様が全てを一人でなさる必要はないのです。苦手なことは、得意な人に頼ればいいんですよ」
クロエの言っていることは正しい。ただし、頼る相手を間違えれば大変なことになってしまう。
現に今、王妃が政治を任せている高官たちは、自分のことしか考えていない上級貴族ばかりだ。この状況が続けば、国が傾くのは当たり前である。
でも、そうよね。わたくしは人の上に立つ人間だもの。
できないことは、他人にやってもらえばいいんだわ。
「ありがとうございます、先生」
微笑んで、健気に見えるであろう笑みを浮かべておく。それだけでクロエは、感激のあまり泣きそうになった。
イレーヌが心を入れ替えたあの日から、クロエのイレーヌに対する好感度は上がり続けているのだ。
「でもわたくし、苦手でも、引き続き勉学も頑張りますわ。だからこれからもよろしくお願いします、先生」
「姫様……!」
よし、これで勉強が苦手でも、クロエからの印象を悪くせずに済んだわね。
むしろ、苦手なことでも頑張る健気な王女、って思ってくれたはずだわ。
内心でちっとも健気ではないことを考えながら、誰か頼りになりそうな人物はいないだろうか、と考えてみる。
頭がよくて、文官として有能な人物。自分の利益ばかりを考える人間ではなく、きちんと国のことを考えてくれそうな真面目な人。
あっ!
一人だけ心当たりがある。
予知夢において、革命側についた貴族から罪をなすりつけられて死んだ優秀な文官。
無駄遣いが多いだのなんだのと小言ばかりで、わたくしも嫌いだったけれど……わたくしに嫌われることを恐れず、正しい意見を言ってくれていたのよね。
耳が痛い正論を言う部下を嫌い、都合がいいことだけを口にして媚びを売る部下を可愛がる。
予知夢で見た未来のイレーヌは、そんな愚か極まりない人物になってしまっていた。
だけど、今ならまだ間に合う。一刻でも早く、あの子に接触しなきゃ……!
◆
「セシリア! そこの貴女、セシリア・ルサージュ! わたくし、貴女に用があるの!」
「……はい?」
セシリアと呼ばれた文官は、王女に声をかけられたことを光栄に思って感涙する……なんてことはなく、面倒くさそうな顔で立ち止まっただけだった。
な、なによ、この生意気な態度!
内心でむかつきつつも、イレーヌは優雅な笑顔を崩さない。こんなことで腹を立てていたら、彼女とは上手くやっていけないだろうから。
セシリア・ルサージュ。裕福な商家出身の平民で、金を積んで文官になった、という奇特な17歳の女性である。
宮殿で働く文官の大半が貴族であり、ほとんどが家を継げない次男以下の男だ。平民の文官は数えるほどしかいない。そして、女性の数はもっと少ない。
そんな貴重な地位を、セシリアは若くして勝ち取った。
実家の力があってこそのことだが、セシリア自身の有能さもなければ無理だっただろう。
彼女は、文官養成のための学校を飛び級かつ首席で卒業し、15歳の時から文官として働いている才女なのだ。
しかも、セシリアは平民。有能な平民であるセシリアを厚く遇すれば、平民からの印象もよくなるに違いない。
多少むかついても、やっぱり味方にしておきたいわね。
「貴女の話を聞きたいの。ちょっと時間をもらえないかしら?」
「私の話、ですか?」
「ええ。すごく優秀だという噂を聞いたの。同じ女性として、一度話をしてみたくって」
どうよ? 王女がここまで言ってるのよ? さすがに嬉しいでしょ?
「今は無理です」
「……えっ?」
「失礼します、私、仕事中ですので」
形式的に一礼すると、セシリアは立ち去ってしまった。王女に声をかけられてこんな態度をとるなんてあり得ない。
なんなのよ、セシリア・ルサージュ!
◆
「……そろそろ、仕事も終わる頃よね」
自室を出て、文官たちが生活する寮へ向かう。
宮殿で働く文官たちのほとんどが、城の敷地内にある寮で暮らしているのだ。
仕事中に話ができないと言われたら、仕事後に会いに行くしかない。
彼女の上司に命令すればすぐに自室へ呼ぶこともできたが、それがまずいことくらいはイレーヌにも分かる。
「姫様、あそこにいらっしゃるのが、セシリア殿ではありませんか」
イレーヌの背後に控えるメイド・デボラが、目ざとくセシリアの姿を発見した。
寮の前で、数人の男性と立ち話をしている。おそらく彼女の同僚だろう。
むさくるしい男連中の中に、才女と呼ばれる若い女が一人。
さぞやちやほやされているのだろう……というイレーヌの想像はすぐに裏切られた。
「お前、今日イレーヌ殿下に話しかけられてたよな。調子に乗るなよ、平民が」
「平民の女がここで出世できるわけないだろ。さっさと出ていけ」
セシリアを囲んでいる男たちは、他にも耳を塞ぎたくなるような不快な言葉を彼女に投げかけていた。
言い返すでもなく、セシリアは拳をぎゅっと握って俯いているだけ。
「姫様……。彼女に声をかけるのは、また今度になさいますか?」
デボラがそっと目を逸らす。
貴族たちによる平民へのいじめは、宮殿では日常茶飯事なのだ。長年メイドとして働くデボラにとっては、珍しい光景ではない。
しかし、イレーヌにとっては違う。
彼女は今まで、平民に興味を向けたことなどなかった。
だから、宮殿で働く平民が身分を理由に同僚から虐げられているなんて、想像したことすらなかった。
「貴方たち、いい加減になさい!」
この状況は、明らかにおかしい。
そもそも、仕事だからと王女の誘いを断るようなセシリアが、どうして黙ってこんな連中の言葉を聞いているのか。
「これ以上セシリアに悪口を言うのは、わたくし、イレーヌ・フォン・フリューゲルが許しませんわ!」




