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芽室・武蔵:年末

 年末年始、武蔵むさしは母親が精神病院から家に一時帰宅する関係上、芽室めむろの家に泊まることになっていた。小学時代はおばさんの家に泊まっていたが、中学に上がってからは、武蔵本人の希望で、芽室に家に泊まっていた。芽室の父親も、もともと息子と二人だけの年末年始を過ごすよりいいと思ったのか、武蔵の望みを簡単に受け入れた。

 武蔵は去年は29日から来ていたが、中学二年の今年は、去年より長めの滞在予定で、28日の昼過ぎには芽室家にやって来ていた。

 昼間、外の庭で武蔵と家庭菜園の手入れをしていた芽室は、のどが渇いたからと言って家に戻った。

 冷蔵庫を見ると、見たことのないピーチのジュースが入っていた。フルーツが好きだった芽室は、何も気にせずに取り出して勝手に飲んだ。親子二人だけだからか、父親のただしがいい加減だからか、はたまた息子が言うことをきかないからか、冷蔵庫の中のものは基本何を飲み食いしてもいいことになっていた。

「あれ…?」

 ピーチの甘味と香りに満足して飲んでいると、何とはなしに視界がゆがんでいるような気がした。

 そこに、さっき自分が入って来た勝手口から、武蔵が入ってきた。

「芽室、俺もお茶もらえないか?」

 芽室は武蔵を見ると、その姿が一瞬揺らいだのを感じた後、そのまま抱き着いた。

 そっと口づけをする。

 芽室が酒が入ったら近くにいる親しい人間にキスする悪癖があるのは、仲の良い人間の誰もが知っていることだった。幼なじみの楠本くすもとは何度されたかわからないし、神崎こうさきも一度キスされているのを武蔵も見たことがあった。それでも芽室から武蔵にキスしてくることは酒が入ってでもなかった。

 武蔵は抵抗することもできたが、そのままにしていた。

 芽室と口づけするのは、バスケ部でやったゲームの罰ゲームで、武蔵からキスしてから二度目だ。これが初めての芽室からのキスだった。

 芽室のキスはすこし酒臭かったが、優しく、唇だけではなく頬や首筋にもキスしてきた。当然のようの右手の傷跡にもキスをする。改めて唇にキスをしてきて、舌まで入れてきた時にどうしようか武蔵が考えていると、声がかかった。

「なにしてるんだ」

 芽室の父親のただしだ。勝手口からみて斜め左になる、玄関横の仕事部屋から出てきたようだった。

 武蔵はあわてて芽室から離れたが、芽室はまだぼうっとしていた。

 斉は二人の元にやってくると、手加減しているのだろうが、かなりきつく息子の正太の左ほおをはった。芽室が目を覚ます。

「痛ってぇ! 何すんだよ」

「お前こそ何してるんだ。4%だぞ。全部飲んでる訳でもないのに、相変わらず情けない奴だな」

 ダイニングテーブルに置いてあったピンクの缶を持ち上げていう。ピーチの模様が入ったそれは、ももの酎ハイだった。

 芽室は正気にもどったのか、あ、と言って固まった。

 斉は息子が飲み残したチューハイを飲み干すと、軽くすすいで缶のごみ箱に捨てた。

「時間と場所を考えろよ」

 それだけ言うと、斉は保温ポットから湯呑にお茶を入れて、自分の仕事部屋へ戻って行った。

 息子が酒を飲んだことにも友人とキスをしていたことにも触れなかった。たぶんこの家ではよくあることなのだろう。

「えっと…悪い」

「いや。——おじさん、何も言わないんだな」

 謝って来た芽室に、不可思議とさえいえる態度の斉のことを話題にすると、

「どうでもいいんだろ」

 息子からは冷たい言葉が返って来た。悪態をついて椅子に座る。まだ少し目が回っているようだった。片手で頭を抱えている。

「コーヒー淹れようか?」

 芽室の眠気を覚ますため、武蔵は食糧庫からコーヒー豆を取り出しながら言った。芽室も父親の斉もコーヒー党だ。

 芽室はああと答え、武蔵はコーヒーメーカーでなく紙ドリップしたコーヒーを淹れた。二人で年末年始の過ごし方やとりとめのない話をしながらコーヒーを飲んだ。


 夜、武蔵は芽室の部屋で一緒に寝た。部屋はいくらでもあったので、去年は芽室からは「は?」と怪訝な顔で問われたが、誰かが一緒の方がよく眠れるからと言って頼むと、しぶしぶと言う感じで許可してくれた。


 翌日芽室が目を覚ますと武蔵はもう起きていて、台所に行くと朝食の準備をしていた。昨日より台所と居間が綺麗になっている。

 おそらく武蔵が早起きして掃除をしたのだろう。神崎から聞いた話だと、武蔵は3時半ごろに起きて1時間ほどランニングと空手の型をして、残った時間は雑巾がけで家を掃除しているらしい。

 去年も武蔵が泊まった後は家がピカピカになっていた。

「今日も雑巾がけしてたのか」

「うん」

「そんなに働かなくていいんだぜ」

「習慣だから」

 話していると斉も起きてきたので、3人で武蔵が作った焼き鮭の純和食の朝食を食べた。

 親子で朝食をかこむのは久しぶりだ。早くに起きる斉は和食派だが、父親が働き始めてから起きる息子の正太しょうたは面倒くさがって食パンだ。

 武蔵は動いている方が落ち着くからと、芽室の家の掃除を黙々としていたが、芽室はせっかくの休みなので昨日より綺麗になっていた居間で一人でゲームをしていた。

 武蔵は斉の許可を得て、芽室家を隅々まで掃除していた。仕事の書類がある斉の仕事部屋と個室は対象外だったが。正太も外の掃き掃除ぐらいは手伝ったが、室内を雑巾がけし始めたあたりでギブアップして、武蔵に一応断わって格闘ゲームをしていたのだ。

 すると、そこに武蔵がやってきた。大きな封筒を手にしている。画用紙が入るサイズだ。

「これ、奥の部屋で見つけたんだけど」

 奥の部屋は祖母が使っていた部屋だ。一番南西の庭沿いにある。縁側からは池が見えて、祖母は縁側で庭木をみながらお茶を飲むのが好きだった。武蔵も落ち着くからと言って時々同じことをしていた。

 芽室は祖母の部屋だった奥の部屋から見つけたという封筒を、疑問を感じながら受け取った。封筒から中身を出すと、「おかあさんありがとう」の文字と、クレヨンで描かれた母親の絵があった。

 記憶にはなかったが、「めむろしょうた」と記名されていたし、間違いなく自分が描いたものだろう。多分、母が出て行った小学3年生の時に描いたものだ。

 思わず武蔵を見返す。

「箪笥の中に入ってたよ」

 祖母は母とは仲が良かったが、母が出て行ってからは祖母は一切母の話をしなくなった。時折、母が使っていたアップライトピアノを触っていたぐらいだ。

 正太は祖母が自分の描いた絵を置いていたことが信じられなかったし、しかし納得できる気もした。

「今度、会うんだろう。渡したらどうだ?」

 芽室は武蔵の言葉にはこたえず、封筒に入れた絵を持って自分の部屋にむかった。


 夜、芽室の部屋で、武蔵が一人で神崎から勧められた短編のSF小説を読んでいると、芽室がやってきた。武蔵が一人でいるのを見て、襖をしめて突っ張り棒をかける。狭い階段を二階に上がってすぐ左手にある芽室の部屋は、片方しか襖がなく、突っ張り棒を鍵代わりに使っていた。

 芽室は武蔵のすぐ隣に座った。

神崎こうさきのか?」

「ああ」

 読んでいた本を芽室に渡す。芽室は興味なさげに表紙を見ると、横に置いた。

 お互い顔を見合わせる。

 芽室は武蔵の右手を取って、手首の傷にキスをした。それから上目使いに武蔵を見た。嫌がっていないか確認しているかのようだった。

 芽室は改めて武蔵の手首を見た後に、口づけをしてきた。アルコールの臭いはしなかった。

 その口づけも優しいもので、今度は口づけながら上着をさぐってきた。一瞬迷ったが、そのままにしていると、芽室は腹部を触る手を止めた。感触に違和感を感じて止めたのだろう。そこには熱湯をかけられた時の傷跡があった。芽室は武蔵の服をめくって体を改めて見た。火傷の他にもいくつも切り傷やたばこを押し付けたような傷がある。

「お前、これ…」

 武蔵は理由を言えず、苦笑を浮かべるのが精一杯だった。

 芽室は武蔵の表情に止まり、上着を戻して口づけしてきた。それに武蔵も返し、二人のキスは激しいものになった。

 それでも芽室は口づけしただけで終え、布団を引いて早々に寝てしまった。


 次の夜も芽室はキスをしてきた。体についたやけどの跡の傷や、他の傷にもキスをしてきたが、それ以上のことはせず、下半身には触れなかった。

 芽室からのキスは、右手首へも含め、まるで傷を消す魔法をかけているようで、その柔らかい感触の優しさに、武蔵は涙がでそうになる時すらあった。

 芽室は上半身に一通り口づけすると満足したのか、昨日と同じように自分の布団に入って寝てしまった。

 しかし武蔵は芽室が体の傷にしたキスの感触が抜けず、なかなか眠れなかった。武蔵はシャワーを浴びようかと一階に向かった。すると斉が台所で一人でチーズとハムをあてに赤ワインを飲んでいた。

「眠れないのか?」

「はい、ちょっと。牛乳でも飲もうかと思って」

 武蔵がいつも早朝にシャワーを浴びることを斉は知っているので、この時間にシャワーを浴びる理由が思いつかず、武蔵はとっさにウソをついた。

「ワインどうだ。ミディアムで飲みやすいが、なかなかいい出来だ。香りもいい」

 斉は席を立って食器棚からワイングラスを出すと、テーブルに置いてあったワインの瓶から慣れた手つきで赤ワインをそそいだ。グラスの三分の一にも満たないほどほどの量だった。

「でも、未成年ですから」

「ははは、そんなこと本当に気にしてるのか?」

 そう言いながらワイングラスを武蔵の方に寄せてくる。確かに武蔵は、酒を飲んだこと、いや、飲まされたことは何度もあった。この町に引っ越してくる前、もっと幼いころの話だったが。

 武蔵は椅子に座って、目の前の赤ワインを口にした。なめらかなタンニンの渋味と、甘みの調和がとれた美味しいワインだった。斉が言うように香りもいい。

 斉は食糧庫からクラッカーも出して皿の上に置いた。

「パンにするか? 食パンしかないが。聖餐になるぞ」

「キリスト教徒じゃないんで」

 軽い冗談だったが、武蔵は笑った。息子に対してもそうだが、斉の子どもに対する扱いは普通の家とは明らかに違った。今もそうだが、法律よりも自分の価値観を重視して、善悪合わせて子どもにも対等に接してくれている気がした。

「このワイン、美味しいです。いい香りだし」

「だろう。正太と飲めればいいんだが、あいつは下戸だからな」

 そこで思い出したのか、斉が言った。

「この間はあいつがすまなかったな。ファーストキスだったか」

「いえ」

 まさかあれから毎夜キスしている上に、そもそもトランプの罰ゲームで自分から先に芽室に口づけしているとは言えなかった。

「女嫌いのくせになんであんな酒癖なのか、変なやつだろう? 本質的にゲイなのかもな」

「ははは」

「お前は神崎が好きなんだろう。付き合わないのか?」

「おじさんはそういうの、気にしないんですか?」

「そういうのって、同性愛のことか?」

「はい」

「色々な人間に会ってきたからな。俺は女が好きだけど、同性愛者だからって否定はしない。お前は特に関係ないだろう」

 斉の言葉に、武蔵は思わずワイングラスをあけた。

 伯母と長男の勝優かつまさから、斉には武蔵の家の事情はすべて話していると、去年の年末年始に泊まらせてもらうことになったときに言われていた。すべてが、どこまでを指しているかはわからなかったが、武蔵は一度も斉に確認はしなかった。何を知られていようと、どうでもいいと思っていた。

それでも今の斉の言いようは、自分が神崎と男女として付き合える立場にあることを知っているようだった。性別などは武蔵にとって大した問題ではないので、伯母たちから聞いているのだろう。

「神崎からは、タイプじゃないって断られました」

「本当か? いつ」

「中学にあがる前に」

「お前、聞いてはいたけど、なかなか勇気があるな。そうか…まあタイプじゃないなら仕方ないか。

 うちの正太なんてどうだ?」

「え?」

 毎夜の口づけのこともあり、武蔵は固まった。まさかビデオがついている訳ではないだろう。この間の台所でのキスからの連想かもしれない。

「あいつお前のこと好きみたいだし、どうだ? 俺としても歓迎なんだが」

「でも、俺じゃあ子供はできませんから」

「そんなこと気にしてるのか? 子育てしたいなら、里子なり代理親なり探せばいいじゃないか。それとも自分の遺伝子じゃないと嫌なのか?」

「おじさんは平気なんですか」

 斉も一度離婚していて、母親側に娘がいると、伯母から聞いていた。武蔵の家の事情を聞く代わりにと話してくれたそうだ。

 息子の正太を育てるのにも苦労したらしい。正太は中学生のわりに携帯を持っていないが、小学5,6年の時に学校に行かずに町を遊び歩いていた時に、位置情報を把握するために斉が持たせていたらしく、芽室本人から、充電が切れていたり持っていくのを忘れるたびにしばかれたと愚痴を聞いたことがある。だから部活で忙しく、自由時間もろくにない今は持っていなくてもいいだろうと持っていないらしい。携帯に悪いイメージがついてしまっているようだ。

 そこまでして息子の動向を管理するなんて、見た目より拘束力の強い親だと思っていたが、単に門限に家に帰らせるためだったと聞いた時は、両方に呆れたものだった。

 世の中には友達の家を泊り歩くような子どもいるらしいので、そうならないようにしていたようだ。

「子どもなんて血が繋がってようがなかろうが同じだろう。あんな奴ら、躾けなきゃただの動物だ。寂しいなら犬猫でも飼えばいい」

 自由気ままな息子を育てている斉らしい言葉と言えた。

「辛辣ですね」

「事実だろう」

 そう言って斉はグラスにワインを注いだ。空いている武蔵のグラスにも、少しだけワインを注ぐ。

「自分と子どもどころか、自分と他人が別人格だってわからない人間も多いからな」

 愚痴を言っている割に、斉はワインを丁寧に飲んでいた。今も香りを楽しんでいる。久しぶりの当たりだったのかもしれない。

 武蔵も斉に倣って香りを楽しんだ。芳醇な香りのするワインだ。ワインには口をつけず、香りだけでクラッカーとチーズを食べる。

「酒、強そうだな」

「強いと言われたことはあります。でも、あんまりいい思い出じゃないです」

「子どもに酒を飲ませて酒が強いなんて言う輩は、ろくな奴じゃないからな。俺もそうだが」

「おじさんは違いますよ」

「いや、同じだよ」

 ワイングラスを回して一口飲んでから斉は言った。

「アルコールで自分の意見を聞き入れさせようとしてるんだからな。

お前が嫁入りしてくれると嬉しいのは酒に関係なく本音だが。まあ、頭の隅にでも置いておいてくれ」

 斉がどれほど本気で話しているのかわからなかったが、あの息子の行く末を心配するのは理解できる気がした。自分などに執着して、将来どうするつもりなのか。一時の感情だろうと割り切り、武蔵は少しのワインをゆっくりと楽しんだ。

 斉は三杯目は入れず、量にしてはわずかなワインだったが、武蔵はワインのおかげでぐっすりと眠れた。

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