番外4 アリスと刺繍の手拭い
レアの知らないアリスの話です
これはアリスがまだこの街に来たばかりで冒険者になる前の話。
志半ばで病の為に亡くなった兄に代わって、一流の冒険者になる為に田舎を出てこの街にやって来たアリス。もう日も落ちかけようとしている。何処か泊る所を探さねばならないが、不幸にも財布をどこかで落としてしまった。
幸先が悪い、出鼻をくじかれるとは正にこの事で、財布を無くしたと分かった途端に意気込んだ足取りはすっかり影を潜めた。
財布の中には2,3日は食事付きの安い宿屋に泊まれるくらいの路銀が入っていた。他の持ち物は何もない。僅かな着替えと魔術師の杖のみ。着替えは売れるような代物ではないし、杖を売ってしまうと魔法が使えなくなる。
着いたばかりのこの街には知り合いなど一人も居ない。頼る宛てもなく、無一文になってしまったアリス。
お腹も減ってきたが食べる物も持っていない。水筒に入っている水もあとひと口ほど残っているだけで、この街の公共の水飲み場の場所さえ知らない。まだ、魔法で水を自在に出せる程の実力も無い。アリスは途方に暮れた。
体力も限界に近づき、ある古民家の軒下にへたり込んでしまった。
ああ、これからどうしたらいいんだろう……どうしていいのか分からない……
アリスが膝を抱えて座り込んでいると、頭の上から声を掛けられた。
「こんな所で座り込んでどうしたんだい?」
アリスが顔を上げるとそこには白髪の老婆が立っていた。
「す、すみません。お邪魔でしたよね。直ぐに移動しますので……」
古民家は老婆の家で丁度外を覗いた老婆が、座り込んでいるアリスに気付いて声を掛けたのだった。
空腹の為身体に力の入らないアリスは、やっとの事で立ち上がりフラフラと歩き出した。
「ちょいとお待ち、そんな形をして……若い娘が一体どうしたんだね」
老婆に手を取られ、振り向きその優しそうな表情を見た時、アリスの眼から止めようもない涙が溢れた。
「あらあら、そんなに泣いちゃあ可愛らしい顔が台無しだよ。ちょっとこっちにおいで」
古民家に入るとそこは小さなお店になっており、店の棚には美しく可愛らしい花の刺繍が施された手拭いが幾つか並べてあった。そして、小さく限られたスペースには小さなテーブルと椅子が置いてあり、招かれたアリスはそこに座らされた。
「さあ、これをお飲み、落ち着くよ」
出されたものはカモミールティ。アリスの大好きな祖母がよく入れてくれたハーブティだ。両親を亡くし、兄まで亡くしたアリス。アリスが悲しむ顔を見せる度に祖母はこれを入れて優しく抱きしめてくれた事を思い出した。
「とても美味しい……有難う……ございます」
「良かったら事情を話してごらんなさい」
老婆はアリスに優しく語り掛けた。アリスは涙を拭い、これまでのいきさつを話した。
「そう、大変だったわね。今日はここに泊まっていきなさい。それと、少しだけどこれを持って行きなさい」
老婆はレジ下の引き出しから500ピネルを取り出した。
「そんな、そんなことして頂くわけにはまいりません。私なんかになんでこんな事……お返しも出来るか判らないし……」
老婆はじっとアリスを見つめた。
「あなたはね、例えば、軒先にひもじくて凍えている子猫を見た時、助けない?そしてね、仮に何かを与えたとして、その子猫にお返しを求めるかしら?」
「え?で、でも……猫はお返しなんてできないし」
老婆は優しくアリスの髪を撫でた。
「与える方は相手が子猫と思っているんだよ。見返り何て気にしていないよ。それよりも、未来のある若者の手助けを出来た事の方が嬉しいんだよ」
「はい……」
温かいご飯に温かいお風呂を頂いたアリスは、老婆に感謝の気持ちで一杯になった。
「この街が大好きになりました。必ずなにかお礼をします」
翌日、丁寧にお礼を言ってギルドに向かった。
◇ ◇ ◇
あれから一年後、アリスが森の中でレアと修行に明け暮れている時の事である。
「う、うわあ、た、助けてくれ」
森の中で男のわめく声が響いた。山菜を取りに来た男性が道に迷い魔物に襲われていたのだ。
服は噛みちぎられ、手足には噛み傷が多数。サーベルウルフ3体に囲まれている。サーベルウルフは鋭い牙をむき出しにして涎を垂れ流し、徐々にその距離を詰めて来る。
絶体絶命……もう無理だ、俺はここで死ぬんだ……
男性がそう思った時、1体のサーベルウルフの首が刎ね飛んだ。
一体何が起こった?
顔を上げるとそこにはブロンズの髪を靡かせたで小柄なうら若き女性が見た事のない光る剣を持って立っていた。
女性はすぐさま他の2体も一刀両断に切り裂き、男性の元へ向かった。
「大丈夫?」
「うぅ……はぁ、はぁ。だ、大丈夫だ……有難う」
そうは言うものの、決して大丈夫だとは言えない。そこら中に切り傷があり、手や足の一部の皮膚は欠損してまだ出血も止まってはいない。
『回復』
女性が掌を男性に向け魔法を放つと切り傷は塞がり、欠損している皮膚も再生した。
「凄い……魔法も使えるのか……」
「こんな所へ一人できたら危ないよ」
「あぁ、迷惑をかけてすまなかった。助かったよ、有難う。山菜を取りに来て道に迷ってしまったんだ」
男性は女性に深々と頭を下げながらそう言った。
「じゃあ、山道まで案内してあげるよ」
女性は座り込む男性にスッと手を指しのべた。男性が手を出そうとするとその手は血だらけで、とても女性の綺麗な手を取る気にはなれなかった。
「あらあら、血だらけだね。ちょっと待ってて」
女性は懐から手拭いを取り出し、それを水魔法で湿らすと男性に差し出した。
「これで拭けばいいよ」
その手拭いは可愛らしい花の刺繍が施されたものだった。
「こんなに綺麗な手拭いで僕の血だらけの手を噴くわけにはいかないよ」
男性がそう言うと、女性はクスっと笑みを浮かべた。
「気にしなくて大丈夫よ。私、手拭い沢山持っているから」
男性は心から女性に感謝をしながら自身の手を拭った。
「さあ、帰りましょう」
男性は女性のお陰で無事山道に戻ることが出来た。
「本当に助かった。是非名前を教えて欲しい。命を救って貰ったお礼をしたい」
男性がそう言うと女性は微笑みながら首を横に振った。
「別にお礼なんていいよ。あなただって、襲われているのが猫だったとしたら、それを助けてお礼を求めたりしないでしょ?私が助けたのがたまたま人間だっただけの話だよ」
◇ ◇ ◇
商人の服装をした男性二人が下町を歩いている。
「会長、あのばあさんの土地を買えれば、隣の土地と合わせて計画よりも大きな店舗を建てることが出来ますよ。それかいっその事あのばあさんの土地にカフェを作るのもいいかもしれませんね」
「ああ、それもいいな。だが、あのばあさん土地を売ってくれるかね」
「あんなばあさんどうせ金も持っていないようなので、大金をちらつかせれば二つ返事でオーケイしますよ」
「一応あれでも商売をしているのだろう?贔屓の客とかいるんじゃないか?」
「ハハハ、今時あんな古臭い手拭いを買う人いますかな。商売が成り立たずに貯蓄も失くしてる頃じゃないですかね」
談笑しながら二人は目的である古民家に到着した。その古民家の横に建っていた家は解体されて更地になっている。そこにはコークス商会建設予定地という看板が立っていた。
◇ ◇ ◇
ヒドラを倒せるほど強くなったアリスは、しばしば老婆の古民家を尋ねていた。
「おばあさん、ハーブティに合うお菓子を買ってきたよ」
レアとの訓練の末、実力も身に着け生活も安定したアリスは助けて貰った老婆の元へ、ちょくちょく顔を出していた。
老婆と話すのは楽しかったし、老婆の作る刺しゅう入りの手拭いもアリスは大好きで、いつも身に着けていた。レアとの修行は激しかったので買った手拭いは直ぐにボロボロになる。それを買いに来るついでこうやって差し入れも持ってくるのだ。
「あんたねえ、気を遣わなくていいんだよ。あんたも忙しいんだろ?こんなとこに来なくったって……それに私の手拭いを買わなくても他に良いものが沢山あるだろうに」
「何を言っているの?私はおばあちゃんの綺麗な刺繍が入った手拭いが好きなんだよ。それに借りたお金をおばあさんは受け取ってくれなかったでしょ?せめてものお礼だよ」
そう言われて老婆は苦笑する。
「でもね、私の手拭いを買ってくれるのはもうアリスちゃんだけになったんだよ。だからね、もうお店もたたもうと思っているよ」
アリスは首と手を思いっきりブンブンと振り回した。
「だめ、ダメだよ。お店閉めちゃあ、私が遊びに来られなくなっちゃうじゃない」
老婆はフフフと笑顔を浮かべた。
「お店を閉めてもいつでも遊びに来てもいいのよ。あらら、私ったら来いといったり来るなと言ったり……言っている事がコロコロ変わっちゃうわね。だめねえ、年を取ったら……」
「うふふ。来るなって言われても何時でも遊びに来るわ。だって、私はこの店が大好きなんだもの、だから閉めないでね」
テーブルを挟んでいつもの様にカモミールティを味わっていると、突然入口の扉が開いて二人の男性が入ってきた。
「えーこんにちは。隣に店を立てる予定のコークス商会の物です。あなたがここのお店のオーナーさんですかね」
男性の一人が老婆を見てその男性は老婆をジロジロ見ながら薄ら笑いを浮かべ、老婆を軽んじるような口調でそう言った。
その隣に居るもう一人の男性はテーブルを挟んだ老人の前に座っているブロンズの髪をした女性に気付き、目を見張った。
森で私を助けてくれた女性だ……
先に話をした男性が再び口を開こうとした時、彼はその口を手でふさいだ。
「少し黙っていてくれ」
「え?か、会長?」
会長と呼ばれた男は店に売ってある手拭いを手に取った。助けられた時に自分の血液を拭った手拭いと同じものだ。似たような柄の刺繍も入っている。
「これを作っているのはあなたですか?」
「え、ええ」
突然話を振れらた老婆は、戸惑いながら返事をした。
「初めまして、私はコークス商会の会長であるストレインというものです。あなたがお売りになっているその美しい刺繍入りの手拭いを探していたのです」
ストレインはそう言って自身の懐から刺繍入りの手拭いを取り出した。
「おや、あなたのようなお客さんは知らないし、何処で手に入れられたのかしら?」
「山で遭難しかかった時に、そちらのお嬢さんに助けて頂きました。その時にお借りしたものです」
ストレインのセリフを聞いてアリスは彼の顔を見た。
「あら、ホントだ。あの時のおじさんだね。うふふ、もう一人で山に行ったりしていない?」
ストレインは苦笑しながら頭をポリポリ掻いた。
「あの、ぶしつけですが、あなたのその刺繍入りの手拭いを私の商会で販売させて頂けませんか?とはいえ、お隣に出来るお店に並べるだけですが、その際に全て買い取らせて頂きたいと思います。値段は私が買い取ったままの値段で売ります」
「か、会長!何故そんな一文にならない事を……もがもが」
男が口を開くと再びストレインに口を塞がれた。
「いえ、本当ですよ。何故そんな一文にもならない事を……」
老婆は困った顔をしてそう言った。
「私はあなたのその美しい手拭いで救われました。ただ、それを私一人でなく多くの人に知って頂きたいと思うのです」
それを聞いてアリスは悪戯っぽく笑った。
「おじさん、それ、私へのお返しも有るのでしょ?要らないって言ったのに。でも、私もおばあさんの手拭いがとても素敵だと思うから、色々な人に使って貰えるのは嬉しいな」
アリスは屈託のない笑顔でストレインに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
それから半年が経ち、コークス商会で並べられた老婆の刺繍の手拭いは飛ぶように売れ、老婆の家には弟子入り希望の若い女性が殺到する事となった。
「おばあさん、お元気?」
「あら、アリスちゃん。忙しすぎて目が回りそうだよ」
古民家はコークス商会の出資ですっかり改装されて、若い弟子たちが集う刺繍教室兼、カフェになっていた。老婆が多くの人に囲まれてカモミールティを飲みながら楽しそうに過ごす姿を、アリスは微笑ましい気分で眺めていた。
「おばあさん、また来るわね」
いつも読んで下さりありがとうございます。
第五章開始までもう少し時間を頂きます。
また、よろしくお願いいたします。




