14.差し伸べられた手
屋敷の人間が固唾を呑んで見守る中、アルシスは燃えさかる炎の中を悠々たる足取りで歩く。
恐る恐る部屋の中を覗き込んだニースや使用人を熱風が襲い、どうしてあの男は平気なのかと唖然とする。指示通り水を運んで来た使用人も、炎への恐怖でその場に立ちすくんでいる。
アルシスが炎の中に入っても、赤々と燃える炎は、髪の毛の一本すら焦がす気配はない。
アルシスはリリーシアが操る魔法の炎が自分を傷つけるはずがない。他の誰が無理でも、自分だけは無事でいられると確固たる自信があった。
壁際に倒れているリリーシアに近づき、片膝をついて抱き起こす。僅かに目を開いたリリーシアをアルシスは胸に抱き込んだ。
リリーシアの薄く開けた目にここにいるはずのない人の顔が映る。顔を見たいのに、流れ出る涙で眼前がぼやけてよく見えない。触れたくて腕を伸ばそうとするが指先が少し動くだけで、焦燥感だけが募って更に涙が溢れ出る。
「リリィ、迎えに来た。もう大丈夫だから魔法を解け」
リリーシアが魔力切れ寸前の状態だとアルシスはすぐに察した。雪山で何度も見てきたのだ。その度に肝を冷やすような思いをしてきたが、まさか今になってこんなことが起きるとは思わなかった。
「……どうして……ここが?」
「リリーシアの居場所を男爵に知らせたのはプリシラ王女だ」
リリーシアを抱き抱えたまま、涙で濡れる柔らかな頬を撫でる。
アルシスを見上げる形で注視しているリリーシアは、上手く働かない頭でプリシラ王女との会話を思い出す。アルシスを奪わないで欲しいとは懇願されたが、それがなぜ男爵への情報提供になるのか。
「……なぜ?」
リリーシアが困惑した顔をでアルシスを見つめると、床に座りこんだアルシスの膝の上に横抱きにされた。他に聞こえないように、アルシスはリリーシアの耳元に口を近づけると小声で話をする。
「先に言っておくが、俺とプリシラ王女の間には何もない。同母の第二王子を立太子させるため、俺という駒が必要でリリィを牽制したんだ。リリィは嵌められただけだから気に病む必要はない」
リリーシアは驚きで目を見開いた後、大粒の涙をこぼしながら嗚咽を漏らした。
その瞬間、燃えさかる炎が一瞬にして部屋から消えた。部屋を燃やす意図の炎ではなかったため、延焼もなく元の静かな客間へと戻っていた。
「もう少しだけ我慢できるか?男爵と話がしたい」
「……父と?」
リリーシアの流す涙を、アルシスが指で拭いながら頷いた。不安げな表情をするリリーシアの肩をぽんぽんと叩くと、一度リリーシアを膝から下ろして背中と膝裏に手を入れて抱え上げる。リリーシアを抱えたまま部屋の入口へ向かうと、きつい眼差しで凝視する男と目があった。
「勝手に屋敷に入ったことをお詫びいたします。緊急事態でしたのでどうぞお目こぼしの程を」
丁寧なようで高圧的にアルシスが告げると、男爵は怒りを宿す目でアルシスを睨んだ。
「娘をこちらへ渡してもらおう」
「いえ、リリーシア嬢はこのままで結構です。少しお話を宜しいですか?」
すぐ側にある客間のソファに座るように促され、アルシスは素直に従う。リリーシアを隣に座らせ、アルシスの肩に寄りかからせる。素直に従っている娘を不審な目で見ながら、男爵は一人がけの椅子に腰を下ろした。
男爵は外にいる使用人達を下がらせて、室内にはリリーシアとアルシス、男爵とニースだけになった。
「貴殿は何者か?」
「第一王子の命により、リリーシア嬢をお迎えにあがりました」
「第一王子の!?」
男爵とニースが驚きの声をあげるが、リリーシアも驚いて思わずアルシスを見上げる。アルシスが男爵に差し出したのは、王家の封蝋の押された第一王子の書状だった。男爵の顔に明かな動揺が走る。
第五王女の使者が男爵家にやってきたのはつい先日のことだ。突然の訪問に何事かと訝しんだが、男爵はリリーシアの行方が喉から手が出るほど欲しかったため、リリーシアをできるだけ早く縁付かせることを条件に情報の提供を受けた。
「端的に言うと、リリーシア嬢を王宮魔法士団に入団させるためお迎えにあがりました。彼女は雪の魔獣を退治した英雄でもありますし、何よりその希有な魔力量を殿下は高く評価しておられます」
初めて聞く内容にまたもリリーシアは驚きを隠せない。どういうことだとアルシスの袖を引っ張るが、アルシスは気づかない振りをして話を続ける。
「娘はすでに結婚が決まった身、急にそのようなことを言われましても」
「結婚?そのような話は初めて聞きましたが。お相手はどなたでしょう?」
「こちらのニース様です」
男爵の隣に座るなんとも凡庸とした男が元婚約者かと、アルシスはニースを一瞥する。その険を含んだ視線にニースは一瞬たじろぐが、男爵の言葉を肯定するように頷いた。
「そちらは妹君のご夫君では?」
アルシスはようやく状況が飲み込めてきた。プリシラはリリーシアが邪魔なため、早々に誰かと結婚させろと迫ったのだ。すでに純潔ではないことを男爵に知らせたため、元婚約者を宛がうことにしたのだろう。教会に離婚を掛け合うことなど王族であれば容易いことだ。
「殿下は結婚の誓いを取り消すことを、是とは思っていらっしゃいません。何よりこの命令を断ることなどできません」
王族と繋がりができたと喜んだのも束の間、継承権のない第五王女と、継承順位一位の第一王子。どちらの立場が上かは明白だ。
膝の上で握られた男爵の拳が小刻みに震えている。眉間に深いしわを寄せて、その表情に怒りが滲み出ている。
「そうそう。この書類にも署名をいただけますか?」
アルシスが差し出した書類を見てはっと顔を上げた男爵が、さらに眉の皺を深めた。
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厳重に警備の敷かれた王城の一室で、プリシラは昼間の祖父との会話を思い出していた。
プリシラは聞いたこともない祖父の沈んだ声を聞いて、宰相家の目論みが失敗したことを知った。
雪の魔獣によって閉ざされていた陸路が元に戻り、近隣との国交が再開された。それは国境二つ向こうのクリス達の母国もそのひとつだった。
その国に、側室腹の第二王女が嫁いだのは十年以上前のことだ。第二王女はプリシラの年の離れた姉だ。この国の王女が近傍の国の第二王子に嫁ぐことは、以前から二国間で決まっていた。第二王子と年の近い、第一王女が嫁ぐであろうとみなされていたが、実際に嫁いだのは第二王女だった。
元より不穏な空気を漂わせていたその国は、王太子暗殺によって均衡が崩れた。第二王子と第三王子の継承紛争は数年におよび、やがて第三王子が勝利をおさめた。
時を置かずに第二王子が王太子暗殺を企てたことが公となり、第二王子は反逆者として刑に処され、王子妃である第二王女は蟄居を命じられた。
その頃、国境近くに雪の魔獣が出現し国が閉ざされたため、二国間の連絡は完全に断たれることとなった。
「お姉様が正妃腹であったなら、あの国に嫁がされることもなかったはず」
どうして正妃の子ではないからと軽んじられなくてはならないのか。同母兄が王位を継げば蔑ろにされることもなくなるはずだ。
そして今、国交が再開したことで宰相と第二王子が通じていたことが明るみになった。




