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町から離れた女だけの家に住んでます

 家主よりも太々しい態度で居間の暖炉の前に陣取っていた大型犬は、それまでの態度を改めたかのようにぴょんと起き上がり、家の玄関に向かって駆け出した。

 そのすぐ後に玄関のノッカーでドアを叩く音が聞こえ、エボリー夫人のメイドのジェナが玄関へと向かって行く。


「こんな日に何でしょうね」


 エボリー夫人は可愛らしい声に似合う物憂げな表情を作った。

 裕福な未亡人のアイラ・エボリーは、身元の不確かな私に空き部屋を貸して下宿させて下さった、心優しき大家様である。


 家出している私がどうして下宿なんかしているのか?


 家出して身元を偽っている私であるからこそ、一般常識に乗っ取った生活を送ることで余計な詮索を受けないように用心せねばならないからよ。


 いつ夜逃げできるようにもしておかないと、と考えるとメイドを雇う事など出来ないし、家だって簡単に借りられるわけなど無い。

 そもそも女性が家を借りるには、保証人となる男性がいてこそ、となるの。

 それに、遺族年金もある中流以上の階級の未亡人はね、通常は親族の女性あるいはコンパニオンを雇ってと一緒に住むのが一般的なのよ。


 そこで身寄りがない未亡人設定の私は、この町で知り合ったエボリー夫人のもとに身を寄せているという事だ。


 それにしても、と、私はエボリー夫人を見つめる。

 彼女は私の嘘をまるっと信じていないようなのに、何故か私に対しては信頼やら友情やらを抱いているようなのだ。

 彼女の愛読書が冒険物語が多い事を示すように、彼女は冒険家なのだろうか。


 生気に満ち溢れたこの人は、いつでも美しい。

 いいえ、造形だって美しいわ。

 彼女の髪は真っ白であるけど豊かで艶やかだし、目元だって今は落ちくぼみ、深い皺も顔に刻まれてはいるけど、もともとの整った顔立ちは崩れていない。


 私がじっと見つめていたことに気が付いたアイラは、私が彼女を見つめていた理由を勘違いしたようである。

 母親が子供を安心させるような風にして、私の腕にそっと触れたのだ。


「シエラ。三日前みたいなことはそうそう起きませんわよ。こんなおばあちゃんの家にお金があるなんて思うのは、営業が下手なセールスマンだけよ」


 この方はなんてお優しい。

 銀行強盗が起きた日は、アイラこそを驚かせてしまった、わね。

 あの日の私は、マメと靴ずれになった足を引き摺りながら家に帰ってきたのだ。

 だって町から歩くしか無かったから。


 アイラの家は町から離れている上に下男のいないこの家では、移動手段としての馬車も無ければ馬やロバだって飼っていないのだ。

 町に行きたいならば、歩くか、月曜日の早朝に近くの街道を通る郵便馬車に便乗するしかない。

 私が週一でしか町に行けないのはそういう事だ。


 月曜の早い時間に郵便馬車に乗せてもらって町に行き、帰りは町の雑貨屋の配達馬車の荷台に便乗させてもらって近くまで運んで貰う。

 そしてどちらにも乗車賃を渡しているのに、どちらも時間厳守で遅れても待ってはくれない世知辛さ。


 あの銀行強盗は本気で迷惑だったわ。

 かなり、かなり、歩かされたのだから!!


「シエラ。帰って来るまでに怖い思いは本当になかったの?」


「え、ええ。そこは何もありませんでした」


「それなら良いのですけれど」


 私達は微笑み合い、それから自然と玄関の方へと顔が向いた。

 手だっていつの間にか握り合っている。


 日は落ちていないけれど、もうすぐ夕飯と言う時刻。

 こんな時間に用もなくドアを叩く者はいない。

 単なる押し売りだとしても、この家は下男もいない女所帯。

 そして今、応対に出て行った女中のジェナが戻って来なければ、ジェナよりも先に部屋を出て行ったアイラの愛犬のベベの吠える声も何も聞こえない。


「どうかしたのかしら。ベベがお客様を吼えないなんて一度もないのに」


「そうね。でもあの子は吼えない時はお客様を襲っているわ」


「玄関前の水たまりに横倒してくれましたね。あの子は」


 ベベは狼風の風貌をした大型の雑種犬であるが、赤ん坊(ベベ)と名付けられたことを守るかの如く、名犬とは程遠い落ち着きのない犬である。


「――お客様は大丈夫かしら?」


「ジェナの悲鳴も何もなければ、何も無いと思いますけれど」


 私達は再び顔を見合わせた。

 不安どころか恐怖を感じたのだ。

 外見だけで番犬も出来ない犬と女中が暴漢に出会ったとしたら、と。

 何かがあったとしても、町から遠いどころか、助けを呼ぶにも隣の家が無い、という状況なのだ。


「わん、わん、わおおおおおおおん」


 私とアイラは、同時にほっと安堵の溜息を吐いた。

 小煩いだけの間抜け犬の鳴き声に癒される日がこようとは。

 続いて居間のドアへのノックと、さらに私達を安心させる声が響いた。


「奥様。お客様が奥様とお話しをしたいと」


「まあ、まあ。どちら様ですの?」


 アイラが答えると同時に居間のドアが開いたが、ジェナが自分の体を捻じ込んで戸口にいるらしい相手への障害物となった。


「キースですよ。忘れちゃいましたか?」


「ああ、勝手に!!お客様」


 キース?

 私は銀行で出会った赤毛男を思い出し、アイラに尋ねるべく顔を向ける。

 アイラの顔がぱっと笑顔で輝いた。


「いいのよ、ジェナ。入れてあげて。この子はいいのよ」


「お身内でしたか?」


「いいえ。全くのよその子。だけどね、我が子みたいに可愛い子よ。さあ、さあ、お顔を見せてちょうだい。あなたの帰宅にお兄様はさぞお喜びだったでしょうね」


 アイラが腕を広げると同時にジェナがしぶしぶ戸口から動いた。

 すると、銀行で出会った男、あのキースと名乗った大男が、私達が座っているソファ目掛けて大股で歩いてきたのである。

 大股、と言うか、凄く足が長いだけなんだけどね。


 三日ぶりの彼の姿は、銀行の時よりも貴族めいて見えた。

 銀行の時のスーツ姿の方がフォーマルと言えたが、ツウィ―ドのジャケットに皮のズボンという組み合わせの今の服装は、そもそも貴族が領地の森に狩りに出かける時の姿なのだ。

 鴨撃ちですか?伯爵ってやつ。

 やっぱり侯爵家の次男だけあるのね。


「ハハ。兄はうんざり顔でしたよ。おっかない家庭教師だった俺達のアイラ先生。お久しぶりです」


 まあ!アイラとキースは実の親子みたいに抱きしめ合ったわ。

 それでええと、アイラが彼の家庭教師だった?

 それでは、アイラは領主と深い付き合いがあるってことね。

 領主はその土地の法執行者でもあるのに、なんてこと!!

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