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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第8章 帝都Ⅴ――復活
28/31

8-3

残酷描写あり(流血、虐待要素注意)。



 [象牙の塔]で魔術師との戦いが続いている間、金剛の宮では、侵入者と神殿を護る衛士との攻防戦が繰り広げられていた。

 神聖な正神殿を血で汚そうとする不届き者――それは、神から遺棄された原罪者の一種族、火人かじんの男だった。

 妖魔狩人ハンターとも呼ばれる彼は、精霊が宿るとされる漆黒の魔剣を振りかざし、群れかかる衛士たちを蹴散らして奥へと進んでゆく。

 金剛の宮の主である祭主より、何者をも通してはならぬと命じられていた衛士長サスキアは、たった一人の侵入者に次々と投げ飛ばされ、倒れていく部下の姿に、怒鳴る声も失せて蒼褪めた。

 ふいに、侵入者が動きを止めた。

 低い声で、何やら呟いている。


「……炎華ほのか、手を貸せ。このままではらちがあかない」


 衛士長が、誰に言っているのだろうと不審に思った、そのとき。

 ふわり、と妖魔狩人ハンターの長い黒髪が上空へ巻き上がった。


――風……?


 石造りの神殿には、微風すら起こっていない。異変に気づき、他の衛士たちも動きを止めた。

 静かに、原罪者が語りかけてきた。


退け。無益な戦いをこれ以上続けるつもりはない。俺は祭主を倒さねばならん」

「原罪者が何をほざくか……!」


 かっとなるサスキアに、まだ若い男は、哀れむように微笑んだ。


「退くのだ。退いたところで、恥にはならぬ。俺に勝てぬことは、お前も、お前の部下たちもよく分かっているはずだ」

「なに……」

「つまらぬ虚栄は捨てろ。祭主は、お前たちが命を賭けて護る価値のない男だ。このまま退かねば、俺はお前を殺さねばならん。それに……お前の部下は、すでに退避をはじめている」


 サスキアは、はっと、三々五々散らばる部下を見渡した。

 傷つきながらも剣を向けてはいるものの、その目は暗く、覇気もない。

 心なしか、倒れた人数以上に人員が減っている。

 そこまで思って、サスキアは気づいた。


天眼てんがん……すべてを見抜く目か……」


 多くを語られることのない原罪者の特質の一つに、現在・過去・未来、宇宙の真理までも見抜く天眼という特殊な能力がある。

 この男がそれを持つのであれば、言葉は真実を語っているのかもしれない。

 サスキアが想いを巡らせる数瞬のうちに、原罪者の髪はさらに天井近くまで逆立ち、揺らめいていた。褐色の肌を彩る刺青が、ほのかに光を帯び、その輝きもまた陽炎かげろうとなって立ち昇る。


――炎だ……炎の化身だ。


 熱をはらんだ黒い瞳が、頷いた。

 何かに導かれるように、サスキアと部下たちが、道を開けた。

 瞬間。

 視界が暗くなるほどの真っ白な炎が、正神殿を突き抜けた。

 それは妖魔狩人ハンターである彼の前に立ち塞がる、扉という扉、柱という柱を溶かし、まっすぐに祭主のいる奥の間に達していた。

 だが、そこまでであった。

 莫大な熱を帯びた炎の砲弾は、祭主の座す玉座の手前で止められていた。

 キン…と、甲高い音を立て、朱金の輝きが砲弾を断つ。

 ギガースの表情が曇った。

 彼の力を破ったのは、不死鳥の聖騎士が持つ双刀〝紅蓮ぐれん〟であった。


「これは、また随分と派手な登場だな……」


 祭主がよく通る声で言った。


「だが、妖魔狩人ハンターよ。討つ相手を間違えているのではないのか? 我に妖魔のつのは生えておらぬぞ」


 ほうほうほう、と広間に群れる灰色の服の男たちが、笑う。


「俺が狩るのは妖魔。だが―――妖魔以上に醜い人間もいる」


 ギガースは、苛立つでもなく告げた。


「貴様の悪行、いちいち暴き立てずとも身に覚えがあろう。俺は、義を正すために来た」


 笑い声が止む。


「祭主よ。そのまま皇子を解放し、帝都を立ち去れ。されば、まだ生き残る道はある」

「ふ……」


 アレス・リキタスは微笑し、ゆったりと玉座に座り直した。肘掛けに腕をつき、


「なるほど、原罪者の天眼はすべてを見通すのだったな。いまさら清廉潔白と言う気にもならぬが……おまえは、大事なことを見落としている」

「……」

「事実がすべて、真実ではない。現に皇帝は、銀の兇児を息子と偽り、皇子と公表した……」


 ちらり、と傍らに立つレイを見、


「私が真実を創ろうではないか。そう……たとえば、帝位を狙った宰相が皇帝毒殺を企んだ上、その罪を皇太子に着せ、逃亡した。彼は魔術師を雇い入れ、さらには妖魔と原罪者を使って帝都の壊滅を図った……だが、賢明な祭主と聖騎士の働きによって、帝都は護られた――」


 にっこりと笑いかける。


「どちらの真実を民衆は信じるだろうかね?」

「馬鹿な……。真実はひとつだ」

「どうかな」


 あくまでも不敵な祭主の前に、白く輝く影が立った。

 純白の不死鳥フェイニクスの鎧、あざやかな真紅の裏打ちの外套マント――。

 不死鳥フェイニクスの聖騎士イルレイアである。


「では、どちらの真実が勝つか、神に尋ねてみようではないか……?」


 女聖騎士が、背に負った剣を抜き払った。

 両手に持つのは、細く湾曲した真紅の刀、紅蓮ぐれんである。風を断ち、気を止め、炎を破るとされる不死鳥位フェイニクスの湾刀は、一度戦いをはじめると、相手の息の根を止めるまで動きを止むことはないと言われる。

 レイが蒼褪めた。


「イリヤ……」


 見慣れたはずの女性の顔は、兜に隠れ、目にする事は叶わなかった。

 ギガースが、漆黒の魔剣・荒炎すさのおを構えた。

 ゆらり、と闘気が立ち昇る。レイは顔を伏せた、と。


《逃げてんじゃないよ、お嬢さん》


 艶のある声が、耳に強く響く。

 レイははっとした。姿は見えないが、魔剣に宿る精霊、炎華だと直感が告げる。低い女の声は続けて、


《誰のために戦っていると思ってるんだい。あんたのためじゃないか。そのあんたが見てないでどうするんだい。目を開けて、しっかり見ておくんだね。今から起こることをさ》

「……分かった」


 頷いて、レイは顔を上げた。

 次の瞬間、それが合図ででもあったように、聖騎士と原罪者が同時に撃って出た。

 イリヤが、まるで舞を舞うように、二つの刀をひらめかせてギガースに迫る。ギガースが漆黒の剣でそれを受けた。

 周りの柱が揺らぐほどの風圧を、ふわり、と宙に逃れてイリヤが避ける。

 そのまま柱を蹴り、方向を変えて、双刀が頭上から狙う。


「くっ……」


 ギガースが飛び退いた。

 イリヤは頭から落ちざま、身を捩って足から着地し、勢いのまま紅蓮を原罪者に向けた。

 ギガースが振り払う。

 イリヤは翻筋斗もんどりうち、床へ降り立った。

 戦意を剥き出しにする相手に、ギガースは呼びかけた。


「何故だ……何故、君は祭主の言いなりになる? レイはそんなことを望んではないはずだ!」

「――」

命珠めいじゅを奪われても、のがれようはあったはずだ。何故なら君は――」


 そこまで言って、彼は気づいた。

 表情のない鎧に包まれた顔。

 虚ろな褐色の瞳に、訴えかける本来の女性の姿はなかった。


「まさか……」


『さようなら、やさしい人―――』


 あの言葉は、今を予測していたのか。


《ニゲテ……ハヤク、ニゲテ……!》


 哀しいまでの意志が流れ込んでくる。

 別の意志を宿した刀が、真紅の軌跡を描いて彼を襲う。

 ぎり、と奥歯を噛み、ギガースは荒炎すさのおで受け止めた。

 表情の消えた顔を間近で覗き込み、強く囁きかける。


「……イリヤ。君のかたきは討つ」


 漆黒の瞳が、怒りと哀しみに燃え上がった。


「だから――安らかに眠れ」


 鍔元で競り合っていた真紅の刀身に、ぴしり、とひびが入った。

 祭主の眉が、吊り上がった。

 刹那、音を立てて聖騎士の双刀が砕け散った。

 灰色の男たちに動揺が走る。

 刀をなくした聖騎士の姫が、よろよろと後ろへ下がった。


 魔剣は、法術師の祝福なくとも妖魔を倒せる特殊な武器である。その特徴は、相手のエネルギーを吸い取ってかてとすること。それは、相手が聖騎士であろうと妖魔であろうと代わりはなかった。

 法術で護られた聖騎士のエネルギーを得、魔剣が金色の輝きを帯びる。

 対して一瞬のうちにエネルギーを奪われたイリヤは、輝合金ルチリウムで造られた篭手や胸当てまでも無惨に皹割れていた。立ちすくむ彼女の足元に、ふわり、と外套マントが落ちる。


 しかし、ギガースの表情は依然、厳しいままだった。


「貴様……一体彼女に何をしたのだ……?」


 祭主は、その質問を予想していたかのように、微笑した。


「天眼の君に、その問いは愚問ではないかね? そのままだよ」

「これが……貴様の真実か!!」


 怒りをぶつけるように、妖魔狩人ハンターが剣を一閃した、その先。

 レイは一瞬、炎華の言葉も忘れて、目を瞑った。

 魔剣・荒炎ハンターが打ち砕いたのは、女聖騎士の兜であった。

 だが、それ以上にその場の者を愕然とたらしめたもの――。


「これが……真実か……!!」


 それは、あるべきものではなかった。

 いな、眼に曝されるべきものではなかった。 

 美しい顔の上――本来朱金の髪が覆っているはずのそこは、頭皮をはがされ、剥き出しとなった頭蓋をさらに穿うがち、脳髄が覗いている。

 あらわになった脳髄は、透明な容器に保護され、様々に光る針金が四方に突き出していた。

 これが、彼女の意志を奪っていることは明らかであった。

 そしてその場の誰一人として、この光景を正視できる者はいなかった。

 いや――ひとりだけいた。

 祭主である。


「これが真実だ、原罪者よ。可哀相に彼女は、私に逆らい、銀の兇児を助けんとしたがために、このような姿になったのだ」

「貴様がしたのはそれだけではなかろう!!」

「天眼を持つ君に、いちいち問いただされるのは不愉快だ。第一、あまりに彼女が哀れではないかね。あんなにも大事に思っていた皇子……おっと、皇女殿下に真実の姿を曝け出すなど――」


 顔立ちが美しいだけに、醜悪さが際立つ娘をちらり、と眺め、


「私ですらぞっとしない」

「黙れ!! 貴様の持つ命珠を壊せば、いくら意志を失っていても彼女は死ぬ。反逆者である祭主に組した聖騎士としての死――それが彼女の真実だ!」

「君にできるかな?」


 胸にかざした祭主の手の中に、赤く輝くたまが現われる。


命珠めいじゅはここだ。だが――彼女が許すまい。私が、そのように()()()()()からな」

「笑止!」


 打って出るギガースを、意志を統御された娘が阻む。

 周りの者は、呻いた。

 鎧も武器も砕かれた娘は、素の両腕をもって、剣を受け止めていた。どくどくと血がしたたり落ちる。その血を吸い、魔剣が赤く輝いた。


「むうっ……」


 さらに押す妖魔狩人ハンターに、残った聖騎士の鎧が弾け飛ぶ。

 娘が身をひるがえしてのがれた。床に下り、向き直りざま、何かを彼へ向かって投げうつ。


「く……っ」


 柔らかく伸びるそれが、妖魔狩人の首に絡み付いた。

 レイの眼に涙が滲む。


「なんてことを……なんということをされたのだ……!」


 幼い頃目にした、無数の傷。虐待などという言葉では生温い事実が、そこにあった。

 曙の姫君と称えられた女性の身体は、人の肉体の域を越えてゴムのような弾力を得、むちとなってギガースの喉を締め上げていた。

 獲物を捕らえ、意志のない顔が、にいっと笑う。


「……なかなか便利なものでね、封魔師の身体とは。いくら切っても潰しても、治癒能力が高いために、非常に損傷が少ないのだよ。私もここまで改造を加えるのに試行錯誤を繰り返したのだが、完成に至ったのは彼女だけだ。素晴らしいだろう?」


 冷静に、講義を行なう教師のように告げるアレス・リキタスの言葉を、レイは茫然と聞いていた。

 止めのない涙が、頬を伝い落ちる。それでも、醜く変貌したイリヤから、レイは眼を離すことが出来なかった。

 すべての彼女の言動の意味が、今やっと分かった。

 祭主に利用され、支配されながら護ろうとした、たったひとつのもの――それが、自分なのだ。

 膝が震える。自分に賭けた想いの深さに、倒れそうだった。


――私は逃げないよ、イリヤ。


「……アレス・リキタス」


 目の前の光景を見つめたまま、レイは言った。


「私が本当にこの世を滅ぼす銀の兇児なら、最初に殺すのは……まず貴方だ」

「なに……」


 祭主の顔色が変わった。

 ――と。己れを掴む腕を引き千切ったギガースが、深々と、その剣をイリヤの腹に突き刺した。

 獣の絶叫が上がった。


   *


 混乱するアイテール内で、恐怖に脅えるのは兵士たちだけではなかった。戦闘に従事しない女子供はもちろん、侍従や召し使いも逃げまどうばかりであった。

 とくに侵入者ありとの報告から、入退場を厳しく制限された天枢城内の混乱はいちじるしい。

 主のいる宮殿へ戻してくれと懇願する召し使いの一団に、門を守るボーノ准将は、いなの一点張りで応じようとはしなかった。


「アレス・リキタス様の御命令である。騒乱が落ち着くまで、出入りはかなわぬ」

「では、いつ落ち着くのです! 騒乱が長引くのならなお、我々はあるじの手助けをする責務がありましょう!」

「ならぬ。おまえたちを目こぼしすると、侵入者を招き入れる恐れがある。しばらく待て!」


 道理のいかぬ説得に、不満の声があがる。戦いに出られている御主人はともかく、奥様は、坊ちゃまはどうなるのだ、誰が面倒を見るのだと口々に言い合う。


「黙れ! いちいち騒いで手を煩わせるでない。危急時におのれらの都合を考慮している暇はないわ!」

「ボーノ准将」

「気安く名を――」


 呼ぶな、と続けようとして、彼は声を飲んだ。

 呼びかけたのは、無骨な顔貌をした小柄な老兵士だった。


「これは、ザイオン卿。何用です」

「通りかかったら声が聞こえたものでな。何やら、この者たちを城外へ出さぬと申していたようだが――」

「そのとおりです。祭主猊下の御命令ゆえ、いたしかたありません」

「しかしだな、准将」


 ザイオン卿は、灰色の口髭に表情を隠したまま言った。


「陛下は常々、たとえそれがどんな下位の者であれ、その任務を邪魔すること相許あいゆるさずと申されておいでだ。この場合、君が彼らの邪魔をしているのではないのかね?」


 ボーノ准将は、譫言うわごとを言う老人を見るような目になった。


「何を言っておられるのです。先ほど申し上げたように――」

「祭主は、陛下の代理人に過ぎぬ。あくまでも、主人があればこその代理だ。その道理を外れてはならぬのだよ、准将。それとも君は――」


 濃い眉の下の眼が、鋭く年下の男を見た。


「もう陛下が亡くなられた気でいるのかね……?」

「む……」


 その時、召し使いたちの一団がざわめいた。新たにその場に現われた人物を見て、ザイオン卿が一歩下がる。


「――モルガン将軍。復帰をお待ち申しておりました」

「有難いお言葉です、ザイオン卿」


 年下の将軍へ敬意を払う彼に、モルガンも礼を返した。


「お変わりなきようで、お慶び申し上げます、モルガン将軍」

「これは、ボーノ准将」


 数名の兵を伴った将軍は、門の前に群がる侍従や召し使いたちを一瞥し、


「ところで今、彼らを城外へ出さぬと聞こえたが――本心ではあるまいな?」

「は……いや、その……」

「戒厳令の発令が妙な意識を生んでいるようだが、まさかに彼らをあるじの待つ宮殿へ帰さぬなどと愚かなことは申してはおらぬだろうな?」

「は……はい。それは無論」

「そうか。では、速やかに門を開け放つがよい」


 有無を言わさぬ将軍のげんに、ボーノ准将は即座に態度をひるがえし、部下に開城を命じた。

 辺りに一瞬動揺が走ったが、重い音を立てて開かれた城の正門に、人々が殺到する。

 色を失う准将に、何事もなかったように、モルガン将軍が言った。


「天枢城が落とされるを心配するにはあたらぬ。浮き足立って、人々が内輪うちわで怪我をせぬように注意せよ」

「は……はい」


 蒼褪めたまま、准将は頷いた。そのまま立ち去ろうとする将軍に声をかける。


「どちらへ?」

「宰相を捕らえに。いたずらに騒ぎ立てる馬鹿者どもの始末は、ザイオン卿にお任せする」

「恐れ入ります」


 老兵士は頭を下げた。


「失礼ながら――将軍は、陛下と面会されたと聞きおよんでおります。ご様子はどのような……?」

「……」


 将軍は答えず、厳しい表情のままきびすを返す。

 ザイオン卿は、それ以上の言及を避け、後を追おうとはしなかった。

 ふと、将軍に従う兵士の一人が、ザイオン卿を見た。兜に隠れた眼が、わずかに微笑む。


「今しばらく……今しばらく御辛抱なされよ」


 低い囁き。それは、傍らのボーノ准将の耳には届かぬ、ほんのわずかな囁き声だった。


――今のは……!


 ザイオン卿は、何かを悟ったように、将軍と共に去る中背の兵士を見つめた。

 おもむろにひざまずき、その右腕を左胸に当てる。

 誰へ向けられた臣下の礼か分からぬまま、ボーノ准将とその一行もまたひざまずき、こうべを垂れた。そうさせる何かが、今のザイオン卿にはあった。



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