第9章|弱肉強食の世界 <14>『ジュリー・マリー・キャピタル』密森さんの見解
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「……あなたがたに手を引いて頂きたい理由の一つ目は、弊社には産業医選任の義務など、最初から無い、ということです。法律の規定で、産業医を置く必要があるのは『社員50名以上の事務所』。我々はそれには遠く及ばない、小規模の会社です」
密森さんは続けた。
「残念ながら、『産業医』という存在は会社にとって、カネを生まない。つまりコストだ。もし、法律で選任が必要と決まっているなら、従うしかない。だが、別に産業医を置く義務がないなら、会社経営のコストは、安いほうがいいに決まってます」
「………………」
「そして理由の二つ目は、僕自身これまでに、数々のメンタル不調者対応、休職者対応をしてきましたので、僕なりの見解があること」
「……密森さんの……ご見解、とは? 」鈴木先生が訊いた。
「鈴木先生……、僕はもともと、この国のメンタル不調社員は、過剰に守られ過ぎている、と、感じていたんですよねェ……」
密森さんが椅子を左右に揺らしながら話した。
「そりゃ人間ですからね。風邪のひとつやふたつはひくでしょう。もしくは年をとれば、入院や手術が必要な病気になることもある。それは納得できます。
しかしメンタル不調ってのは、目にも見えないし、診断は医師の問診だけで下されて、なんの検査数値の証拠も必要ない。
だから、本人がメンタルクリニックに駆け込んで、事前にインターネットで予習した通りに医師に訴えれば、簡単に“抑うつ状態”“適応障害”と診断がつき、おまけに『要休業』『職場環境改善を要す』『業務負荷軽減を要す』、……なーんて書かれた、精神科医の診断書が、入手できてしまうんだ」
「…………………………」
「しかし、働いている中で、ストレスを感じない人間なんて、いますかね?? 僕は、誰しもが、疲れたなぁ、キツいなぁと思いながら、歯を食いしばって、頑張って働いているものだと思うんですよ。だって『給料』をもらうための対価として『労働』を提供しているわけでしょう?
それがですよ、“メンタル不調の診断書”があれば、それが水戸黄門様のご印籠になって、会社側はその社員を保護せざるを得なくなる………あ、“水戸黄門”はちょっと例えが古臭かったかなぁ? アハハ、すいませんね。僕、オジサンだから」
密森さんがじっと私の目を見たので、
「水戸黄門…………わかります」
と、答えた。
「あ、そっか、通じて良かった」
密森さんが笑って、話を続けた。
「でね……そもそも『メンタル不調』というものがあやふやな上に、いったん診断がつくと、会社はパフォーマンスが悪い社員を、ずっと保護し続けることになりますでしょう」
密森さんが尖った形のいい鼻先を、ツンと上に向けた。
「いったんメンタル不調になったら、全快まで半年くらいはかかる。もっと長くかかることも珍しくない。
メンタル不調になるような心の弱い社員なんて、正直、治ったあとも、まともに使い物になるヤツのほうが少ないのに、会社や人事は及び腰になって、なかなかクビにできない。
社員のほうも、スッパリ退職して、別の会社に行けば案外楽しく働けるかもしれないのに、居残り続けるほうにインセンティブが強すぎると、思い切って辞められないから、ぶら下がってしがみつく。
働かない、働けない社員を延々と雇用し続けるのは、お互いに“ムダ”であり“不幸”だ」




