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その手を離しても  作者: 新在 落花
本編

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8.知らない場所へ(1)

「リリィは?」


 スッキリしない気分のままリリーシアを見送ったバリーは、馴染めない大広間には戻らずテラスでグラスを傾けていた。


 珍しく心の内を打ち明けてきたリリーシアが気になって、王城の上等な酒にも酔えない。そこへリリーシアを探しにアルシスがやって来た。


 テラスに寄りかかっているバリーの隣にアルシスが並んで立つ。


「……俺は仲間を大事にする方だ」


 唐突に語り出したバリーに思うところがあったのか、アルシスは神妙な顔をして耳を傾けている。


「リリィも可愛がっている。雪山では何度も命を救ってもらったからな」

「知っている」


「ここにいると色んな噂も耳に入る」

「そうだろうな」


 二人とも隣り合わせてはいるが視線は正面に向けたまま、合わせることはない。


「俺はお前を殴ってもいいか?」


 バリーが体の向きを変えて、拳を顔の高さまで上げた。そして、もう片方の手でアルシスの胸ぐらを掴んだ。アルシスはバリーの言わんとすることが判り、片手でバリーの拳を下ろした。


「殴る理由がない」


 それを聞いたバリーは、ほっと安堵のため息をつくとアルシスの肩をぽんと叩いた。


「ちゃんと早く話しろよ」

「明日まではどうにも後処理で忙しい。明後日からは時間ができるからきちんと話をする」

「そうしてやってくれ」


 バリーの口ぶりからリリーシアも噂を聞いているのだと判った。アルシスは額に手をあてて、ふうとため息をつく。噂を聞いたリリーシアがどう思ったのかが気になって仕方がない。


 政治的な色んな思惑に乗ってやったのだからそろそろ解放してもらいたいと、アルシスは心の中で見えない相手に毒づいた。


 固く唇を噛みしめると、明後日は必ずリリーシアに会いに行くことを強く決意した。


-----


 夜会の翌朝、リリーシアは倦怠感のある体に鞭打って、王城を出る支度をしていた。


 リリーシアは夜会より前に、世話係経由で役人に王城を出る時期を申し出ていた。他の四人には秘密で出発したいと伝えると不思議そうな顔をされたので、言うと別れ難くなるからひっそりと旅立ちたいと言うと納得してくれた。


 報奨金を各地の商業ギルドで受け取る手続きのため、本当は出したくなかったが仕方なく身分証を提示した。すると名乗っている名前と身分証の名前が違うことで眉を顰められた。


 リリィ・フーカーと呼ばれていた英雄は、リリーシア・アンヴィルという男爵家令嬢だった。


 明らかに役人に不審がられたので、男爵家の娘が魔獣退治に参加していたと知れると今後の縁談に差し障りが出るので別名を使用していたと言うと疑念は晴れたようだった。

 今後も本名ではなく、リリィ・フーカーの名前にしておいて欲しいと懇願した。


 手続きをしてくれた役人と世話係に礼を言い、滞在中に用意された服などは捨ててくれるように依頼した。


 誰にも会わず、誰にも別れを告げず、リリーシアは必要最小限の荷物を小さめの鞄ひとつにまとめると、そのまま王城を後にしてクリスとの約束の店へと向かった。


 手続きに思ったよりも時間を取られたがまだ昼過ぎだ。ローナ達には今日は街へ行くと言ってある。リリーシアの出奔は明日までは気づかれないはずだ。


-----


 クリスとの約束の店に到着すると、先に入っていたクリスがリリーシアに気づいて手を上げた。王城を出るまでずっと張りつめていた神経がほっと解れて顔が緩んだ。


 大きな店ではないが清潔で落ち着いた雰囲気がいい。


「いつまで王都にいるの?」

「明後日には戻ります。今は屋敷を出て、旦那様から店をひとつ任されてるんですよ。今回は見聞を広める王都に来たところでした」


 凱旋パレードと時期が合致したのは予定外だったが、逆に多くの人の買い物の動向が判ってそれなりに有意義だったとクリスは言う。


「レイナはどうしてる?」


 何度も口にしようとしてためらって、リリーシアはようやくそのひと言を口に出した。もじもじと指先を組んで落ち着かない様子のリリーシアがおかしくて、クリスは思わず吹き出した。


「一時はあなたのことでずっと泣いたり怒ったりしてましたが、今は落ち着いてますよ。店のこともよくやってくれています」 

「良かった」


 リリーシアはレイナのことをずっと聞きたかった。その名前を聞くだけで涙が出そうになる。レイナはリリーシアがクリスと同じく最も信頼する人だ。


「あなたにも心許せる人ができて良かったですね」


 きっと凱旋パレードで二人を見たのだろう。目の前のクリスが嬉しそうに笑っている。


 屋敷で心をずたずたにされるリリーシアをずっと間近で見ていたのだ。何もできずにただ見守るだけしかできなかったが、ずっとリリーシアの幸せを願っている。


「恋人ですか?」

「違うわ」


「アルシス様でしたか?随分と親密そうに見えましたが?」


 クリスが凱旋パレードでも散々名前を呼ばれていた騎士の名前を口にする。


「寝た男ではあるからね」


 わざと蓮っ葉な物言いをしてみると、息を呑んだクリスが顔色を悪くするのが判った。唇がわなわなと震えている。


「なんてことしてるんですか⁉」

「私の価値を下げたかったの。万が一連れ戻されたとしても、純潔でなければせいぜい年寄りの後妻か妾止まりよ」


 俯いて答えるリリーシアの語尾が小さくなった。

 クリスはリリーシアのためにそんなことはないと否定したかったが、あの父親なら次なる政略結婚を用意するだろうと逆にすとんと腑に落ちた。


 貴族の令嬢の結婚は純潔でなければ悲惨なものだ。父親の駒になりたくないがために、暴挙に出たリリーシアに呆然とする。


「まさかそんなことのために……」

「私を軽蔑する?」


「しませんよ。ただ呆れました」

「良かった。でもこれからする話を聞いたら、きっと軽蔑する」

「しませんよ。僕とレイナはいつだってリリーシア様の味方です」


「私、グレイスを軽蔑していたの。でもね、私も同じだった」


 誰よりもその辛さを知っているはずなのに、知らずに妹と同じことをしていた。


「アルシスは当然のように私を隣に置いてくれるから心地よかったの。ここにいてもいいんだと安心できた。初めて居場所ができた気がしたの。でもずっと前から恋人がいたって噂を聞いたの」


 相手が相手なだけに曖昧な物言いになってしまったが、クリスは察してくれたようだ。


「アルシス様と話をされて下さい」

「またニース様のように責められるの?私が障害だと言われるの?」


「ただの噂ではないですか」

「妹とニース様のことも最初は噂だったわ」


 リリーシアの八つ当たりにクリスが苦しそうな顔をしているのが申し訳なくて、リリーシアは席を立った。


「昨日の疲れが取れていなくて今日は宿を取ることにしているの。続きは明日にしましょう」

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