11.帰りたくない場所(1)
「放逐するだけではいけないわね。きちんと檻に入れなくては」
金色の巻き毛をふわりと風に揺るがせて、水色の目がバルコニーから外を眺める。手に持っているのは数枚の報告書。
彼女を満足させる内容の記載があり、思わず口元が緩む。
「使いをお出しなさい」
恭しく礼をして侍女が部屋から出て行った。
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王都を出て馬車を三度乗り継いでリリーシアはこの街にやって来た。馬車酔いがひどく当分動けそうにないため、しばらくはここでゆっくりし、その間にどこへ行くかを考えようと思った。
「南に行こうと思っていたけど」
南の陽気な風土を踏むのは今は戸惑われた。今はとても馴染める気がしない。
「北の方が合っている気がする」
身を切るような冷たい風にさらされて、雪の多い静かな土地で死んだように眠りたかった。何も考えずに動かずに、冬眠する動物のように体を休め心を凍らせたかった。
リリーシアはクリスと会ったら、その日の内に王都を発つ気でいた。リリーシアが王城を出たことを知られる前にどうしても離れたかったのだ。
王都に住むのもいいかと思っていたが、アルシスのことを耳にして平静でいられる気がしなかった。どこへ行っても二人の恋物語が聞こえてくるはずだ。
いつも噂話は残酷で、リリーシアの心をえぐる。
自分が母の不義の子かもしれないと知ったのもメイド達の噂話だ。
クリスとレイナが屋敷を辞めさせられるかもしれないと聞いたのも。
ニースとグレイスが恋仲だと知ったのも。
婚約破棄されるかもしれないと聞いたのも。
両親がグレイスに家を継がせたがっているのも。
魔獸退治に領民を派遣しなければならないと聞いて、父親がリリーシアが行けばいいとぼやいたのも。
誰の声も聞こえないところへ行きたいと強く願った。
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リリーシアがその宿に滞在してそろそろ十日が経つ。
宿の主人は若い娘の長期滞在を訳ありと思ってはいるようだが、深く詮索されることもなく程よい距離感を保ってくれていた。
屋敷にいた時は侍女に何でも任せていたが、今は自分である程度はできる。
国境の街では何でも自分でしなければならなかったのだ。食事は自分で店に行かなければならないし、服が足りなければ自分で買い足さなくてはならない。
最初は戸惑ったが、どうにか見よう見まねでできるようになった。
たまにおかしなことをしてアルシスに手伝ってもらったこともあったと考えて、涙が滲んだ。
食堂に下りてきたリリーシアに、宿の女主人がパンとスープを運んで来た。食の細いリリーシアにとって食事はそれだけで十分だった。
「今日のスープはどうだい?」
「いつもありがとうございます。とても美味しいです」
話し好きの女主人に付き合っていると、雪の魔獣を退治した英雄達の話になった。リリーシアは耳を押さえて聞こえないようにしたかったが話は続いた。
カランとベルの音がして宿の扉が開いた。女主人がそちらを向いて声をかけたが、入って来た男は脇目も振らずにリリーシアの方へとやって来た。
近づいてくる足音に気づいてリリーシアが顔を上げると、そこに立っていたのは妹の夫になった元婚約者ニースだった。
「リリーシア、迎えに来たよ」
「ニース様、どうしてここが……?」
リリーシアの頭の中が真っ白になる。王城の誰にも言わずに馬車を乗り継いでこの街にやって来た。決して最初からこの街へ来ようと思っていたわけではない。
どうしてこうも正確にリリーシアの居場所が知られたのか。もしかして男爵領を出てからずっと付けられていたのかと、背筋が凍った。
「……迎えとは?」
「ずっと君を捜していた。僕と一緒に屋敷に帰ろう」
そう言いながら微笑んでいるのは間違いなくニースだ。顔が笑っていても目は笑っていない。愛情のかけらすら感じることのない視線は、以前から変わっていない。
リリーシアを屋敷から追い出したのは父である男爵だ。今更リリーシアを捜す理由が判らない。
ニースに悟られないように表情には出さず、しかし内心焦りながらどうするかと考える。居場所が知られてしまった以上、このまますんなりと逃げることは難しいだろう。
リリーシアを捜す理由を知るためにも一度屋敷に戻ってみようかと考える。
今のリリーシアは魔法が使えるのだ。治癒や転移など複雑な魔法は使えなかったが、攻撃の魔法を雪山で習って、実際に魔獣退治でも役立てることができたのだ。
リリーシアが魔法を使えるようになったことは、まだ男爵家には知られていない。何かあれば魔法を使って逃げることができるだろうと踏む。
「判りました。一度屋敷に戻りましょう」
ニースがほっと安堵のため息をついたのを、リリーシアは見逃さなかった。
荷物を取りに行き、宿の精算をして出て行ったリリーシアを、帽子を目深に被った男達がじっと見つめていた。
やがて一人はリリーシアの乗る馬車の後を、もう一人は王都の方へと馬を走らせた。




