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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第8章 帝都Ⅴ――復活
27/31

8-2

残酷描写あり。

 


 黒の月と白の月に挟まれた十日間は、星辰せいしんときと呼ばれる。古い年が終わり、新たな年が誕生する節目として尊ばれる時期であり、毎年全国各地で祝祭が催されていた。

 だが、十二年前のそのときは、統一世界民カナナイトすべてにとって、忘れることのできぬものとなった。

 天が裂け、大地が震撼した前代未聞の三日間。

 その出来事を、今なお人々は、恐怖をこめて[大災厄クライシス]と呼ぶ。


 だが、[大災厄クライシス]は、単なる自然災害ではなかった。

 引き金となった要因はいまだ謎に満ち、何らかの物理的な事故、あるいは激しい能力ヴィスの衝突である、などと推測の域を出ない。

 しかしその原因が何であれ、問題ではなかった。問題なのは、些細な原因で崩壊寸前に追い込まれるほど、世界が疲弊していたという事実にある。


 世界は、ひとつで出来ているのではない。人間たちの人界、妖魔の住む魔界、死者の逝く冥界、神の座す天界の四つで構成されている。

 統一世界カナンという確固たる枠組みが出来て以後、そして出来あがる以前から妖魔はこの世界を狙って界を行き来し、そのたびに魔界に強制的に送り返され、また界の狭間はざまに封印されてきた。

 界は、分かれているからこそ存在し得る。だが、妖魔が行き来し、封じられることによって、その境界は次第に曖昧になっていた。

 それは、必要以上の負担を世界にもたらし、結果〝歪み〟となって人々の生活に影響をもたらすようになったのだ。

 そしてその〝歪み〟こそが、[大災厄クライシス]をもたらしたのである。


 裂かれ、ねじられ、強引に閉じられていた世界は、突発的に起こったひとつの衝撃を受け止めることができず、聖母や聖宝の守護もむなしく崩壊をはじめた。気候が崩れ、あるところではひょうが降り、竜巻が起こり、雨が降り続いた。かと思えば、火山が噴火し、大地が裂け、津波が都市を飲み込んだ。

 そこで聖母は、刻一刻と悪化するその状況を打破するために、迷わず自身の持てるすべてを捧げた。

 すなわち、おのが精神でもって、世界を覆ったのである。


 歪み壊れる世界を内から支えることによって、気候は正常に戻り、奇跡的に[大災厄クライシス]は終焉を迎えた。しかし、その代償はあまりに大きかった。

 彼女の額から、聖母のあかしである神の聖痕せいこん――六芒星ヘクサグラムが消えたのである。それは、聖母の能力の消失を意味した。

 法力のすべてが失われたわけではない。事実、宝冠ティアラに飾られた聖水晶ホーリークォーツにより、持てる法力の最大限が引き出され、聖母はなお最強の法術師として世界を護る柱となり、[象牙の塔]に在る。だが、それでも法力は本来の半分以下しか発揮できず、肉体は成長を止めた。

 聖母が人々の前に姿を現わすことはなくなり、その真実の姿は法衣と面紗ヴェールに隠され、極秘に伏されのだ。


 今、彼女に、魔術師と戦うだけの余力は残されていない。

 それは、善の支配する世界の終末を強く予感させた。

 冷え冷えとした死の庭園で、薄い衣一枚となった彼女は、ひどく幼く、弱々しく見えた。

 黄金の髪に縁取られた白皙はくせきをさらに白くして、地面に倒れる救い主の青年に駆け寄る。


「セレスディーン!」


 息を確かめる。だが、意識はなかった。

 地に叩き付けられた衝撃と、強力な魔力にさらされたことで、気を失っているのだ。

 後方から突き刺すような視線を感じ、聖母はゆっくりと振り返った。

 黒衣の魔術師が、さやさやと笑う。


「おやおや。どうやら、力量を見誤りましたかな。妖魔を引き連れてきた割に、手応えがありませんなあ……。そやつごときにわたしの結界が破れようはずがない――ということは……」


 頭巾フードに隠れた眼が、白く凝る。


「まだ、協力者が隠れているのですかな……?」


 問いかけるのではなく、むしろ恫喝どうかつするように尋ねた。聖母は冷ややかに、


「己れに聞くがよいでしょう。彼は、あなたの師と名乗りましたから」

「師……? ほほう」


 思い当たったのか、魔術師が頷く。


「宰相は彼でしたか……。どうりて見覚えたはず。なるほど〝不死者モロイ〟アモンは、帝都に潜みおったのですな。臆病な師らしい選択だ……」


 嘲るように、呟いた。


「ならば、ついでに教えて差し上げましょう。聖母ともあろう御方が、名前も知らぬ者に殺されたのでは、気の毒至極――。我が名はザグレウス。〝闇の導師〟と人は申します」


 おどけた仕草で腕を曲げ、腰を屈める。

 聖母は、ぎり、と桜唇を噛んだ。術師が他の術師に名を教えるという行為の意味は、二つしかない。相手に降伏したか、教えても危険がないと判断したか、だ。彼の場合、後者であることは、言うを待たない。


「さて……我が師が貴女を助けたとなれば、容易ならぬことですが、どうやら舞台を整えただけのようですな」


 幼児ほどの体躯にみなぎる、絶対の自信。


「我が師ならば破れた我が魔力――貴女に破れますかな?」

戯言たわごとを……」


 刹那、ザグレウスの身体が膨れ上がった。

 嵐のような魔力の渦を、聖母は両手を掲げて弾き返した。

 だがそれも完全ではなく、弾き返せない魔力が、両手から創り出される障壁シールドを少しずつ周りから削り取っていく。

 魔力と法力の衝突に、聖母の周囲に光の風が巻き起こった。

 ただの光ではない。それは膨大な熱量となって、少しずつ聖母の服を灼き、髪を焦がした。じり、と氷結した大地が燃える。


――セレスディーン……!


 聖母は、背後の青年を垣間見た。防ぎ切れぬ魔力の切れ端が、動かぬ彼の肌を灼き、煙を上げている。


「く……っ」

「ほうら、余所見よそみをすると、危ないですよ」


 気がれ、膝をついた聖母を、黒衣の魔術師が揶揄からかう。

 そして猛然と、さらなる魔力を両掌りょうてに叩き込んだ。

 過熱する能力ヴィスの衝突に、辺りが色を失くす。白と黒だけで描かれる景色の中、昇華し切れぬ魔力がひときわ真っ白な稲妻となって、ばりばりと空を引き裂いた。

 ――と。

 余人に介入できぬはずのこの場に、かすかに、新たな波動が響いた。

 聖母は微笑んだ。

 幾重にも張り巡らされた結界の向こうに、聖騎士たちの姿を認めたのである。

 ザグレウスが、苛立たしげに舌打ちをした。

 刹那。

 わずかに揺らいだ二つの能力ヴィスを打ち破り、一筋の何かが、風を巻いて彼を襲った。


「……っ!!」


 驚愕の声を上げる間もない。ザグレウスはのけぞり、そのまま勢いよく弾き飛ばされた。

 押していたとはいえ、聖母と拮抗きっこう状態にあった彼に、その一撃は想像以上の痛手を与えた。

 それは聖母の法力だけでなく、自身が注ぎこんだ莫大な魔力を含めた全エネルギーを一身に受け止める結果となったのである。

 魔術師の小柄な身体は、凍りついた大地を滑るように飛び、氷の巨木にわずかにひびを入れて止まった。

 ザグレウスに一撃を見舞った人物が、聖母の背後から、荒い息をつきつつ毒づく。


「――余所見よそみしてんのは、てめえの方だ。このクソちび野郎が……」

「セレスディーン!」


 聖母が、驚きをこめて振り返った。

 傷だらけの青年が身を起こし、笑いかける。聖母は安堵の声を洩らした。


「無事でしたか……」

「あんたこそな」


 能力ヴィスの嵐を裂いて、死の右手から放たれたのは、一本の棒手裏剣だ。爪牙衆直伝のそれは、ヤマトのつるぎと同じ玉鋼たまはがねで鍛造され、魔力にも耐え得る粘り強さを持つ。


 倒れたザグレウスは、身動みじろぎ一つしない。だが、それほど間を空けずして、小さな頭が動いた。

 衝撃で頭巾フードが外れ、隠れていた顔貌があらわになる。

 そこに現われたものを見て、二人は息を飲んだ。

 異相に驚いたのである。

 彼には、毛髪というものがなかった。髪の毛はもちろん、ひげも眉もなく、睫毛すら存在しないように見える。ただ、つやのない黄色い皮膚が、干からびた革のように骨格を覆っているだけであった。

 奇妙なほど大きい頭部は後ろへ突き出、小さく尖った耳が、顔の両側へ貼り付いている。眼は、眉のある辺りの下へ埋もれるように存在し、白目の部分がほとんどなかった。ただ真っ黒な穴が二つ、顔の真ん中に開いているようでさえある。

 ザグレウスは、半身を起こすと、己れの右肩を見た。


「なんだ……これは」


 そこには深々と、細い一本の鉄棒が突き立ち、血が滲んでいる。

 座したままザグレウスは、その細い鋭利な武器を左手で握り締めた。


「こんなものが……この、わたしを……傷つけたと……?」


 漆黒の双眸が、強い光を帯びた、と。

 棒手裏剣が、握った手の中で、さらさらと微細な粉となって流れ落ちる。

 ディーンは、眼をみはった。確実に肉を破り、骨に達したはずの手裏剣がちりと化しただけでなく、その傷もまた、跡形もなく消え失せたからである。

 黒い双眸が、ディーンを見た。

 聖母が蒼褪める。


「危ない、セレスディーン!」

「ぬあああああっ!!」


 突然、ザグレウスは恐ろしい雄叫びをあげて、その魔力の牙をディーンに向けた。

 巨大な魔力の固まりは、聖母の法力を易々やすやすと砕き、彼の身体を捕らえた。

 傷ついた体が、意志とは無関係に地面を滑り、魔術師の元へ引きずり出される。

 両足が強引に揃えられて伸び、両腕が左右へ開く。そしてディーンは、ザグレウスの命ずるまま天高く掲げられ、空中にはりつけにされた。


「貴様にも……わたしと同じ傷、受けてもらうぞ……!!」


 宣告と同時に、ディーンの両の腕輪から、残った七本の棒手裏剣が飛び出した。

 艶やかに光る鋼鉄の針が、生き物のように浮かんで並び、的を狙う。


「やめなさい!!」


 聖母の制止もむなしく、放たれた棒手裏剣は、ディーンの両肩と手首、両足を深々と突き刺した。そのままじわじわと食い込み、彼の体を空間に縫い止める。


「う……あっ!」


 言葉に尽くせぬ激痛に、それまで堪えていたディーンが、苦悶の呻きを上げる。

 禿頭の小男は、まだ足りぬというように、せせら笑った。


「卑小な身でこのわたしに傷を負わせた貴様を、どうやって殺すとしようかね……? 醜い小鬼ゴブリンにでも姿を変えて、死ぬまでこき使ってやろうか――。それとも不死の体を与えて、禿鷹はげたかに未来永劫肉をついばませようか――どれが望みだ?」


 はったりではなく、こいつならどれもやりかねない、とディーンは皮肉に思った。

 と、右の指先に熱い痛みが走った。


「……くっ!」


 円筒機械ローラーにでもかけられているように、見えない何かが、指先から骨を押し潰していく。

 歯を食いしばって痛みに耐える彼に、さらに手のひらが、内側から砕け散る。


「うわあっ……!」


 血肉が飛沫となって、四散した。

 死の腕である右手も、もはや役に立たない。

 魔術師は愉しそうに笑った。


「まだだ……こんなものではない。貴様の受けるべき罰は、こんな生易なまやさしいものでは済まぬぞ……!」

「止めなさい、ザグレウス!!」


 だが、聖母の存在すら、彼の眼中にはなかった。

 ザグレウスは悪鬼の形相で、まるで遊戯でもするように、ひとつひとつディーンの体の骨を砕いてゆく。

 右手の次は、右足。左の足先を潰したかと思うと、今度は、左の手指を端から一本ずつ折る――。堪えきれずにあがる呻きが音楽で、飛び散る血と肉が美しい彩りでもあるかのごとく、魔術師は恍惚となってディーンをなぶり続けた。


「セレスディーン……」


 聖母は、ディーンを助けようとして、しきれなかった。

 先程の対決で消耗した今、彼女にザグレウスを倒すだけの法力は残されていなかった。

 全ての法力を注げば、彼を救えるかもしれない。しかし、その行為は世界の護りを解くことに他ならなかった。それは、統一世界カナンの崩壊を意味する。

 だが、法力が回復するまでの時間を、ザグレウスが彼に与えるはずもない。

 迷う彼女を、ふいに、ディーンが見た。

 自由を奪われ、棒手裏剣の突き立てられた肉体をじわじわと砕かれながら、彼は、眼差しだけを彼女に向け――笑った。

 動かぬ唇が、声もなく、二つの音をつむぐ。


『行け』


 逃げろというのだ。ザグレウスが自分に夢中になっている隙に、一人で逃げろと。


「――」


 そのとき、聖母の身のうちに、何かが湧き起こった。

 今までに感じたことのない感覚が胸をき、熱い想いに満たされる。

 気が付くと、彼女の頬を、生温かいものが伝い落ちていた。


――涙……?


 聖母は茫然と、手のひらに落ちる雫を見つめた。指先で頬を辿れば、それは確かに、己れの双眸から溢れ出ている。


――私が……泣いている……?


 かつてないことであった。

 神の遣いであり、人々の母である聖母は、哀しみ嘆くことはあれども、感情のままに涙を流すことなど、有り得ないことだった。

 それが今、一人の男の心に触れて、涙を流している。


――彼は鍵だ。


 闇夜を切り裂く、一条の暁の光だ。


 刹那、聖母の額を覆っていた黄金の宝冠ティアラが、音をたてて割れた。


 次の瞬間。

 歌とも叫びともつかぬ音が、帝都を包み込んだ。

 それは人の声ではなかった。

 天上の音楽であり、この世に生まれ落ちた神の産声うぶごえだった。

 魂を揺さぶるその音は、一瞬にして魔術師の結界を解き放ち、瘴気を浄化し、集まっていた妖魅たちを昇華させ、帝都本来の光を取り戻した。


「――聖母……!!」


 まさに、光が戻ったのだ。

 たえなる美貌の娘は、二十三歳のその本来の姿を――聖母のあかしである額の六芒星ヘクサグラムと共に、完全に取り戻したのであった。



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