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第9章|弱肉強食の世界 <7>江鳩さん面談 2回目 真面目な上司と部下なのに

<7>



栗栖さん宛のメールの送信ボタンを押してから、ふと思い出した。



「江鳩さん……、“最初に入った会社で、なかなか上に上がれなくて転職した。自分はそんなに仕事ができるほうじゃない。学歴も、同期と比べてパッとしなかった”……っておっしゃっていました。『X社』の件といい、あまり仕事が得意じゃない方なのでしょうか……? 」



「彼がそんなことを? あなたに言ったんですか? ジョークじゃなくて? 」

隣のデスクでPCのキーボードを叩いていた鈴木先生が、手を止めてこちらを見た。



「はい。わりと本気っぽかったと思います」



「うーん……そうですか……。江鳩さんは“ネガティブ思考”の癖を、お持ちなのかもしれませんね」



「何故、ですか? 」



「江鳩さんが以前に勤めていた『マックエクセル・アンド・カンパニー』という会社は、世界的に有名な、戦略系コンサルタント会社です。採用セレクションも非常に厳しく、入社難易度Sクラスと言われているエリート集団なのですよ。それだけの会社なので、日本支社メンバーの中で最も多数派となる学歴は“東京帝都大学卒”です」



―――東京帝都大学は、日本で一番、偏差値が高い国立大学だ。


東京帝都大学、略して“東大”。イコール、頭が良くなければ入れない、難しい大学。


それは私ですら知っている、国民の常識。


……それなのに、東大卒が社内で“最大派閥”になってしまう『マックエクセル・アンド・カンパニー』って……東京都内の、それも一握りの、特殊すぎる環境だと思う。


江鳩さん、そんな凄い会社で働いていた人なんだ。



「『ジュリー・マリー・キャピタル』の公式ホームページによれば、江鳩さんは早瀬田大学の教育学部卒だそうですから……。前職の『マックエクセル・アンド・カンパニー』の内部で比べれば……、“同期と比べて学歴がパッとしなかった”というご本人の発言になるのかもしれませんが、世間一般で見ると、江鳩さんは充分に高学歴です。

しかも、競争の激しいエリート集団である『マックエクセル・アンド・カンパニー』で、10年働き続けられており、その後、少数精鋭の投資会社への転職にも成功しているわけですから、社会人としても、根性と実力があると評価されているのは間違いないでしょう。事実、栗栖さんも、江鳩さんの能力を高く評価していました」




――――「江鳩は優秀なメンバーで、我が社になくてはならない存在です。どうか助けてやってください」


初めて栗栖さんにお会いした日の、栗栖さんの言葉と真剣な表情を思い出した。




鈴木先生が言った。

「ですから、江鳩さんの発言をお聞きすると、むしろ不自然なほどに自己評価が低いようで、逆に心配になります」



「言われてみると、江鳩さん、面談全体を通して、後ろ向きな発言が多かったような気がしますね……」



面談中、私や鈴木先生が江鳩さんに励ます言葉をかけた時、ほとんどが 『でも……よく考えてみると、結局ダメなんです』という返事で、やんわりと否定された。


特に江鳩さんが私たちを嫌っている様子ではなかったから、あれが江鳩さんの考え方の基本回路なのかもしれない。

そうだとしたら、江鳩さんは何か考えるたびに、セットで自己否定をして、つらくなっているのかもしれない……って思った。



「……“真面目で完璧主義傾向があるマイクロマネジメントスタイルの上司と、ネガティブ思考で自己肯定感が低めの部下”……。これは、職場でのメンタル不調が、非常に起きやすい組み合わせです」




――――真面目で完璧主義傾向がある上司と、ネガティブ思考で自己肯定感が低めの部下。


この場合、上司イコール栗栖さんで、部下イコール江鳩さん、ということだろう。




「そんな……私から見れば、億単位のお金を動かして会社を売り買いしているような人達が、なぜメンタル不調になるの? と思います。栗栖さんと江鳩さん、どちらも見上げるほど凄い存在に思えます」



「足立さん。人間の自己肯定感とは、実はその人の社会的ステータスとは関係ないことなのです。人間の心のありようは、軸の置き方でいくらでも変わってしまうからです。幸せの評価基準は、人それぞれです。社会的地位が高いから、お金持ちだから、イコール、自分のすべてに満足できていてメンタル状態が健康である……とは限らないのです」

鈴木先生が続ける。

「ネガティブ思考に陥りやすい人は、自分のできないところに注目し、“自分より上の人”や“全方位で理想的な人間像”などを基準に比較しがちです。

……そして実は、それは完璧主義者も同様です。よって、栗栖さんと江鳩さんのような組み合わせの場合、メンタル不調を起こすリスクが高いのは、江鳩さんだけではなく……」




「もしかして、栗栖さんも、ですか? 」




「その通りです。『ジュリー・マリー・キャピタル』の件は、今後もうひと波乱、あるかもしれませんね」




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