15.この手を掴んで(1)
屋敷の外に待たせていたクリスと合流すると、アルシスはリリーシアをクリスに預けて馬車の手配をしに行った。クリスはリリーシアを木の陰に座らせて、自身もその隣に座った。
「大丈夫ですか?」
「……王都に行くの?」
「アルシス様のお父様が僕達を引き受けて下さるそうですよ」
男爵との話の最後に取り出した、避難民であるクリスとレイナを引き渡すための書類。男爵は怒りを露わにしていたが、引き渡し先の名を見てすぐに怯んだ。男爵よりも高位の家名だったからだ。
「どうして信じて差しあげないんですか?僕達のことも全てあなたのためでしょう?」
「……折角お店を任されるようになったのに、それでいいの?」
「アルシス様が仕事も斡旋して下さるそうですよ」
話を逸らしたリリーシアを見て、クリスはこれは思ったよりも根が深いとため息をついた。
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アルシスはクリス達の住む街に宿を取ってリリーシアを休ませることにした。クリスがレイナを呼びに行くと、息を切らせてレイナがやって来た。
レイナの顔を見たリリーシアは子供のようにその場に泣き崩れた。嗚咽をこらえることもせず、溢れ出る涙を拭うこともなく、ただレイナにしがみついて声を上げてずっと泣いていた。
アルシスはここまで感情を表に出すリリーシアを初めて見て、複雑な気持ちを抱いていた。自分の知っているリリーシアとは別人のように、感情豊かに泣いて笑っている。レイナの方がずっと心を許されているとクリスが言っていたが、アルシスはそれを目の当たりにしていた。
アルシスの知らないリリーシア。いつも控えめで一歩引いたところにいて、こちらには近づいて来ようとしない。ではアルシスはリリーシアの何を知っていたというのか。貴族の娘であることすら知らず、本名すら教えてもらえなかった。
王都へ発つ準備のためレイナ達が宿を出ようとすると、名残惜しそうにレイナの指を掴んで離さない。アルシスがリリーシアの手を取ってレイナから引き離すと、唇をきゅっと噛んで泣きそうな顔をする。
「リリーシア様。これからもずっと一緒にいるために準備をするのです。少しくらいは我慢できますね」
幼い頃のリリーシアに諭すような口調でレイナが微笑んでいる。
「アルシス様、リリーシア様は体調が優れないご様子。無体を強いることはお控え下さいませ」
顔は笑っているが、目が笑っていないレイナがアルシスに釘を刺す。どうやらこちらの恨みも買っているようだ。レイナはアルシスが大きく頷いたのを見て、安心したように宿を後にした。
魔力切れ寸前だったリリーシアはふらふらとはしているものの、完全に魔力切れを起こした時のように意識混濁することもなく寝台に横になって体を休めていた。やがてアルシスがやってきて、リリーシアの隣に横になった。
「あの屋敷で何があった?」
「妹はどうやら子供が生めないようだから、私がニース様の子を生むようにと言われたの」
それはどういうことかと考えて、アルシスの目の前が真っ赤に染まった。リリーシアを連れ戻したのは男爵家の嫡男を生ませるため。あの時のリリーシアは魔力切れになるほどの魔法を使っていたが、あれはもしかして。
「何もされてないか!?」
「体の自由を奪う薬を飲まされたけど、後はアルシスの知っている通りよ」
「……リリーシアのことを教えてくれないか?」
「本当の名前はリリーシア・アンヴィル。成上がり男爵の長女。不義の子だと疑われて両親に捨てられた」
自分の心に爪を立てるようなことばかりを言うリリーシアを胸に抱き込むと、アルシスはやっと手元に戻ってきたリリーシアの背中に腕を回す。
おおよそクリスから聞いていた通りの話だったが、茶会で自分よりもよその令嬢達の方がリリーシアの家族のことに詳しくて辛かったという話の時には、何度も息を詰まらせていた。
「じゃあ、もうここには未練はないな。王都に連れて帰るから」
「どうして?」
「俺が一緒にいたいから。他の人では嫌だから。まさか捨てられるとは思っていなかったから」
矢継ぎ早に告げられる言葉に目を白黒とさせながら、リリーシアがずっと気になっていたことを訊ねる。
「王女様は?」
「簡単に話すと俺の父が騎士団の上層部にいて、父を取り込みたい第二王子派が俺に狙いをつけたんだ。俺の兄達は年が離れていて、とっくに結婚をしているから」
国王は第二王子に陰日向になって兄と国を支える者となることを期待していた。父親としては子を糾弾することは望んでいなかったが、国王としてこの事態を収める必要があり時機を窺っていた。
「陛下が動かない以上、騎士団はこの件に中立と決めたから俺もそれに従っていた。だがプリシラ王女が仕掛けてくる細々としたものに嫌気がさして、第一王子の後押しで魔獣退治に志願した。元々騎士を交代で国境に送り込んでいたから許された」
本当はプリシラに既成事実を捏造されそうになり、しばらく王都を離れた方がいいと第一王子が判断した。
プリシラは騎士団だけでなく、国の中枢を担う貴族の子弟を取り込もうと躍起になっていたので、アルシスが王都を離れると興味を失ったように別の子息に狙いを定めた。
「国境に行った俺が魔獣を倒したものだから、王城の中で俺の価値が上がった。第二王子派が勝手な噂を流す上に、第一王子派が俺を英雄に仕立てて手柄にしようとしていて……、俺はもう疲れた。父も兄達ももう少し我慢しろと言うし、そしたらリリィには逃げられた」
いつも飄々としているアルシスが、リリーシアに抱きついて弱音を吐いている。その様が可愛らしくて思わず背中をぽんぽんと撫でた。
「クリス達のことはありがとう」
「リリィが逃げないように、クリス達を人質に取ることにした」
予想外のことを言われてリリーシアに衝撃が走る。
「魔法士団への入団はリリーシアが望めば認められる。断ることも可能だ。男爵令嬢であるリリーシアを連れ帰るのに、建前上どうしても理由付けが必要だったんだ」
「私が魔法を習ってみたかったと言っていたのを覚えていてくれたの?」
雪山で魔力切れを起こす度に、自分の魔力を知るために魔法を習ってみたかったと言ったことがあった。あの些細なことを覚えていてくれたのかと目頭が熱くなる。
「覚えていたし、人にはない折角の魔力だ。リリーシアのためにも正しい魔法を習ってみるのもいいと思った」
「ありがとう。嬉しい」
男爵家では決して口にしてはならなかったリリーシアの魔力を、もう隠す必要はないのだ。第一王子がリリーシアの魔力を高く評価しているとも言っていた。男爵家では誰も認めてくれなかったリリーシアのことを、認めてもらえたようで心が弾んだ。
「リリィを魔法士団に入れて国に囲わせて、クリス達をこちらに囲えば、もう逃げ道がなくなるだろう?」
「どうしてそこまで?」
「愛しているから」
リリーシアがアルシスの腕の中から顔を出して視線を合わせると、真剣な目で見つめてくるアルシスと目があった。リリーシアは困ったような顔をして無言で首を横に振った。
「アルシスのことは好きだと思う。でも捨てられるんじゃないかと不安になるの。一緒にいても些細なことで不安になって、逃げたくなると思うの」
「捨てたりなんかしない。そんなに俺が信用できないのか?」
「あなたのせいじゃないのよ。これは私の問題なの」
体を重ねても心までは重ならない。これはただの欲求で愛ではない。ずっとそう言い聞かせて自分を抑えてきた。アルシスはリリーシアのものにはならない。
アルシスの温かい腕に抱かれて眠るのは好きだった。自分ものにはならない相手でも、その一時だけは自分のもののように思えたから。
「私ね、娘として両親から浴びるような愛情をもらって、愛されていた記憶があるの。でも血の繋がった親でさえ私を捨てたのよ。アルシスは誠実な人だと判っていても不安になるのよ。自分自身が嫌になるわ」
次で終わります。




