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その手を離しても  作者: 新在 落花
本編

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2.英雄の凱旋(1)

 思ったよりも酔いの回っていたリリィは、足下をふらつかせながらアルシスと部屋に戻ってきた。


 明日の早い時間に出立するのに身の回りの整理がひとつもできていないことに焦りを感じたが、もう少しも起きていられそうにはなかった。

 着ていた服を脱いで下着姿になったリリィは、そのまま寝台に倒れ込んだ。


「リリィ、話がしたいんだが……」


 いつもよりも硬い声色のアルシスが何かを言おうとしていたが、まぶたを閉じたリリィがその続きを聞くことはできなかった。


 気持ちよさそうに寝息を立てて眠っているリリィの隣に腰を下ろすと、アルシスは上掛けを引き上げて寒くないようにリリィの肩まで隠す。


 薄着になったリリィの肩には雪の魔獣やその眷属につけられた傷がいくつも残っている。治癒魔法である程度の怪我は治せても、傷はそのまま残ってしまった。それなりに大きな傷だと思うが、年頃の娘であるリリィが少しも気にしていないことをアルシスは不思議に思う。


 リリィと話がしたかったが王都までの道中は長い。どこかで話はできるだろうとアルシスもそのまま寝台に上がった。


 しかしアルシスの読みは甘かったといえる。それから二人で話をする機会など全くなかったのだ。


-----


 夜も明けきらぬうちに王都に向けて出立するため、リリィは急いで準備をして宿の入り口に向かった。起きた時にはアルシスはすでに部屋にいなかったので、先に向かったのだろう。


 リリィが宿の階段を下りると、外の広場には豪華な馬車と王宮騎士が数名待機していた。その場違いな風景に、一瞬気後れしたリリィはそこで目を疑うような光景を見た。


 王宮騎士達に混じってアルシスが雑談をしていたのだ。しかもなぜか騎士服を着用している。それなりの時間を一緒に暮らしていたが、そんな服を持っているところを見たことはなかった。


「ちょっとリリィ、あれ何よ⁉」


 同じものを見て驚いたローナがリリィの肩を揺さぶっている。目が回りそうになりながら、リリィは知らないと言うだけがやっとだった。


「アルシスは騎士だったの?」

「私も初めて知ったわ」

「あんた達、普段なにを話してたの?」


 何を話していただろうか。


「今日の食事は美味しかったとか?」


 もういいわと呆れた顔をしたローナが、リリィを放ってバリー達に向かって歩き出した。


 アルシスと普段何を話していただろうか。何かを聞けば自分のことを話さなくてはならないから、意図的に聞かないようにしていた。リリィには話すべきことはなにもないのだ。忘れたい過去しかないのだから。


 宿を出てきたリリィに気づいたアルシスが、騎士との会話を切り上げてやって来た。


「起きたんだな。ある程度の荷物は運び出していたけど」

「……アルシスは騎士だったの?」


 リリィがアルシスの騎士服を指さすと、何を言われたのかに気づいたアルシスが頷いた。


 騎士とは王宮騎士団に入団し、主君である国王へ絶対の忠誠を誓って叙任された者のことだ。入団試験は非常に難関だと聞く。


「どうして騎士がこんなところで魔獣退治なんてしていたの?」

「俺が志願したんだ」

「そうなの……」


 雪の魔獣退治は国の悲願でもあったので、そんなものなのかと納得した。

 見たこともない紺色の騎士服に身を包んだアルシスは、知らない人のようで距離を感じて上手く話すことができない。


「ご婦人方はこちらの馬車にどうぞ」


 別の騎士が恭しくリリィに手を差し伸ばした。躊躇しながらその手を取って、豪奢な馬車に乗り込んだ。二両の片方にリリィとローナが乗って、もう一両にバリーとオスカーが乗っている。


 一両に四名が乗っても十分な広さのある馬車なのに、わざわざ分乗したのはなぜかと騎士に問うたところ、王都までの道中、わざと目立つようにして雪の魔獣を退治した英雄を国民に見せたいのだという。


 経済が滞り、貧困にあえぐ人々に、辛い時期は去ったのだと知らしめるためだと騎士に言われた。

 そのために王家の紋章の刻まれた派手な馬車に乗せられ、判り易く王宮騎士が周りを固めているのだ。


 英雄を擁しているのが王家だと知らせ、国民の不満をそらして、求心力を高めるため。


 アルシスは騎士団の馬に騎乗すると、他の騎士と同様に馬車を護衛するように馬車の周りを走っている。その慣れた様子に本当に騎士だったのかと、リリィは改めて驚いた。


 長時間の馬車は足腰に負担がかかる上に、頭の中がぐらぐらと揺れるような錯覚を起こして非常に気持ちが悪い。

 王都に行かないと報奨金はもらえないが、まだ数日もこんなことが続くなら逃げ出してしまいたいとリリィは本気で考えていた。


 食事のための休憩で、まずはローナが音を上げた。


「馬車ってこんなに乗り心地の悪いものだったの?外から見てる分には貴族様の馬車ってもっといいものかと思ってたわ」

「ローナは意外に繊細だな」

「オレは屋根なしのボロ馬車くらいしか乗ったことなかったが、これは屋根はあるし、椅子も柔らかい。寝てりゃ進んでるし気にならんな」


 男どもでは話にならないので、ローナは隣のリリィに同意を求める。


「リリィも辛そうだもんね」

「私は昔から馬車は苦手なのよ」


 それを聞いてアルシスがおや?と思う。

 馬車は非常に高価な乗り物だ。貴族が購入しようとしても大変高額で、貧しい貴族は貸し馬車を使用することもしばしばだ。平民では乗る機会など皆無に等しい。


 それを昔から苦手というリリィは何者だろうか。リリィは自分は商人の娘だと言っていたが、果たして本当だろうかとアルシスは考えを巡らす。

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