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芽室・武蔵:年始

 31日はテレビを見ながら年越しそばを食べ、芽室めむろただし武蔵むさしたちは、仮眠をとってから初日の出に合わせて、楠本くすもとも一緒に神社へ向かった。

 神社は家の近くの小山にあり、鳥居も木としめ縄だけで作られたものだった。山に登り小さな本殿に参拝した。

 天候は澄み渡った晴れで、初日の出の暁光は美しかった。四人でしばし見とれる。

 この東側にあるのは奥の本殿と言われるもので、もっと大きい拝殿を備えた神社が山を越えた西側にあった。

 斉は一日の今日しか活動しないという宮司への挨拶もかねて、お札をもらってくると言って、獣道を西へと歩いて行った。子どもたちへは強要せず、しかし代わりに明日海沿いにある大きな住吉神社へ破魔矢を授与してもらいに行くよう言った。1日しか開かないこの神社はお札しか授与しないらしかった。

 楠本は家に帰り、武蔵と芽室も帰って、とりあえず眠かったので寝た。

 朝起きた時にもキスされたが、眠るときにも芽室はキスしてきた。唇と手首に軽く触れる程度のものだったが、なんだか敷居がどんどん低くなっているような気がする。それでも抵抗する気は全く起きなかった。

 正太しょうたと結婚してここで暮らす。

 斉の希望通りにできれば、それは幸せな気がした。それでもその選択肢は選べない。神崎こうさきがいる限り、それはあり得なかった。

 斉の希望で武蔵はおせちではなくおでんを31日に作っていたが、戻ってきた斉はおでんをあてにさっそく日本酒を飲みだした。明日から得意先に挨拶に行くので今日こそ飲むのだと言っていた。そのうち隣の楠本家から父親と祖父がやってきて、男三人で愚痴を含めて飲みだしたので、和之を含めた中学生の3人は芽室家の庭にあるバスケのゴールポストで初バスケをしだした。

「右手はもう平気なんだよな?」

「三日後には治ったって言っただろう」

「お前の言うことは信用ならないんだよ」

 楠本への返答に、芽室が手痛い言葉を投げてくる。まあ、言い返せはしないのだが。

 一年の最初の練習試合で、武蔵は勝つために本気を出した。しかし途中から古傷の、もう完全に治っているはずの右手首の傷が痛みはじめたのだ。

 右手首の傷が治るまで左手で生活していた武蔵は、実質両利きになっていたので、試合後の約二週間ほどの間は、左手で字を書いたり食事をしたりしていた。右手首の傷は、父から贈られた白いリストバンドをつけると楽になったが、武蔵を複雑な気分にさせた。

 試合には勝ったが、楠本もとても心配していたし、阿恵などからは何度大丈夫かと尋ねられたかわからない。

 傷は完治しているはずなので、痛みは精神的なものなのだろう。

 基本自分に無頓着で、痛みもさほど気にしてなかった武蔵だったが、周りがことのほか心配するので、痛くないふりをするもあった。

 芽室はそれを取り上げて信用ならないと言っているのだろう。

 勘のいい友人を、武蔵は苦笑して見返した。


 2日の破魔矢をもらいに住吉神社に行くのには、楠本はついてこなかった。家族で参拝するから二人だけで行ってくれと謝られてしまった。幼い兄妹の子守り役なのだろう。

 神崎も家族で過ごすので、会えるのは明日になってからだった。

 神社に行くために、弘伸ひろのぶからもらったコートに袖を通す。

「それ着てると、本当に男だが女だかわからないな」

 芽室がいつも武蔵が来ていた灰色のダッフルコートから、弟の弘伸にクリスマスプレゼントにともらった古着のオフホワイトのロングコートに変えたのを見て言った。

 色や体にそった曲線からしても、確かに男性より女性向きのコートだ。

 それでもみんなから似合うと言われたし、何より弘伸からのプレゼントだったので武蔵はこの白いコートを愛用していた。

「そうかな?」

「まあ、前のダッフルコートよりは似合ってるよ。古着屋で買ったんだっけ?」

「うん、弘伸が」

「よく見つけてきたよな。なんか、永良も喜んでなかったか?」

「家にあった、俺に着せたいと思ってたやつと似てるらしい」

「まさかそれじゃないよな?」

「サイズが全然違うって言ってたから違うだろう」

「このデザインでこのサイズは、あんまなさそうだよな」

 芽室はそう言いながら、コートの襟を触った。丸ではなく四角い襟だ。ウサギのファーが付いていたが、それは外している。

「でもまあよく似合ってるよ。よかったな。弘伸からのプレゼントで」

「うん」

 武蔵は弘伸からもらったことを喜ばれて、笑顔でこたえた。

 この白いロングコートを着ると、防御力が上がる気がした。別に戦う訳ではないのでなんの防御力かと聞かれても困るのだが。武蔵には常時に見えている、小さい付喪神や妖怪が寄ってこない気がするのだ。大物も近づいて来ない気がする。

 神社は人が多いと邪念も集まるのか、年始や祭りの時の神社は頭痛がするので苦手で避けていたが、昨日参拝に行った芽室の家の裏手の、参拝客のほとんどいない小さな神社と、このコートを着ての住吉神社は大丈夫だった。

 人手の多さに芽室は辟易していたが、年始に頭痛もなく無事に参拝できたことに武蔵は満足していた。思わずコートの襟をただす。

 自転車で来ていたので、二人で自転車置き場にいた時に、船上ふながみたちに声をかけられた。白畑しらはた久喜くきも一緒で、最近よく見る組み合わせだ。船上と久喜は、朝の特別練習を船上だけが受けていたことを久喜が知ってケンカしていたようだったが、仲直りしたようだ。

 久喜は船上が来るまでは誰とも仲良くせず、ただバスケをしているだけだったが、船上とは友達になったようだ。神崎こうさきは喜んでいるというか楽しんでいるようで、二人をからかいもしていたが、武蔵もよい傾向だと思った。

 チームプレイは人としてのつながりも重要だし、何より、人は一人では生きていけない。


 3日は親からの許可がおりたのか、神崎が遊びにきていた。正月らしく百人一首をやろうとカルタを持参していて、挨拶回りまでに時間に空きのあった斉が読み役を買って出てくれたが、息子の方が、

「俺全然覚えてないから俺が読むわ」

というので父親が参戦した。しかし芽室の読みはカラオケと同じく気分次第なところがあり、テンポはまちまちだった。

「ちょっとむろちゃん、読みが一定じゃないと取りにくいんだけど」

「んなこと言ったって、読むの初めてなんだからしかたないじゃん」

 芽室には改善する気はなく、息子とも百人一首とも付き合いの長い斉と、自力の強い神崎との一騎打ちになった。

 楠本は百人一首をほとんど覚えていなかったし、武蔵も白熱する二人についていけなかったので自分の近くに置かれたもので取れるものだけを取っていた。

 結果、斉は手加減せず一番で、次が神崎、そして武蔵に楠本だった。

 大人相手とはいえ、負けた神崎は悔しそうにしていたが、本気を出していなかった武蔵の方をにらんできた。

「真面目にやりなよね。勝負は真剣にしなきゃつまらないだろう!」

「ごめん」

 親友のいつもの口先だけの謝罪に、神崎はため息をついて武蔵の頭を小突いた。


 昼からは芽室の祖母の墓参りに行く予定で、芽室は墓前で母と会う約束をしていた。墓参りには楠本が付いて行った。事前に一緒に行くと言われていたので、芽室はそれを受け入れた。武蔵も気にはなったので、ついて行くとは言わなかったが、芽室が部屋に置きっぱなしにしていた絵の入った封筒を黙って渡した。芽室も黙ってその封筒を受け取った。

 芽室が祖母の墓につくと、母の明子あきこが待っていた。母は記憶より小柄だった。母と別れたのは小学3年だったのだから当たり前だ。自分が大きくなったのだ。正太を生んだ時に17歳だった母は若く、年を取ったようには見えなかった。話にだけ聞いていた異父兄妹の姿は見えなかった。

 楠本は頭をさげただけで、一歩下がって口は挟んでこなかった。

「正太。ひさしぶり」

「ひさしぶり——かあさん」

 明子は涙をぬぐいながら、ごめんねと繰り返しながらも、大きくなった息子の成長を喜んでいた。祖母からは、明子が自分を置いていったのは、祖母が強くそう願ったからだとは聞いていた。正太は芽室家の子どもなので連れて行くなと言ったらしかった。

 本当なのかずっと疑い続けていたが、今、目の前で自分の成長を喜んでくれている母の姿を見ると、そんなことはどうでもよくなってしまった。

 母が家から出て行ったのは、夫である斉が浮気をしたからだと世間では思われているが、実際は違った。

 客間にあるアップライトピアノは祖母が流行りの時に買ったものだが、結局飽きて放置していたものを、母の明子が習いたい言うので調律して使えるようにした。そして正太も母の明子についてピアノ教室に行ったりしていたが、明子はそこのピアノの先生と恋仲になり、斉と離婚して家を出て行ってしまったのだ。ピアノの先生は有名なピアニストだったらしく、海外に行ってしまい、正太は母親との繋がりを失ってしまったのだった。

 しかし、世間体が悪いと思ったのか、祖母は明子が出て行った理由を、斉の浮気が原因だと周りに説明した。斉もそれを受け入れたので、芽室は祖母が亡くなるときに告白するまでずっと、祖母の言葉を信じていた。

 祖母から話を聞いた時は、いっそ墓場まで持って行ってほしかったと苦しく思ったものだ。

「かあさん、これ。遅くなったけどプレゼント」

 封筒を受け取った明子は、中を見て驚いた様子だった。息子に顔を向ける。

「ばあちゃんの部屋から見つかったんだ」

「そう、お義母さんが…。ごめんね」

「もういいよ。謝るのはやめてくんねぇ?」

「でも…」

「今は幸せなんだろ」

「ええ…ええ」

 息子の優しい言葉に、明子は涙を浮かべながら何度も頷いた。

「今度きょうだいにも合わせてくれよな」

「いいの?」

「ああ」

 笑ってそういうと、母は息子を抱きしめてきた。小柄な母の身長は成長途上の自分よりも低かったが、武蔵よりも高いなとなぜか思った。

 そのあとは楠本を呼んで近況を報告しあった。母は夫に付き合って海外へ行くことが多いらしい。英語がなかなか話せるようにならず、言葉が通じなくて大変だといった。芽室は部活でバスケをやっていることと、父親の斉とはそれなりにやっていることを、母を安心させるために言った。

 母親とは墓地の出入り口で別れた。

 自分で思っていたよりも、怒りも悔しさも感じなかった。少し切なかっただけだ。

 母が元気でいることを素直喜べたことが嬉しかった。


「どうだった。久しぶりの対面は」

 帰ってくるなり、神崎が聞いてきた。いつも他人のナイーブな事情に、躊躇いなく突っ込んでくる奴だ。

「ああ、元気そうにしてて安心したよ」

「異父弟妹には会ったの?」

「いや。母さんしかいなかった」

「今日は僕がコーヒー淹れてあげるよ。豆も買ってきたからさ」

 神崎がカバンから茶色のコーヒー豆の入った袋を取り出した。

「それ、豆のままじゃねーの?」

「ミル、あるかと思って」

「いや、あるけどよ。俺が淹れるよ」

「じゃあ一緒に入れさせてよ」

 それなりに有名なコーヒー店のロゴが入った袋に、せっかくの豆を台無しにされかねないと思って芽室は言ったが、神崎もコーヒーを一からいれるのに興味があるだけのようだった。簡単に主導権を渡してきた。

 仕方ないのでOKと答えて、二人でブラジルのコーヒーを淹れた。苦みのある味は芽室には好みだったが、神崎は酸味が足りないといった。武蔵は黙ってブラックで、和之は牛乳をいれて友人が豆から入れくれたコーヒーを飲んだ。

 神崎は芽室家の愛犬のマリアンヌや鶏と遊んで帰っていった。猫のジュリアとも遊びたがっていたが、おもちゃにされるのを察したのか、ジュリアは終始庭の木の上から住人たちを眺めていた。


 夜、母とのことを思い出しながら、部屋で本を読んでいる武蔵に目をやった。

 昔思ったとおり、武蔵はどこも母親と似てはいなかった。以前はそれがやるせなかったが、今はどこか安堵した気持ちになった。

 武蔵は母親とは違う。

 芽室は武蔵が呼んでいたSFの本を黙って取り上げて、キスをした。右手首にもキスをする。右手首へのキスはもはや癖だった。

 再度唇にキスをして、今回は最後までやるつもりで下半身に触ったら、あるべきものがなかった。少し突起があるだけだ。

 驚いた芽室は、武蔵から体を離した。

「お前、なんで何もついてねーの?」

「——俺、男でも女でもないから」

 武蔵が小さな声で答える。

「は?」

「染色体の異常で、どっちの性器も未熟なんだ」

「え? でも“男”だろ?」

「……戸籍上はな」

「——。もしかして、戸籍によっては、女だったかもしれない——ってこと?」

 黙って頷く武蔵。

「マジかよ?!」

 芽室は驚き、二人はしばし無言になった。

「——今から女にとかは…?」

「性別変更は、できるって言われてる」

 武蔵はうつむきがちに言った。

「はぁ?! じゃあお前なんで神崎と付き合わないんだよ? 何の障害もないじゃねーか」

 父親と同じことを息子が言う。答えは同じだ。

「——神崎にはタイプじゃないから、男女として付き合う気はないって言われたよ。友だちならいいそうだけど」

「玉砕済かよ…」

 行動力のある武蔵らしいが、芽室は呆れてしまった。

 しかしそうなると…疑問が頭に湧いてでてきた。

「あれ? じゃあ、お前なんで俺と…」

 うな垂れた様子の武蔵を見る。昔した、神崎と会話を思い出した。

「室ちゃんって武蔵のこと好きだよねー」

「は?」

「武蔵も室ちゃんのこと好きみたいだよ」

「あーそう」

「両想いで良かったね」

「なんだそりゃ」

 真面目に聞かなかった台詞だった。

「——お前、俺のこと好きなのか―?」

 困惑し、驚いた顔で芽室を見る武蔵。言葉はでなかった。

「!!」

 二人で黙り込む。

「——悪い。俺、ちょっとお前とのこと考え直すわ」

「……うん」

 芽室の当惑した言葉に、武蔵は囁くような小さな声でこたえた。

 結局その後は何もせず、二人で並んで寝たが、寝つけたものではなかった。

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