第5章|サクラマス化学株式会社 南アルプス工場 <6>女性事務員 吉野さんと女子トイレ
<6>
「足立さん、更衣室に入る前に、お手洗いなどは大丈夫ですか。今のタイミングで行っておいたほうがよければ、ご案内します」
女性事務員の吉野さんが、親切に声をかけてくれた。
「あ……ありがとうございます。お手洗い、行きます」
確かに、東京を出て、電車の待ち時間に一回急いでトイレに行ってから、ずっとお手洗いに行けていなかった。もし女子トイレに行列ができていたら、どんなに急いでも鈴木先生を待たせてしまうと思うと、気軽に駅のトイレに行きたいとも言えないような気がしていた。
吉野さんの、女性らしい細やかな気遣いに感謝だ。
「どうぞどうぞ。こちらです」
案内されたトイレに入るとき、ちょうど、60代くらいの恰幅の良い女性と一緒になった。
吉野さんは、外で待っていてくれるという。
先ほどの女性と並んで、同じタイミングで隣同士の個室トイレに入り、腰掛ける。
――――はー……。なんか今日は、色々なことが起こりすぎて……じゃっかん頭が付いていけない。まさか、山梨に来るとは思ってなかったもんね……。でも、労災に遭った新島さんが、骨折とかしてなくて、ひと安心だったなぁ……。
便座に座りながら、静かに長い溜め息を吐く。
冷静な顔をして鈴木先生の隣に座っていたけど、本当はずっと、緊張していた。
電車の中で昼ご飯のサンドイッチをつまんだだけだから、お腹も空いてきたし……。
(……ん?)
―――ガサガサガサ。ジャーッ。ガサガサ、ベリベリッ。カラカラカラカラ。ガサガサガサ……
(……あれ? なんか……隣の個室から、やたら物音がするな……)
(まぁ、トイレだし……。詮索するのも、無粋ってものよね)
(そろそろ、出ようかな)
私が個室の鍵を空けてドアを開いたときだった……、ちょうどそのタイミングで、隣の個室からも勢いよく人が出てきて、ふいにぶつかってしまった。
――――ドサッ。
「あ……す、すみませんっ」
その時、隣の個室に入っていた人の手から、何か大きな塊がボロリと落ち、真っ赤な血の色が視界に入って来た。
――――え。何? ……こ、これは。血まみれの……生理用ナプキンじゃなくて……オ、オムツ…!?
床の上には、ずっしりと鮮やかな色の血を吸った使用済みのオムツが、広がって落ちていた。
その物体を認識すると同時に、私は、トイレの床が急にふにゃふにゃのトランポリンに変わったように、足元がグラつく感覚に飲み込まれた。
(まずい。まさか今、アレがくるなんて……!)
私の頭に“テレパシー”がこだまする。
―――――――なにこれ。この血の量、とても尋常じゃないよ……!!!
エコーがかかったような声が頭に響き、動悸がする。
頭の血管から、心臓の拍動が聞こえてくる。
息があがる。苦しい。助けて。
きっとこの“テレパシー”は、目の前の女の人から発せられているんだと思う。
でも……私の、声が、うまく出せない。
「……かい。あんた! 大丈夫かいっ。ちょっと!! 誰かいる!?」
立ちくらみを覚えて、思わずトイレのドアに縋りついた私を、たったいま血まみれのオムツを落とした高齢の女性が、グッと支えてくれた。ずるずるとドアに手を滑らせながら、私はゆっくりと、しゃがみこんだ。
呼び声を聞いて、女子トイレの外で待っていた吉野さんが、すぐに駆けつけてくれた。
「足立さん、足立さん。大丈夫ですか。あちらに休養室がありますから、とりあえず横になりましょうっ」




