表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/16

8 エリヤス=ロクタンダは諦めない3

 エリヤスは後任だというその女性に重ねて尋ねた。

 自分は以前の常連客で、彼女に用事があってきた。

 今どうしているか知らないかと。


 しかし女性は困ったような顔で『個人情報なので』と首を振るばかりだった。

 エリヤスは呆然と立ち尽くした。

 たしかにエリヤスはただアニカに好きだと伝えただけで、公認の婚約者でもない。


 夢だったのかもしれないと、まずエリヤスは疑った。

 自分は長い夢を見ていて、彼女はその夢に出てきた自分の空想の中の人物に過ぎないのではないかと。

 思いを伝えてもらえたのも、己が思いを伝えたのもすべて夢だったんではないかと。


 そんなわけないと何とか己を奮い立たせて、エリヤスはいろんな人に聞いて回った。

 近所の人や他のお客さん、果ては以前の仲間にも。

 しかし集まった情報は、彼女がそのパン屋の看板娘だということと、北の高地に喘息に効く温泉があるという、それがどうしたんだというような情報だけだった。

 みな、あああのパン屋のお嬢さんね、というところまでは出てくるものの、誰もそれ以上の情報を持っていなかったのだ。

 店長に聞こうかと思ったが、よくよく考えてみたらエリヤスはここ一年ほど店長に会っていない。


「アニカを見つけたいんです。どうしても」


 待てども待てども彼女が再び姿を現すことはなく、途方に暮れながらエリヤスは惰性でパン屋に通っていた。

 そんなある日、客の男二人組が『侯爵令嬢マドカ=クジョウが婚約したらしい』という話をしているのを聞いた。

 マドカ嬢の名前は知っていた。同じ学園に通っていたからである。

 同じクラスになったことこそなかったが、彼女は有名人だったのだ。

 

 いつも一人で本を読んでいる笑わない侯爵令嬢。

 いつなんどきも決して笑顔を見せないことを気味悪がった学園の同級生たちは、彼女のことを『不機嫌な魔女』と呼んでいた。

 無論、面白がってのことである。

 そんな心無いあだ名がついたわけをあえて一つ上げるとするならば、それは彼女のある噂にあった。


『マドカ嬢を笑わせたものは、一つの代償と引き換えになんでも願いをかなえてもらえる』


 それはもちろん彼女が絶対に笑わないからこそ生まれたうわさであり、まさしく『根も葉もない』ものであった。

 彼女を笑顔にする存在が、そんな噂を生み出す同級生の間にいるはずもなく。

 しかしその噂は消えることなく、知る人ぞ知る都市伝説のようにまことしやかにささやかれていた。


 エリヤスはその噂を知っていた。

 学園に通っていた当時はくだらないと一蹴していたような話であったが、それを思い出したエリヤスは藁にも縋る思いでマドカ嬢を頼ることにした。


「今考えてみても、とんでもなく失礼で見当違いの思い込みであったと思います。自分もそれをくだらないと言いつつ面白がっていたのですから救いようがありません。それについても本当に申し訳ありませんでした」

「笑わないというのは本当ですから」


 エリヤスは困ったように笑みながら首を横に振った。


「いいえ。マドカ嬢は決して『不機嫌な魔女』などと呼ばれるべきお人ではない。こんな荒唐無稽な話を聞いて、信じてくださるあなたが」

「格好よくていいではありませんか。ぜひ広めてくださいまし」


 特に響きがカッコいいわとマドカは思った。

 そういう年頃なのである。


「それがどうしてわたくしに求婚するというお話につながるのです?」

「……俺にはなにも無かったから」


 マドカ嬢の噂を信じるにしても、彼女を笑顔にし、それ相応の対価を支払う必要があった。

 しかし指折り数えてみても、エリヤスには差し出せるものがなにも無い。

 なにしろ騎士一辺倒で生きてきた、無骨で無口でぶっきらぼうな男である。

 彼女を笑わせられるとも思えない。

 エリヤスがマドカ嬢に何か捧げられるとすれば、それは己自身だけであった。


「俺は国を、アニカを守りたい一心で訓練をしてきました。その努力と鍛えた体だけは自信を持って差し出せる。ほかにはなにも無いんです。あげられるものがもう何も」

「……」


 きっと必死で考えたのだろうなとマドカは思った。

 アニカを見つけたくて、なんとしてでも探し出したくて、その愛を伝えたくて

 きっと悩んだに違いない。

 己の人生を対価にしてしまったら、アニカを見つけ出せたとしても彼女と一生を共にすることはできない。


 それでも、それでも。

 エリヤスはどうしてもアニカに会いたかった。

 エリヤスを捨てたのならばそれでもかまわない。

 別の男を好きになってしまったのならばそれでもいい。


 ただ、会いたかった。

 アニカの顔を一目でいいから見たかった。

 会って、ありがとうと。俺を導いてくれてありがとうと。たとえ一時でも愛してくれてありがとうと。

 そう伝えたかった。

 会いたくて。会いたくて。会いたくて。たまらなかった。どうしようもなく好きだった。


「アニカにもう一度会えるなら、俺のこの先の人生なんていくらでも渡します。(はらわた)でも、命でも。会いたい……。アニカに、会いたいんです……」


 エリヤスは泣いていた。

 ぼろぼろと零れ落ちるそれを拭うこともせず。


「マドカ嬢が今イチノミヤの屋敷にいることは、近衛騎士団候補生の仲間から聞きました。なんでもあの冷静かつ辣腕な宰相令息殿が、それはもうメロメロらしいと。それを教えてくれた友人も俺も、まさかという思いでしたが、どうやら本当のようですね」


 エリヤスは涙をすべて流しきるかのようにぐっと目をつむり、顔をあげる。


「この度は私の勘違いと暴走により多大なご迷惑をおかけし本当に申し訳なかった。近衛騎士団員エリヤス=ロクタンダ、ここに心からの謝罪を申し立てる」


 その声はもう震えてはいなかった。

 どこまでもまっすぐで潔い、彼らしい幕引きだとマドカは思う。


 手抜きができない人なのだろう。

 不器用でぶっきらぼうで、でもとても一途な正直な人。


 自分もマドカの噂を面白がっていましただなんて、わざわざ言わなくてもよかったというのに。


「エリヤス様。『不機嫌な魔女』という二つ名は大変格好いいのですが、残念なことにわたくしに不思議な力はありませんし、わたくしを笑わせたとしても望みはかないませんわ」

「……はい」


 覚悟はできていたのだろう。

 マドカの言葉に動じる様子もなく、エリヤスは頷いてまた一口紅茶を飲む。


「ですがエリヤス様。わたくしは文学者でございます」

「……え?」


「これはわたくしが知る、ある男女の物語なのですが」


 あらゆる分野の研究者をごった煮にしてポイッと貴族社会に放り投げてみた、というようなマドカの実家、クジョウ家には世界各地の様々な珍しい品物が集められている。

 そのなかにその本はあった。

 たくさんの種類やジャンルがあるその本は幼い頃のマドカに衝撃を与えた。

 今でも自室にはその類いの本がたくさん置いてあったりする。

 ストーリーは絵で展開し、文字は登場人物のセリフや心のうち、あるいはストーリーを読む第三者の目線で語られる小さな囲みの中だけにしかない。

 登場人物の多くはマドカと同い年かそれより少し年上くらいであることが多く、大抵がその世界の学校生活を題材にしてかかれている。


「その物語は他のものと少し毛色が違って、登場人物の学生結婚後の生活を描いたものですの。彼らは愛し合って結婚したとはいえやはり違う人間です。互いを思う心は変わらないものの、それが見えない不安の日々の中で、すれ違いは多々ありました。それでもそれらを何とか乗り越えて、二人はゆっくりと夫婦になってゆくんです。そんなある日、奥様の方が『実家に帰ります』という書置きを残して姿を消してしまうのです」


 夫は慌てた。

 自分が何か至らなかったんだろうか。自分との生活に嫌気がさしてしまったんだろうか。

 それともそれすらわからない自分がもう嫌になってしまったのだろうか。

 悩んで悩んで悩んで、それでも何もわからないまま、そんな自分にほとほと呆れながら、家事に仕事に奔走した。

 そして七日が経った頃


「奥様が帰ってきました。いなくなる前と何も変わらずに『夕ご飯はハンバーグにしようと思うんだけど』なんて言いながら。

旦那様は奥様に抱き着いて、どうして突然いなくなったんだと尋ねました。すると奥様は『実家に帰っていただけよ』と言いました。本当にただ、帰省していただけだったのでございます彼女は」


「……アニカも、実家にいるのではないかと、そういうことですか」


「大変申し訳ありませんが断言できませんわ。憶測でものを言っているだけですので。

けれどお話を聞くに、エリヤス様が求婚しようとお店を訪れてから、まだ十日くらいなのではございませんか?」

「……その通りです」


「女性の里帰りは基本、長いですわ。結婚したいと思っている殿方がいらっしゃる方の、今の時期の帰省ならなおのこと」

「……結婚準備」

「おっしゃる通りですわ。彼女はあなたが自分とともにいるために努力していることを知っていらっしゃるのでしょう。それに胡坐をかかず、己も準備をして待ちたいと思うのは至極当然の心理ですわ」

「……」

「そしてこれもまた明言はできませんが、店長つまり彼女のお父上の姿を見ていないということから察するに、お父上に何かあったのかもしれません。ケガか、あるいは(やまい)か。どちらにせよ、アニカ様がそれを放っておくとは思えませんわ。一度店を誰かに預けて、父親をゆっくり休ませたいと思うのはなにもおかしいことではありませんもの」

「……」


先ほどの話の続きですが、とマドカは物語の続きを語る。


「それを聞いた旦那さんは泣きながら、よかった、よかった、と繰り返すのです。

君がいなくなってしまったかと思った、と。

そのオチが読者を呆れさせるかと思いきや、わたくしは大変ほっといたしました。」

「……」


 マドカは紅茶を一口飲んだ。

 本のことになると本当によく回る口だわと思いつつ、こんなに話すのは久しぶりなのだ。


「この話から得られる教訓は決して、妻がいなくなっても動じるななんていうものではございません。ほとんどの読者は気づきます。たとえ理由が何であれ、大切で愛する者の姿が見えないということが、残された人をどれほど不安にさせるかということに」

「……」

「エリヤス様は二月(ふたつき)、お店に姿を見せることができなかったとおっしゃいましたね。その二月の間、彼女がどれほど不安だったか、エリヤス様は今回身をもって経験したのではありませんか?」

「……はい」

「サプライズがダメだとは申しません。エリヤス様の努力が間違っているとも申しません。

けれど彼女を不安にさせるのはいけませんわ。愛しているのなら、それを伝える努力を怠ってはなりませんわ。……これは、ある人からの受け売りですけれども」

「……はい」

「不安の中でも、あなたは彼女を信じているのでございましょう? 愛しているのでございましょう?」


「はい」


「ならばどうか、彼女を見つけることをあきらめないでくださいませ」


「もとよりそのつもりです」


 きっぱりと、マドカをまっすぐに見据えて男はそう言った。

 マドカは紅茶をまた一口飲んだ。


「ハトリ様、そこにいらっしゃいますか?」


 ほんの少しだけ開いていた扉が大きく開く。


「ばれていたか」

「真っ白の寝ぐせがずっと、見えておりましたよ」

「おっとっと」

「お持ちなんでしょう? アニカ様の情報」

「おや不思議だな。ちょうど手元におれの気に入りのベーカリー『フルッフィ』の実家の情報が……」


後ろでバッバッと二度音がした。

立ち上がった音だろう。

頭を下げた音だろう。

彼が。


「感謝いたします。マドカ=クジョウ殿。ハトリ=イチノミヤ殿」

「勘違いしないように。おれは君の求婚を万が一でもマドカ嬢が受けることの無いように手をまわしただけだ。この情報を君がどう役立てようと、おれの知ったことじゃない」


 相変わらずこの方は面白いと、マドカはそう思った。


「気にしなくてよいと、そうおっしゃっているのですわ」

「あ、それはなんとなくわかりました。お優しい方ですね。マドカ殿の婚約者は」

「そうなんです」


「ンッん゛! それとおれから一つ言うとすれば」

「……」

「女性は察するのが得意だが、本当に伝わってほしい思いほど、届かなかったりするものだ」

「……しかと、心に留め置きます。……体験談ですか」

「そうだ」


ハトリは書類を渡す。


「おこころづかい、有り難く頂戴いたします!! 本当に、本当にありがとうございます!!」

「今度ここを訪れるときは、お二人の姿が揃っていることをお祈りいたしますわ」

「……はい!」


 書類を大事に大事に抱え、エリヤス=ロクタンダは帰っていった。






「ところでハトリ様」

「なんだい?」

「お仕事はどうなさったの?」

「……君を失うかもしれない出来事の前では、何事も些末な事柄だと思うね」

「参りましょうか。執務室」

「君がいるだけで速度が二倍になると思うんだ」

「タクマ様に苦めのコーヒーを淹れてもらわねばなりませんわね」

「……」


その口元がほんの少し持ち上がっているように見えるのは、きっと目の錯覚だろう。


微笑まない文学者と、変人宰相令息の午後は長い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ