第9章|弱肉強食の世界 <6>江鳩さん面談 2回目 産業医のお仕事
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「……先生。『心理的安全性』がチームにとって必要なのは分かりました。けど、それって、産業医の仕事なんでしょうか? “医療”ではないような気がしますが」
「足立さん、いいご質問ですね」
鈴木先生が腕を組んで、人差し指をぴっと立てた。
「はっ……、あ、ありがとうございます」
「確かに、医療的な側面のみから捉えれば、江鳩さんは“適応障害を発症した、34歳男性の一症例”。純粋に彼の医学的治療を考えるならば、必要な処置は、『睡眠薬の増量処方』や『強制的な休職指示による休養確保』となるかもしれません。
しかし……、産業医は “主治医”とは少し視点が違います」
「産業医や保健師は、立場上、治療行為は行いませんものね……」
江鳩さんが治療を受けるためだけなら、主治医がいれば、それで充分なんだよね……。
―――会社に看護師さんとお医者さんが来てくれるなんて、
まるで、”働く大人の保健室”みたいだね。
足立さん、ありがとう。助かったよ。 ―――
『サクラマス化学株式会社』で出会った、甲斐さんの言葉を思い出す。
私たち産業保健スタッフには、検査機器も、治療薬を処方する権限も、ない。
それでも産業医に、保健師にできることって、なんなんだろう……??
どうすれば、医療職として、働く人の役に立てるんだろう……?
「江鳩さんを、強引な休職によって一時的に全ての仕事ストレスから引き離しても、復職した途端にメンタル不調を再発させてしまうようなら“同じ事の繰り返し”になります。
では何をしたら、産業医や保健師は、働く人をケアし、会社をより安全で、健康的に働ける場にする手助けをした、と言えるのか。
その答えのひとつは、会社組織の状況や不調者の個性を踏まえて、不調の背景にある原因を取り除くことである……と、僕は考えています」
「……そうかもしれません。そういえば私も、病院で働いていたとき……」
私が病院で働いていたころ。
職場は主に「病棟」ごとに分かれていた。
2階西の整形外科病棟、3階東の小児科病棟……みたいな感じだ。
それぞれの病棟で、求められる手技の種類や、患者さんの性質は違う。
でも、むしろ病棟ごとの仕事内容の差より、そのとき病棟に配属されている先輩看護師、つまり、病棟師長やチームリーダーの顔ぶれで、職場の雰囲気がだいぶ変わるなぁ……と、思ったことがある。
実は、看護師の仕事仲間で、うつ病や適応障害などのメンタル不調を発症する人はけっこう多かった。私が働いていた間にも、あの子、メンタル病んで急に仕事に来られなくなったらしいよ、という類の噂を、何度か聞いた。
そして、不調者、退職者が出る病棟は、連鎖的に人が辞めていく傾向があった。
現場のスタッフから見ると、そういう病棟には何かしら、ストレスになる原因があった。
お局様みたいな先輩看護師、横暴すぎるパワハラ医師、人手不足を放置していた、危険な作業をきちんと安全管理をせずにやらされる……などなど。
「働いている中で、ストレスが高い状態があって、原因に心当たりがあっても、なかなか職場内では相談しにくい時がありますよね……。
けど、もし産業医や保健師に個人的に相談ができて、さらに産業医や保健師から、会社を動かす力のある人に具体的なアドバイスをしてもらえたら、皆にとって働きやすい職場づくりに、つながりそうですね! 」
鈴木先生が頷いた。
「人事部門スタッフや、会社の経営者は、日頃から社員のパフォーマンスを上げる事に対して、非常に関心が高いものです。
当然のことながら『心理的安全性』という言葉も、既にご存知のことでしょう。しかし、トラブル事例を前にして、部外者から伝えられたほうが、意外とスムーズに改革が進むことは往々にしてあるものです」
「近いうちに、栗栖さんのスケジュールを空けてもらえるでしょうか……私、『ジュリー・マリー・キャピタル』にご連絡してみます! 」
「足立さん、是非お願いします」
急いで栗栖さんに、メールを送らなくちゃ。




