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その手を離しても  作者: 新在 落花
本編

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13/19

13.帰りたくない場所(3)

 リリーシアの魔法で退けられたニースは、その足で男爵の部屋へと向かった。


 ニースは大仰な身振りでリリーシアの魔法について説明するが、男爵は眉ひとつも動かさずにニースを注視していた。事の次第を聞いた男爵は、大きなため息をつくと胸の前で組んでいた指をほどいて、机をトントンと指で叩く。その神経質そうな動作に機嫌の悪さが表れていた。


「ニース様、約束を違えられては困りますよ」

「もちろんです、義父上。しかし今のリリーシアには近づくことすらできません」


 リリーシアを不憫だとは思うが、ニースは自分の立場の方が大切だった。

 以前は家族関係が良好そうに見えていた男爵家だったが、リリーシアが屋敷を出てからは関係は円滑ではない。


 男爵夫人は離れた別の屋敷に滞在し、しばらく戻っていない。グレイスもそれに同行している。

 月のものが止まっていたことを男爵に報告していなかったグレイスは、それを知った男爵にひどく責められ、庇った男爵夫人との亀裂は決定的なものとなった。


 リリーシアがいなければこの屋敷はうまく回らない。リリーシアを悪者に仕立て上げて団結していただけのことだ。それが判っているがニースは決して口には出さない。


 ニースは薬の効き目はいつ出るかなと考えていた。男爵がどこからか手に入れた薬を、数回に分けて用量通りに飲ませたはずなのに、思いのほか効果が出るのが遅いようだ。


「今日はゆっくりと休むか」


 そう独り言ちると、妻のいない夫婦の部屋へと足を向けた。



-----



「そういえば、クリス。なんだかお屋敷の様子が変だったのよ」


 朝食の後片付けをしながら、レイナがクリスにそう話す。


 店の経営についてはクリス達夫婦にある程度任されているが、定期的は報告は必要だ。いつもはクリスが報告に赴くが、今回は補足の報告だけだったので王都から帰ったばかりのクリスではなく、レイナが男爵の屋敷に行った。

 いつものように家令に報告をして屋敷を出ようとするが、何か違和感を覚える。そこで、顔見知りのメイドに探りを入れてみたが口を濁されて、真相は掴めなかった。


「変?」

「旦那様が視察の予定を急遽を切り上げて、お帰りになったのですって」


 男爵は基本的に一度決めたことを覆さない。そのため予定を変更することはほとんどないはずだ。その男爵があえて屋敷に戻った意味はなんだろうかとクリスは考える。


「それから、奥様とお嬢様の姿が見えなかったのよね」


 何かがあったなと考えたところで、遠くから蹄の音が聞こえてきた。こんな早朝に何事か?と思い玄関の扉を開くとそこには、立派な軍馬に騎乗したアルシスの姿があった。


「アルシス様!」

「クリス!男爵の屋敷に案内しろ!」


 夜通し馬を走らせ男爵領に入ったものの、土地勘がなく右往左往しながらクリスの店へやってきた。王都で地図と住所を知らされていたのが役に立った。


「やはりリリーシア様に何かあったのですね!」

「やはり?」


「急ぎましょう。え?僕もこれに乗るんですか?」


 青ざめた顔をしたクリスが馬上のアルシスを恐る恐る見上げると、当たり前だと言わんばかりに手を引かれた。鍛えられた体をしているアルシスは、難なくクリスを馬上に引き上げた。


「僕は馬車にしか乗ったことはありません!」


 アルシスは聞こえない振りをして、クリスの指示する通りに馬を走らせた。



-----



「君も強情だね」


 部屋の隅でじっとしているリリーシアを呆れたようにニースが嘲笑する。近づこうとするとすかさず攻撃魔法を使うので、離れた椅子に座ってリリーシアを見ている。


 リリーシアの体の自由は昨日よりも確実に奪われていた。もう言葉すら上手く発することができず、手足を動かすことすらままならない。


 父親に会って悪夢が蘇ったことと、現状の不安でとても眠れず、睡眠不足もリリーシアの体力を確実に削っていた。


「昔はもっと従順だったのに、男ができるとこうも変わるものかな」


 ニースが下卑た笑いを浮かべて、リリーシアを煽ろうとしているのが判った。


 この男もアルシスのことを知っているのだ。それでいてリリーシアと再婚をしようとしている。入婿であるニースに爵位は継げないので、せいぜい男爵が死んで男子が爵位を継ぐまでの仮初めの主人だ。


 今は従順ではないということは、昔よりは強くなれたのだろうかとぼんやりした頭で考える。今の自分は昔の気弱な男爵令嬢ではない。そういえば英雄と呼ばれていたのだと思い出し、くすっと小さく笑いが出た。


 突然笑いを浮かべたリリーシアを、ニースが訝しげな目で様子を窺っている。


「君には同情するけれども、義父上のご機嫌を損ねてはいけないからね。それに仮にも元婚約者だ。君と子供を作ることは吝かではないよ」


 壁際に座るリリーシアの体がぐらりと絨毯の上に横倒しになった。自力で起き上がることもできず、椅子から立ち上がって近づいてくるニースに強い眼差しを向けるが、お構いなしにその間合いを詰めてくる。


「……やっ!」


 近づいてくるニースを拒むように、リリーシアの周りに炎の渦が噴き出した。リリーシアを取り巻くように燃えさかる炎は、熱気とともにニースに襲いかかる。ニースは悲鳴をあげて身を翻して炎から逃れると、部屋から走り出た。


 天井まで届く炎は部屋を焦がすことなく、部屋中に充満している。高温の熱気だけが部屋の開いた扉から外に漏れ出ている。


 部屋の現状を見た使用人達は、恐怖の悲鳴をあげて遠巻きに部屋を見ている。


 舞い上がる炎の中に佇むリリーシアは、息絶え絶えに肩で息をしてた。自分の身に起きているのがよくない兆候だと今なら判る。これは魔力切れの前兆だ。薬のせいで体力と一緒に魔力も削られているようだ。


 雪山ではアルシスがいつも助けてくれていたが、今はもう側にいない。

 リリーシアの目が涙で滲んだ。


 望んではいけない、愛してはいけない、ずっとひとりでいれば絶望することはないと、そう心に誓って生きてきたのに、結局はずっと望んでいる。


「お前は何をしているんだ!」


 男爵の怒号が屋敷に響いた。使用人の誰かが主人に知らせに行ったのだろう。

 顔を紅潮させた男爵が、扉の前でリリーシアに怒号を発している。声に反応するように炎が男爵の鼻先を掠めた。前髪の一部が焦げた男爵はすぐに扉から離れると、部屋を消火するように使用人に言いつけた。


「しかし旦那様。この炎は水では消えないようなのです」

「屋敷が焼ける前に火を消せ!」


 使用人を叱責する男爵の目に、階下から階段を上がってくる男の姿が目に入った。男爵家の屋敷に勝手に入ってきた男は男爵やニースに目もくれることなく、リリーシアのいる部屋へと躊躇せずに進む。


「焼け死ぬぞ!」


 思わずニースが呼び止めるが、男は気にせずに部屋の中に入っていく。


「リリィ」

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