第15章|シューシンハウス株式会社 <5>アルコール依存症? その1 原須支店長
<5>
中泉さんに送迎してもらって、『シューシンハウス』の営業所に着いた。
『シューシンハウス』東京城東支店は、駅からほど近い雑居ビルの中に入っている。2フロアを会社で使っていて、ワンフロアはお客様との商談スペース、もうワンフロアは社員が使っているそうだ。
私と鈴木先生は、商談スペースに案内された。ちょうど5、6名で使うくらいの机とソファが数セット置いてあり、それぞれがパーティションで区切られている。いまのところ、私達以外にこのフロアを使っている人はいなかった。
私達が到着するとすぐに、向こうから40代後半くらいの男性が速足で歩いてきた。
その表情は険しく、寄せられた眉間にくっきりと、複数の縦ジワが刻まれているのが遠くからも見えた。目の奥には獣のような強い光を感じる。動物で例えるならば、飢えた狼のような雰囲気のある男性だった。少し痩せ型の体躯、白髪交じりの短髪。日に焼けた肌は全体的に赤らんでいて、肌色は“赤黒い”という感じだった。
その人が、私達の正面に不機嫌そうな顔で座った。
瞬間、隣にいる中泉さんが身体をビクッと緊張させるのがわかった。
「支店長の………、原須と申します」
「産業医の鈴木です」「保健師の足立です」
男性はこちらの挨拶を聞いて、フン、と軽く言い、話し始めた。予定より面談開始が遅れたことに、怒っているのかもしれない。
「今日、産業医面談で診て頂きたいのは、ウチの営業社員です。『折口勉』といいます。困ったヤツなんですよ。以前から正直なところ、営業成績もパッとしない地味な男でしたが、遅刻や欠勤は一度もありませんでした。ですがここ1-2か月、明らかに様子がおかしい。始業時間になっても会社に来ず、同僚が電話をすると“体調が悪い”と言い訳をするが、声を聞いた社員は『ろれつが回っていなかった』と言う。始業ギリギリの時間に電話が入り、急に休むことも数回続きました。それに………何人かの社員が、『折口が出社してきたとき、手が震えている。酒の臭いがする』、と言うんですよ」
「………それは問題ですね」鈴木先生が言った。
「少し前に法律が変わって、業務上運転をする者に『アルコールチェック』が義務付けられるという話がありましたよね」
「2022年の『道路交通法施行規則の改正』のことですね」
「そう。それ。その関係でウチの会社でも、アルコール検知器を買いましたのでね。ある日、試しに折口に使わせてみました。そうしたら見事にアルコールが検出されました。本人は“前夜に飲んでいた酒が残っていただけだ”と主張していましたけど、直感的に、怪しいもんだと思いましてね」
「確かにアルコールの代謝には一定の時間が必要ですが、社会人であれば勤務日の朝までアルコールが残る飲み方は好ましくありません」
「同感です」そう原須さんが言ったとき、彼の携帯のバイブ音が鳴った。支店長は話の途中であることも構わず、スマホ画面を見た。
しばらく沈黙が続く。原須さんの左腕には数珠のブレスレットが嵌まっている。何かの願掛けをしているのだろうか。「ああぁ」と小さく呟き、原須さんの眉間の皺が深くなり、こめかみに青筋が立った。苛立ちを隠せないようにトントンと指を机に打ち付け、そのままスマホでメッセージの返信をしている様子だ。
会話の途中で取り残された私達は、黙ったまま原須さんが返信を終えるのを待った。
(………手の血管走行、変わってるなぁ…………)
待っている間、そんなことを考えた。
私は病院勤務時代、採血が苦手だった。特にイライラした患者さんのとき、肘の内側からの採血で失敗してしまうことが多かった。原須支店長のこめかみくらい血管が浮き上がっていれば、さすがになんとか刺せるけど、血管の見えにくい体質の患者さんだと最悪だ。
失敗して焦る、患者さんは不安で態度がかたくなになる、その中で次の血管を探すプレッシャーはきつい。そういうときに最終手段で、手の甲の血管も見せてもらうことがあった。原須支店長は、手の甲の血管が特徴ある楕円形に繋がって浮き上がっている。
「で、中泉さん。もう、折口を辞めさせてもらえませんかね」携帯電話を置いて、原須支店長が言った。
「えっ。………辞めさせる、ですか」
「そう。もともと折口は、営業部隊では要らない男なんですよ。平たく言えば“お荷物”。いつまで経っても営業成績は上がらないし、プライドだけは高くて扱いにくい。向いてないからお前は辞めろ、って今まで歴代上司が諭してきたが、絶対に辞めなかった。何考えてるか知らないが、とにかく頑固なんですよ。
これがいい機会でしょう。だって“アル中”の営業職なんて危なっかしくて使えませんよ。住宅営業は車の運転が付き物です。お客様が買う予定の土地にお連れしたり、『完成見学会』に同行したりしなきゃならないんだから。万が一、営業車運転しながら酒飲んで事故起こしたらどうなります? 酒臭い状態で接客したら? あいつ一人の問題では済まない。この会社ごとフッ飛びますよ。今の時代、SNSであっという間に特定・拡散される」
「……ですが、彼は正社員で………そう簡単に辞めさせるわけにも……」
「じゃあ、本社で引き取ってもらえないのかなぁ! 」支店長が少し声を張り上げた。
「い、いや……つ、通常、この会社では営業職から他職種への異動はさせていないと聞いておりまして……。折口さんは給与体系も僕らとは違い、固定給プラス歩合、という計算方法ですし、残業も『みなし残業代』で計算されているので、異動させる場合、そのあたりをどう調整するか、本社の人事に一度確認してみないと、なんとも……。それにアルコール依存症の社員ということになると、どこの部署でも受け入れを渋られそうです、よね………」
「なら、尚更辞めてもらうしかない。これ以上、営業部でも、東京城東支店でも、折口のような問題お荷物社員の面倒見させられるなんて、たまったもんじゃないですよ。折口の頭数も計算に入れて、必達の営業目標値が上から降りてくるんだ。やってられない………。とにかく、アルコール問題がありそうなんで、こちらの判断で折口には今後しばらく、一切、社用車は運転させません。接客頻度も最低限に抑えます。これはリスク管理ですから、続けていいですね? 」
「あ、はい………。それは、よろしいかと思います」中泉さんが言った。
「だが、処分が決まるまで、一時的には我慢しますが、ずっとは無理ですよ。早急に辞めさせるか、支店から異動させるか、どちらかハッキリしてほしい。至急、本社人事にも確認してください」
「わっ、わかりました! 」中泉さんが頭を下げた。
「では、産業医の先生。そういった状況ですので、この後の面談で、よろしくご判断を頼みます」
「………承知いたしました」鈴木先生が言った。