10.残された者
今から十年以上前、アルシス達の国から国境を二つまたいだ国では、王太子の暗殺事件を機に継承紛争が数年続いた。当時の国内は荒れ、その戦火から命からがら逃げて来た人を避難民という。
国王がほうぼうの領主へ避難民の受け入れを命じたため、男爵領も多くの避難民を受け入れた。
クリスとレイナは共にこの国へ逃げてきたが、国の受け入れ先は一緒ではなかった。二度と会えないほど離れた場所に引き裂かれそうになった二人を、偶然居合わせたリリーシアが従者に欲しいと言った。まだ男爵家令嬢として大切にされていたリリーシアのわがままは受け入れられ、二人は別れさせられることなく屋敷で働くことになった。
レイナは内紛でリリーシアと同じくらいの妹を亡くしており、その代わりということでもないが献身的に立ち働いた。クリスも従者としてリリーシアに仕えていた。
十歳になって魔力を発現したリリーシアは、両親からは疎まれ、その意を汲んだ使用人達からも冷遇されるようになった。リリーシアの侍女だったレイナは必死にリリーシアをかばったが、ある時リリーシアから侍女を外すと通告された。
二人はリリーシアから、人の目があるからリリーシアには無関心でいて欲しいと言われた。リリーシアに肩入れすると男爵の不興を買って、屋敷から追い出されるかもしれないからと。二人が屋敷からいなくなる方が何倍も辛いと泣きながら懇願された。
避難民である二人は男爵が身元を保証することで、この国で生活ができている。その男爵に逆らえば、この国にいることができなくなってしまう。それが判った上でのリリーシアの発言だった。
使用人の中には主人に取り入ろうと、リリーシアのあることないことを吹き込む者まで出てきた。言ってもいないことをさも言ったかのように告げ口する者や、わざとそう言うように誘導しその何倍にも誇張した内容を主人に報告することで、リリーシアは男爵に叱責された。
リリーシアは誰にも心を許すことができず、次第に誰とも話さなくなった。
ニースは夫となる相手とは思っていたが、二人の間に何らかの感情があったわけではない。そんなリリーシアの心を支えていたのは、リリーシアが生む男子が次代に家を繋ぐための存在であることだった。
そのために苦手な社交にも精を出し、教育も熱心に受けた。両親に認められたいという気持ちはとうに失っていたが、自分の存在理由のために必死だった。
その最後の心のよりどころも妹に奪われた。ニースが妹に心を移したことよりも、両親に不要だと切り捨てられたことに絶望した。
その夜はレイナが一晩中ついていてくれた。誰かに知られたらいけないからとリリーシアは止めたが、レイナは絶対に側を離れなかった。
国境近くの山に腕の立つ領民を派遣するように王命があったことを知ったリリーシアは、それに名乗り出た。令嬢が行くことなどあり得なかったが、リリーシアには王宮魔法士顔負けの魔力量がある。領民の不満を買って誰かを派遣するよりも、領主の娘を遣る方が領主の顔も立つ。
何よりリリーシアの婚約を破棄し、グレイスとニースの結婚を正当なものにするために都合がいいと、男爵は早々にリリーシアの派遣を決めた。
レイナとクリスは何度も止めたが、リリーシアは決して考えを変えることはなかった。
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「聞けば聞くほど碌でもない家だな」
腹立たしげにアルシスが言うと、クリスも顔を歪めて同意した。
「リリーシア様は僕達の恩人です。レイナと結婚し幸せに暮らせているのは、リリーシア様のお陰なんです」
「どうしてその話を俺にした?」
本来であれば使用人が雇い主のことを他人に話すなど、あってはならないことだ。主人への裏切り行為ともいえることをアルシスは責めているわけではなく、ただ不思議に思った。
「屋敷中の悪意に晒され、リリーシア様は誰にも心を開かなくなりました。そのリリーシア様があなたにはその身を預けていた。だから不思議なんですが、あなたはどうやってリリーシア様に心許されたのですか?」
凱旋パレードで二人を見たとクリスが言う。
アルシスがリリーシアと最初に会ったのは国境の街の酒場だった。食事をしているリリーシアと相席になったが特に話などすることもなかった。こんな危険な場所になぜ若い娘がいるのかと思って気になった。女剣士もいるにはいたが、リリーシアは明らかに体つきが違っていたからだ。
次にリリーシアに会ったのは、魔獣の眷属が出現した雪山だった。木の陰に人影が見えたので確認しに行くとリリーシアが倒れていた。意識はなく、そのまま放っておけば凍死すると思い麓まで運んだ。診療所の治癒魔法士に看せると魔力切れと言われた。
魔法を使う者の魔力量は個人によって異なり、魔法を習う際はまず自分の魔力量を知るところから始まる。魔法を使う者が魔力切れを起こすような命取りなことは、通常はあり得ないことだった。
次もまた雪山で魔力切れを起こして倒れているのを発見した。このままでは凍死するか、魔獣の眷属に食われるか、あるいは賞金狙いの男に襲われるかもしれないと麓まで運んだ。診療所の開いていない時間だったため、宿の自分の部屋に運んだ。リリーシアは魔力が回復するまでの数日間、意識は混濁してぼんやりとしていたが、正気に戻ってから何度も礼を言われた。
それからは目を離すと死んでしまうかもしれないと気になって、一緒に行動するようになった。
「それであなたに食われたのですね」
「……無理強いはしていない」
クリスが根に持っているのはやはりそこかと、アルシスは気まずい気持ちになる。どうもクリスはリリーシアに娘に近い感情を抱いているようだ。
「魔法の才はあったから、雪山にいる他の魔法士に習ってみるみる上達はしていた。ただ魔法の基本を知らないから、魔力切れのことは知らなかった」
「リリーシア様は魔法について一度も何かを習ったことはありません。屋敷内でリリーシア様の魔力のことは絶対の禁忌だったのです」
「リリーシア様はあなたの恋人に、自分の妹と同じことをしてしまったと悔やんでいらっしゃいました」
リリーシアが姿をくらませたのはやはりあの噂がきっかけだったかと、アルシスは唇を噛む。
「していないから悔やむ必要はない」
それを聞いたクリスは晴れ晴れとした顔をして、長椅子から立ち上がるとアルシスに別れを告げる。
「僕は領地に戻って旦那様の動向を見張ります。何か情報が掴めたらあなたにご連絡いたします。どうかリリーシア様のことをお願いします」
誤字報告ありがとうございました。修正しました。




