88.小竜
「では、早速出かけるとするかアリス」
俺の一言にアリスの身体がブルっと震えた。いくら覚悟を決めたとはいえ彼女が第四層より深く潜る事に対して緊張をしているのは明らかだ。
はた目から見てそれが武者震いかそれとも恐怖から来るものなのかははっきりとはしないが、口角を持ち上げている所から彼女が高揚している事だけは伝わって来る。
既に彼女は冒険者としても、この街のギルドレベルならトップクラスだ。高難易度の依頼を前にして気持ちが高ぶらないわけはないのだろう。
それにしても第二層迄どうやって向かうのかだが、第四層ならば歩いて行ける距離だが第二層ともなるとそうはいかない。歩くと何カ月もかかる距離だ。
俺一人なら浮空術でさっと行ってしまうのだがそれだとアリスの修行にはならない。
「さて、どうしたものか……」
今の彼女の実力ではサイクロプスと戦うには心もとないのだ。
そう言えば、確か百科事典に小竜の事が載っていた事を俺は思い出した。過去の記録によるとはるか古来の武人達は小竜に乗って森の中を移動したとか。
俺はすぐさま空間認識魔法を試みる。
辞典には小竜は幻の神獣と言われており出会う事すらままならないと書かれてあったが……
「うむ、ちゃんと第三層に居るではないか」
「え?何が居るの?第三層にサイクロプスがいるの?」
独り言のように呟いた俺にアリスは服の袖口を引っ張って来る。
「いや、サイクロプスではない。別の生き物だ」
「え?何を知らべているのよ。サイクロプスの魔石を取りに行くんじゃないの?」
アリスにとっては見当違いである俺の発言が気になるようで、髪を触る手が止まらず、落ち着きのなさを物語っていた。
「心配するな、俺に考えがある」と言った後、アリスにプランを簡単に説明する。
「第三層迄歩く。そして小竜を捕まえる。そして第二層までの移動手段として小竜を使う予定だ」
「は?」アリスは今一つ意図が分からずキョトンとしている。
「あの……意味が分からないんだけど?小竜って……何?」
「なんだ、アリスは小竜を知らないのか。小竜と言うのはだな……」
俺に知らないのかと言われた事でアリスは大きなため息をついて、説明しようとする俺の言葉を遮った。
「ちょっとちょっと、まさかとは思うけど、幻の神獣の小竜の事?小竜くらい知っているわよ。掴まえたら国王様から1,000万ピネルの賞金が出るって言われているくらいよ?一応第三層に居るって噂だけど、実際に見た人も居ないのにどうやって捕まえるつもりなのよ」
アリスも小竜のことは知っていたらしい。
「小竜はちゃんと第三層に居る。それを捕まえるだけだ」
アリスは「ああそうですか」と手をはの字に広げ首を傾けた。
「確かに、近年第三層に行ける冒険者も数が少ないうえに、小竜は身を隠しながら生きているため殆ど発見されてはいない……が」
「『が』ってなによ。『が』って」
アリスは額に皺をよせて俺に迫って来る。
「俺の空間認識魔法が小竜を特定出来ている」
俺は人差し指を山の方へと向けた。アリスはその指の先を表情を崩さぬまま、目だけが鋭く細める。
「おおかた、賞金に関しては『伝説になりつつあるその話は真実であった』と王国は語りたいからだろう。王国の事などどうでもいいが俺は単に移動手段が欲しいだけだ。なんせ、アリスは空を飛べないからな」
「むーっ。そ、そのうち飛べるようになってやるんだから。レアは意地悪だね」
プイっと頬を膨らませながらそっぽを向くアリス。だが、本当は歩きながらでも経験値を稼ぐことが目的だと俺が伝えると、ほんの少し表情が和らいだ。
「じゃあ、小竜を捕まえるのも修行のうちなんだね?」
「いや、それは俺が乗りたいだけだ。アリスも乗りたいなら自分で掴まえるんだぞ」
アリスは「はいはい。分かりました」と曖昧な返事を返してきた。まだどこかで小竜の存在を疑っているのだろう。
本音を言えば俺の本職、魔術騎士は惑星イメルダの本国内の任務に就いている時、タクトと呼ばれる小さな竜に乗って移動をしていた。
俺はタクトに乗る事が大好きだった。百科事典で武人の話を知った後、機会があれば是非小竜を探しに行きたいと思っていたのだ。
その時突如として俺は生命力の揺らぎを捕らえた。
(……おや?小竜の居る付近で大きな力を持ったものがうろついていて生命力の変動が起きている)
「なんだ?何が起こっている?……アリス、先を急ぐぞ」
「え?なになに?ちょ、ちょっと待ってよ」
俺は山道や獣道といった一応道らしきものとは全くかけ離れた草の生い茂った道らしからぬ方向へ足を向けた。
◇ ◇ ◇
「痛い……」
アリスの漏れ出る声が俺の耳に届く。
道らしからぬ場所を出来る限りのスピードで駆け抜けているので、アリスの剥きだしている部分の肌に雑草や小枝が接触し、細かな切り傷を作っていたのだ。ふと彼女の腕を見れば少し血が滲みだし、アリスの白い肌がほんのり赤く染まっている。
「どうした?」
俺は足を止めアリスに近寄った。彼女の肌の露出した部分に、多くの血が滲み蚯蚓腫れが出来ている。
「草や木に身体がこすれて痛いのよ……って、レアは何故に無傷なの?」
アリスは手拭いで傷口を拭う。
「ん?保護魔法をかけているからな」
なんで早く教えてくれないのよ!と怒りだすアリス。「私の玉の様な肌が……」と泣きまねをするアリスに俺は回復魔法をかけた。みるみるうちに蚯蚓腫れは引き、傷が塞がっていく。
確かに事前に教えてあげなかったのは迂闊だった。
俺は「若い女性の肌を傷つけさせて申し訳なかった」と、アリスに保護魔法を乗せた。
アリスは綺麗になった腕を見つめて「あ、有難う……」と呟いた。
珍しく素直に対応した俺に驚いたのか、彼女は口元を手で覆い、視線を逸らしていた。
その仕草が予想以上に可愛らしく、迂闊にも俺はピクっと身体を揺らしてしまった。
「な、なによぉ、その態度は……」
俺のぎこちない態度にアリスは突っ込みを入れて来る。こういう時間を暫く楽しむのも悪くはないが、それどころではない。生命の揺らぎが気になるのだ。
「さ、さっさと先へ向かうぞ」
若干の照れ臭さと、時間の焦りで俺は大人げなくも塩対応をしてしまった。
「あ、ちょっと、ちょっと待ってよ」
森の茂みをサッサと進んでいく俺を必死になってアリスは追いかけて来た。
森では俺達の実力を警戒しているかの如く、第四層では一匹の魔物とも出会わず、すんなりと第三層までたどり着いた。
「空気が重いな」
やはり第三層は第四層とは違う。周りの気配も変わった、アリスの為にも更に慎重に進まねばならない事は判ってはいるが、ゆっくり考えている余裕はなさそうだ。
空間認識魔法で引っかかった小竜の生命力の変動が激しさを増している。
目的の場所に到達し立ち止まる俺の背中にアリスが勢いよく『ドン』とぶつかった。ここはまだ第三層に入ったばかりの場所。
「痛ッ!急に止まらないで「シッ……静かに」」
俺は身を低くして息を殺し、茂みの間から真っすぐの方向を見つめた。血生臭い……
俺に口を塞がれたアリスも黙って俺の見ている同じ方へと目を向けた。そこには体幹に切り傷から血を流した小竜と人が倒れていた。
なんとそこには居るはずのない魔物が大きな口を開けていたのだ。そいつは赤黄色のブチ柄で、鋭い爪のついた前足を持つ大きな蛇の様な魔物。
その魔物は長い舌を出しながら小竜と人にジリジリと近寄っていく。
「あの蛇の様な身体とあの大きさ。あいつはウロボロスだ。それもあの色からして奴は『黄魔』に違いない」
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