14.宰相令息は譲らない
「どうして……」
「その…………君に話したいことがあって」
「あらまあ! それじゃ、後は頼んだわよ、ハトリちゃん」
「え゛」
固まるハトリをよそに、ハナばあちゃんは扉を開けて部屋を出て行ってしまった。
最後に「マドカちゃん、何かあったら、ベルでね」と付け加えることも忘れない。
ハナばあちゃんが座っていた椅子に今度はハトリが座った。
どことなく不安そうな、ほんの少し不機嫌そうな、そんな顔。
マドカとの目線は合わない。
「それで、その……お話とは……?」
「君が俺にだけ笑わないのは、どうして?」
ハトリの発言にマドカはぎくりと身をこわばらせた。
そう来ることはある程度想定していたものの、いざそうなるとやっぱり逃げ腰になってしまうのだ。
「俺、もしかして君に嫌われているんだろうかマドカ嬢。俺が君に何かしてしまったのか? それとも普通に気持ち悪かったか? ……気持ち悪かったかも……きらわれるの、必然……? うわ、やっべ、泣きそう……」
問いを重ねるうち、ついにそんなことを言い出すハトリにマドカは狼狽した。
「ハトリ様を、きらう? なんでです? わたくしが、あなたに笑えないのは……その……あなたには、見られたくないからで……見られたくないのは、その……」
うまく言えない。
理由なんて「好き」だから、のたった二文字だ。
たったそれだけの代わりに、他の言葉で言い表すのはとてつもなく難しくて、もどかしい。
「俺が、幻滅するかもって思ってるのか?」
さみしそうに、苦しそうに、ハトリが尋ねた。
「君の笑顔を見たら、俺が君のこと好きじゃなくなるって、思ってるってことか?」
「へ……」
「俺が、君のことをかわいいって言うのも綺麗って言うのも、お世辞や気遣いだって思ってるのか?」
「え、え、あの、ハトリ様、さっきの言い方ではまるで……」
そんなのまるで、わたしのことを、ずっと好きだったって言っているみたいじゃないか。
「もしかしてそれも伝わってないのか!? 嘘だろ?」
「それ、とは……? あ、あの。このままではわたくし、勘違いしてしまいます。そんなつもりでおっしゃっているのではないなら今すぐ違うと言ってくださいませ」
心臓がうるさいほどに鳴っている。
期待している自分がいやだ。
ここまで自分がどれほど身勝手だったかよくわかっている分尚更そうだ。
あのときのように突き放されてもおかしくな……
「……ない」
ぎゅっと抱きしめられた。驚きで体が硬直する。
「勘違いじゃない」
マドカの胸に巣食っていたもやが、嘘のように引いていく。
「君のことが好きだマドカ嬢。愛している。ほかの、誰よりも」
包むような、ハトリの声が優しい。
ハトリの言葉はまるで光だ。
「わたくし、あなたに笑ったところを見られたくなかった。笑顔を見せて、きらわれるのが怖かった……なのに、どうしてでしょうね……どうして、あなたの前だとわたくし、笑顔にならずにいられないのかしら」
「……こらえなくていい。悲しかったら、泣けばいい。うれしかったら笑ってくれ。それでもしも、もしも君も俺のことを好いてくれているのなら……」
ハトリの白い前髪がマドカの鼻先に触れた。
萌黄の瞳と、まっすぐに目が合う。
「どうか……恋に落ちてくれないか」
マドカの目から水滴が落ちた。
これじゃあ悲しいみたいじゃないか。こんなにうれしくて、笑っているのに。
ハトリがこちらをみつめる。
自分の笑顔に注がれるそのまなざしが、萌黄の瞳のやさしさが、あたたかくて心地よくて。
マドカは泣きながら笑った。
「ふふふ……すき。すきです、ハトリ様。ハトリ様が笑うとうれしいのです。苦しそうだと悲しいのです。つまりわたくし、あなたに笑っていてほしい」
「俺もだ。俺はずっと、こうしてもう一度、君に笑いかけてほしかった」
マドカが笑うと、ハトリがこれ以上ないほど嬉しそうに笑う。
それだけで、今までの不安や焦燥が霧散していく。
「ああやっぱり、とびっきり綺麗だ……」
その言葉は、疑うにはあまりにも甘くてあたたかい。
マドカの欲しかったものは、すべてここにある。
***
「夜会に行かないか、マドカ」
「夜会、ですか?」
「実は以前に王子から招待状が来ていてだな。面倒くさくて断るつもりだったんだがマドカのドレスアップが見れるチャンスと思えば俄然行きたくなってk……」
「素直に『君のドレス姿が見たい』と言えないんですかねこのお坊ちゃんは」
「マドカ嬢と両思いになれて浮足立ってるんすよ。これ見よがしに名前を呼んで。まったくこの色ボケ宰相令息はこれだから……」
屋敷の使用人たちがそれぞれハトリに呆れた声音で物を言う。だが、拭えないのほほんとした空気が、この件の落着に皆が安堵していることを明らかにしていた。
ハトリが言うには招待状の日付は今日らしい。
本当はもっと前から準備をするのが普通だが、マドカはここしばらく文学者の界隈の方の仕事で忙しくしていたので、今誘ってくれたのだろう。
それにこの家であれば、夜会の準備にはほとんど手間取らない。
腕利きの使用人たちが勢ぞろいしているからである。
ミソノがワキワキと手指を動かし、ハナばあちゃんは、むふんと鼻息荒く腕まくりをした。
この家の淑女はいろんな意味で強い。
マドカは実家にいたころの侍女のサクラギを思い出す。
結婚してクジョウ家を離れてしまったが、マドカのことをドレスアップするとき、それはもう嬉しそうに着飾ってくれた。
笑うことへの恐れが少し消えた今の自分を彼女に見てもらえたら、いつかのように褒めてもらえるのだろうか。
「それじゃ、レディには準備がありますからね。殿方たちは出て行ってくださいな」
ハナばあちゃんの有無を言わさぬ一言で、男性陣がぞろぞろとツワブキの間を出て行った。
全員が退出したのを確認して、ヤエばあちゃんがシャッとカーテンを閉める。
「さーて。鍛え上げられた指先が疼いてしまうわ」
初めて出会った日と同じ声音で呟いて腕まくりをしたハナばあちゃんに、身を任せるほかマドカに選択肢はなかった。
***
「うわぁ……! わ、わたくしにこんな素敵なドレスが……に、に、似合っていますわ!?」
初めての経験に、マドカはあんぐりと口を開く。
ハトリの目の色と同じ、やさしい萌黄色のドレスを選んだ。袖や首元を飾る純白の細かなレースは、甘すぎずくどすぎず。自分には可愛らしすぎるのではと初めは思っていたものの、そこはハナばあちゃんテクでしっかりカバーされている。
真っ黒な長いマドカの髪はゆるくウェーブし、光を含んでふわりと背中に落ちていた。
余計な装飾は要らない、とハナばあちゃんは言った。
その言葉通り、マドカはアクセサリを身に着けなかった。
くちびるに淡い色の紅を一指し。たったそれだけだ。
「ふう。ありがとうねえ、マドカちゃん。おかげで血沸き肉躍るいいお仕事ができましたよ」
「こちらこそ、ありがとう存じますわハナばあちゃん様。これならば胸を張ってハトリ様のお隣を歩くことができそうです」
「ええ。当たり前よ私がコーディネートしたんですもの。自信を持って行ってらっしゃいな」
「はい」
男性陣もハトリの準備を済ませ、屋敷の前に馬車を止めて待っていた。
ハトリの礼装はびしっと黒いタキシードだ。
ネクタイは質感のよさそうな浅葱色。ハンカチはネクタイと同じ色のものにマドカが鳩のモチーフを刺繍したものだ。
ハトリに連れられて馬車の前に立つ。
少し骨ばった大きな手。それに重ねる自分の手が熱を持っている。
半分はハトリの熱かもしれない。
穏やかな萌黄の目が、じっとマドカにそそがれる。
それがあまりにも長いので、マドカの頬がじわじわと熱くなってきてしまった。
「あの、ハトリ様。そんなに見つめられると照れてしまいます……」
「あ、ああ。すまない。その、君があまりに綺麗だったから……」
「…………ハトリ様も素敵ですわ」
「俺はいつも君をかわいいかわいいと思っているはずなんだが、毎日更新してくるのはなんなんだ。誰か助けてくれここは底なし沼か……」
「ふふふっ。わたくしがおばあちゃんになってもそう言ってくださいますか?」
「当たり前だ。君なら年を重ねた姿もきっと綺麗なんだろう」
「まあお上手」
「事実だ」
馬車の前でもじもじしていると馬にひひんと鳴かれて急かされる。
あわてて乗り込むと、その瞬間に出発した。
せっかちなお馬さんである。
美しく飾られた会場までの道は真っ赤な絨毯が敷かれている。
久しぶりの感覚に怖気づいている自分に気付く。
学園に居たころの夜会では、せっかくのサクラギのドレスアップもむなしく、誰からも話しかけられないまま帰路についていた。
エスコートをしてくれていた父や兄たちが、かわいいかわいいと褒めてくれていたのが唯一の救いだったと言ってもいい。
でも今は。
「無理しないで俺の後ろに居ていいからなマドカ。俺は今日の目的をすでに果たした正直もう帰りたい」
不機嫌そうな顔でそう言ったハトリにマドカはにこにこ笑ってしまった。
ハトリが隣にいるというだけで、嘘みたいに気持ちが和んだ。
「そこをなんとか。わたくしと踊るまではどうか、我慢していただけませんこと?」
「楽しいな夜会。夜会最高」
「ふふふ、ふふふふっ! あまり笑わせないでくださいませ。止まらなくなってしまいます」
「笑ってるマドカかわいい。見せたくない。やっぱ夜会やだ」
「ふっ、どうしてくれますの……ふふふっ……ではハトリ様のためにもさっさと行って、さっさと帰りましょう。皆さんのいるお屋敷へ」
ハトリはむんと腕を組んで言う。
「俺は頑固だからな。この先どんな男が寄ってこようと君のことだけは絶対誰にも譲らんぞ」
「まあ嬉しい。でもわたくしだって、誰にもハトリ様は譲れませんわ。よそ見は嫌です」
大丈夫。この先どんなことがあろうと、この人が隣にいるのならば。
笑いながら泣き、泣きながら笑うような日々を。
そうやって、この人とともに生きていこう。
会場の扉が開いた。
華やかで、煌びやかな世界が向こう側にある。
美しく装った人々。輝くシャンデリア。夢まぼろしのような飲み物。
けれど、もうマドカは知っている。
もっとずっとあたたかくて、やさしくて、とうといものを。
「マドカ、こんな風にいつまでも俺の隣で笑っていてくれるか?」
「くれるもなにも、わたくしに笑顔をくださったのはあなたでしょうハトリ様。あなたが飽きても笑っておりますわ」
「それはいいな」
「でしょう?」
今日もふたりの間には、明るい笑い声が満ちている。
「宰相令息は譲れない。」
これにて完結となります。
一年半越しの締めくくりとなりました。
ブックマークを外さず、辛抱強く待っていてくださった皆様、本当にありがとうございました。私がこの物語をきちんと完走できたのは、みなさまのおかげです。
この物語をタップし、ここまで読んでくださったすべての皆様に愛と感謝を込めて。
あづまひろ




