その世界には、ある目的のために放りこまれたらしい
あれ。
俺、なんか寝てた?
はっとして周りを見ると、知らない場所だった。
ここ、どこだ?
焦って記憶をさらう。
俺、室町渉22歳大学四年生。良かった。覚えてる。
よし、次。
俺は、東京都内の普通によくある近代的な建物内にいたはずだ。
あらためて周りを見回す。
どこか古めかしい、年季のはいった木製のカウンター、木製の壁、木製の床。
カウンターは無人で、ベルと帳面が置かれている。
ホテルのフロント……いや、宿屋の受付だろうか。
やっぱり知らない場所だった。
俺は深呼吸した。
何が起きたかわからないが、非常事態であればあるほど落ちつかなければいけない。
視線を落とせば、自分の服装が目に入る。
どういうわけか、ローブにマントを着ていた。そして左手に宝石のついた手甲。謎にファンタジックな魔法使いスタイル。高校の文化祭以降コスプレした記憶などないのに、なんだこれ。
思い浮かんだのは、異世界転生というワード。
マジかよ……
俺は死んだんだろうか、と思いかけて、考え直す。
いや、召喚や転移、憑依というのもあった気がする。死んだ記憶はないから転生ではないかもしれない。
もしかして、災害で即死して記憶がない可能性……はちょっと見なかったことにする。
俺はもう一度深呼吸すると、まず確認できるものから確認することにした。
持ち物、ない。通信端末、ない。持っていたはずのカバンもない。
当然、カバンに入っていた財布や身分証、重要書類などの貴重品は全部ないし、スーツのポケットに入っていたハンカチ一枚すらもない。
異世界で主人公が困らないように、超常の存在が忖度してくれる親切設計ではなかったらしい。残念ながら。
俺はしかたなくも持ち物については確認をあきらめた。持ってないものはどうしようもない。
次は……と考えて、俺は目の前のカウンターにある、開いたままの帳面を見てみることにした。勝手に見るのは気が引けるが、不用心に開いたままなのだから、そう重要なものでもないだろう。
もちろん外の様子も知りたいが、いきなりファンタジックで狂暴な生物がいても困る。こういうときは、目の前のことから一つずつ、が確実だ。
開きっぱなしの帳面を覗いてみると、そこには名前と地名?らしき単語が並んでいた。
たぶん、宿帳ではないだろうか。
書いてある文字は見慣れたアルファベットで、英語だった。たぶん英語で合っていると思う。どうせなら日本語が良かったが、全然知らない言語でなくて良かったとも言える。
ほっと息を吐いた瞬間、横にあったベルに手が当たってしまった。
りん、と澄んだ音がして、しまったと思ったときには、奥から女性が出てくるところだった。
おそらく宿屋の店員だろう。宿泊ですか?と、キレイな英語で訊かれ、俺は慌ててゼスチャーで否定した。一文なしの身で、無銭宿泊はできない。
じゃあ何の用かと英語で続ける女性に、俺は言いよどむ。
別に用があってここにいるわけでなく、気がついたらここに居ただけだからだ。
「……その、困っていて、あー……」
宿屋の女性店員はよほど様子を見かねたのか、親切にも提案してくれた。
何かお困りなら、向かいの冒険者ギルドで依頼してみてはどうですか?と。
冒険者ギルド?!
自分の耳と英語力に自信が持てなかった俺は、つい聞き返してしまった。
「えっと、もう一度、お願いします」
親切な宿屋の女性店員にお礼を言って外に出ると、正面にはたしかに大きな建物が建っていた。看板は野ざらしのためにかなり削れているが、どうにかギルドという単語だけは読み取れた。
あたりを見回せば、西洋風の石の街並み。
本当に異世界なのか……
道行く人を眺めても、現代日本では普通のはずの洋服をまったく見かけない。
マントをつけた人もかなりいる。
俺はうっかりすると思考放棄しそうになる自分を戒めた。
立ち止まっている場合ではない。お金も身分証もないのだから、ぼんやりしていたらすぐ行き詰まる。よく考えながら、同時に行動しなければいけない。
俺は覚悟を決めて、冒険者ギルドに足を踏み入れた。
建物の中はゲームによくあるような、いかにもというか、わりとオーソドックスな冒険者ギルドだった。掲示板には無数の依頼が貼られていて、また別の一画では無頼漢といった風情の冒険者たちがたむろしている。
いきなり他の冒険者たちにあれこれ訊きにいくのもためらわれた俺は、まず掲示板を眺めることにした。
そこには、依頼内容と報酬が書かれた紙がたくさん貼ってあった。ただ、すべて英語表記なので、単語の意味がわからなくて読めない依頼もいくつかはある。
トライアル草の輸送……試練の草?かな、300コイン。
eval……エヴァリュエーション?の実の採集 500コイン。
なんとなくの勘だが、俺でもできそうな安全そうな依頼もそこそこあるようだ。
宿屋では、困りごとなら冒険者ギルドに頼んでみるようにと言われたが、俺はお金がなくて困っているのだから、あれ?
つまり、依頼を受ければ解決するのではないだろうか。
ならば話は早い。
俺は、さっそく手続きカウンターらしき場所で列に並んだ。
依頼を受けたいが、身分証がない俺でも受けられるか?という英文を頭の中で作り、そのあとはこの異世界について考えを巡らせながら、順番を待つ。
考えなければならないことは多く、待ち時間は苦にならなかった。
そして、次の次が俺の番、というところで。
突然、轟音と共に、地面が揺れた。
「っ地震?!!」
周囲も事態がわからずざわついている。思わず日本語で叫んだ俺に、反応する声がした。
「日本語っ?!」
今ちょうどカウンターで何か手続きしてもらっていた女性が振り返って、俺を凝視していた。
その女性は、俺とよく似たローブとマントを着ている。
……なんだか見たことがある人のような気もするが、気のせいだろうか。気のせいかもしれない。
それとも、異世界転生する直前、偶然同じ場所にいて、同じタイミングで転生したとか?それで、そんな気がするのだろうか?
とりあえず、地震?の揺れの被害はなさそうで、周囲のざわつきも収まりつつある。ほっとしていると、日本語で話しかけられた。
「あの、日本人のかた……ですよね?」
ちょうどカウンターでの手続きが終わったところだったのか、俺を見ていた女性がすぐ近くにやって来ていた。
「わたし、桃山華と言います」
俺と同じくらいの年だろうか?
名乗られたので、自分も名乗る。
「あ、どうも……初めまして?室町渉です」
「こちらこそ。あの、室町さん、今から、わたし変なことを言うと思うんですけど、べつに頭がおかしいわけじゃない、はずなんですけど、……」
たくさん言い訳のように前置きをする桃山さんに、なんとなく、俺は彼女が何を言いたいか察した。
そして、桃山さんは言いづらそうに、俺が予想した通りのことを言った。
「わたし、気づいたら、ここにいて、なぜか日本じゃなくて……」
「あ、同じです。俺もなんか気がついたら、この、……異世界?に。」
「…………」
桃山さんはやっぱり?!ショック!!!という顔で固まっている。
「俺、異世界転生?異世界転移?とかそれ系を疑ってて……」
「…………異世界…………そんなまさか!……そんな、でもそれなら、……」
「俺もこの状況が信じられないから、なんとも言えないんだけど」
「……わたしも信じられないんですけど……あの、室町さん。なんか、ここ、魔術が使えるらしくて」
「ま……っ魔術?!」
「はい。さっきそこの受付でそう聞いて……それって、やっぱり異世界転生ってことになりますか?」
肯定も否定もできず、しかし22で死んだとも思いたくない俺は、桃山さんに訊いてみた。
「あー……その、……桃山さんは死ん……亡くなったときの記憶って、ありますか?」
「わたしですか?たしかミーティングルームで」
桃山さんが答えかけた直後。
バーン!と大きな音を立てて、ギルドのドアが全開になった。
何事かと思えば、数人の男たちが駆けこんでくる。
おい!どっかのバカが街ナカで大魔術ブッ放しやがった!
ケガ人が出てる。治癒持ちと僧侶は来てくれ!大至急!
街の外壁に大穴だ。修繕できるヤツ、いるか?!
犯人は憲兵が捕まえた。今、中央通りを連行されてるぞ。
男たちは、ギルドの入口で大声かつ早口に叫んだ。
全部英語だったので、俺の理解が間違ってなければ、たぶんそんなことを叫んでいた。
さっきの揺れは魔術のせいだったのか。
街で大魔術を使うなんて、とんでもない極悪人だな。
犯人がしょっ引かれて来るってよ、見てみようぜ!
という周囲の声も当然英語なわけで、俺の理解で問題なさそうだと思ったときには、ギルドの入口から救助や救援に向かう人、野次馬で犯人を見てやろうという人の流れに巻きこまれていた。
どっと流れる勢いのまま、俺と桃山さんもギルドの外へと押し流されていた。
外に出て人の流れから脱出できたところで、俺はやっと一息ついた。
「地震じゃなかったんだな……」
「なんか、魔術でケガ人って言ってましたよね?」
「うん、たぶん」
「魔術って、危険なんですね。……コレで簡単に使えるみたいだから、わたし、もっと安全なのものかと思ってました」
桃山さんが突き出した左手には、宝石のついた手甲。
「え、それで使えるの?」
「はい。ギルドの受付でそう聞きました」
桃山さんが右手で宝石を撫でるのを真似て、俺もやってみる。
すると、スキルと書かれた小さなウィンドウが開いて、いくつかの選択肢が表示された。水弾だとか、想像しやすい技もある。見た感じ、全体的に水系統の魔術構成のようだ。
「これで魔術が」
使えるのか。すぐには信じがたい。
試してみたくはあるが、街ナカでやったら、どうやら騒ぎになるらしいのでダメだろう。
どうしようかと考えていると、隣で同じように小さなウィンドウを見ていた桃山さんから話しかけられた。
「室町さん、コレって治癒の魔術っぽくないですか?」
「え、どれ?」
「Holy springって書いてあるんですけど……」
「聖なる春……じゃない、聖なる泉か。そう言われると、たしかに治癒っぽいなあ。それか状態異常回復とか?」
桃山さんのウィンドウを覗いたところ、俺のウィンドウにあるのと同じ魔術が並んでいるようだ。
服装も同じで使える魔術も同じ。これはなにか関連があるんだろうか?わからない。
「さっき、ケガ人がいるって言ってたし、もし治癒なら役に立てるかも。手伝いに行ってみます?」
「そうしよう」
桃山さんからの提案に、俺もすぐ同意した。
Holy springが治癒の魔術でなかったとしても、大穴が開いたという外壁から街外へ出て、他の魔術を試してみてもいい。無駄足にはならないだろう。
急いでギルドから現場へ向かう人たちの後を追うことにする。
桃山さんと二人、人波を掻き分けながら進んでいると、しばらくして周囲のざわつきが大きくなった。
おい見ろよ!向こうだよ、向こう!
あれが犯人か!
あいつのせいで壁が……
奴は何をわめいてるんだ?
そんな周囲の英会話に混じって、大声でがなりたてる日本語が聞こえてくる。
「だーかーらーっ!オレは!異世界から来たって言ってんだろーが!!!魔法が強すぎなのは転生チートなんだよ!!!オレのせいじゃない!ケガ人なんて知るか!そこにいたのが悪いんだろ!!!」
俺と桃山さんは顔を見合わせてしまった。
野次馬たちのあいだからそっと覗いてみれば、屈強な兵士たちに左右の腕を拘束され、引きずられるようにして連れていかれる男が見える。
やっぱりというか、その男も俺や桃山さんと同じローブとマント姿だった。
「あの人も日本人で、同じ転生者でしょうか……?」
日本語でつぶやいた桃山さんに、俺は慌てて自分の唇に人差し指を立てた。
この世界の人に、日本語は奇異に聞こえるだろう。目の前を連行されている男と同じ言語を話し、服装もよく似ている、となれば、厄介なことになるとしか思えない。
同じ日本人と思えば助けたい気持ちもあるが、ケガ人なんて知るか、と放言する人間を助けるべきか、というとそれも違うだろう。今はここのルールに合わせたほうが良い気がする。
「あっ!……」
同じことに気がついたらしい桃山さんは、手で口を覆うと黙ってこくこくと頷いた。
ケガ人が出たという現場に到着すると、すでにかなりの数の人が治癒を施されていて、俺と桃山さんの魔術の出番はなかった。ただ、治癒しても失血ですぐ動けない人、恐怖からか腰が抜けたままの人、そんな人たちがたくさんいる。
血の臭いでモンスターが寄ってくるぞ!
手が空いてるヤツ、壁の上で警戒にあたれ!
土の魔術持ち、壁ふさぐの手伝え。人手が足りねぇぞ。
壁が直るまで、外の巡回警備するぞ!経験者はこっちだ!
例によって、吹替も字幕スーパーもない英会話だが、聞いたかぎりではたぶんそんな内容だったと思う。冒険者らしき人たちや街の人たちが、分担して作業している。
「モンスター、いるんですね……」
「そう、みたいだな」
いるならいるで、できればポケモン的なやつが良かった。でも警戒しろというのだから、そんなかわいいものじゃあないんだろう、きっと。
「わたしたちは、壁の上で警戒にあたりましょうか……」
「……おう」
土の魔術はたぶん使えず、警備経験者でもないので、桃山さんの言葉はもっともだった。逃げたい気分もなくはなかったが、まだ動けない人も多い中で、何も手伝わないのも気が引ける。
また、巡回警備の中で魔術を試せるわけもなく、俺と桃山さんはおとなしく外壁の上に登った。外壁は幅があって、上を人が歩けるようになっていた。
壁の上からは、景色が開けてずっと遠くまで見渡せる。
街のすぐ外は、ゲームのチュートリアル終了直後によくあるような草原だった。
明るい日差しに、風が渡るのが見える美しい緑の草原。
遠くのほうには森や白雪を頂いた山々。やはり知らない光景だ。
外壁の上は、数メートルおきに人が立っている様子で、他の人に日本語が聞こえる心配はない。壮大な景色を前に、俺はこころおきなく日本語で愚痴った。
「これ、やっぱり日本じゃないな」
「ほんと、ここどこなんでしょうね。……わたし、都内でだいじな」
桃山さんが言いかけたところで、こちらへ駆けてくる足音がした。
急いで口をつぐむ桃山さん。足音のほうを見れば、俺と桃山さんと同じローブとマント姿の女性が階段を駆け上がり、こちらへダッシュしてくるところだった。
「ぜぇっ……やっと追いついた!はぁっ……さっき、そこの、大きな、通りで、見かけて、はぁっ……あなたたち、日本人、よねっ?!」
膝に手をついて肩で呼吸しながら訊いてくる女性に、桃山さんは警戒もあらわに訊き返す。
「あなた誰?」
「はぁっ……ごめん、急に。私、奈良かすみ。はぁっ……気がついたら、どこだか、はぁっ……わからなくて、私、怖くて」
俺と桃山さんは顔を見合わせた。どうやら同じ境遇の人らしい。
俺はとくに危険はないと判断して名乗った。
「俺は室町渉」
「わたし、桃山華です。わたしたちも、知らないうちにここにいて……魔術があって、モンスターもいるらしくて、景色も日本じゃないし、もしかして異世界じゃないかって言ってたところなんです」
「異世界……?!えっ?!」
奈良さんは荒い息のまま、思考停止したらしい。固まっている。
俺は少し思いついて、近くに他の人がいないことを再確認すると、左手の宝石を撫ぜた。
表示されたウィンドウから、Holy springを選択し、実行してみた。
足元から薄い乳白色の水が湧いた……ようなエフェクトが見えたが、すぐ消えた。
「え。息が。苦しくない」
奈良さんが、膝から手を離した。普通に立てるようになったらしい。呼吸も落ち着いている。
「Holy springは桃山さんの予想どおり治癒っぽいな。範囲回復かな?」
「いきなり何してるのかと思ったら……予想が合ってて良かったですけど……室町さん。もし攻撃系の魔術だったら危なかったですよ!?」
「えっ……?!魔術?!えっ……?!」
困惑しっぱなしの奈良さんに、桃山さんが手甲の宝石を見せながら説明し始めた。
「さっき冒険者ギルドで聞いたんですけど、この宝石を撫でると使える魔術の選択肢が出てきて」
「冒険者ギルド?!えっ?!……あの、桃山さん、今なんて?!」
「冒険者ギルドです」
「えっ?!」
「たぶん、奈良さんもやってみたほうが早いですよ。ほら」
桃山さんが、奈良さんの右手を左手に重ねると、奈良さんの左手にもウィンドウが現れた。いまだ信じられないという様子の奈良さんに、桃山さんが苦笑している。
「えぇ……魔術……?」
「わたしたちも全然試してないのでわからないんですけど、ここにあるHoly springっていうのが、治癒……範囲回復?みたいで。奈良さんがぜーはーしてたのがおさまったでしょ?」
「え?え?」
「あ、でも他の選択肢は街ナカで試すなよ。さっき、それで捕まったヤツが」
俺も説明しかけて、ふと、頭上が暗くなったことに気がついた。
見上げると、大きな影の中にいた。
誰かが叫んでいる。なんだって?トンボ?……違う。
ドラゴンが飛んでいる、だ!
俺が英文を把握しきる前に、あたりは悲鳴と絶叫に包まれていた。
逃げろ!と叫ぶ声、街を守れ!と怒鳴る声。
ズゥゥンという重い地響きを伴って、禍々しいドラゴンが草原に降り立った。
「どらごん……」
ぽかんとして、桃山さんがつぶやいた。
あまりに実感がなさすぎて、俺は声も出ない。
壁の内側、雪崩をうって危険から遠ざかろうとする人の奔流。
壁の外側、巡回していた冒険者たちのパーティがドラゴンへ立ち向かっていく姿も見える。
「……ひぃっ!ド、ドラゴン……」
遅れて悲鳴を漏らした奈良さんが、二、三歩後退して、しりもちをついたのは視界の端に見えていた。
が、俺はドラゴンに気を取られていた。事に気づくのが遅れた。
「奈良さん……?」
桃山さんの声で振り返ったときには、すでに奈良さんのウィンドウの前に、いかにもヤバそうな青い渦が巻いていた。
恐怖でパニックに陥ったのか、それとも、とにかくドラゴンを倒さなければと思ったのか、奈良さんは攻撃魔術を選択してしまったらしい。
「実行は待て、人がっ……!」
制止するも遅かった。
慌てて飛びついた桃山さんが少し軌道をずらせたものの、一直線に草原がえぐれた。そこにいた冒険者たちの一部をかすめたのが見えた。
めくれあがった土の横、倒れた人影が数人。
「あ……」
青ざめて、ただガタガタと震える奈良さん。
「魔術で、ひ、人が……!たた、助けにいかなきゃ……!」
と気丈に立ち上がった桃山さんも、魔術がもたらした惨状に声が揺れている。
己を攻撃した者がわかったのだろう、ドラゴンがこちらを向いたのが見えた。
口の中に溜まっているのは、焔か?
ドラゴンといったらブレスと相場は決まっている。
「逃げるぞっ!おいっ!」
震えたまま反応のない奈良さんを立たせようとしたが、ダメだ。
俺はどうにか彼女を肩に担ぎあげ、桃山さんと壁を駆け下りる。重い。
「助けに、いかなきゃ……」
「待て、正面から行くな!」
義務感なのか、正義感なのか、そう繰り返す桃山さんに俺はストップをかけた。
なにしろドラゴンのブレスはこちらを向いている。熱風が吹きつけてきて、さっきまでいた壁が焦げたのが見えた。
「でも!わたし止められなかっ」
「うん」
それは俺も同罪だ。モンスターを警戒しろと言われていたのに、それを怠って、うかつに魔術の説明など始めるべきじゃなかった。でも、もういまさらだ。
「わかってるから。俺が別方向からヘイト集めるから。注意を引くから、その間に」
桃山さんの返事を待たず、俺は奈良さんを放り出すと外壁の大穴から草原へ走り出た。人がいない方へいない方へと必死で駆けて、宝石を撫でる。
選択、実行。
「Water bomb!」
ドラゴンの口の中へ打ちこむつもりだった魔術は、ドラゴンの鼻先をかすめるだけに終わった。
だが、ドラゴンはこちらを向いた。
もう一度、ウォーターボムを実行。
ドラゴンは、あきらかに敵意をもって俺を見た。
遠くに、桃山さんが倒れた冒険者たちに駆け寄っているのが見える。
ギリギリ魔術の範囲から外れて無事だった他の冒険者たちも、倒れた仲間を街へ連れて戻ろうと奔走している。桃山さんが治癒の魔術を使えば、きっと全員を助けられるだろう。
さて、あとは俺が無事にこの状況を切り抜けられれば良いわけだが。
ドラゴンの口内が赤く光っている。またブレスか!
俺は、とりあえず強そうに見える魔術を大急ぎで選択、実行した。
「Eternal soul blizzard!」
しかし、なにもおこらなかった。ドラゴンには。
「あれ……」
俺のまわりを、青い小さな雪の結晶が取り巻いた。
ちょっと何が起きたのか、すぐわからなかった。
「え?」
たぶん、攻撃魔術ではなかったのだ。
水属性を付与するとか、水耐性が上がるとか、これはなにかバフの効果が得られる魔術で……そう気がついたときには、すでにドラゴンが首をもたげ、開いた口が赤熱していた。
「しまっ……」
思わず目を閉じた。
そして、…………轟音と、突風。
何かがビシビシと体に当たる感覚をやり過ごし、しばらくして。
自分がまだ息をしていることに思いあたり、俺はそっと目を開けた。
目の前にいたドラゴンは、跡形もなかった。
俺の前を横切るように、一直線に土がむきだしになっている。俺の体に当たっていたのは、飛ばされてきた土くれだったらしい。ローブもマントもドロドロだ。
俺は、剝がされた土を直線上に目で追って行った。
街の外壁のすぐそば、左手を突き出したまま呆然とつっ立っている奈良さんがいて、俺は察した。
奈良さんが、再度攻撃魔術を実行したんだろう。
今度は誰も巻きこまなかったし、俺は助かった。たぶん、そういうことだ。
治癒を終えたらしい桃山さんが奈良さんに駆け寄っていく。何か興奮したように話しかけているが、俺のところからは聞こえない。桃山さんに何か言われたのか、奈良さんがぎこちなく左手を下ろし、かわりに右手を突き出した。
たぶん、サムズアップしている。
「あー……」
俺、助かった。生きてる。
緊張の糸が切れたというのか、腰が抜けたというのか、俺はその場に座りこんだ。力の抜けた右腕を持ち上げて、俺も二人に向けてサムズアップする。
「はぁあ~」
安堵のため息をついて上を見あげれば、空が青……いや、白い?!
「Finished. You log out within 10 seconds. ..9..8..」
謎のカウントダウンが聞こえるのと同時に、視界がホワイトアウトした。
「おつかれさまです」
声をかけられて、はっとした。
頭の上から何か重さのあるものが外されて、目の前の机の上に置かれた。
これは……ヘッドマウントディスプレイ?
シャッシャッと小気味良い音を立てて、ブラインドが上げられていく。
薄く開けられた窓から風が入り、ミーティングルームに立ちこめていたラベンダーらしき安眠を誘うアロマの香りが抜けていく。
静かに流れていたオルゴール音の穏やかな曲が止められ、電気が点けられた。
急にまぶしくなった室内に、俺は目をしばたいた。
あれ?
俺、なんか寝てた?
「皆様。本日は、弊社の新卒採用試験、最終面接にお集まりいただき、ありがとうございました」
ミーティングルームの前方。
【人事課】と書かれた社員証を首から提げた女性が、にこやかに話しはじめた。
あらためて周りを見ると、そうだ。
そこは東京都内の、普通によくある近代的なビルの一室。俺はリクルートスーツを着こんで、この会社の最終面接を受けに来たところだった。
こちらでお待ちください、と通されたミーティングルームは薄暗く、そういえば妙に眠気を誘うように工夫されていた。
「本年度、弊社はVR技術の研究開発を行っているXX社と提携し、最終面接として【VRMMORPGドラゴンとの遭遇】α版を活用することとしました。最終面接に進まれた皆様の個性や適性を見いだすべく、皆様にはあえて事前説明なく臨んでいただきました」
どこか呆然としたままの就活生たちに、人事課の女性はよどみなく続けた。
「机の上、皆様から取り外したHMDと弊社サーバーには、VR内における皆様の行動を記録しておりますが、当データは採用の検討にのみ使用するものであり、使用後は弊社で責任をもって破棄させていただきます」
やっと頭が働きだした俺は、自分の行動をかえりみた。
異世界転生なんて、とんだ勘違いだった。恥ずかしい。
人に見られて埋まりたくなるような行動はしてないはず……してない、と思いたいが、今すぐ両手で顔を覆いたいくらいには恥ずかしい。
使用言語が英語だったことも、いまさら納得がいった。会社側には、俺の英語力の低さが思いっきりバレたに違いない。
「本日の結果につきましては、後日メールにて御連絡とし、また、採用が決まりました方には別途お電話差し上げます」
同じ就活生たちに目を向ければ、たしかにVR内で見たような顔がいる。
向かいに座っている男子は、憲兵に連行されていた男ではないかと思う。人事課の女性の正面、耳を赤くしてぷるぷるしている女子は、きっと奈良さん。今ちょうど視線がぶつかった女子は、たぶん桃山さんだろう。
俺たちはVRの世界に、最終面接のために放りこまれたらしい。
しかし、まだ結果もわからないのに、なんだろうこの充足感。俺は内心で苦笑した。
「本日はこれにて終了です。ご質問は、このあと個別に承りますが、とくになければ自由退出といたします。皆様、お忘れ物のないよう、お足元にお気をつけてお帰りください。おつかれさまでした」
正解を話そうとするたびに、さえぎられる桃山さんw
叙述トリックの亜種かつ夢オチの亜種(のつもりで書いたけど、自信はない)
ジャンル、異論は受けつけます(VRゲームだとジャンルでオチバレするので断念しました)
お読みいただきありがとうございました。