第28話 断れない誘い
「初めまして、イレーヌ様。パンテーラ王国の第二王子、フェデリコと申します」
胸に手を当て、フェデリコは優雅に一礼した。美しい金髪が揺れて、甘い香りがする。
「は、初めまして、フェデリコ様」
笑って。笑うのよ、イレーヌ。ちゃんとしなきゃ。こいつに、少しでも不信感を抱かせてはだめ。
言い聞かせるように心の中で何度も繰り返し、強引に笑顔を作る。
頭を下げた瞬間、気が抜けて笑顔が完全に消えた。
美しい男だ。所作も優雅で、第二王子という高い身分を持つ。
けれどそんなフェデリコを見ても、心はちっとも弾まない。イレーヌの心を支配する感情はたった一つ、恐怖だ。
この男に、自分は捕まった。オリヴィエが目の前で殺された。
そんな男を前にして、心から笑顔でいられるはずがない。
「……殿下」
耳元で、不安そうにオリヴィエが囁く。彼の声を聞くと安心するはずなのに、今はかえって身体が震えてしまう。
もし。
もしまた、目の前でオリヴィエが殺されるようなことになってしまったら……。
未来より今の方が、ずっとオリヴィエとの距離は縮まった。失いたくないと心の底から思う。
だって、オリヴィエがいなくなってしまったら、わたくしは誰を信じて生きていけばいいの?
「イレーヌ様の噂は、パンテーラ王国にも届いていますよ。国民の教育に関心があるだけでなく、騎士団の視察も細かに行っているとか。ぜひ、お話ししたいと思っていたんです」
フェデリコが笑顔で近づいてきて、そっと右手を差し出してきた。握手を拒むわけにもいかず、そっとその手を握る。
顔の優雅さに見合わぬほど硬い手のひらは、彼が立派な武人であることを示していた。
パンテーラ王国では、跡継ぎ以外の王子は若い頃から将来の王を支えるための教育を受ける。
フェデリコは軍人としての教育を受け、今では立派な軍人として働いているのだ。
「それに」
フェデリコは身をかがめ、イレーヌに目線を合わせた。イレーヌの瞳を真っ直ぐに見て、甘い笑顔を浮かべる。
「噂以上に可愛らしい方で、驚いてしまいました。貴女を前にすれば、美を司る女神ですら裸足で逃げ出すでしょうね」
「……そんなこと」
「しかも、声まで可愛らしいとは。どんな楽団も、これほど可憐な音は奏でられませんよ」
歯の浮くような台詞を平然と口にし、フェデリコはイレーヌを褒め続ける。
恐怖に震えるイレーヌには、ありがとうございますわ、と偽りの笑みで応じることしかできなかった。
◆
「さすが殿下ですね、聞きましたよ。フェデリコ王子を前にしても、堂々としていらっしゃったと」
セシリアは興奮しているのか、頬が少し赤くなっている。
以前は孤立気味なセシリアだったが、最近は武官との交流も増え、なにかと交友関係が広がっているらしい。
そのため、彼女のところにはいろいろな噂が流れ込むようになっているのだ。
「……別に、わたくしは普通にしていただけよ」
「それがすごいんです! あのフェデリコ王子を前にすれば、大半の女性はすぐ彼の虜になると言うじゃないですか」
喋りながら、セシリアは皿に盛られたお菓子に手を伸ばす。
この菓子はパンテーラ王国で作られた物で、フェデリコからもらった品だ。一人で食べる気にはなれず、休みだったセシリアを呼んだのである。
昨日、フェデリコが宮殿にやってきた。以降、身分問わず、宮殿内にいる者は彼の話ばかりをしている。
女性のほぼ全員が好意的な印象を彼に持ち、近づこうとする令嬢も多いとか。
「殿下としては、どう思いました?」
「……人気だってことは納得したわ」
噂通りの美貌に加え、フェデリコは人当たりがいい。使用人に対しても偉そうな振る舞いをせず、笑顔を絶やさない。
そして彼自身が有能な軍人であるため、女性人気だけでなく男性からの人気もあるという。
「イレーヌ様、個人としては?」
イレーヌの瞳を見つめ、セシリアはからかうように笑った。
王女としての意見ではなく、一人の人間として、フェデリコという男をどう思ったのかを聞きたいのだろう。
「私としては、殿下の婚約者には悪くない相手かとは思います。女癖が悪いという噂はありますが、トラブルになったという話はそれほど聞きませんからね」
セシリアに調べてもらったが、フェデリコは確かに多数の女性と関係を持ったことがあるようだ。
しかし、既婚者や許嫁のいる令嬢に手を出し、トラブルになった、という話は聞かない。
女好きではあるものの、女に溺れるほど愚かではない……というのが、セシリアの見解である。
「あのお顔を見ても、ときめきませんでした?」
「……全然だわ」
確かに美しい男だ。だが彼の顔を見ても、思い出すのは血まみれのオリヴィエのことばかり。
そのためイレーヌは、彼を見るたびに不快な気持ちになる。
それにそもそも、軽薄な男性は好みじゃないわ。
次々と出てくる褒め言葉は軽すぎて価値を感じないし、誰にでも向ける微笑みには特別感がない。
不特定多数の相手と軽率に関係を持つなんて不衛生だし、品性を疑う。
オリヴィエならきっと、そんなことはしないわ。
オリヴィエは本当に愛する人としか関係を持たないでしょうし、口下手だけれど、きっと必要な時には誠実に愛の言葉を囁くはずよ。
「殿下? もしかして今、オリヴィエ様のことを考えていらっしゃいます?」
「えっ!?」
「本当、分かりやすいですね、殿下は」
違うわよ! と言えないことが悔しい。
それでもどうにか言い訳をしようとしたところで、デボラが部屋に入ってきた。セシリアと話す間、休んでいいと告げ、隣室にいてもらったのだ。
「姫様。フェデリコ王子よりお手紙です」
デボラが差し出した封筒には、流麗な字でフェデリコの名前が記されていた。
開封して中を見ると、中身は茶会への招待状だった。
『イレーヌ様とお話できるのを楽しみにしております』
これ、断るわけにはいかないわよね……。




