第23話 大きな花束
「ねえ、あれ! あれはなにかしら!?」
城を出て、大通りを進む。馬車の中から眺めたことがある道も、実際に歩くと全く違って見えた。
通りに並んでいる店全てが目新しくて新鮮だ。中でもイレーヌの目を引いたのは、美しい飴細工の店である。
「飴ですよ」
「飴?」
「はい。最近、花や動物の形を模した飴が人気だそうです。食べてみますか?」
飴屋の前には列ができていて、ほとんどが子供連れだ。けれど、腕を組んだカップルもいる。
どの飴にしよう、なんて笑いながら話し合っている二人は、なんだかとても幸せそうに見えた。
「殿下? やはりやめておきますか。食べ物なら、他にいくらでもありますし」
「いえ、食べてみることにするわ。貴方は食べたことあるの?」
「ないです」
予想通りの答えね。あんなに可愛らしい物を食べているオリヴィエなんて、ちっとも想像できないもの。
列に並び、薔薇の形をした飴を買ってみた。口に含んですぐ、あまりの甘さに顔を顰めてしまう。
これ、不味いじゃない。見た目だけで、味は最悪だわ。
やたらと甘ったるいし、口触りも悪い。とても食べられたものじゃないわね。
とはいえ、この場で食べるのをやめるわけにもいかない。なんとか完食すると、頭上から笑い声が聞こえた。
顔を上げると、口元に手を当てて笑っているオリヴィエと目が合う。
「そんなに苦手な味でしたか?」
「……どうして」
「顔を見れば分かります。我慢して食べなくてもよかったのに」
そう言ったオリヴィエの飴は、もうとっくになくなっている。がりがりと噛む音がしたから、ろくに味わいもせずに食べたのだろう。
貴方だって、美味しくなかったんでしょ。
口に出して責めるのをやめたのは、オリヴィエに気を遣ったからじゃない。美味しいね! と話す親子の声が聞こえたからだ。
振り向くと、親子連れもカップルも、店に並んでいた人全員が幸せそうな顔で飴を舐めている。
誰も、味に文句なんてつけていない。
きっと、わたくしの舌が肥えているのね。
小さい時から宮殿の料理人が腕に寄りをかけて作った料理ばかり食べてきた。そんなイレーヌにとって、安価な飴細工が美味しいはずがない。
それに、美味しさを期待して食べたわけでもない。それなのに妙に残念な気持ちになってしまったのはなぜなのだろう。
イレーヌがつい黙り込んでしまうと、オリヴィエが代わりに口を開いた。
「飴、食べられてよかったです。普段、こういう物は食べないので」
「……え?」
美味しくなかったわよね? と目だけで確認する。オリヴィエはふわりと笑って、首を横に振った。
「だからこそ、一生忘れないかもしれません」
「……オリヴィエ」
「美味しい食べ物だけが、特別な記憶になるわけではないでしょう」
確かに、オリヴィエの言う通りだ。きっとこの飴の不味さを、イレーヌは忘れられない。
そしてこの味を思い出す時、オリヴィエと街へ出かけたことを思い出すのだろう。
「向こうには手品師がいますよ。少し見ていきますか」
少し離れた場所にある噴水の前に、手品師の男が立っていた。男の周りには人だかりができていて、地面に置かれたカゴにはそれなりに小銭が入っている。
どうせ、たいした芸じゃないわ。
でも、そういうことじゃないのよね。
美味しい物が食べたいだけなら、専属の料理人に作らせればいい。目を見張るほどの芸が見たいのなら、有名な手品師を宮殿に呼びつければいい。
今日の目的は、そんなことじゃないのだ。
「ええ。行きましょう」
◆
「こんなところから……鳩が!」
男がかぶっていた帽子の中から、鳩が数羽飛び立つ。定番の芸だが、それでもわあっ、と歓声が上がった。
周りの空気に流されて、イレーヌも楽しくなってくる。
「わっ、見て、まだ鳩が出てくるわよ、ねえ!」
「はい。すごいですね」
本当にすごいと思っているのかが怪しいリアクションだ。それに、オリヴィエは全く手品師を見ていない。
いくら護衛の任務があるからって、わたくしばかりを見つめる必要はないでしょうに。
「ほら。次は口から鳩を出すんですって」
オリヴィエの手を掴み、ぐいっ、と引っ張って前を向かせる。さすがに驚いたのか、オリヴィエが目を丸くした。
「……器用な方ですね。あれはいったいどうやって……口内に? 先程流暢に喋っていたはずだが……」
単純に驚けばいいのに、手品の種を考え始めた。なんともオリヴィエらしい反応が愉快だ。
金を積めば、きっとあの手品師もあっさり手品の種を教えてくれるはずよ。
でも、オリヴィエはそんなことは望んでいない。さすがにわたくしにだって分かるわ。
無意識のうちに笑みがこぼれる。
理由は分からないけれど、オリヴィエの気持ちが分かることが、イレーヌにとってはなによりも嬉しいことのように思えたのだ。
◆
「そろそろ、戻らないといけませんね」
「ええ。あまり長く留守にすると、騒ぎになってしまうもの」
今日は一日中休みをとっているが、さすがに一日中宮殿を留守にするわけにはいかない。
勝手に外出していることがバレたら、面倒なことになってしまう。
まだ昼前だし、本当は昼食を食べて帰りたかったけれど、仕方ないわね。
城へ向かって歩き出すと、花束を抱えた女性とすれ違った。隣を歩いているのは彼女の恋人だろう。
色とりどりの花でできた花束は小さかったが、それでも彼女は大切そうに抱え、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
平民に生まれていたらきっと、あの花束を貧相だなんて思わない。
露店で売られている飴細工を不味いとも思わない。
「……ねえ」
「どうかしましたか?」
「貴方は考えたことある? 自分が、貴族の生まれじゃなかったらって」
王家に生まれていなかったら、今頃自分はどうしていたのだろう。もっと自由に生きていただろうか。
わたくしが処刑されたのも、わたくしが王女だから。
平民に生まれていたら、どれだけワガママだったとしても、あんなことにはならないわ。
「ありません。俺は殿下と違って、あまり想像力が豊かではないので」
「……そう」
「ただ……貴女の騎士になれたことを俺は誇りに思っています」
眩しい。
単純に、そう思った。
わたくしはただ、死にたくないからあがいているだけ。本当は全然、そんな風に言ってもらえる存在じゃない。
もし平民に生まれていたら、なんて考えても意味がない。
意味がないことを、きっとこの男は考えたりはしないのだろう。
「殿下。ちょっときてください」
いきなり腕を引かれたかと思うと、近くの花屋に連れ込まれた。
イレーヌが驚いて何も言えずにいる間に、オリヴィエは大きな花束を買う。そして、イレーヌに差し出した。
「先程、花を見ていたでしょう?」
違うわ。わたくしが見ていたのは花そのものじゃなくて、小さな花束で幸せそうに笑う女性よ。
それなのにオリヴィエは見当違いをしたようだ。
わたくしは花なんて、別にいらなかったのに。
「どうぞ、殿下。よくお似合いです」
それでも、差し出された大きな花束が愛おしい。
「ありがとう、オリヴィエ」
きっとわたくしは一生、あんな小さな花束なんてもらえないわ。
仕方ないわね。わたくしは、そういう運命なんだもの。
「大事にするわ、ずっと」
「そんなに花がお好きなのですか、殿下は」
「……それでいいわよ」
小さな花束がもらえないなら、わたくしは、誰よりも大きな花束が似合う女になってやるわ。
内心でそう決意し、イレーヌは城へ向かって歩き出した。




