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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第8章 帝都Ⅴ――復活
30/31

8-5

残酷描写あり(流血、欠損等注意)。



 魔剣・荒炎すさのおに腹部を切り裂かれたイリヤの肉体は、無惨に床に転がった。

 おびただしい血がみるみる石畳に広がり、激しく体が痙攣する。

 ギガースは、千切ちぎった腕を喉から引き剥がし、投げ捨てた。ひじの辺りから切れた右腕が、小さく弾んで隅に飛ぶ。

 おびえたように、灰色の集団が身を縮ませた。

 ギガースの頬に、冷たい怒りが宿る。


「おのれらのしてきた結果であろう。よく見るがいい」


 水晶宮で学術的な研究を行なう、学者と呼ばれる彼らは、祭主と共に人体改造に携ってきた者たちであった。

 祭儀のつかさである祭主は、同時に智恵の牙城である、水晶宮のあるじでもある。

 不老不死を目指した彼は、その権限を濫用し、人体の可能性を見極めようとした。それが人体改造、果ては人造人間ホムンクルスの作出へと研究を進ませることとなったのである。

 風人イリヤは、その最中に手に入れられた。


 不老不死に最も近い〝不死薬エリクサー〟を、祭主は手中にしたのである。不死薬エリクサーを得たアレス・リキタスは、病むことも怪我をすることもなく、老いる速度もはるかに遅くなった。

 だが、完璧ではなかった。

 風人も死ぬ。つまり、永遠の生は風人でも有り得ぬのだ。

 なぜか。

 祭主の問いに、イリヤは答えた。


『死してこそまことの生が得られるからでございます』


 だが彼は納得せず、秘密を探るために、彼女の身体を切り刻んだ。そしてそれは次第に、彼女を人類でもっとも優れた肉体へと改造していく禁断の道へ、足を踏み入れさせる結果となったのだった。

 左上腕に刻まれた記号は、その証――古代の文字で、百二十二番目の実験体を意味する。


「原罪者よ。私は、彼女を研究すればするほど、ある一つの確信をするに至ったのだ」


 風笛かざぶえのような悲鳴をあげて足元に転がる養女を眺めながら、祭主は言った。


「原罪者とは、人と妖魔の中間に位置するものではないかと――。言い換えるなれば、人間と妖魔の間に産まれたのが、原罪者なのだよ。そう考えれば、すべての辻褄つじつまが合う。原罪者の罪のいわれ――そして、能力者ヴィサードなどという言葉では括ることのできぬ、君たちの類を見ない能力の理由がね……」

「黙れ!!」


 顔面に血を昇らせ、ギガースは怒鳴った。

 祭主は、あくまでも淡々と、むしろ残念そうに続ける。


「是非にも、天眼をもつ君に協力して欲しかった……。今となっては叶わぬだろうがな」

「貴様……このにおよんで、まだのたまうか!」


 その時。

 かつて感じたことのない清冽な何かが、その場に巻き起こった。

 巨大な爆発がもたらした、眼に見えぬあたたかな波は、瞬時にすべてに染みわたり、包み込んでいく。


――聖母……!


 それは、能力ヴィスを持たぬ学者たちですらはっきりと感じ取ることのできる、聖なる女性の復活の波動であった。

 祭主は、わずかに拳を握り締めた。


「――祭主よ。貴様はもう終わりだ。……見るがいい、彼女を」


 ギガースは、怒りを押し殺した声音でそう言い、イリヤを指差した。

 もはや、わずかに息をするのみとなった異形の娘は、時折激しく震え、死を予感させた。

 祭主の手の命珠めいじゅから、急速に光が失せ、黒くくすんでゆく。


「彼女を見ても、何も思わぬのか。これが貴様の研究のすべてだとしたら、何とも哀れで醜く滑稽なことよ。不老不死の源である、彼女が死ぬのだからな!」


 痛烈な妖魔狩人ハンターの言葉に、祭主の顔に、初めてはっきりと表情が浮かんだ。

 大笑であった。


「ふ……ふふふ。ははははは……!!」


 狂ったように祭主は笑い、


「彼女は、死なぬ!! 私もまた――死なぬのだ!!」


 叫ぶや、祭儀用の短剣で、おのれの左の手首を深々と切り裂いた。


「!!」


 吹き出した血潮が滴り落ち、流れ出た血を吸って、手の中の命珠が赤くぬめやかに染まっていく。

 濃く赤く、血よりも鮮やかな深い深い生命いのちの色となって。

 命珠が、再びその元の輝きを取り戻した。

 死の淵にあった娘の顔に、血の気が戻る。

 レイは、声にならぬ悲鳴を上げた。

 それと重なるように、獣の雄叫びをあげた娘が、ギガースに踊りかかった。

 ぐ…うん、と左腕が伸びる。


「く……っ!」


 荒炎を降りかざす彼に、にやりと笑い、イリヤが上空に飛んだ。

 跳び上がったのではない。鳥のように空中を舞い、壁を蹴って、身体ごと突っ込む。

 身を捩って逃れようとしたギガースの片手に、細い糸が巻き付く。

 異形の女が笑った。

 指だ。

 細く伸ばした一本の指が、彼の右手首をから絡めとり、ゆっくりと引き寄せる。

 凄まじい力に、ギガースは、ぴくりとも荒炎を動かすことが出来なかった。脂汗が、背筋を伝い落ちる。

 引き合いが続く中、蔦でも伸びるように同じものが四筋、イリヤから這い出てきた。他の指を使って、もっと強力に引き寄せようというのだ。

 ギガースが、左手でそれを掴んで抵抗する。

 だが、それこそイリヤの思惑だった。左手が掴んだ瞬間、他の指が両手に絡みつき、そのまま腕を伝って、胸から首、頭へ這いのぼる。


「うわあっ」


 肉の鎖に縛られ、ギガースは叫んだ。だが、その声もすぐに消える。


「む……ぐ、ぐ……」


 急激に縦横に伸び、膨れたイリヤの肉体によって、鼻と口を塞がれたのだ。息が出来ずにもがく彼を、微笑を浮かべながら、女が締め上げる。

 咄嗟にレイは叫んだ。


「だめだ、イリヤ! 殺すな。頼む、殺さないでくれ……!」

「レイファシェール様、おやめ下さい!」


 止めに行こうとするレイを、捕錠する衛士が制止する。


「放せっ! 彼女に人殺しはさせたくない。嫌だ……そんなのは、嫌だ……!」

「何を甘いことを」


 わずかに血の気を失った祭主が、レイに冷ややかな一瞥をくれる。


「彼女が私の命令で何人殺したと思うのだ? 第一、今の彼女に殺戮以外の意志があると思うのかね?」

「嘘だ!」


 レイの身体が光を帯びた。雷を浴びたような衝撃に、衛士たちが手を放す。

 レイは、燐光を放つ手で、祭主の胸ぐらを掴んだ。


「私はそんなことは信じない! 貴様さえいなければ、彼女は元に戻る!」

「馬鹿な……。命珠は私が持っているのだぞ」


 電光の痺れをこらえ、祭主はなおも毒づいた。


「ならば……お前を殺せばいい」


 深い蒼の双眸が、宇宙の輝きを宿した。

 祭主がはっとした、その瞬間。

 獣の叫びをあげて、それがやってきた。


「うわあああっ……!!」


 絶叫と共に、床一面に血の雨が降り注ぐ。

 生温なまあたたかい雨粒を浴びながら、レイは、それを見た。


「イ……リヤ……」


 輝く脳髄を戴き、虚ろな眼をした女が、おのが腕で人の肉体を貫いていた。

 それは、レイを護るために走り出た、二人の衛士の肉体であった。


「レ…イ、ファ……シェール……様……」


 腹と胸を貫かれ、わずかに呻いて、二人が事切れる。

 血で汚れた顔を拭うことすら忘れ、レイは呆然と、床に倒れる二人の衛士を見た。

 その向こうに、異形となった女性が立っている。


「――なぜ……」


 レイの眼から、止まらない涙が溢れ出る。

 美しい顔立ち。機知のあるやさしい話し方。夢にまで憧れた曙色の髪。

 誰もが敬愛する姫君だと思っていた。たとえどんな素性でも、帝都の姫にふさわしい礼儀と教養、品の良さを兼ね備え、聖騎士として神にすら認められたのだ。

 得られぬものは何もないと信じていた。


「イリヤ――」


 針金で彩られた脳髄が、考えるように傾いた。

 戦意のない相手に、戦うかどうか思案しているのだろう。

 レイは、滂沱ぼうだと涙を流したまま歩み寄り、その頬に指を伸べた。

 女が、すっと身を引く。


「やめろ……レイ」


 すんでのところで窒息からのがれた、ギガースが呼びかける。


「言っても無駄だ。彼女は……もう死んだ」


 レイは黙って、強く首を横に振った。

 今目の前に立つ変わり果てた女性が、以前知っていた女性とまったく違うことは分かっていた。だが、別人だとは思えなかった。

 レイが今まで知ることのなかった、イリヤの心の闇。それが目の前にいる彼女なのだと。


「私は逃げない。イリヤ、その強さを教えてくれたのは、貴方なんだ」

「……」

「貴方を治してみせる。共に行こう。私がついている。貴方が私にずっと寄り添ってくれたように、今度は私が貴方を守る」


 レイは、つよい眼差しで手を差し伸べた。


「この手を取ってくれ。私は、貴方と共に生きたい。貴方がもとの貴方に戻らなくても、私は――」


 かすかに、微笑む。


「貴方を誇りに思う」

「……」


 光のない瞳が、何かを探すように、わずかに空を泳いだ。形を失った指が、レイの白い指先に触れる。

 ――と。


「馬鹿な!! 何をためらっているのだ、我が娘よ!」


 獰猛に怒鳴り、祭主がレイを羽交い締めにした。短剣を突きつけ、


「甘言に乗せられるな! お前は私のもの……その細胞ひとつひとつに至るまでが、私とつながっているではないか。忘れたのか!」


 傷ついた左手で、命珠を掲げる。風人の命を宿す珠が赤く輝き、褐色の瞳に意志が産まれた。


「そうだ。それでこそよいのだ、娘よ」


 祭主が、確信に満ちた笑顔になった。


「殺せ。銀の兇児など、証拠は死体で充分だ。殺せ……殺してしまえっ……!」


 もがくレイを押さえつけ、祭主は鬼気迫る形相で叫んだ。

 ギガースが蒼褪める。


「待て、早まるな……っ!」


 この言葉を、彼女はどう聞いたのだろう。

 いや、耳に届いてはいなかったのかもしれない。

 イリヤは、幾多の人間の血を吸ったその鞭の腕で、最後の人間をほふった。

 血飛沫と共に、短剣が床に落ちる。新たな血の匂いが、鼻を突いた。


「馬鹿……な……」


 横腹を深々と貫かれ、祭主が呻いた。よろよろと後ろへ下がり、


「おまえが……私を、裏切れるはずが……」

「――貴様の思い上がりだ、祭主。血よりも肉よりも、濃い繋がりが人にはある。それを考えなかった、貴様の浅慮だ」


 吐き捨てるように、ギガースが言う。

 祭主は荒い息を繰り返しながら、左手の命珠を見た。ぬれぬれと赤く息づいている。

 だが、次の瞬間。


「いやああああ……っ!」


 レイの悲鳴と共に、祭主を貫いた腕が弧を描き、半回転してあるべきところへ戻る――彼女自身を、串刺しにして。

 意志のない顔が笑う。

 しかしそれは、今までのように、殺戮を楽しむ兵器の表情ではなかった。

 痛みに耐えつつ、相手を――己が運命を蔑んで笑う、決別の笑顔だった。


《サヨウナラ……オトウサマ……》


 意志なき意志で呟く。

 そして、やにわに祭主の体を引き寄せると、おのれごと、その変わり果てた肉体で締め上げた。

 骨の折れる鈍い音――。

 もはや祭主の顔色は灰色で、悲鳴すら上がらない。

 主人の最後を悟り、学者たちが逃げ出す。

 だが、レイはそんなことも気付かなかった。


「いやだ……いやだよ、イリヤ……」


 血に濡れ、為すすべもなく立ち尽くしたまま、レイは懇願した。


「こんなお別れだなんて、嫌だよ……。もっと、一緒にいたい。一緒にお茶を飲んだり、しゃべったり、兄上をからかったり、それから――それから……」


 何を言っているのか分からなくなりながら、レイは必死に言葉を探す。友をこの世に繋ぎ止めて置くための言葉を。


「もっとずっと一緒にいたいんだ。だから、いかないで……。私を一人置いていくなんて嫌だ……絶対に嫌だ。嫌だよ……――」


 泣きじゃくり、幼児のように首を横に振り続ける娘に、イリヤは最後の眼差しを向け――そして閉じた。


《ありがとう……》


「……嫌だ――」


 その瞬間、固く結ばれた二つの身体が、炎に包まれた。


「いやだああああぁっ……!!」


 魂を奪い去られるがごとく絶叫が、神殿に響く。

 泣き崩れるレイの目の前で、二人は松明と化し、めらめらと激しく急速に燃え上がってゆく。

 法力の炎に包まれたまま、かすかに祭主が、イリヤを見た。


《――これが答えか、娘よ……》

《共に参りましょう、お養父様――》


 祭主は微笑むと、彼女の身体にしっかりとその腕を回す。

 燃え盛る火焔の中で、二人は、まるで恋人同士であるかのように寄り添い、ひとつになった。

 黒煙が立ちのぼり、赤い炎が、二人の姿をゆっくりと形の無いものに変えてゆく。

 炎の揺らめきの合間から、風人の命を宿した珠が、床に転がり落ちる。

 光を失ったそれは、軽い音を立て、砕け散った。

 破片が、燃える火を映してわずかに煌き、消える。

 レイの中で、なにかが、壊れた。


   *


 皇后自害の衝撃も覚めやまぬ天枢城にも、それは訪れた。

 真っ先に気付いたのは、母の亡骸を抱き惜しむ、ルークシェストだった。


「な……に……?」


 涙の乾かぬ顔のまま、立ち上がり、城の奥を見つめる。

 彼の異常な様子に、ざわざわと一同が辺りを見渡した。何も起こった様子のないその場の状況に、次に気がついたのは、やはり法力を秘めた皇帝である。


――何が……来るのだ?


 セイデンは、憶えのある気配に、記憶を探った。

 だが、これほどまでに鮮明だったであろうか。それは、今までと同じではなくむしろ、神の御子が皇后の胎内に宿った時と同じ感覚であった。


――では……?!


 想いを同じくした皇子が頷く。

 そして、ようやく他の者も気付きはじめた。

 天枢城の北。

 まるで、そこから朝日が差し込んでくるかに似た、清涼で透明な気配――。

 それはすぐに、法力を持たぬ人間にも見える、煌くばかりの美しい光の薄布ヴェールとなって彼らすべてを包み込んだ。


「聖母……」


 誰かが呟いた。

 ルークシェストが頷いた。


「そうだ。聖母が戻られたのだ……――」


 数ミヌテ後、それは現実の光景となって、彼らの前に現われた。

 皆の先で出迎えたルークシェストが、復活を遂げた女性が誰の腕に抱かれているかを知り、表情を崩した。


「セレスディーン……」

「よお。こいつは――皆さんお揃いで、すごいお出迎えだな」


 場所も身分もわきまえぬ青年の無礼な発言に、一同は毒気を抜かれた。


「シェス、投獄されたらしいが、無事か?」

「ああ、このとおりだ」


 対応に慣れた皇太子が応じる。同じくリューンで顔を合わせた皇帝がやってきて、声をかけた。


「君にはまた世話になったようだな」

「いいえ。御無事なようで――」

「老師にも迷惑をおかけした」

「平気でしょう。毒殺などそんな風流なことをされっぱなしの訳がない、影に潜んで何か企んでおるのだろうよ、と申しておりましたので」


 口真似で告げられた師匠の毒舌に、皇帝は苦笑するほかなかった。表情を改め、


「ともかくも、聖母を救い出してくれたこと、感謝のしようもない。礼を言う」

「運が良かっただけです」


 肩をすくめ、あくまでディーンは真面目に応じようとない。その腕に抱かれた女性が、美しく笑って否定した。


「いえ、すべては彼のお陰です」

「聖母……よく御無事で」

「ルークシェスト。貴方も健在で、何よりです」


 聖母は微笑み、東国の青年の腕から双生児の元へ移った。

 セイデンが、胸に手を当てて頭を下げる。


「聖母」

「陛下。苦労をかけました」

「何の……」

「皇后には済まぬことをしました。間に合いませず……」

「……いえ、これで良かったのかもしれませぬ。傷が深うございましたゆえ――」


 含みのある言葉に、聖母は黙って皇帝の腕に手を触れた。

 と。

 眼にみえぬ衝撃が彼らを襲った。

 東北の方角から訪れた何かは、人々の頭蓋を直撃し、びりびりと大気を震わせる。それはすぐ、現実にも壁や天井を揺るがし、地震でも訪れたかのような感覚をもたらした。

 城が崩れる錯覚すら覚える強烈な波動に、人々がざわめく。


「何事だ!」

「魔術師か……」

「いや――」


 ルークシェストが首を振った。聖母が告げる。


「レイファシェールの法力が暴走をはじめたのです。意識では統御できない能力ヴィスが、一気に溢れ出て周りを侵食しています。このままでは、帝都は勿論、本人の精神も崩壊してしまうでしょう」


 そう言う彼女の身体は、黄金の燐光を放っている。

 衝撃を受けた直後に、法力で障壁シールドを張ったのだ。

 東国の青年が問う。


「場所はどこだ?」

「金剛の宮です」


 聞くや、身を翻してディーンが走り出す。皇子が叫ぶ。


「君が行ったところで、どうする! この法力の渦の中では、レイファシェールに近づくことはできぬぞ。私が行く!」

「あんたには彼女を任せる」


 簡潔に、ディーンが言い返した。聖母を抱いた皇子は言葉を詰めたが、


「だめだ、君まで命を落とすぞ!」

「シェス――」


 足を止め、ディーンが振り向く。皇太子は、はっとした。

 それは、周りの者が息をのむほど静かな、決意に満ちた表情だった。


「俺は助けると誓った。それだけだよ。だから、行くんだ」

「ディーン、おまえ――」


 息子の肩を押さえ、皇帝が告げた。


「行け」


 ディーンは微笑んだ。


「――はい」

「気をつけなさい、勇者よ」


 聖母にも頷きかけると、彼は、後も見ずに駆け出した。走りながら、共に帝都まで来た氷の妖魔を呼ぶ。


「九曜!」


 亜空間から現われた獅子が、一声あげ、青年を背に攫った。

 青白い疾風と化した妖魔は、城を抜け、中庭を一蹴りで飛び越えると、金剛の宮正面に辿り着く。

 白く荘厳な光明神教ルクシオンの正神殿は、一部倒壊し、焼失していた。


《く……っ!》


 九曜でさえ、一瞬近づくのをためらうほどの光が、内部から強烈に放射している。


《気をつけて。ただの光じゃない。攻撃とか防御とか、そんな範疇を超えた能力ヴィスの固まりが、レイといううつわを越えて溢れ出ているんだ》

「わかった」


 頷き、ディーンは獅子の背から下りた。息苦しさはあるが暑さを感じない、と思ったが、それは間違いであった。

 九曜の護りを得てもなお、剥き出しの顔や腕が、煙を上げて灼かれていた。熱傷もある程度を越えると痛みを感じないというが、それに近い。

 腕で顔をかばいながら、ディーンは神殿へ入った。色を失う景色の中、放射し続けるそれを、かすかに阻んで光るものがいる。


――ギガース!


 漆黒の魔剣と共に、妖魔狩人ハンターが床に倒れていた。その周りを、光る小さな点が舞っている。炎華だ。


《まったくもう、遅いじゃないの!》


 魔剣の精霊が憤慨する。ディーンは、ギガースの無事を確認すると、魔剣をさやに納めてくくりつけた。目顔で彼らを九曜に任せ、一人で、さらに奥へと進む。

 前方から襲う見えない力に、じわじわと身体が重くなる。

 倒れるいくつもの影。強烈さを増す光と熱の中で、ディーンはそこでの惨劇を垣間見た。


 累々るいるいと死体が積み重なるその果て。

 そこに、光り輝くそのひとがいた。

 溢れ出る法力のために、爪も肌も光の一部に溶け、白銀の髪は光そのものと化して、空を踊っている。

 中空に向けられた瞳が、遠く、彼の届かぬ深淵を宿していた。

 それはまるで、魔物が誕生する瞬間のようであり、癒されぬ深い痛みが形となって泣き叫んでいるようでもあった。


「レイ――」


 喉が焼ける。涙もれ、眼がちりちりと乾いて燃えた。

 ディーンは足を踏みしめ、懸命に前へ手を伸ばした。

 じゅぅっ、と指先が、嫌な音を立てる。


「レイファス。……俺だ。俺を見ろ!」


 掠れた叫びが、虚しく跳ね返る。

 ディーンは、焼けつく痛みに朦朧となりながら、すべての想いを叩き付けるように、もう一度その名を呼んだ。


「レイファス!!」


 ゆっくりと、宇宙色そらいろの瞳が彼を向いた。


「――ディーン……?」


 かすかな声。


「そうだよ、レイファス。俺だ。ディーンだ」


 ディーンは頷き、歩み寄った。深い水の底を歩くがごとく、重い体を引きずり、頬に触れる。しゅうううっ…と、手のひらが煙を上げた。

 虚ろな瞳が、こちらとあちらの世界を行き来するごとく彷徨う。


「もういいんだ、レイファス。もう、いいんだ――」


 囁いて、発光し続ける彼女の身体を引き寄せる。


「もう……いいんだよ」


 人ではなかったものの顔に、表情が戻った。

 光が消える。

 崩れるように倒れるレイの身体を、ディーンはその腕に、やさしく抱き止めた。

 意識のない彼女の瞼から、ひとすじの涙が流れて、頬を伝った。


   *   *   *


 皇帝復活の声を聞き、喜びに湧きかえるアイテールを抜け出すのは、彼にとっては容易なことだった。

 亜空間にいたままでは障壁シールドを越えられぬため、姿を現わし、戒厳令解除に伴ってアーエールへと帰る一団に混じって、堂々と門を出る。

 道化ほどの小男を、恐るべき〝闇の導師〟と気付く者などいない。

 ザグレウスはアーエールの外れ、アイテールを臨むセレナの丘に立ち、呪言を紡いだ。

 彼の目の前に、一抱えほどの魔力の球が浮かんだ。

 陽炎のように揺らぐ球面は、虹色の光を放ち、次第に何かを映しはじめる。


「ふうむ……」


 ザグレウスは唸った。

 そこには、無事でいる皇帝と皇太子たち、そして復活を遂げた聖母がいた。

 集う彼らの元へ、原罪者を背負った蒼白の獅子と、銀髪の皇子を連れ、東国の青年が戻ってくる。

 無事をたたえ、喜び合う彼らの姿を見、ザグレウスの形相が凄味を帯びた。


「小僧め……!」


 憎悪、などという言葉では尽くせぬ、猛々しい想いだった。

 彼さえいなければ敗れることもなく、聖母に法力が戻ることもなかったのだ。

 全身の火傷など忘れたように、青年はいとおしそうに、気を失う銀の娘をその腕に抱いている。


「待っているがよい、小僧。貴様には死よりも深い死を与えてやる……」


 ひそやかな独白に、並々ならぬ決意が宿る。

 ――と。

 鋭い音を立て、飛来したひとすじの閃光が、ザグレウスの空球を砕いた。

 ザグレウスは身を翻して避け、


何奴なにやつ?!」


 高まる魔力に、黒い長衣ローブが膨らむ。

 空球を砕いた人物は、同じくローブ長衣ローブを纏い、日を背にして立っていた。

 溢れ出る魔力は、決してザグレウスが侮れるような相手ではない。


「貴様に聞きたいことがある」


 意外に若い声だった。


「アイテールで何があった。真実を教えろ」

「なに……?」

「貴様、先程アイテールより出てきただろう」

「それを知って……何とする!」


 ザグレウスはせせら笑い、風を巻いて踊りかかった。闇が迫るごとく魔力を、相手はふうわりと避ける。

 頭巾フードの縁から、きらり、と長い髪が、輝いて洩れこぼれた。


「戦いに来たわけではない。俺が知りたいのは……ある人のことだけだ」

「!」


 ザグレウスの動きが止まる。

 乱れた頭巾フードから垣間見えたその顔は、ザグレウスを驚愕させるに充分だった。そして、驚きはすぐに確信へと変わる。


――なるほど。そういうことか……。


 艶のない顔に、ゆっくりと笑顔が宿る。


「……ふ。ならば、教えてやろう。真実のすべてをな――!」


 相手が頷く。長衣ローブの胸先に流れ落ちた髪が、日の光を弾いて煌めいた。

 それは、間近に迫った黄昏を予感させるような、美しい夕陽色をしていた。





Canaan Saga 3 ~帝都内乱~  終




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