第26話 癪ですけれど!!
「では失礼します。今日も訓練がありますので」
「ちょ、オリヴィ……」
エ、と名前を呼び終わるより先に、オリヴィエは部屋から出ていってしまった。
訓練のために、朝食後すぐ部屋を出ていくのはいつものことだ。しかしこれは、あまりにも酷すぎる。
最近のオリヴィエの態度、なんなの!?
オリヴィエとはかなり距離が縮まったと思っていた。雑談だって前とは比べ物にならないほど増えたし、オリヴィエから向けられる態度も眼差しも、柔らかいものばかりだった。
それなのに最近、まるで昔に……予知夢で見たオリヴィエに戻ってしまったみたいだ。
よそよそしくて、他人行儀。
それに最近は不機嫌そうな気がするし、なんだか冷たい。
けれど花が枯れる前に新しい花束をくれたりして、オリヴィエの気持ちが分からない。
わたくし、なにかしちゃった?
オリヴィエに嫌われるようなこと、してないわよね?
オリヴィエの気持ちが分からなくてもやもやする。最近は何をしていても、オリヴィエのことが頭にちらつく。
こんなの初めてだ。
「……デボラ」
「はい、姫様」
「最近、オリヴィエの様子が変じゃない? どうしてだと思う?」
そうですねぇ……とデボラは首を傾げた。いつも一緒にいるデボラも、やはりオリヴィエの態度が変わった理由は分からないらしい。
「どうしてでしょうか。私には、見当もつきません」
「……なんかデボラ、笑ってない?」
「気のせいですよ、姫様」
気のせいじゃないわよ! と言いたかったがやめた。こんな状況で、デボラとまで喧嘩はしたくない。
っていうか、喧嘩ってなによ。
わたくし王女よ? 主人よ? 嫌なことがあったとしても、それを態度に出すのはどうなの?
殿下、というオリヴィエの声が頭に響く。
低いけれど、殿下、と呼ぶ時の声は優しくて、甘さを感じる時さえあった。最近はもうずいぶん、その甘さを感じていない気がする。
認めてしまうのは癪だが、それがすごく寂しいのだ。
「……仕方ないわね」
主君として、部下のモチベーションを上げるのも立派な仕事に違いない。
「デボラ! すぐに騎士団のみんなへの差し入れを手配してくれる? 今日の午後、訓練場に顔を出すわ」
王女として、騎士団を気にかけていることを伝える。大事なことだ。
別に、ありがとうございます、と微笑むオリヴィエを見るためじゃない。
「かしこまりました。オリヴィエ様がお気に召すものを手配いたしますね」
イレーヌの内心を見透かしたような顔で、デボラがくすっと笑った。
◆
「オリヴィエ!」
訓練場に入って名前を呼ぶと、オリヴィエは大きく目を見開いた。
イヴァンではなくオリヴィエに声をかけたのは、あくまでも声をかけやすいからである。
いきなり現れたイレーヌを見て、何人かの騎士がにやにやとした笑みをもらした。
イレーヌがオリヴィエの話をした時にメイドが見せる笑顔と同種類のものである。
わたくしがオリヴィエのことをすごく気に入っている、というあの噂、前よりは落ち着いたけれど、やっぱりまだあるのよね。
そりゃあ気に入ってるわよ。当たり前じゃない。オリヴィエ以外、いざって時にわたくしを裏切る奴らばっかりなんだから!
とはいえ、あまり好ましくない噂だ。せっかく聡明な王女というイメージを作り上げたのだから、個人的な好みで護衛騎士を選んだ、と思われるのは困る。
でも今はそれより、オリヴィエの態度を元に戻す方が重要よ。
だって、オリヴィエを失ってしまったら、わたくしの本当の味方がいなくなってしまうんだもの!
「殿下! 急にどうしたんですか。なにかトラブルでも?」
「違うわ。ほら、騎士団のみんなに差し入れを持ってきたの。今、外に荷を積んだ馬車を止めていて」
「馬車?」
「ええ。デボラが、お酒がいいでしょうって」
騎士団の団員たちは酒好きが多く、差し入れとして最も歓迎されるのは酒です、とデボラが言っていた。
実際、イレーヌの話を聞いた団員たちが、大量の酒が積まれた馬車を見て歓声を上げている。
「殿下のお心遣い、感謝いたします」
礼を言って、しっかりと頭を下げる。オリヴィエの態度には何の問題もない。
けれど、イレーヌが期待していたものとは違う。
なによ。わたくし、オリヴィエのために持ってきたのに!
とは、さすがに言えない。あくまでも王女として、騎士団全員への差し入れを持ってきたのだから。
ただ……。
「オリヴィエには、これもあるの」
声を潜め、オリヴィエを手招きする。不思議そうな表情を浮かべて近寄ってきたオリヴィエは、イレーヌが懐から取り出したものを見て首を傾げた。
「……ハンカチ、ですか?」
「あんまり上手くできなかったけれど」
言い訳のように口にした言葉は、やたらと早口になってしまった。
なんだかそれが恥ずかしくなってきて、もう帰るから! と一方的に告げ、オリヴィエに背を向ける。
デボラの助言に従って渡したのは、刺繍入りのハンカチだ。
刺繍などというちまちまとした作業は好きではないのだが、淑女の教養として欠かせないものでもある。
どうせ練習するのですから、贈り物にしてもいいでしょう。
そう言ったのはデボラだ。確かにその通りではある。
でも、あんなもの、オリヴィエは嬉しいのかしら?
イレーヌの刺繍技術はそれほど高くない。だから刺繍できたのは、名前と小さな花の模様だけ。
薔薇をイメージしたけれど、へたくそすぎて、何の花か分からないかもしれない。
もっと、なにか他の物がよかったんじゃないかしら?
分かりやすく価値のある宝石や衣服、あるいは現金そのもの。
デボラに助言に従ってハンカチを渡したことをイレーヌが後悔し始めた瞬間、殿下! と訓練場に響くほどの大声で名前を呼ばれた。
足を止めて振り向くと、オリヴィエが焦った顔で駆けてくる。
「な、なによ、いらないなら……」
「違います、殿下! なんというか、その……」
こんなに焦っているオリヴィエを見るのは初めてかもしれない。イレーヌを見つめる瞳は忙しなく動き回っていて、何度も口を開いては閉じる。
「……こんなに嬉しい贈り物は、生まれて初めてです」
そう言ってオリヴィエは、赤くなった頬を隠すように両手で顔を覆った。




