12.帰りたくない場所(2)
馬車の中は沈黙だけが流れていた。
リリーシアは会話をするつもりはなく、恐らくニースにもその気はない。気詰まりな空気が漂う中、リリーシアはなぜ自分が呼び戻されたのかを考える。
妹のグレイスはリリーシアが屋敷を出た後、ニースと結婚をしている。リリーシアの政略結婚でも決まったのだろうかと考えるが、男爵がニースを迎えに行かせた意図がつかめない。
予想外なのはニースのリリーシアへの態度だ。休憩の度に従者にリリーシアの飲み物の手配を言いつけて、細やかな気配りをする。婚約していた時でさえ、こんな扱いを受けたことはない。
やがて馬車の窓は見覚えのある風景を映し出す。
リリーシアが馬車を降りると、もう二度と見ることはないと思っていた男爵家の屋敷が目に入った。以前の領主から買い取った絢爛豪華な大邸宅だ。
リリーシアは息ができなくなるような錯覚を起こしてその場に立ち尽くす。
「義父上は領地の視察が入っていて、今日は不在だ。恐らく明後日の夕方には戻られるはずだ」
二度と戻るはずのなかった自分の部屋で、先が見えない不安に駆られてリリーシアは眠れない夜を過ごした。
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アルシスにリリーシアの情報がもたらされたのは、リリーシアが宿から男爵領へと発った翌日の遅い時間だった。
「必ずしも本人にその気があったとは言えないんだが」
持って回ったような言い方に苛立ちを感じながらも、アルシスはできるだけ顔には出さないようにして騎士団長の話を聞いていた。
「早くおっしゃって下さい」
「リリーシアはどうやら男爵家に戻ったようだ」
あり得ないだろうとアルシスは思う。クリスの話ではリリーシアは男爵家で虐げられて育った。そんな場所に自ら戻るとは思えなかった。
「男爵家の馬車が迎えに来て、それに乗って行ったそうだ。迎えに来た若い男は明らかに貴族の男でニースと呼ばれていたと」
「ニース?」
その男はリリーシアを捨て、妹に心変わりをした元婚約者ではなかったか。なぜ元婚約者がリリーシアを迎えに来るのか。
「あとこれは大きな声では言えない話なのだが」
「言って下さい」
「リリーシアにはもう一組監視が付いていたようだ」
「どこの者ですか?」
「プリシラ王女の間者らしい」
そこまで聞いてアルシスは確信を持った。男爵家にリリーシアの居場所を伝えたのはプリシラだ。
「あとどのくらい待てば宜しいのですか?」
現在、王位継承権を巡って第一王子と、第二王子が水面下で苛烈な争いを続けている。第一王子は正妃の子、第二王子はプリシラと同母の側室の子だ。
プリシラは有力な貴族やその子弟を第二王子陣営に取り込もうと躍起になっている。アルシスとの噂もプリシラが流したものだ。
いつまであの王女に好き勝手をさせるのか。
「我ら騎士団の主君は国王陛下だ。陛下がお決めになるまでは、あくまで中立を保たねばならない。しかし、その時はもうすぐだ」
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屋敷に戻った翌日の夕方、ニースがリリーシアの部屋にやって来た。
「リリーシア。義父上がお待ちだ」
案内されたのは男爵の部屋ではなくなぜか客間だった。豪奢な椅子に足を組んで座っていた男は、リリーシアを見るなり鼻を鳴らして笑った。
「随分と勝手をしていたようだな」
昔と少しも変わらない冷たい物言いに、リリーシアはすくみ上がりそうになる。幼い頃からの恐怖心が一気に戻ってきた。
「騎士風情と猥りがわしいことをしおって、お前は本当に男爵家の娘か!」
リリーシアが目を大きく張ると、男爵はその様子を見て小馬鹿にしたように笑った。
「なぜ知っているのかという顔だな」
アルシスとのこと、リリーシアの居場所、どこまでを男爵に知られているのかとリリーシアが不安に襲われた。すると、また息苦しさがリリーシアを襲い、立ち眩みを起こしそうになる。
「薬が効いてきたか?」
「そのようですね。飲み物と屋敷での食事に混ぜていますので、量は十分かと」
「く……すり?」
ニースが何度も従者に用意させた飲み物には、リリーシアの体の自由を奪う薬が混ぜられていた。リリーシアの体がぐらりと傾いで、側にあったソファに倒れ込んだ。
「お前には男子を生んでもらわねばならん。しかし、お前は魔法が得意だそうだからな。薬を使って動きを封じた方がいいと助言をいただいたのだよ」
「何の……ことですか?」
「ニース様はグレイスと離婚し、お前と結婚することになったのだ」
働かない頭で男爵の言うことを反芻する。上手く話せない上に体の自由が利かず、ずるずるとソファの座面から崩れ落ちた。
「……グレイスが……いるではありませんか」
「あれには子は生めんからな」
「グレイスは月のものが止まってしまったんだ」
男爵に代わってニースが答えた。月のものが止まって子を設けることがなくなったから、リリーシアは呼び戻されたのだ。
「離婚など……簡単にできるものでは……ありません」
この国の結婚は教会で神に誓いを立てて夫婦となる。離婚は神への誓いに背くことになるため、簡単には許されないのだ。
「お前をすぐに誰かと結婚させることを条件に、高貴な方がこちらに協力して下さることになっている。離婚も認めていただけるそうだ」
教会に働きかけることのできる高貴な方とは誰だろうかと考えるが、男爵の交友関係をリリーシアが知るはずもなかった。
「ニース様、頼みますよ」
困窮するニースの実家の伯爵家は男爵の援助がなければ立ち行かない。家格ははるかに劣るが、力関係でどちらに分があるかは明白だった。
リリーシアに新しい相手をあてがってもいいが、縁を組むのに時間がかかる。それにニースほど扱いやすい相手はいない。グレイスと離婚させ、リリーシアと縁を結び直させるのが得策だと男爵は考えた。
リリーシアが勝手をしたせいで、令嬢としての価値は下がってしまった。それを瑕疵として下手な相手を招き入れ、男爵家を乗っ取られたら元も子もない。
その点ニースは男爵家を追い出されても行くところがない。今更平民として生きていくなど、見栄っ張りなニースにはできないだろう。だからこそニースは男爵の傀儡だ。リリーシアと縁を結び直すと言っても反対はしなかった。リリーシアの意思など関係なく子をなせと言っても断らなかった。
ニースはグレイスが男爵の寵愛を受ける娘だから、リリーシアとの婚約を破棄し結婚をした。しかし寵が潰えたから、グレイスと離婚しリリーシアと再婚する。判りやすい男で扱いやすいと男爵は嘲笑を浮かべた。
性根の腐った男ではあるが利用価値は高い。男爵家は所詮は新興貴族だ。新興貴族に対する排他的な貴族社会では、伯爵家の血筋と人脈が必要だった。
雪の魔獣が退治され、王都での社交も再開されるだろう。その時に伯爵家との繋がりは重要だ。
二人をちらっと見ると、男爵は部屋を出て行った。
倒れこんだリリーシアは、ニースをきっと睨んだ。
「悪いな、僕も後がないんだ。君が僕の子を生めば、僕は男爵家に残ることができる」
「何を……言っているの?」
「僕は君でもグレイスでもどちらでもいいんだよ」
ニースが両肩を上げて身を縮こめるような動作をした。
「リリーシア」
「触れ……ないで……」
リリーシアは薬のせいで自由を失った体で、ソファを離れ壁際にずり下がる。
ゆっくりとニースがリリーシアに近づいてくる。ニースの伸ばされた手がリリーシアに触れそうになって全身が粟立った。
アルシス以外に触られたくない。
リリーシアとニースの間に雷光のようなものが走り、急いでニースが後ろへと後退する。
「……魔法か」
ニースが悔しそうに呟いた。




