6 エリヤス=ロクタンダは諦めない1
結局マドカが食堂に着いたのは時計の鐘が12回音を鳴らす時間になった。
昼食である。
がちゃりとドアを開けると白いクロスのかかったテーブルに皆座っていた。
「あ、マドカ嬢来た」
「さすがに二食抜いたら腹ペコでしょう。さ、こちらに」
「今日のマドカ嬢もかわいい綺麗かわいい」
「ハトリ様はそれしか言えないんですか? 代り映えのない……」
マドカはバッと頭を下げた
「あの、みなさんごめんなさい。二食も食事をすっぽかしてしまって……」
一瞬の沈黙ののち一同の声がわっと飛んでくる。
「ほらハトリ様あれが正しい行いですよちょっとは反省してください」
「だからこれからはちゃんと行くとあれほど言ってってマドカ嬢かわいい」
「反省の色なしじゃねーか」
「ほらほらマドカ嬢ここ座りなよハトリ様のとなり」
「えっいいのかマドカ嬢おれの隣でいいのか臭くないかおれどうしよういいのかいいか!」
「……」
マドカはその席にとんと腰を下ろした。
タオルケットに残っていたのと同じ香りが近くなる。
どこまでもやさしい、やさしい香りだ。
「おれが出した石鹸の香りするマドカ嬢かわいいな」
「うわハトリ様それすっげえ気持ち悪いっすよ」
「うそだろ……えじゃあおれが選んで買った服着てるマドカ嬢かわいい」
「さっきよりはマシですがハトリ様が言うせいで気持ち悪いっすね」
「それどうしようもないじゃないかタクマ!」
「しょうがないっすね」
「おいしょうがないとはなんだしょうがないとは」
「しょうがないもんはしょうがないっす」
テンポよく進んでいってしまう。
面白いなあと眺めていてはっと気づく。
「……あ、あの」
「なんだどうしたマドカ嬢やはりとんでもなく気持ち悪くて顔面ぶん殴りたくなったとか?」
「僕そこまで言ってないっすからね?」
「ええと、そうではなくて」
「では気持ち悪すぎて席離したいからヒロサキと替わってもいいかとか? 気持ち悪いから喋んなとか?」
「だからそこまで言ってないっすよ僕」
「いえその」
「ん?」
「ありがとうございます褒めてくださって。湯浴みの準備も服も。嬉しいですわ」
ハトリは胸をギュッと掴んで、片手で顔を覆い天を仰いだ。
やっぱり面白い反応をするなあとマドカはのんびり思った。
「……ヒロサキ……あとは頼んだおれが死んだら利権と金はすべてマドカ嬢に」
「あ、ミソノ? もう食事出していいよ」
「マドカ嬢今日の昼食は海鮮のパスタだよ」
「まあ! 海老とか貝とか乗っておりますの?」
「無視? ねえおれは無視?」
「なんていうかただただ気持ち悪いっす」
「同意ですね」
「かわいらしい方ですわ」
自分が会話に混ざれるのがうれしくてマドカはたくさん喋る。
わははとみんなが笑う声がここちよくて。
「やっと食べてもらえるわね。はい海鮮のパスタ」
厨房からミエコが現れマドカの前にコトンと白い皿を置く。
二枚貝と海老が散らされたスパゲッティが乗り、食欲を誘うよい香りがする。
「今日こそお夕食には参ります」
「待ってるわ」
「今日こそ一緒に行こう」
「はい」
ハトリがぱっと嬉しそうな顔をする。
それを見てマドカもうれしくなる。
「ハトリ様。食べる前に少しお手をこちらにお願いしても?」
「ん? おお」
少し骨ばった男の人の手がマドカの前に差し出される。
マドカはそれを両手で包み込んでそっと持ち上げ、その指先に己の唇を優しくおしあてる。
「……」
「……」
「なにかおっしゃってくださいませ」
「ええっとなぜだマドカ嬢なぜおれの指先にその……」
「指先への口づけは賞賛でございますハトリ様。ハトリ様はいつもわたくしを褒めてくださいますがわたくしはうまく言えませんので。あいにく顔も変わりませんし。だから行動で示したいと思ったのです。ハトリ様の嬉しそうなお顔、わたくしとても素敵だと思いましたの」
「……ヒロサキ」
「ダメです」
「……ヒロサキ」
「ダメです昼です仕事してください」
「……タクマ」
「いやなんで僕ならいいよって言うと思ったんだよダメです」
「……」
ミノルが仕方なさそうに笑っている。
タクマが楽しそうに笑っている。
ミエコがそれを見て微笑んでいた。
「冷めないうちに召し上がれ」
「はい」
マドカはパスタをくるくる巻いてぱくりと頬張る。
海鮮の風味と香辛料の刺激がふわりと鼻を抜けていく。
「とてもおいしいですわ」
「よかった」
「本当においしい……」
「ええ」
「こんなにおいしいものを二度も食べ逃してしまったことが悔やまれますわ」
「取っておいてありますからあとで召し上がってちょうだい」
「はい」
各々フォークを手に取り口に運ぶ。
あたたかい場所で優しい人とおいしいものを食べる。
なんて幸せなんだろうとマドカは思った。
くるくる ぱく くるくる ぱく
ダァン!
「失礼する!!!!」
食堂の扉が勢いよく開け放たれ、一同の肩がびくりと跳ね上がった。
現れたのは、赤いサーコートを身に纏い腰に剣を下げた青年だった。
赤銅色の髪は短く刈り上げられ、まさしく騎士といったいでたちのその青年はまっすぐにマドカの席まで歩み寄ってくる。
「マドカ=クジョウ殿で間違いありませんか」
「名乗らない方に名乗る名は持ち合わせておりませんわ」
「申し遅れました。私はロクタンダ家三男エリヤスでございます」
青年は座っているマドカの足元に跪き胸元に手を当てて礼をとる。
どこからどうやって入ってきたのだろうとマドカは思った。
「たしかにわたくしがクジョウ侯爵家の娘、マドカ=クジョウでございます。どのようなご用件でございましょう」
「はい。本日私エリヤス=ロクタンダはマドカ=クジョウ侯爵令嬢に婚約を申し込みに参りました!」
「……」
彼はどこからか取り出した花束をバッとマドカの前に出す。
食堂にとんでもなく居心地の悪い沈黙が走る。
「……ごめんなさい。お受けいたしかねます」
「……」
「……ヒロサキ、タクマ」
「はい」
「頼んだ」
「はい」
ふたりは同時に椅子から立ち上がるとガっとエリヤスの両腕を掴んだ。
相手は仮にも騎士である。二人がかりとはいえ太刀打ちできるのかしらとマドカが思ったのもつかの間、その男性はずるずる外へと引きずられて行く。
「ま、待ってくれ話を聞いてくれないか頼む。たのむうううううぅぅぅぅ」
その声は次第に小さくなり、食堂の扉が再びダァンと閉まって聞こえなくなった。
「……なんだったのでしょう」
「おれにもわからん……」
茫然とそれを見送り顔を見合わせて、忘れようかそうしましょうと目で会話した二人はまた食事を再開する。
そのうち二人も戻ってくるはずだ。
ドスドスドスドス
ダァアン!!
「マドカ嬢! どうか話を!」
「おいコラ待て! ダメだっつってんだろお前は子どもか!」
「どうか! どうかおねがいします!」
「おまえほんと実家に訴えるぞこのやろおとなしく帰れば咎めねえから!」
「話だけでもどうか! おねがいします! じゃないとアニカが……! どうかお願いします!」
ゴン! とエリヤスが頭を下げた。
地面につけ、擦り剝けそうなほど押し付ける。
なぜだかはわからないが、彼は己の何か大事なもののために、マドカを頼ってここへ来た。
それだけはたしかであると思えた。
「あの……」
「なんでもします! 自分騎士なんで護衛でも。いえそんな上等なものじゃなくたっていい捨て駒だってやる。マドカ嬢が俺の全財産を持っていくというならもちろん頷く! 腸がいるなら喜んで腹を切ろう。命を差し出せというのならそうする。だからどうか!」
「いえあの、要りません」
「そうですよねやっぱり命ですよね安くて腸かなって思って……え?」
「要りません。わたくしのイメージどうなっているのです?」
「………」
「求婚よりも重要なご用件がおありなのでしたら最初からそちらを口にしてくださらねば困ります」
「……アニカが。アニカがいなくなってしまうんです早くしないと」
タクマとミノルがこちらに戻ってきて座り、食後のデザートとコーヒーなどという素敵なものをミエコに頼んでいる。
わたくしも欲しいですわとマドカが思っていたら普通に人数分用意してくれるらしい。
「ハトリ様」
「聞くつもりか? 彼の話を」
「はい」
「おれが止めたら?」
「別の場所で聞こうかと」
「どこにするつもりだったの」
「学園にわたくしにあてがわれた研究室が使われずにおいてありますのでそこで」
「ダメです密室だし二人きりだし狭いし暗いしここから遠いし! おれがいやですマドカ嬢」
「……よくご存知ですわね」
「おれも使ってましたからね」
「でもどうやら大変お困りのようですし……」
マドカが一歩近づくと突如敬語を喋り出すハトリ。
下がると戻る。
おもしろいわとマドカは思う。
「ハトリ様、あの部屋はどうです?」
コーヒーを飲んでいたタクマが思い出したようにこぶしで手のひらをポムと打った。
「どこのことだ」
「あるじゃないですか。人の話を聞くのにもってこいでハトリ様が見守れてマドカ様に何かあったら即座に駆け付けられる部屋が」
「……」
「ほらほら」
「……あ」
「ね?」
しかしハトリはすぐに首を横に振ってしまう
「ダメだ。あの部屋はダメだ」
「どうしてです。なにか置いてあるわけでもないのに」
「ダメなものはダメだ!」
「ハトリ坊ちゃん、私もそこでよいと思いますぞ」
「ヒロサキ!」
「いいではないですか。来客の対応も仕事のうちです。
マドカ嬢と一緒に人の心を勉強なされたらよろしい」
「………」
ハトリはしばらく悩んでいたがやがて渋々頷いた。
「……ヒロサキ。トメばあちゃんとヤエばあちゃんとハナばあちゃんにツワブキの間を整えるよう伝えてくれ。彼女たちなら半刻もあれば終わるはずだ。タクマ。茶の準備を。ミソノ。お客様にお出しする菓子を頼む」
「はい」
「行ってきます」
「小麦粉あったかしら」
みなが慌ただしく散っていく。
食堂には、ハトリとマドカとエリヤスだけが残された。
「ありがとうございますハトリ様」
「……かまわない君の頼みだ」
「心配ですか? わたくしが彼の話を聞くのは」
「おれが心配なのは、君があの男の求婚に頷くことだけだ」
「それはありませんのでご安心ください」
「話を聞くことに関して異論はない。あの様子のまま家に帰すのも寝覚めが悪くなりそうだからな」
やはり優しい人だとマドカは思う。
きっと彼は困っている人を放っておけないタイプだとも思う。
「ただ君は少々危なっかしい。誰かのためならば身を削ってしまいそうだからこわい」
「わたくしを買いかぶりすぎですわハトリ様。不愛想で笑わない、ただの文学者でございます」
「……」
ハトリはエリヤスの方を向いてしゃがみ、いまだ頭を下げ続ける彼の肩をぽんぽんと叩く。
「おいエリヤス殿、ツワブキの間に案内しよう。運がいいな君。タクマの茶とミソノの菓子はうまい」
「……」
「トメばあちゃん様がお掃除したつるつるの床とはいえ、皮がむけたら痛いですわ。顔をお上げになって。何か大事なことをお伝えに来たのでしょう? こういうのは早い方がいいですわ」
「……」
エリヤスはほっと息をはき、ぐっとこらえるように唇をかんで
結局大粒の涙を零した。




