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満:夏~クリスマス

 ピーという電子音で、中学1年生の白畑しらはたみつるは目を覚ました。台所から聞こえてくる炊飯器の炊きあがりの音だ。目覚まし時計のセットした時間より5分早い。

 満は目覚ましを切り、横を見た。いつも並んで寝ている母の布団は、畳んで部屋の端に置いてあった。まだ帰っていないようだ。今日は遅番だと言っていただろうか。勤務が急に変わることがあるので、満には母の勤務の状態はよくわからなかった。

 白畑家は2Kの文化アパートで、個人の部屋というものはない。台所とダイニングの洋間と親子の寝室の和室だけだ。

 寝室にだけあるエアコンの電源を切った満は引き戸を開け閉めし、台所へ向かった。部屋はすべて引き戸で区切られている。

 とりあえず洋間から続く洗面所で顔を洗い、焚きあがったばかりのご飯と、お弁当用の冷凍食品、それに母が出勤前に焼いてくれていた冷蔵庫の中の卵焼きを半分弁当箱に詰め、蓋を閉めて冷蔵庫へしまった。今は7月。ちゃんと冷やさないと腐ってしまう。

 昨夜の残りのわかめと豆腐とねぎのみそ汁に残りの卵焼きを食べ、食器を洗った満は、制服に着替えてパジャマを洗濯籠へ入れた。保冷袋に保冷剤と弁当箱をいれ、カバンの中にしまうと、「いってきます」と誰もいない家に向かって言い、満は家を出た。

 こんな日がもう1か月近く続いている。

 母は薬剤師で24時間営業の大型薬局店に勤めているが、最初は昼の勤務だったのが、店長が変わってから夜間の勤務が入るようになり、それから調子を崩していた。早番が7時から15時。中番が15時から23時。遅番は23時から7時だ。母は口に出しては言わないが、同僚やお客さんに癖のある人が多いようだった。たまに携帯を見ながら、「またあの人…」とつぶやいているのを耳にした。

 生真面目な母は、勤務時間が変わってもちゃんと食事やお弁当を作ってくれていたが、時々起きられなかったり、ご飯を炊き忘れたりし始めた。母子二人暮らしなので、満から自分で弁当は冷凍食品でなんとかすると言ったのだった。ご飯を炊く準備も満がしている。

 母は最初は抵抗したが、弁当を忘れられてパンを買うよりいいと言った息子の言葉に折れて、今では卵焼きだけ出勤前に焼いて冷蔵庫へ置いておいてくれるようになった。

 家にいる時は大体寝ているし、話しかけても疲れているのかぼんやりしているので、会話をする機会はどんどん減っていっていた。夕食が冷凍食品になることも増えた。

 それでも冷凍食品は職場でも売っているので、ちゃんと買ってきてくれているし、たまにウインナーも焼いてくれている。


 冷凍食品のお弁当なのを知られるのが嫌で、満はお昼は屋上への扉がある階段を上がったところの踊り場の手すりのかげで一人で食べていた。屋上への扉は施錠されているので、教師でもなければ人がやってくることはない。

「へぇ、冷食のおかずってそんななんか。意外とフツーなんだな」

 背後からの聞き知った声に慌てて顔を向けると、そこにバスケ部の先輩の芽室めむろがいた。1年の教室は最上階の4階だが、2年生は3階だし、こんな場所に用があるとは思えない。

芽室は手すりに肘を預けて、上から満の弁当を覗き込んでいた。

「これやるよ」

 そういって芽室はレトルトのカレーを渡してきた。

「じゃあな」

 それだけ言って、芽室は口笛を吹きながらどこかに行ってしまった。

 芽室の家は母子家庭の満と逆で、父子家庭だ。弁当はドカベンに米を入れただけで、それを缶詰やレトルトのおかずで食べていると聞いたことがあった。どうやら噂は本当らしい。

 冷凍食品の弁当だと知られていたらしいことに、満は不安を覚えた。

 芽室が自ら他人に関わるのは、大体ろくなことではないのだ。

 それにしても、一体誰から冷凍食品の弁当だとバレたのだろうか。


 部活の時に何か言われるかと思ったが、芽室は特に何も言ってこなかった。そもそもバスケ部は私語厳禁だ。

 ちょっと話しただけで三年に怒られるので、いつもは不愉快に思うルールも、今は助かった思いだった。

 部活終わった後、満はすぐに家に帰った。

 家に帰って寝室を覗くと、母はいなかった。夜勤—遅番ならいる時間のはずだが、今日は中番にも入っているのかもしれない。

 母の職場は人手不足で、薬剤師の勤務時間帯は限られていたが、本来薬剤師の不要なはずの遅番の時間にも母は入っていた。頼まれるとはっきり断れない気質なのは満も同じなので、一度母に勤務時間をもともとの早番の7時から15時に戻してもらえないか言った時も、

「でも、人がいなくて困ってるみたいだから…。深夜だとお金もいいしね」

 と、母に言われたきり、強く言い返しはしなかった。お金など食べていけるだけあれば十分なのだが。

 満は弁当箱を洗って、母の、夕食は冷凍食品でお願いと書かれた、冷蔵庫に貼られたメモを見て、冷凍ピラフと母が作ってくれていたみそ汁を電子レンジで温めて晩ご飯を食べた。

 母と食卓をともにしたのはいつだっただろうか? もう一週間は話していないと思う。

 母は帰って来ていても、大体寝ている。それだけ疲れていると言うことだろう。母の体が心配だったが、話をする機会もないのでは体調もわからないし、相談する人も思いつかなかった。

 祖母に連絡しても困らせるだけだろう。祖母は遠くの県西部の佐用にいる。

 母の実家は農業をやっているが、母は神戸に出て来て父と結婚し、結局性格の不一致で離婚したらしい。両親が離婚したのは5歳の時だったので、満はあまり覚えていない。

 食器を洗いながら、満は明日はどこでお弁当を食べようか悩んだ。

 たぶん芽室先輩は誰かに言いふらしたりはしていないだろう。人をからかうのが好きな人だが、うわさ話は嫌いだった。芽室も両親が離婚しているので、人からとやかく言われた経験があるのだろう。

 新しい場所を探すのも面倒だし、食べる場所を変える必要はないだろうと、満はいつもの場所で食べることに決めた。


 翌日、クラスメートの女子が話しかけてきた。

「白畑くん。数学の宿題集めてるんだけど、出してくれる?」

 悩んでいたのですっかり宿題のプリントのことを忘れていた。

「ごめん。忘れてた」

「えー、困るよ」

「放課後までにはやるよ」

「昼休みまでに集めろって言われてるから、白畑くんから先生に言ってよ」

「わかったよ。ごめん」

 先生のところに言って、忘れた宿題を放課後までにすると話すと、担任でもある数学の小林先生は困った顔をした。

「お前、前も忘れてただろう。他の先生からもノート提出忘れたとか聞いてるぞ」

「…すみません」

 満は忘れ物が多かった。ちょっと考えることができると、すぐに満の中で優先順位の低いことを忘れてしまうのだ。

「それに最近、昼休み教室にいないみたいじゃないか。どこか別のクラスに行ってるのか?」

「…はい」

 本当のことを言いたくなくて、満は嘘をついた。

「ならいいけど。困ったことがあれば言えよ。宿題は放課後まで待つから」

「ありがとうございます」

 困ったことはあるが、勉強とは関係ないことだ。話したらたくさんの人に知られることになるかもしれないし、話せるわけがない。

 満は踵を返して教室に戻り、宿題のプリントに向かった。


 いつもの屋上の出入り口前でお弁当を食べたが、芽室は現れなかった。ただの気まぐれだったのだろう。数日後、そう油断していたところに、今度は2年の阿恵あえがやってきた。芽室と一緒かと思ったが、一人だった。

 阿恵は笑顔で手にした弁当を掲げた。

「こんにちは満。俺も一緒に食べていい?」

「は、はぁ」

 意図が読めず、満は曖昧に答えた。阿恵は満の横に座ると、弁当を開けた。ちゃんとした手作り弁当だ。とんかつ弁当だった。

「お母さんの調子悪いの?」

「はあ…」

「薬剤師さんだっけ?」

「——はい…」

 満は内心驚いた。阿恵と母の職業の話をした記憶はないのだが。阿恵は情報通だと聞いたことがあったが、本当なのだと実感した。普段からよく女子と話しているので、噂さに詳しいのかもしれない。

「お弁当作る元気もないの?」

 阿恵が満の弁当を見てそう言った。

 満は一瞬かっとなった。なにがわかる?! 母は毎日深夜に働き、疲れ果てて帰って来て、それでもちゃんと卵焼きは作ってくれている。日中、自分が起きている元気もないのにだ。弁当を作るのがそれほどえらいことなのか?! 

「ごめん、言い方悪かったね」

 後輩の不穏さを素早く察知したらしく、阿恵は謝った。それを聞いて、満の頭も冷めた。

「…いえ、すみません」

「お母さん、どこで働いてるの? 大型薬局なんだよね?」

「ヒノキ薬局です」

「ああ。あそこは24時間やってるよね。お母さん、夜勤もしてるの?」

「はい」

「夜勤多い?」

 阿恵は心配そうに尋ねてきた。込み入った話だったが、阿恵は基本興味本位で聞いてくるようなことはしないタイプだったので、満も抵抗なく素直に答えた。

「最近はずっと夜勤です」

「それはしんどいね…」

 阿恵はつぶやくように言った。自分の弁当をみてから、とんかつをひと切れ取って満の弁当に乗せた。

「これあげるよ。代わりにきんぴらもらってもいい?」

「は、はい」

 その後阿恵は部活の練習が大変で、3年が厳しすぎると愚痴をこぼし、弁当を食べ終わると素直に立ち去った。


 部活が終ってモップがけをした後に倉庫に片づけていた時、3年の瀬戸せと香住かすみ沼島ぬしまの3人が話しかけてきた。

「白畑、今日は永良ながらが休みで寂しかったんじゃないか?」

 満はしまったと思った。この3年生はいじめの主犯だった。いつもはいじめ対策で必ず二人以上で行動するよう2年の楠本くすもとから言われていた。しかし、コンビの永良が体調が悪いと言って放課後の部活を休んでいたのだ。お気に入りの2年の武蔵むさし先輩が休みだったので、体調不良というより気分が乗らなくて帰ったのだろう。

 満は永良が何をやらかすかいつも気がかりだったので、いないことの危機感より爽快感が勝ってしまい、瀬戸たちのことをすっかり失念していた。

「いえ、別に…」

 多弁でない満は、短く答えた。

「永良はお前より武蔵の方が大事みたいだな」

 嫌味のつもりかもしれないが、満にとっては、いや、他の1年全員にとっても常識だったので特にショックは受けなかった。

 話しながら瀬戸たちが満の周りの三方を囲んでくる。

「お前のところ母子家庭なんだろ? 大変だな」

 言いながら、一番長身の香住が頭を掴んできた。

「手伝いとかしてるのか?」

「———」

 答えるのが嫌で、満は黙っていた。辞めていった1年からトイレで殴られたと聞いていたが、答えるぐらいなら殴られた方がマシだと思った。

「おい、聞いてるのかっ!」

 掴まれた頭を大きく振られる。沼島は足を踏んできた。それでも満は黙っていた。

「いい根性してるじゃねーか」

 瀬戸に胸倉をつかまれた。

 聞いた話だと、一目でわかる場所は殴られないらしい。胴体を蹴られるか、腹を殴られるかだと。満は目をつぶって腹に力を込めた。

 ドッ!

 予想通り腹に瀬戸の拳が打ち込まれた。覚悟していたのであまり痛くなかったが、沼島は足を蹴ってくるし、どこまで攻撃に耐えられるかわからない。

 その時、

「先輩! 白畑に用ですか?」

 そう声がかかり、瀬戸が手を離した。

 満が目を開けて、声のした倉庫の出入り口の方を見ると、楠本が立っていた。

「ああ、ちょっとな」

 瀬戸が答える。

「俺も用があるんですけど、急ぎですか?」

 食い下がる楠本に、瀬戸は舌打ちをした。香住と沼島に目くばせをして、満から離れる。

「別に」

 それだけ言うと、3年3人は倉庫から出て行った。ほっとした満はその時初めて気づいたが、楠本くすもとの陰に芽室めむろも立っていた。

 楠本は3年が立ち去るのを見送ると、満の方に歩いてきた。

「一人で行動するなって言ってるだろう。気づかなかった俺も悪いけど」

「いえ、助かりました。ありがとうございます」

「永良が相手で疲れるのもわかるけど、これからは気をつけろよ」

「はい」

 満の返事を聞くと、楠本と芽室は一緒に部室である2年5組に向かった。もう他の場所の見回りは終えたか、満が最後の一人だったようだ。

「しかし、永良ながらのやつにも困ったもんだよな…」

「間違いなく武蔵むさしが休みだから帰ったぜ、あいつ」

「部長に辞めろって言われても休むんだからなぁ」

「あいつこそ辞めろって感じだけど、絶対辞めないだろうな…」

 3年からのいじめで、次々1年が辞めていくのを阻止するため、見回りをしている二人はそんな会話をしていた。

 永良はお目当ての武蔵が休みの時は、体調不良だと言って休むのだが、そんな都合よく体調不良が発生する訳がないので、実質サボりなのに腹を立てた赤井部長からは辞めろと言われていた。しかし、退部届を書かせるような強権発動は当然無理なので、永良は相変わらず好きにやっているのだった。

 あの図太さが少しでも自分にもあればと、満は時々思った。


 夏休み前に三者懇談会があったが、初日だったみつるは母親に伝えるのをすっかり忘れてしまっていた。

 母親が来られないと言う満に、先生は最後の日に回すと言ってくれ、母に話すとその日も夜勤なので昼間なら大丈夫だと言ってくれた。

 三者懇談会当日の母は、ちゃんと起きてやってきてくれたが、本来寝ている時間なのもあって、疲れてぼんやりしていた。

 満の学校生活は至って平凡。成績も普通だし、あまりよい噂のないバスケ部に入っている以外は、特に問題はなかった。

「成績も問題なく、授業も真面目に聞いてますよ」

「はい。ありがとうございます。

 でも、私の夜勤が多くて、この子には負担をかけてるんです」

 母が家の事情を軽く話した。満はそんなこと言わなくていいのにと、恥ずかしく思った。

「あの、そんな大したことじゃないですから」

 思わず満は教師に言い訳をした。母はそれを聞いたからか、家の事情をそれ以上深くは語らなかった。

「ただちょっと、忘れ物が多いですね」

「昔からそうなんです。なかなか治らなくて」

「忘れたらいけないことは、手帳にメモするとかしたらどうだ?」

「それが、メモするのも忘れるんですよ」

「困ったもんですな」

 教師と母の会話に、満は言い訳もできずただうつむいて聞いていた。

 それから、将来の希望は公立高校に行くことだと話して、三者面談は終わった。

 本当は母を送っていきたかったが、部活があるので無理だった。部活と言っても、1年は基礎トレーニングだけでボールも持たせてもらえないのだが。

 時々転部のことが頭をよぎったが、楠本や芽室がトイレや校舎裏などを、頑張って見回りをしたりしている姿を見ると、決心はつかなかった。基礎トレーニングだけなのも、頭を使わなくていいからある意味気が楽だった。体を動かすのも嫌いじゃない。


 夏休みに入った後、阿恵が満の家に遊びに行きたいと言ってきた。

 意味が分からなかったが、家が汚いから無理だと断っても、それなら片づけを手伝うとまで言ってきたので、結局断ることができなかった。

 汚いというのは口実で、家はピカピカというほどではないけれど、人を招くのに問題ないぐらいには片付いていた。そもそも物が少ないので、ごみと洗濯物さえちゃんと処理していれば、汚くなることもないのだが。

 来客用に片付ける必要があるとしたら、ダイニングテーブルに置かれた広告や書類を整えるぐらいだ。

「でも、母が寝ているので…」

 本当は言いたくなかった理由を満は言った。

「お母さんの部屋には近づかないようにするから」

 阿恵は粘り強かった。部活のプレイはどちらかというと諦めが早い方なのだが…。

 仕方がないので、午後の部活の帰りに阿恵と一緒に家に帰った。家に向かう途中、阿恵から母の名前を聞かれたので、燈子とうこだと答えた。

 文化アパートの二階にあがり、玄関の前につく。

「ちょっと母の様子をみてくるので、待っていてもらっていいですか」

「うん、わかったよ」

 阿恵は素直に頷いた。来る途中にコンビニで買ってきた菓子を手に持っている。

 鍵を開けて小声で「ただいま」と言い、中に入る。一番奥の寝室を覗くと、母が寝ていた。今日は昼間の中番はなく夜の遅番だけのようだ。当初の契約の朝から勤務する早番に入ることはもうなくなっていた。

 戸があいたのに気づき、母は目を覚ました。

「——満、おかえり」

 話ができるのは嬉しかったが、阿恵が来ている今じゃなくても…。と、満は喜び半分迷惑半分な気分になってしまった。

「今日も夜勤?」

「そうよ」

 母はまだ疲れがとれていない様子だったが、母も息子と話したいと思ってくれているのか、起きて布団を畳み始めた。

「母さん、部の先輩が遊びに来てるんだけど…」

「あら、そうなの?」

 母は途端に明るい顔になった。こんなに明るい顔は久しぶりに見る。

 白畑家は中学に上がる前に引っ越してきていた。小学時代も似たような文化アパートだったが、友達が遊びに来ることはあった。その文化アパートは取り壊されて、高額な賃貸ハイツになってしまい、満たちは同じ校区内の文化アパートに引っ越してきたのだ。

 引っ越してきてから満も母も客を招いたことはなかった。

 母は初めてのお客さんに喜んで、慌てて服をパジャマから外着に着替えた。

「ちょっと待ってもらってね」

「うん」

 母は阿恵に挨拶するつもりらしい。きびしい部の話が母に伝わるのは嬉しくなかったので、母が客を喜んだことは満には歓迎できなかった。しかしもうどうしようもない。

 母が居間から顔をのぞかせる。

「お友だちは?」

「先輩だよ。外で待ってもらってる」

 母はそれを聞くと、玄関を開けた。阿恵は廊下の柵に腕をのせて外を眺めていた。

「こんにちは。えっと…」

 阿恵は振り返って頭を下げた。

「阿恵です。すみません突然お邪魔して」

 母は阿恵がジャニーズ並みにハンサムなのに驚いたようだ。嬉しそうに家に案内する。

「いいのよ。気にしないで。どうぞ中にあがって頂戴」

「お邪魔します」

 阿恵が靴を脱ぐと、小さな三和土はいっぱいになった。

「スリッパもないんだけど。ごめんなさいね。中にどうぞ」

 母にそう言われ、阿恵はダイニングテーブルのある4.5畳の洋間に入った。

母はテーブルの上に置いてあった広告などを集めてわきによけると、4人掛けのテーブルの、普段誰も座らない椅子を阿恵に勧めた。

「阿恵先輩、麦茶でいいですか?」

 満は台所から阿恵に聞いた。麦茶は水出しのものを満と母の二人で作っていた。1Lのボトルを二本用意して、なくなった方にまた新しいものを作るようにしていた。

「何でもいいよ」

 阿恵から答えが返って来た。阿恵は買ってきたどらやきをテーブルに置いた。

「これ、土産です」

「あらありがとう。好きなのよ、どらやき」

「満に聞きました」

 コンビニで買う時に母の好物を聞かれたのだ。阿恵はこういうところはとても気が利く。

「満は部活ではどんな感じ?」

「いつも真面目にやってくれてますよ。一年はまだ基礎トレーニングだけなんですけど、不満な顔せずに一生懸命やってます。ただ、組んでる相手がちょっと自分勝手なところがあって、満には迷惑かけてます。すみません」

 バスケ部1年は最初は9名だったが、今では6名。満が組んでいる相手は永良だ。

 永良は武蔵目当てで入ってきたので、武蔵の方ばかり気にして、自分の練習はなおざりになりがちだった。

「そうなの」

 母は息子を褒められて笑顔を浮かべた。

 グラスと麦茶を入れたボトルを盆にのせてダイニングにやってきた満は、母と阿恵の前にグラスを置いて麦茶を注ぐと、空席のいつも座る席は避け、母の横の席に座って自分のグラスにも麦茶を注いだ。

 3人とものどが渇いていたので一気に麦茶を飲んだ。母が空いたグラス全てに麦茶を注ぐ。

 阿恵はどらやきを食べながら、部活であった永良の困ったエピソードや、それに満がちゃんと対応してくれるので助かっていると話した。実際は永良の相手は次々根を上げて嫌がり、もう満しか永良の相手をできる一年がいないというのもあるのだが。

「ちゃんとやってるのね。本当は私が直接、満から聞ければいいんだけど、仕事が忙しくて」

「燈子さんは働きすぎだと思いますよ。満も生真面目だからか、期待以上のことをやってくれて、それは助かるんですけど」

「……どうも、断るのが苦手なのよね…」

「でも、燈子さんが倒れたら、満が一人になっちゃいますよ」

 阿恵の言葉に母も満も言葉を失った。二人並んで空になったグラスを見つめる。

 そのとおりなのでより母が心配な気持ちになったが、満は余計なお世話だとも思った。

「転職も含めて考えた方がいいと俺は思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど、心配なんです」

 阿恵は踏み込んだことを言っていると自覚していた。満が思っていた通りのことを言って、空になったグラスから目を動かさない母を真剣に見つめて言った。

 母は小さな声で、「そう…ね」とつぶやいた。

 阿恵はそれ以上突っ込んだ話はせず、沈んだ空気を読んだのか、

「じゃあ、今日はありがとうございました。また機会があれば来させてもらいます」

 と、明るく言って家に帰って行った。

 しかし、その後も母の勤務は変わらず、顔を会わせることが増えることはなかった。


 阿恵が来てから10日ほど経った日、部活を終えて家に帰ると、珍しく母が台所に立って料理をしていた。

「母さん。寝てなくても大丈夫なの」

「え、ええ」

 母は戸惑った様子で息子を見て、ガスコンロを止めると、手を洗ってダイニングへ向かった。

 満は寝室まで行って部屋着に着替え、体操着を洗面所兼脱衣所にある洗濯籠へ入れた。

「満、ちょっと話があるんだけどいい?」

 洗面所から寝室に向かおうとしていたところに、母が遠慮がちに声をかけてきた。満はダイニングテーブルに座っていた母の向かいに座った。母はCDラジカセでCDをかけた。気持ちが落ち着からと、読書中にたまにかけたりしているクラシック曲だ。

 冷蔵庫から母が作ったミルクコーヒーを淹れて来て、いつもの席に座った。母の隣の椅子にはA4サイズが入る黒の仕事カバンが置かれている。

 母はその仕事カバンからクリアファイルを取り出して、息子にみせた。

「これ…今日もらってきたの」

 クリアファイルには診断書が挟まれていた。診断名は「うつ状態」。当分休養が必要だとも書かれている。

「母さん、神経科に行ったの?!」

 驚いた満ははじかれるようにして母を見つめた。

 母は困惑した顔をしていたが、どこかほっとしている空気も感じられた。

「阿恵さんが、受診してみたほうがいいって…」

「阿恵先輩が?」

 そんな話、一言も聞いていない。

「東真くんじゃないわよ。お父さんがね。今日も病院についてきてくれたのよ」

 まさか阿恵が親にまで話をしていると思わなかったので、満は腹も立ったし困惑もした。しかしそれより、満は自分の無力さに言葉が出なかった。本当なら自分が付き添うべきだったはずだ。満はただ黙って診断書を見ていることしかできなかった。

 母は、真剣な顔をして診断書を見つめ、言葉を発さずにいる息子に思い切って言った。

「お母さん、転職しようと思うの」

「え?」

 満はまた驚いて診断書から母に顔を上げた。

「薬剤師を辞めはしないわよ。調剤薬局に変わろうと思うの。それなら夜勤もないし」

「…でも、休めって」

 診断書には2週間の休みが必要と書いてあった。

「休むわよ。今の職場を辞めたら、ね」

 暗い顔でそう言った母は、今度は困ったような笑顔を浮かべた。

「次の職場も、阿恵さんが探してくれたのよ」

 母は手で目頭をぬぐった。それでも涙は止まらず、テーブルに置かれたティッシュで涙を拭いた。鼻をかんでゴミ箱に捨てる。それでもまたティッシュをとって目元を押さえ、肩を震わせながら言った。

「ごめんね。本当に今までごめん…。私、何やってたのかしらね」

「母さんは頑張ってたよ」

 満は必死に言ったが、ありきたりなことしか言えなかった。部活ででも、頑張れば良い訳ではないことも知っていたのに、そんなことしか言えなかった。

 阿恵ならばもっとスマートな言葉を言えたのかもしれない。何もできずにいた自分が悔しかった。


「阿恵先輩。家にお邪魔してもいいですか?」

 部活後に言うと、阿恵はきょとんとした顔をした。

「ああ。お母さんのことで、かな?」

 満は頷いた。直接阿恵の親にお礼を言いたかったし、どんな人が母を窮地から救ったのかも知りたかった。母はもう職場に退職願を提出し、今はほぼ一日中家で寝ている。食事も総菜や冷凍食品で済ませていた。

 満には、毒され切った体から毒を抜いて、新たな体を作っているように見えた。

 阿恵は簡単にいいよと答え、今度は二人で阿恵の家に向かった。阿恵の家は大きな国道より一本南に入った浜国沿いに建っていた。私鉄の駅から近い。

 酒屋だとは知っていたが、店舗兼住宅の割にそれほど大きくはなかった。北側の入り口から入ってすぐの右手が5人ほどがかけられるカウンターになっていて、店舗で飲むこともできるようだった。

 左手の壁際に日本酒やビールなどの要冷蔵の酒が入った冷蔵庫が並び、一番奥に常温で飲める酒が置いてあり、店の真ん中には斜めに置いた箱にワインが並べられていた。

「ただいま」

 普通に店舗の入り口から入ると、カウンターの奥で何かしていた様子の母親が顔を上げた。

「おかえり。お友達?」

「後輩の白畑満です」

 満は阿恵に紹介される前に素早く頭を下げた。

「母のことでは本当に色々お世話になりました」

「あら、あなたが満君。お母さんとはあんまり似てないのね」

「父親似なんです」

 それは満のコンプレックスでもあった。母はどんな気持ちで別れた相手に似てくる自分を見ているのかと。聞けばよかったが、どうしても口には出せなかった。

「これ、お礼です」

 満は地元で有名なせんべいの菓子折りを差し出した。酒にも合うせんべいだ。

「そんなのいいのに」

「母から預かって来たので」

 正確に言うと、母が買ってきてはいたが、阿恵の家まで行く元気がなく、家に置かれたままになっていたものだ。

「やあ、はじめまして。君が満くんか」

 カウンターの横の奥に通じる出入り口から、阿恵先輩によく似た渋い中年男性が現れた。酒瓶を扱うのは力仕事だからか、がっしりした体型をしている。

 満が母親と話している間に阿恵が呼んできたようだ。

 満はまた深々と頭を下げてお礼を言った。

「大変だったね。お母さんの具合はどう? そろそろ1週間だろう」

 阿恵の父が言う。母から退職の話も聞いているようだ。

「まだ毎日寝てます」

「食事はどうしてるの?」

 阿恵の母が聞いてきた。

「大体は冷凍食品か、買ってきたもので済ませてます」

「じゃあ今日はうちで食べていきなさいよ。東真あずまの部活の様子も聞きたいし」

「ちゃんと真面目にやってるよ」

「本当か?」

 両親とも疑り深い顔を向けた。

 確かに2年の4人の中では一番楽をしている気がする。家でもそうなのだろうか。

「本当? 満くん」

「えーっと、普通にやってると思います」

「満、その言い方は誤解を招くよ。俺は一生懸命やってるって言ってよ」

「ええ?」

 生真面目な満は、とても普段の阿恵の様子が一生懸命には思えず、思わず疑問符を発してしまった。

「こいつはすぐ楽をしたがるからな」

「でもバスケ部を続けてるっていうだけですごいですから」

 父親の言葉に、満はフォローを入れた。嘘ではない。

 それから父親に店の奥にあるキッチンとダイニングに招き入れられ、二階から降りて来た阿恵の妹の小学6年だと言う鈴風すずかちゃんと4人で夕食を取った。母親は店番だ。本当は高校生の姉がいるらしいが、今日は友達と遊びに行っているらしい。

 家への連絡は満が携帯でしたが、母はくれぐれも失礼のないようにと気を配っていた。生活を立て直してくれた恩人なのだから、満もそれは肝に銘じていた。

 夕飯は焼き魚と肉じゃが、それに青菜のお浸しに具沢山みそ汁だった。父親はイカの塩辛を出してきて、晩酌をしていた。仕入れた酒は一通り飲むらしいが、母親も、本来ダメな高校生の姉も飲むし、常連さんにサービスしたりして捌いているらしい。

「阿恵先輩は飲まないんですか?」

「俺はまだ中学生だから」

「こいつ、小学生の時にワイン1杯でぶっ倒れたんだ。すぐに顔が赤くなるし、ブランデーケーキでも酔うからな。アルコールは体質的に無理なんだろうな」

 父親が阿恵のトラウマを暴露した。それでも阿恵は気にしてはいないようで、特に言い返したり怒ったりもせずに夕食を食べていた。

 食事のお礼を言って帰り際、阿恵の母が養命酒をくれた。

「これお母さんに。お酒、大丈夫よね?」

「家では飲みませんけど、飲み会とかでは飲んでるみたいなので、多分大丈夫です」

「じゃあ、お大事に。くれぐれも無理しないように言っておいてね」

「ありがとうございます」

「俺、送って行くよ」

 夏なのでまだ外は明るかったが、阿恵は家まで送ってくれた。家族そろって親切な人々だ。

 阿恵とはアパート前で別れた。キッチンもダイニングも人気がなかったので寝室をのぞくと、母はやはり寝ていた。満はもらった養命酒をダイニングテーブルの上に置き、テーブルに突っ伏した。

 一週間前の母の泣き顔が思い出され、満も少し涙が出てしまった。顔を腕の中に埋める。

 母に黙って、目の前にある養命酒を開けて付いていたカップに入れて一口飲んでみた。

 不味い。

 アルコール分よりも生薬の味や苦みがきつかったので、口の中を洗い流すため、満は麦茶を飲んだ。

 テレビは寝室にあるので、母が寝ている今は見られない。母を起こしたくなかったので、ラジオやCDをかけるのも躊躇われた。

(お風呂、入ろうかな…)

 椅子に体を預け、着替えを取りに寝室に入るのも面倒だと考えていたら、夏休みの宿題のことを思い出した。今日は理科をやろうと思っていたのだ。またすっかり忘れていた。

 満は隣の椅子の上に置いたカバンから、プリントと教科書を取り出して、問題に向かった。

 終わったらシャワーを浴びよう。

 

 それから1週間、母は生気を取り戻し、家のこまごました片付けや食事作りをし始めた。

 夏休みなので満が弁当を持っていくことはなかったが、3食手作りで、職場に持っていくお弁当も主に夕食の残りだが手作りしていた。

 しばらくして夏休みも明け、母は満の分のお弁当も作ってくれるようになった。

教室で食べても良かったが、なんとなく屋上への入り口前で食べる方が落ち着くようになってしまったので、一人で母の手作り弁当を食べ、残り時間はこっそり持ってきた、母の音楽プレーヤーで音楽を聴いて過ごした。

「何聞いてんだよ」

 座って手すりに背を預け、目をつぶってイヤホンで音楽を聴いていた満は、突然かけられた声に驚いて目を開けた。

 芽室だった。

 芽室はしゃがんで音楽プレイヤーを手に取ると、画面を操作し、

「ふーん。古いのが多いな。俺のCD貸してやろうか?」

 と聞いてきた。とっさのことで答えを返せずにいると、芽室は立ち上がって、

「今度おススメ持って来てやるよ」

 と、また一方的に言って去って行った。ありがたいが心臓に悪い。


 芽室は数日後、10枚ほどの不織布のケースに入ったCDをビニール袋に入れて持ってきた。

「返すのはいつでもいいぜ」

 と気軽に言う。

 CDはコピーしたもので、タイトルとアーティスト名しか書かれていなかった。

 母にCDを音楽プレイヤーに入れて欲しいと頼むと、勝手に学校に持って行っていたことがばれてしまうので、とりあえずCDラジカセで聞いてみると、ラジオで流れる流行りの曲や、母が聞きそうもないアップテンポの曲が入っていた。

「誰かに借りてきたの?」

 いつもと違う曲に、母がキッチンから誰に借りたCDか聞いてきた。満は買うのはもちろん、レンタルで借りることもしないぐらいだったので、当然の質問だったが、貸してくれた相手を考えるとあまり答えたくなかった。

「——部活の先輩」

「東真くん?」

「ううん。違う先輩。音楽が好きなんだ」

「へぇ、いい曲ね」

 流れている曲は、確かに最近、たまにラジオや有線で流れるのを満が楽しみにしていた曲だった。流行りのアニメの曲らしい。

「お母さん、仕事はどう?」

 母が新しい職場に変わってから10日ほどが経っていた。前の職場より少し遠いが、夜勤のない小さな調剤薬局だ。

「忙しいけど、職場の雰囲気は良いわよ。指導してくれる人が親切でね。今度一緒に外にお昼食べに行かないか誘われたわ」

「男の人?」

「あはは、気になるの?」

 母は笑ったが、こちらは母子家庭、母は未婚である。気になるに決まっている。

「女の人よ。薬剤師は女性が多いからね」

「じゃあいいんじゃないの?」

 満は不貞腐れて、珍しくぶっきらぼうに言った。

 母はキッチンからチキンステーキとスープを持ってきながら、「そうね」と楽し気に言った。

 CDラジカセを止め、隣の寝室との間の引き戸を開けて、テレビをつける。そうすると、ダイニングテーブルからもテレビが見られるのだ。母はニュース番組にチャンネルを合わせた。

 明日の天気は猛暑日だと言っている。

「毎年暑くなってるわねぇ。満、熱中症には気を付けなさいよ」

「わかってるよ。ちゃんと飴も持っていってるし」

 菓子は禁止されていたが、熱中症対策用の飴は持って行っても良かった。

 母子は久しぶりに日常的な平和な会話を交わした。

 満も母も知らなかったが、母の新しい職場を見つけたのは、阿恵の父親ではなく、芽室の父親だった。芽室の父親は養鶏所や会計事務所を営んでいる関係上もあるが、昔からの人付き合いが幅広いので、薬剤師を募集している中でも、よい評判の職場を探しだして交渉し、阿恵の父親を通じて紹介したのだ。

 しかしそれは芽室の父親の仕事であり、芽室本人にも阿恵にも関係ないことだったので、二人とも何も言わなかったのだった。


 なかなか終わらない残暑の中で体育会が行われ、なんとか一人の熱中症患者も出さずに体育会は幕を閉じ、それを機に運動部の3年生が引退した。

 バスケ部の1、2年は内心泣いて喜んだものだ。

 新部長は皆わかっていたが、理不尽な暴力行為が行われていないか自主的に見回りをしいていた楠本先輩だった。

 それからはいじめの心配もなくなるかと思ったら、いきなり転校生の入部希望者が来て、バスケ部内は一時混乱したが、それも無事に入部で落ち着き、1年生は5名に2年生は4名の計9名で新生バスケ部はスタートした。


 体育会で3年生が引退してから初の土曜日のミーティングは、3年生の引退祝いも合わせてやると言われた。

 土曜日当日、普段は教室でお昼を食べてから視聴覚室や校務員室をかりて、相手チームや自分たちの試合映像を見たりして反省会や対策を考えたりするのだが、教室の黒板に「祝・新生バスケ部!」と大きく描かれていて、楠本くすもと阿恵あえが机を大きな長机になるように並べていた。

「手伝います」

「ありがとう」

 何やら誕生日パーティでもしそうな感じだが、とりあえず満は夢前たちと机を並べる手伝いをした。

 並べ終わると、神崎こうさきが大きな白いシーツを取り出して、阿恵と二人で机の上に掛けた。

「いい感じだね」

 阿恵がそう言ったところで、芽室めむろ武蔵むさしがそれぞれホールケーキを入れる箱を手にして現れた。

「おお、またでっかい島作ったな」

「合計10人だからね」

 ここまでくるとさすがに満も気が付いた。

「新生バスケ部のスタートパーティですか?」

「そう! めでたいことだからね」

 部員でない神崎が笑顔で宣言した。

 それからはそれぞれ好きな席に座り、ただし永良は武蔵先輩から離れたところに座らされ、お弁当を食べながら今まで3年から受けたしうちの愚痴をこぼしたり、いじめに参加しなかった松田まつだ大竹おおたけ梅原うめはら先輩にはお礼が必要かもと話したりした。

 芽室のお弁当は米しか入っていないドカベンかと思ったら、武蔵が作って来た重箱のお弁当を、神崎先輩以下2年達でお互い分けあって食べていた。馬鹿正直な永良が自分も食べたいと言ったが、当然却下された。

 昼食が終ったら、ケーキである。

「これ、名前入ってないけど、どこのケーキ?」

「武蔵の弟が作ったやつだよ」

 夢前ゆめさきの質問に神崎が答えた。

 中身を出すと、チョコレートケーキに桜桃のタルトケーキだった。

「5等分は面倒だから、6等分に切るか。残りは白畑持って帰れよ」

 楠本がそう言った。

「え、でも…」

「転職上手くいったんだろう? そっちのお祝いに」

「…はい」

 どうやら2年には全員に知られているらしい。満は顔を赤くして俯いた。涙がこぼれそうだった。

 満が選んだのは桜桃のケーキで、桜桃は缶詰だったが、カスタードクリームとよく合って美味しかった。

「チョコレートケーキも食べる?」

 隣に座っていた神崎が皿を差し出してきた。皿は調理室で借りたものだ。

「じゃあ、一口だけ」

 チョコレートケーキもクリームがふわりと軽くて美味しかった。どちらも母は喜ぶだろう。

「あの、武蔵先輩。ありがとうございます」

 神崎の隣に座っていた武蔵に礼を言うと、武蔵はにこりと笑顔で答えた。


 それからやっと落ち着いてバスケができると思ったら、転校生の船上ふながみ睦月むつきが入部したいと言ってきて、部は一時騒然となった。なぜ3年が引退した直後の今?

 反発は1年に大きく、夢前達は明らかに不満に思っていた。マイペースな永良ながら久喜くきひさしでさえも不愉快そうな顔を浮かべていた。

 満は1年が増えることには賛成だったので、素直に入部して欲しいと思っていた。

 どうするのかと思ったら、2年達が相談して仮入部にしたが、それは期限未定でボールも触れない扱いだった。満は同情して、入部させれてあげればいいと思っていたが、口には出せなかった。

 そんな時、久が睦月を入部させてやれと楠本部長に行った。

 久がそんなことを言うなんて驚いたが、満もそれに賛同した。そして、他の1年も反対はしなかった。そして睦月は、正式部員になったのだ。

 全て2年の手のひらで踊らされていたような気がしたものだ。


 文化祭も中華まん作成時に一緒に出店するテニス部とハプニングがあったものの、無事に売り切り、利益で打ち上げのカラオケにも行った。

 楠本部長からその流れで、テニス部とクリスマス会を行うと言われた。

 場所は古民家で襖を開ければ広いスペースがとれる永良の家だった。永良は部活で校務員さんが用意してくれるお茶に、「本音しか言えない薬」を入れたり「触った人間の髪が伸びて寝込む日本人形」を持ってくるなど、ろくなことをしない奴だが、テニス部と合わせて20人以上が集まれる家となると、永良か芽室の家ぐらいしかないし、芽室の家は遠いのでしかたない。

 バスケ部全員が心配だったので、料理教室の名を借りて、1年で永良の家を下見することにした。

 それよりも、クリスマス会で行われえるプレゼント交換である。

 300円から500円の間で選ばなければいけないらしい。


 夢前たちが日曜日に1年皆でプレゼントを買いに行かないか提案してくれたので、ひさし以外は乗っかることにした。

 睦月はまだクリスマス会のプレゼントの用意はしていなかったし、一人で女性ものを買いに行くのは恥ずかしかったので、吉之助きちのすけたちの誘いは渡りに船だった。

自転車でショッピングセンターに行くことにした。

 クリスマス会の買い出しで、満は買うものをもう決めていた。タオルハンカチだ。

 先日、テーブルに置いてあった母のハンカチにケチャップをこぼして汚してしまったのだ。洗ったが汚れは取れなかった。

「ごめん! 母さん」

「いいのよ。もう大分へたれてたし」

 本当は母にプレゼントしたかったが、お小遣いは足りそうになかった。

 タオルハンカチは大体どれも500円したが、ワゴンセールで2割引きの中で可愛いものがあったのでそれを買った。

 真っ先に買い物が終り、他の4人は女の子向けのセレクトショップに入って行ったので、満はセレクトショップが見える位置の広場のベンチで座って待つことにした。

 広場には大きなクリスツリーが飾られ、根本には大きなプレゼントの箱がディスプレイしてあった。

 ツリーを眺めていたが、横にクリスマス抽選会の看板が立っているのに気が付いた。

 一番は温泉旅行らしい。マッサージクッションもある。参加賞はうまい棒だ。

 3000円で一回引けるらしいので、引くことはないだろう。

 改めてツリー根元のプレゼントの箱に目をやると、随分と小さな箱が置いてあることに気が付いた。12㎝四方ほどで、紺色でふたに水色の蝶の模様が入っている。他の箱はみな一辺30㎝以上ある。

 満は手を伸ばして、その小振りな箱を手に取った。重い。

 すぐには持ち上げられず、力を入れて持ち上げて、膝の上に置いた。1㎏はあるだろうか。

 箱は紙を切り貼りしいて模様を描いていた。水色の蝶の羽のふちにはシルバーのスパンコールが張ってあり、四隅もきちんと貼られているし、なかなか手の込んだものだった。

 しかし特に包装もされず、テープも貼っていなかったので、満はそっと蓋を開けた。

 ——空だった。

 それと同時に箱は軽くなった。

「え?」

 そこに睦月むつきがやってきた。

「疲れたー。女子にプレゼントって、困るね」

 女子だらけなのに耐えられず逃げて来たらしい。

「どうしたの? その箱」

 睦月が聞いて来たので、ここに置いてあったと指さして答えた。

「誰かの忘れものかな?」

 確かにそれが一番ありそうな話だが、蓋を開けるまでは重たかったことを考えると、何とも言いようがなかった。

「中は空なんだけど…」

 満は不可思議な表情を浮かべて、睦月に箱を渡した。

「そうなの?」

 睦月が開けると、そこに見覚えのある、キリンのキーホルダーのついた自転車のカギが入っていた。二人で顔を見合わせる。

「え?」

 それはこの間からバス部でコーチをしてくれている、町原まちはらが失くしたと騒いでいた、自転車のカギだった。キーホルダーが人からもらったもので大事にしていたらしい。

 睦月はバスケの特別練習があるからと、カギだけ持って帰り、謎の箱は満の手の中に残された。


 結局、忘れ物として届けはせず、家に持って帰った満は、ダイニングテーブルの上に広告たちと一緒にその箱を置いていた。

 風呂から上がると、母親がその箱を手に取っていた。

「満、おばあちゃんの分のクリスマスプレゼントも買って来てくれたの?」

「え?」

 なんのことかと疑問符を投げると、母は年配者向けの、でも華やかな花柄模様の紫のハンカチを満に差し出した。

「だってこれ、この箱の中に入ってたわよ」

「えっ」

「買って来たんじゃないの?」

 満は買ってはいない。また自転車のカギに続いてヘンなものが出てきたのだ。

「————…うん」

 まさか勝手に出てきたのだとは言えず、満は首肯するしかなかった。


 翌日睦月と満が町原にキリンのキーホルダーのカギを渡すと、町原はとても感動していた。

 睦月が町原にショッピングセンターに行ったか確認したが、行っていないとのことだった。

 満は昨日のハンカチのことを睦月に打ち明けたが、睦月は驚いたけれども対策までは思いつく訳もなく、二人して箱を見つめることしかできなかった。

 二人が箱を見ているところに、阿恵が声をかけてきた。

「二人ともどうしたの? 悩まし気だね。昨日プレゼント買えなかったの?」

「阿恵先輩! 頼みがあるんです。年末年始、バイトに雇ってもらえませんか?」

 満はせめて自力で母親へのプレゼントを買うべく、資金調達にバイトを頼み込んだ。阿恵先輩の家は酒屋だ。年末年始ならば人手も必要としているだろう。

 阿恵は助かると言ってくれ、クリスマス用に美都さんとお菓子をつくらないか誘おうかと思っていたと、優しい言葉をかけてくれた。

 それを耳にした祥之助が振り返り、カバンが机に置いて例の箱にあたり、床に落ちた。夢前ゆめさき祥之助しょうのすけが逆さになった箱を拾う。

 すると、フタが開いた箱からばらばらと手作りっぽい菓子が出てきた。パウンドケーキだ。ちゃんと個包装してテープで封がしてある。睦月と満は当然驚いたが、その量に祥之助も阿恵もびっくりしていた。明らかに箱の体積を超えた量だったからだ。

 満は急いで腕の中に隠しながら菓子を拾った。

「ご、ごめん。これあげるよ。阿恵先輩もどうぞ!」

 怪しげな菓子を半分ばかり祥之助と阿恵に押し付けると、

「じゃあ」

 と満はあわてて家へ帰った。


 次の日の火曜日の朝。睦月はいつもより遅くにやってきた顔色不良の友人に駆け寄った。

「満、昨日のお菓子どうしたの?」

「机の引き出しに入れたままだよ。さすがに出所不明のは食べられないし…かといって捨てるのも抵抗あって」

「だよね…」

 よい対処法も思いつかず、再び二人で黙り込む。そこに、阿恵が明るく話かけて来た。

「満、昨日はお菓子ありがとう」

「い、いえ…。味はどうでしたか?」

 満はあからさまに動揺した様子でいった。この正直者の仲間に、あの箱は荷が重そうであった。

 何もしらない阿恵はいつもの笑顔を浮かべて言った。

「美味しかったよ。手作りみたいだったけど、満が作ったの?」

「まさか!」

 強く否定する後輩に首をかしげる阿恵。満がしまったと慌てる。

「そ、その——もらったんです」

「そうなんだ。女の子から?」

「——多分。え、えっと——母さんが職場でもらってきたんです」

 満は必死に考えて、妥当な返答をひねり出していた。

「え? そうなの?」

「はい」

 阿恵は、心配げな顔を浮かべた。

「俺がもらっても良かったのかな? クリスマスプレゼントだったんじゃない? 時期的に考えて」

「——そうかも、しれません…」

 神崎のように流暢には話せず、とっさの言い訳も思いつかない不器用で素直な満を見かねて、睦月は言った。

「阿恵先輩におすそ分けするように言われたんだよね。いつもお菓子もらってるから」

 仲間の自然な言い訳に、満はほっとした顔を浮かべた。

「はい、そうなんです」

「そう、なら良かった。美味しかったって伝えておいてね」

「はい」

 ナチュラルに親切な上級生の言葉に、満は顔をこわばらせて答えていた。

「バイトのことだけど、昨日父さんに話したら、すぐにでも頼みたいって言ってたから明日からお願いできるかな?

 バイトって言っても正式に雇う訳じゃないから、お駄賃程度になっちゃうけど」

「全然大丈夫です。今日からでもいけます!」

 満はこぶしを握り締める勢いで答えた。前に話していた通り、お母さんへのプレゼントを買うのだろう。

「今日は部活があるでしょ」

「阿恵先輩の家って、何か商売でもしてるんですか?」

 各家の事情を知らない睦月の質問に、阿恵が答えた。

「うん、うち酒屋なんだ。睦月もバイトする?」

「またの機会にお願いします」

 睦月はバイトするほどにはお小遣いには困っていなかったし、今はバスケがしたかったので断わった。


 水曜日は部活は休みなので、久の家で二人で練習をした。今頃満は阿恵の家で働いているのだろうか。

 そう思っていたら、翌日暗い顔をした満から、箱のことで昼休みに話があると言われた。

「昨日、何かあったの?」

 人気の少ない渡り廊下で、二人並んで座って話した。

「今度は縫いぐるみが出てきたんだ。白黒一対のうさぎのが」

「本当に?!」

 驚きの報告への問いに、満は無言で頷いた。

「それ、どうしたの?」

「阿恵先輩にあげたよ。最初は、お姉さんに箱を開けてもらったんだけど、何も出てこなくて、阿恵先輩が開けたら出てきたんだ」

「へぇ…」

「それに、これも箱が絡んでると思うんだけど、阿恵先輩のお母さんが俺の荷物をよけようとしたら、すごく重いって言うんだ。ペットボトルでも入ってるのかって」

「いれてたの?」

「入れてたけど500㎖のだし、半分以上飲んでたよ。そしたら電話してたお姉さんが、お酒の予約が取れたって言うんだ。それが、お父さんへのプレゼントのやつだったみたいで。

 うさぎの縫いぐるみも、妹さんが欲しがってたらしいんだよ」

「じゃあ、誰かへのプレゼントが出てくるってこと?」

「…多分」

 睦月は箱を手にし、なんとなく青いヘアピンを思い浮かべながら、開けたり閉めたりしてみたが、何もおこらなかった。

「多分、何もでないよ。俺も何度か試してみたし、母さんにもやってもらったけど、一人一回限りみたいだよ」

「そっか」

睦月は満の言葉に、残念そうに蓋を閉めた箱を眺めた。

「誰か、プレゼント贈りたい人でもいるの?」

「別に、そういうわけじゃないけど」

 睦月はついつい慌ててしまった。満は疲れた顔で言った。

「俺、それ元の場所に返そうと思ってるんだ」

 仲間の言葉に、睦月は思わず顔を向けた。

「でもまだ、お母さんのプレゼントが何か、わかってないんだよね」

「そうだけど、何か気味が悪いしさ。今日も昨日も俺、それ机の中に仕舞ってたはずなんだよ。なのにカバンの中に入ってるし」

「——呪いのアイテムみたいだね」

 入れた覚えがないのに入っている。完全に呪われている設定ではないか。

「そうなんだよ。今のところ悪いことは起こってないけど、この先そうとも限らないだろ。禍福は糾える縄の如しっていうしさ」

「満、ホラー映画とか好きじゃん」

 クリスマス会での映画鑑賞に、ホラーやスリラー映画を勧めてきた満とは思えなかった。睦月などは叫び声をあげそうなので、絶対に映画館には見に行かないと決めている。

「フィクションとリアルは違うだろ?!」

 そのとおりではあるが、焦る満の言葉を聞いても、睦月はぴんとこなかった。

「う~ん。そんな嫌な感じはしないけどなぁ。

 永良が持って来てた人形からは、悪意みたいなの感じたけど」

 あの人形は視界に入ってくるだけでも不快だったが、この蝶の模様の箱は、蝶にシルバーのスパンコールがあしらわれているからだけでなく、どちらかというとキラキラと夢見る、ディズニーっぽい感じがするのだ。

何か出てこないか、つい蓋を開け閉めしてしまう。

「でももし悪いものだとしたら、元の場所に返すのも不味いんじゃないの?」

 満が心配そうにしているので、そう言った。

「じゃあ、いっそ睦月が持って帰ってよ」

「え? いいの?」

 睦月はつい嬉しそうに言ってしまった。この箱に真剣に頭を悩ませてしたらしい友人は、全く理解できないという顔を浮かべていた


 満は仕事でまだ帰らない母に代わり、阿恵の母に教えてもらった焼きそばを作っていた。

 焼きそばは初めて一人で作ったが、なかなかうまくできたと思う。

 時計を見ると、まだ母が帰る時間には早かった。フライングしてしまったようだ。

 少し考え、皿には移さずフライパンの蓋を閉める。

ダイニングテーブルには、ポスティングのチラシの横に、高さ30㎝程度の、紙とフェルトで作ったクリスマスツリーが飾ってあった。神崎がクリスマス会用にと女子テニス部員と一緒に作ったものだ。クリスマス会では別のものを用意することになったので、いらないからと、満の家にはクリスマスツリーがないと阿恵から聞いてプレゼントしてくれたのだ。

 美術部員らしく、とてもよくできていて、母はしきりに感心していた。お礼をするよう言われたが、何も思いつかず、神崎に直接聞いたが、神崎からは何も必要ないと返ってきたので、満は久ではないが、とりあえずスーパーで買ったチョコ菓子を渡していた。

 クリスマスツリーを見て思い出し、置きっぱなしのカバンに目を向けた。ためらってからカバンを開けたが、中にあの箱はない。満はほっとした。

 玄関のドアが開き、母が帰ってきたので満は晩御飯を仕上げに立ち上がった。

 母は息子の作ったつたない料理を手放しで褒めた。


 放課後の部活は休みで、阿恵は美都さんの家にお菓子を作りに行ったが、阿恵の酒店には楠本と芽室が手伝いに来ていた。芽室は途中から伝票チェックを頼まれたので、満は楠本と阿恵の父と力仕事をした。楠本も芽室もたまに手伝いに来るようで、最低限の指示で効率よく作業をしていた。

 楠本と芽室は5時半に帰ったが、満は時間を忘れて働いてたようで、美都さんの家から帰って来た阿恵が驚いた。

「遅くなってごめん。すっかり話込んじゃって…って、あれ、満まだ帰ってないの? もう7時過ぎてるよ」

 約束の時間は6時半までだった。母の勤務時間が6時半までなのだ。

 阿恵はそのまま家まで送ってくれた。

「今日はごめんね。力仕事任せちゃって。俺は助かったけど」

「楽しかったです。おじさんが色々話聞かせてくれて。芽室先輩が働き者で、ちょっと驚きました。部長はわかりますけど」

「ははは、芽室は学業より労働向きだからね。

 そういえば明日、一年みんなで集まるらしいね。バスケの練習するの?」

「クリスマスの料理の練習をする予定です。プロジェクターの準備もすることになってますけど、一応、勉強もする予定にはしてます」

「永良の家で、なんだよね? 大丈夫なの?」

「大丈夫かを確認するのも含んでます」

 二人並んで、日本人形の悲劇を思い出していた。永良の家は蔵もある古い家で、現在は祖父母が質屋を営んでいるが、昔は古物商をやっていたらしく、蔵の中には怪しいものが色々と眠っているようだった。何代目かが珍品の蒐集家だったらしい。

「よろしく頼むよ…。そうだ、コレ。良かったらもらってくれないかな」

 阿恵はカバンからビニールに入ったクッキーを取り出した。ところどころ焦げている。

「今日の失敗作。見た目は悪いけど、味は悪くないから。明日のおやつにでもしてよ」

「ありがとうございます」

 お礼をいって、満はありがたく失敗作をカバンにしまった。


 クリスマス会の前日、女の子まみれなのがためらわれたので、セレクトショップに行くという睦月を見送り、満はケーキ屋に向かった。

 財布には昨日、先払いだと言ってもらった五千円が入っている。楠本たちも同じだけもらっていたようだった。満の方が働いた時間は長かったが、内容としては妥当だと思えた。

 最初、箱を手にした時の重さのプレゼントは到底思いつかず、満はとりあえず母と約束したケーキを予約することにした。二人なので小さいもので十分だった。

 満は四角い小さなレアチーズケーキを予約した。3000円しなかった。

 待ち合わせのホールの、箱を拾った大きなツリーの場所に行くと、睦月が抽選会の看板を凝視していた。ホールの一角では、抽選会が絶賛開催中だ。

「欲しいものでもあるの?」

 友人の声にびっくりして振り返る睦月。

「うん、ちょっとね——」

 言いよどむ。

 クリスマス抽選会の賞品は一等が温泉旅行、二等がテレビ、三等が特選肉、四等がマッサージクッション、五等が水族館のペア券、6等が即席カイロかウェイトティッシュ、参加賞がうまい棒だった。

「俺、抽選券持ってるよ」

 抽選券は500円購入で1枚もらえ、6枚で1回抽選が引けることになっていた。3000円以上買ってやっと1回なので、中学生にはなかなか縁のないものだったが、阿恵の父が客からもらったという半端な枚数の券をくれたのだった。

 数えてみると、先ほどのケーキ分を含め、15枚あった。

 睦月もセレクトショップでちゃんと何か買ったようで、1枚取り出した。

 とりあえず一回ずつ引くことにした。

「ごめん。満」

「いいよ、もらいものだし。睦月が神崎先輩からテスト問題もらってくれて助かったしね」

 睦月が先に引くが、外れのうまい棒だった。

 がっかりしている背中を哀れに思いながら満も引く。外れの白ではなく緑だった。ベルが鳴らされる。

「当たり―! 4等です!」

 この手の抽選で参加賞以外引いたことのなかった満は、きょとんとして係員を見た。

「マッサージクッションです。おめでとうございます」

 紙袋で渡されたそれは、ズシリと重かった。

「よかったね、満! それがプレゼントだったんじゃないの?」

 睦月も喜んでくれた。

「うん。母さんへのプレゼントにするよ」

 きっとコレがあの時の中身だったのだと、満はそう思うことにした。少なくとも己の手で手に入れたことに間違いはない。

 胸のつかえが取れた気がした。

「残りの抽選券、よかったらあげるよ。4枚しかないけど」

「いいの?」

「俺は欲しいのあたったから。二回連続はあり得ないしね」

 当たったら当たったで、運を使い切ってしまいそうでイヤだ。

 睦月は抽選権を手にし、財布をのぞき考えこむ。

「良かったお金貸そうか? 2500円ぐらいなら貸せるけど」

 そう言われて顔を上げる睦月。

「ちょっと家に電話してみるよ」

 睦月は携帯を手に、賑やかなホールから外に出ていった。

「スポーツ用品のところにいるね」

 満は欲しいバッシュを見ていた。久が買ってもらうと言っていたモデルは一万円超えだ。

(俺も年末年始働いたら買えるかな…)

 今のところ阿恵とは年末年始の手伝いについての話はしていないが、クリスマスだけでなく年末年始も酒屋は書き入れ時のはずだ。

 バッシュを棚に戻したところで睦月がやってきた。

「お待たせ。母さんからケーキの予約取り付けたから、悪いんだけどお金貸してもらっていいかな?」

 いくら持っていたか知らないが、睦月は2000円を満から借りると、満が予約した店を尋ねた。

 二人で行ってケーキを選び(睦月は普通の生クリームのデコレーションケーキだった)お金を払って抽選券をもらうと、すぐさま抽選の列に並んだ。

 結果は——。はずれだった。

「そんなに上手くはいかないよ」

「だね…」

 落ち込む友人の背を叩く。

 結果は残念であったが、満はこの友人の行動力に、正直舌を巻いていた。失敗をおそれず突き進めるメンタルもすごいと思えた。バスケでも練習に励んでいるようで、最近めきめき力を伸ばしてきていた。

 しかし、だからこそあの箱のことは無視できない。

「睦月、あの箱は俺が返しておくよ。

 今まで何に使ったかは——…また聞くから。明日持って来てよ」

 満の発言に睦月は黙り込み、トートバックの中から箱を二つ出した。どちらもビニール袋に入れられて汚れ防止がされており、一つは例の紺色の蝶の箱、もう一つは形がそっくりな白い箱だった。

「どうしたのそれ?」

「この間100均で見つけたんだ。どう思う?」

 箱を二つ渡され、尋ねられる。

 改めて見てみると、紺色の箱は色々な人が触っているので少し汚れているかもしれない。白い箱は当然真っ白だ。だが、寸法や形は同じに見えた。

「同じ箱に見えるね。紺色のは少し汚れてるかな…」

「100均の箱に色紙を貼って作ってるように見えない?」

 聞かれて、再度よく見比べる。紺色の箱は前から手作りかもしれないと思ってはいたが、そう言われて見比べると、否定する要素がなかった。

「そうかもしれないね」

「それで…満だから言うけど…誰にも秘密にしてほしいんだけど…」

 悩んだあげくという感じで、睦月は武蔵が永良から箱らしきものを物々交換で受け取っていたことを話した。

「永良から?!」

「そうなんだよ…どう思う?」

「どうって…」

 できれば教えて欲しくなかった。が、正直な感想だった。

 それに睦月は覚えていないのかもしれないが、永良が変わった箱を持っていると言って、神崎や芽室が何か話をしてなかっただろうか。

「武蔵先輩って裁縫とかも上手らしいじゃない? この箱、もしかしたら武蔵先輩が作ったんじゃないかな」

 睦月が紺色の箱を指さす。

 満も文化祭の時に武蔵がカメの昼寝用クッションを作っていたのを知っていたので、作れるような気はした。だがもし武蔵が作っていたとしても、証明のしようがないとも思った。

「もしそうだとして、どうするんだよ。武蔵先輩にきくの?」

「え」

 そこまでは考えていなかったのか、睦月は固まった。

「武蔵先輩が作ったかもしれないのと、永良から箱を受け取ったのをつなげて考えてもしかたがないよ。どっちも俺たちにはわからない要素だらけなんだから。

そっとしておこう! それが一番いいよ」

「——俺、一度武蔵先輩に聞いてみるよ」

 睦月は納得がいかないのか、勇気のある選択をした。

「まともに答えてくれるかわからないよ?」

「でも、すっきりしないから。確認したら、忘れ物のところに届けるよ」

 そういって睦月は二つの箱をビニール袋にいれ、バックにしまった。


 白畑家は母子二人でクリスマスパーティをしていた。

 予約していたクリスマスデコレーションのチーズケーキを食べてクリスマスを祝う。

「母さん、コレ、クリスマスプレゼント」

「どうしたのコレ?」

 紙袋に入ったマッサージクッションをみて、母は予想外の大物に驚いた。

「抽選会のくじで当たったんだ」

「本当に? すごいじゃない」

「実は、母さんには内緒にしてたけど、阿恵先輩のところでバイトさせてもらってて、お客さんが抽選券くれだんだよ。それで当たったんだ。

 あと、これは自分で買った分」

 ハンカチを出す。祖母に贈ったものと同じメーカーのものだ。母が箱から出して祖母に贈ったものを買う訳にもいかなかったので、満は母親に似たものを贈ることにしたのだ。

「ありがとう。阿恵さんからは連絡もらってたから、実は働いてたの知ってたんだけどね」

「そうなの?」

「正式じゃないとはいえ、人様の子どもを働かせる訳だから、許可はもらっておきたいって。

 私も内緒にしててごめんね」

 二人で笑う。

「あと、これはおばあちゃんからのクリスマスプレゼントなんだけど。おばあちゃん、年明けにこっちに引っ越してくるって」

「え、なんで?」

「田舎の方の相続問題がやっと片付いたんだって。ホントはもっと早く——私がうつで倒れた時に来たかったそうなんだけど、土地の話でもめて大変だったみたい」

「母さんは相続しないの?」

 首を横に振る。

「あんな田舎の土地もらっても、農業してなきゃ意味ないわよ。だから、年明けからお祖母ちゃんも来てくれて楽になるから、満もバスケ頑張りなさいね。

 お祖母ちゃんあんたにバスケットシューズ買ってやるんだって張り切ってたわよ」

「それなら自分で買えそうなんだ。年末年始阿恵先輩のところで働けば——」

「それこそバスケしなさいよ! おかあさん、がっかりしちゃうわよ。明日の練習試合、出場するんでしょう?」

「うん、ありがとう」

 明日は県大会の一日目だ。町原からも最低1Qくおーたーは出すと言われている。

「明日は私も観に行くからね」

「え、どうやって?」

 満は思わず聞き返した。

 白畑家に車はない。会場はバスでも行けるが、車でもなければ行くのは大変な場所だ。

「阿恵さんが一緒に送ってくれるって」

 阿恵には世話になりっぱなしだ。頭があがらない分、満は明日頑張ろうと思った。

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