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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第8章 帝都Ⅴ――復活
26/31

8-1



 聖母が捕らわれ、帝都を護っていたエネルギー障壁シールドが緩んだことにより、なだれ込んできた妖魅ようみの群れは、[象牙の塔]だけでなく周辺の宮殿にも波及はきゅうしていた。

 強靭な守護に慣れ、伝説でしか目にしたことのないおぞましい魔性の生き物たちに、生温なまぬるい帝都兵たちは浮き足立ち、混乱は激しさを増すばかりであった。

 降魔ごうまを手腕とする法術師団も動きに限りがあり、庇いきれぬところから入り込んだ妖魅どもがさらに恐慌を招く。加えて、先刻〝妖魔を従えて侵入した者あり〟との報告が、拍車をかけていた。


 サティ将軍は、小隊を率いて妖魅の打破に当たっていたが、熟達した彼ですら部下たちの恐怖心を克服させるのは、なまなかではなかった。

 急な事態のため神官の祝福も受けぬ剣で、腐臭漂う食屍鬼グール亡霊衆スルーアどもを切り捨て、踏みつける。正気の沙汰とも思えぬ戦場に、将軍も声をらして部下を叱咤激励し続ける他はなかった。


 植物というより巨大なたこを思わせる魔蔦ヴェナムが、黒く長い無数の触手を伸ばす。

 それを斬り払った一人が、押さえ切れずに、一本の触手に片腕を獲られた。髪の毛のようにざわざわと伸びる触手の中心に、牙の並んだ丸い口が、真っ赤に開いている。


「うわああああっ!」

「コーネリアス少尉!」


 咄嗟とっさにサティ将軍は、魔蔦ヴェナムの口に剣を突き込んだ。


《キキキキイィ…》


 不快な声を上げて、魔蔦ヴェナムが獲物を手放す。だが身悶みもだえる化物は、苦しまぎれに、剣を突き入れた将軍に全ての触手を向けてきた。


「くっ……!」

「将軍!」


 少尉が悲鳴をあげる。だが、魔蔦ヴェナムは剣ごと将軍の身体を絡めとると、強靭な触手で締め上げた。


「うわあああっ!」

「くそ! 将軍を放せ!」


 少尉が無我夢中で斬りかかろうとしたその時、何者かが彼の腕を掴んだ。


「待て」

「なんだ、貴様っ!」


 振りほどきかけ、コーネリアス少尉は手を止めた。彼を制止したその人物は、光り輝く純白の鎧に身を包んでいた。

 年も変わらぬ若い顔が微笑む。


「放してもよいが、死ぬぞ」

「……」


 コーネリアス少尉は、茫然と鎧の人物を見つめた。剣と法力の双方を極めた、神に選ばれし戦士――聖騎士。

 その存在はよく知るところなれど、戦いの現場で彼らの姿を見るのは、これが初めてであった。

 気が付いて辺りを見ると、あれほどいた妖魅どもが、わずかな残骸となって床に散っている。

 純白の外套マントの裏地は青。鎧は馬に似た一つ角の聖獣――一角獣アリコーン。昨年聖騎士となったばかりの彼は、コーネリアス少尉を傍らへ押しのけると、わずかに呪言を紡いだ。

 光の風がふわ、とたちのぼる。

 その風を解き放つごとく、彼は魔蔦ヴェナムへ右手を差し伸べた。瞬間、黒い触手が震え、動きを止めた。そして黒い一塊ひとかたまりの砂となって、ぼろりと崩れ落ちる。

 解放された将軍が、床に倒れ込んだ。聖騎士の青年が走り寄る。


「御無事ですか、将軍」

「――カシアスどのか……」


 サティ将軍は、喉を押さえながら、幼い頃からよく知る青年に笑いかけた。


「聖騎士の力、初めて見せて頂いたぞ」

「今まで出し惜しみをしていたもので。これで、はったりでないことがお分かりいただけたでしょう」


 カシアス・アルブレヒトは、屈託なく言った。青味を帯びた黒髪を短く揃え、柔らかなセピア色の瞳が深い知性を秘めている。精悍な面立ちは、残念なことに左半分を占める大きなあざのために、美男という言葉を当てはめられないでいた。

 蝶が羽根を広げたように見える痣が、微笑に崩れる。


「他の妖魅は片づけました。ここはもう安全です」

「さすがに……と言いたいが、少々駆けつけるのが遅くはないか、一角獣アリコーンの騎士どの」

「申し訳ございません。未熟者なもので、お許し下さい。御老体ごろうたいに、妖魅退治は少々こくでしたね」

「なにを言うか。まだまだ若い者には……!」


 言って、腰を上げようとした将軍は、身体を走る激痛に悲鳴をあげた。


「若い者には負けますよ、将軍。御年をお考え下さい」


 カシアスは苦笑して、父親と同年輩の将軍の背へ左手を当てた。右の人差し指と中指を立てて唇に当て、[治癒ヒール]の呪言を唱える。


「――さて、これで明日には起きられるでしょう」

「すぐには動けぬのか?」

「すぐに動けるようにして、また怪我をされては困りますので。それに、貴方の身体は悪いところがいっぱいです」


 お酒は控えめに、と笑顔で釘を差す。


「ところで、妖魔が侵入したと聞いたが、どうであった?」

「今、ヴィクトリアが行方を追っています」

「ほう。猛女どのがか……」


 ヴィクトリア・ソーンダイク――勇猛で知られる、雷電位トニトルスの聖騎士である。

 三十を越えた女性であるにも関わらず、白金プラチナの巻き毛を男のように短く刈り、鍛え上げられた黒檀こくたんの肉体は、その辺りの帝都兵士の比ではない。黒い稲妻の異名をもつ、女傑であった。


「入り込んだ妖魔は一頭――。彼女は私より優秀ですから、そのうち足取りを掴むでしょう」

「気の弱い発言だな」

「私は戦闘向きではないのです」


 一角獣アリコーンの聖騎士は、肩をすくめた。彼は法術よりも武術を得意とするが、腕力に頼るというよりむしろ、策略を巡らす方が性に合っている。

 一角獣アリコーンは知性を現わす聖獣であり、それを守護神とする彼もまた、知恵者であった。

 そして雷電は、神の力の象徴。神の力の具現ぐげんであるヴィクトリアに、敗北という言葉は存在しない。


 サティ将軍は、息をついた。安堵の溜め息であった。


「――なんともまあ、長い一日であることよ」

「残念ですが、将軍。まだ始まったばかりです。これからですよ」

「分かっておる。だがな――」


 将軍は、妖魅のけがれがついた頬を拳で拭った。


「ほんの小さな希望でも、抱かずにはいられぬのだ。わずかずつでも、終わりに近づいているのだとな……」


 カシアスは頷いた。

 その時、彼はある波を感じ取っていた。

 小さな波動は、[象牙の塔]からであった。


   *


 その波動は、[象牙の塔]に向かっていた雷電の騎士ヴィクトリアの知覚にも届いていた。

 法術師団の長、オレガノ将軍も同様であったらしく、一瞬足を止める。


「ヴィクトリア、今のはもしや……」

「うむ」


 琥珀の瞳を宙に注いで、ヴィクトリアは頷いた。


「間違いない。[象牙の塔]を覆っていた結界が破られた」

「では聖母が……」

「分からぬ。だが、これでようやく塔に近づくことが出来よう」


 正体不明の魔術師によって張り巡らされた結界のために、[象牙の塔]の周りを堂々巡りしていた彼女らにとって、またとない機会であった。

 だが、妖魔を伴ってきたという侵入者が消えたのもまた、この[象牙の塔]の中である。

 法術師長は、弓形の眉をひそめた。


「もしや罠?」

「罠だとてどうだというのだ、オレガノ将軍。我らは進むほかはないのだ」


 将軍は苦笑した。全法術師を束ねる彼女も、戦闘に関しては、猛女と名高い女聖騎士の前では素人に過ぎない。


「確かに。たとえ本当に結界がなくなったとしても、障壁シールドが不完全な今の状態では、逆に妖魅の温床おんしょうとなる。そして罠であれば――」


 女将軍は、小粋こいきに笑いかけた。


「どのみち戦うほかはないようね」

「分かりきったこと」


 言い放ち、雷電の聖騎士は、肩に担いだ大槍を取った。

 穂先を含めた槍の長さは、七公尺ペディス。その大きさもさる事ながら、一振ごとに電光の散る破壊力をもった大槍は、聖騎士の鎧と同じ輝合金ルチリウムで造られ、雷電の聖騎士以外に制御できる者はいない。

 大槍を振りかざし、突き進もうとしたヴィクトリアが、突然足を止めた。

 不審に思ったオレガノ将軍は、尋ねようとして、気が付いた。

 一陣の清涼な風のごとく、澄み切った気配――。


「〝三徳者トリビアトゥス〟……」

「フロリアン、何故貴方がここに?」


 豊かな白髪を編んで垂らした男は、歩み寄りながら、優雅に微笑みかけた。


《何も敵を追っているのは君だけではないのだよ、ヴィクトリア》


 肉声ではない。視覚と聴覚、それに声を持たずして産まれた彼は、類稀たぐいまれなる法術によって、その全てを補っているのだ。

 フロリアン・ジェノア――三重苦の代わりに法力・知性・美貌に恵まれた〝三徳者トリビアトゥス〟であり、吉祥位フォルトゥナの聖騎士である。


《[象牙の塔]に魔術師が戻ってきたことも気づかぬとは……。少々気が散漫なのではないのかね?》


 相変わらず嫌味な男だ、とヴィクトリアは思った。だが、それを隠すような彼女ではない。


「侵入者確保に集中していたからといって、何が悪い。そちらはそちら、こちらはこちらだ」

《別に君のやり方に口を出すつもりはない。だが、状況を見極めもせず、力任せに突入しようという姿勢に少々疑問を感じるのだよ》

「気に食わない、とはっきり言ったらどうだ?」

《喧嘩を仕掛けたいのかね? 血の気の多いことだ》


 仕掛けたのはそっちだ、と怒鳴りたいのをぐっとこらえ、ヴィクトリアは大槍の柄を床についた。彼に口で勝つことがいかに困難か分かっていた。

 卓越した法力ゆえ、容貌がほとんど変わらぬとはいえど、彼女が子供の頃から聖騎士として活躍している男なのである。

 七十に手が届こうというフロリアンは、盲目の眼を法術師長に向けた。


《貴方も貴方だ、セリア・オレガノ将軍。血の気の多い彼女を止めるのが、貴方の役目のはずだろう》


 言いつつ、白い手を空へかざす。


《いかに弱まろうと、他人の結界内へ入るには、まず結界の形を見極めてからと教えたはずだ》

「失念を……していたわ」

《法術師長ともあろう人が、そんなことでは困る》


 冷静に決め付け、吉祥の聖騎士は、掲げた右手に法力を注いだ。まばゆい光が縦横に広がったかと思うと、霧が晴れたかのように視界が鮮明さを増す。

 中庭を臨む回廊に立つ彼らの目の前に現われたのは、本来そこにあるべきもの――[象牙の塔]だった。


「むう……」


 ヴィクトリアの喉から、呻きが洩れる。

 光を失った[象牙の塔]は妖魅に覆われ、花卉かきの多い優美な庭園は、無惨に踏みにじられ、氷原と化していた。

 想像を絶する光景は、誰の目にも明らかとなった青白く輝く結界によって、まだなお強固に封じられている。


《どうやら解けたのは、ごく一部の結界だけのようだな》

「ええ。塔の北と西側に、小さな穴が開いている。入り込めるのは、せいぜい一人か二人――。それでも保っていられるのだから、速やかにこの結界を解くのは不可能に近いわ」


 あみの目というよりも、繭玉まゆだまのように複雑に絡み合う魔力は、彼らが今だかつて目にしたことのない精密さで構成されていた。

 通常、結界は一定の呪文の数千、数万の繰り返しによって創り出されている。従って、どんな結界にも、必ず始点と終点が存在するのだ。

 そのため結界を解くには、繋ぎ目を外から見つけるか、または結界の弱い場所、いわゆるほころびを見つけて、そこから解除――すなわち反対呪文による結界の無効化を行なうのが一般的である。弱い結界では、綻びを裂くだけでも壊れることもあった。

 だが、この結界にそのようなことは当てはまりそうにはなかった。二つの穴が開いても崩れる様子はなく、かつ始点と終点は厳重に繭の中に織り込まれ、至る所に裏呪文が仕掛けられており、迂闊うかつに手を出せば周りごと吹き飛ぶ可能性があった。


「――結論は、やはり力ずくということになるのだな?」


 皮肉な声で、雷電の聖騎士が言った。その声に、嬉々とした響きが込められているのは、聞きのがしようもない。


《早まるな、ヴィクトリア。魔術師に悟られたら、聖母の御命が危うい》

「危うい? もう死んでいる、と言った方が正しいのかもしれぬぞ」

「ヴィク!」


 女聖騎士の暴言に、さすがの法術師長も蒼褪めた。


「冗談だ、オレガノ将軍。聖母はまだ生きておられる。先程の波動は、やはり聖母御自身にかけられた呪が破られたものだ。そうでなくては、この強固な結界に穴が開くなどということはありえぬ。――これで、はっきりしたな」

「何がです?」

「侵入者が魔術師と関係がないことが、だ」


 ヴィクトリアは年長の聖騎士を振り返り、


「仲間であれば、己が結界内に入り込んだ者を、わざわざ確かめに来るはずはなかろう」

《では、何者と?》

「分からぬ。異変に乗じて何か企んでいるのだろうが、そんなことはどうでもよい」


 彫りの深い黒檀の顔が、闘志に輝く。


「今は、そやつが暴れてくれる方が都合がよい。こちらも――遠慮なく暴れられようというものだ」


 言い、雷電の聖騎士は再び、大槍〝玄象げんじょう〟を手にした。

 艶めく柄に額を当て、法力を込める。

 急速に高まる闘気に、フロリアンは溜め息を吐いた。

 聖騎士の象徴色シンボル・カラーは、神性を現わす白である。だが、雷電位は違う。

 嵐を招く暗雲のごとく、にびやかな黒。それは護りを基本とする聖騎士の中で、異端である攻撃を意味する。


――どうやら、ここは彼女の出番らしい。


 荒事あらごとを嫌う彼は、苦々しく思った。当然、それは優れた法術師であるオレガノ将軍に筒抜けである。女将軍が微笑む。

 吉祥の聖騎士は、もう一度溜め息をついて、右手を空にかざした。

 将軍も手を掲げ、共に法力を込める。


 強い法術の援護を受け、ヴィクトリアの外套マントが、ふわりと舞い上がった。黒銀の外套マントは落ちることなくひるがえり、空を泳ぐ。裾から、青い火花が弾け散った。

 外套マントだけではない。白金プラチナの巻き毛は天に逆立ち、その瞳や素肌の産毛までも、びりびりと電光を放っている。

 稲妻の吐息が洩れる。

 まるで巨大な発電機でもあるように放電を続けるヴィクトリアは、そのすべてを、手にした玄象へ注ぎ入れた。三人の法力を合わせた莫大なエネルギーが、一本の太い光の奔流となって、大槍を駆けのぼる。

 穂先に達した瞬間。

 凄まじい稲光と共に、[象牙の塔]周辺が、真っ白な法力の渦に包まれた。

 雷が落ちたに似た衝撃が、大気を震わせ、足元へと伝わる。

 もうもうと粉塵のあがる中で、凍った葉が一枚、ふわりとヴィクトリアの爪先へ舞い落ちた。





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