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カナン・サガ3~帝都内乱~  作者: 藤田 暁己
第7章 帝都Ⅳ――裏切り
22/31

7-2

 


「リアン大佐。今の状況を」

「はい。第一隊から第四隊までは、通常通り四門の警戒に当たっておりますが、閣下不在のためファビウス将軍が第五・第六隊の指揮を執られ、黄金宮より指示を出しておりますため、城内で混乱をきたしている模様です」


 大股で進む長身のリー・モルガン将軍に必死に従いながら、リアン大佐は説明をした。

 三日間の受牢生活を洗い清める間もなく、軍服に身を固め、天飆剣テュエライを腰に下げて歩む将軍は、やつれさえも覇気に変える力強さに満ち充ちていた。早足の将軍に負けまいと、従者が追いすがりつつ鎧を着せ、篭手をかぶせる。


「侵入した魔術師は、[象牙の塔]を封じたまま逃走しており、吉祥位フォルトゥナの聖騎士が行方を追っています。

 新たな侵入者は一名。経路は不明ですが、西門より侵入したものと思われます。未知の獣を伴っているようですが、妖魔かどうかはまだ判明しておりません。現在レノア将軍率いる第三隊が追跡中――。法術師団は、[象牙の塔]周辺より侵入した妖魅ようみ退治に追われ、援護出来る状態にありません」

「宰相が姿を消したというが――」

「……は」


 鋭い眼光を頭上から浴び、大佐はうつむいた。先夜の会議で宰相をめぐり、皇帝と激しく言い争ったことは、誰もが承知している。


「ライムス宰相は、金剛の宮の飛遠の間にて目撃されたのを最後に、行方が分からなくなっていると聞いております。皇帝代理閣下のおっしゃられるには、[象牙の塔]の異変に何らかの関わりがあると――」

「……」

「ですが、先刻レイファシェール皇子殿下の身柄も保護致しましたことですし、足取りが解明するのは、もはや時間の問題かと思われます」

「そうは思わぬ」


 リアン大佐は、はっと顔を上げた。

 鳶色とびいろの双眸が、炯炯けいけいと虚空を見据えていた。


「私は武人だ。法術や魔術は全くの素人だ。だが、その私でさえ聖母の御力や[象牙の塔]の神秘の力を帝都にて日々感じておったのだぞ。それを破る力を持った者を、そう易々と見つけられるとは、私は思わぬ」

「……」

「事を甘く見るでないぞ、大佐」

「承知しております。だからこそ、こうして将軍に――」


 リアン大佐の言葉に、将軍は声もなく笑った。


「この私もいつまで首があるかは分からぬ」

「何を……おっしゃられます」

「真実だ。私の首があるうちに――ノア・ライムスを見つけ出す」


 押し殺した低い声音。

 大佐には、最後の一言が死と同じ響きを持って聞こえた。

 天枢城ケンドロ・ウラノスを抜けて皇帝の私邸・黄金宮に辿り着いた一行は、親衛隊を指揮するファビウス将軍に皇帝への目通めどおりを願い出た。

 ファビウス将軍は、モルガン将軍の姿を見て一瞬驚いたようだったが何も言わず、無言で敬礼を交わす。


「容体は?」

「思わしくない。先生は今、新たな薬の調合に医宮へお戻りになられた。おっしゃるには、試してみる方法はいくつかあるが、何事も陛下の体力次第だと――」

「む……」


 険しい表情で、モルガン将軍は寝室を覗いた。その肩を押さえ、


「申し訳ないが、将軍。剣を預からせて頂きたい」


 逆らわず、モルガンは天飆剣テュエライを剣帯から外した。


「陛下にお届したい物がある。構わぬか?」

「何だ?」


 将軍の後ろから、月のように白い大輪の薔薇の花を抱えた兵士がやってくる。いかつい武人と優美な花の組み合わせに、ファビウス将軍は思わず失笑した。


「調べてもらっても構わぬ。ただの花だ」


 モルガン将軍が平然と告げる。


「だが、ただの薔薇ではない。陛下が御覧になれば――分かって頂けよう」


 セイデンが過去に〝白薔薇〟と称された女性と恋に落ちたこと、そしてそれがレイの母親であることなど、ファビウス将軍たちは知るよしもない。


「よかろう、通れ」


 モルガンは、花を抱えた兵士一名を伴い、皇帝の寝室に入った。

 寝室は重くとばりが下ろされ、いまだ明けぬ夜が続いているようだ。見守る医師たちにも、夜明けを待ち焦がれる疲労が重く蓄積している。


「御苦労様にございます、閣下」

「うむ」


 将軍は頷いて、寝台の天蓋をわずかに持ち上げた。濃い眉の下の眼が、瞬きもせず横たわる人物を見つめる。


「すまぬが……しばらく陛下と二人きりにさせて頂きたい」

「は……はい」


 張り詰めた将軍の眼差しにされ、医師たちは席を立った。


「陛下……」


 顔色はもはや蒼褪めているというよりも灰色で、胸がゆっくりと上下していなければ、死んでいるのではないかと思うほどの静けさだ。

 兵士の生ける薔薇の芳香が、哀しげに漂った。


 しばらくして、兵士を伴い、寝室から再びモルガン将軍が現われた。

 静かな、長い面会の緊張の余波を浴びていた一同は、安堵し、そして息を呑んだ。 

 現われた将軍の面上めんじょうには、これまでにない気迫がみなぎっていたのである。


「一同――」


 今までを鬼気迫ると評すなら、これは、龍。


「これより帝都全土に、ライムス宰相逮捕にむけて捜索隊を派遣する! 抵抗する者は容赦なく切り捨てよ。よいな!!」


 ついに帝都の赤き守護龍が、嵐を起こし、敵の追撃に目覚めたのだ。


   *


 帝都のかなめであり世界の中心でもあった乳白色の光の塔は、いまや輝きを失い、魔物たちの巣窟と化していた。あれほど優美だった浮き彫りレリーフは妖しのそれに取って代わられ、壁の紋様も陰影に沈んでいる。

 魔術師の侵入により、帝都を守護していたエネルギー障壁シールドが緩み、その間隙を伝って下等な妖魅どもがなだれ込んできているのだ。

 聖母をはじめとする帝都に満ち溢れる霊力は、妖魔たちにとって仇敵であると同時に、手に入れれば強大となり得る可能性を秘めていた。

 まるで吸い寄せられるごとく[象牙の塔]に群れ集う妖魅ようみの放つ瘴気しょうきに、巫女はおろか、神官たちもまったく近付けない。

 このままエネルギー障壁シールドが壊されれば、世界中から集結した妖魔・妖魅たちに蹂躙じゅうりんされ、帝都は壊滅の危機に曝されるだろう。

 霊力を狙う魔物たちが巨大な叢雲むらくもとなって、すぐ間近まで押し寄せているのを彼女は感じていた。


――父なるルシアよ。どうか、我らをお救い下さい……!


 祈り続ける間にも、人々の不安や恐怖に、魂が押し潰されそうになる。

 聖母は、己れをとり囲む虹色の光の壁を見渡した。

 宙を漂う、繊細な石鹸玉しゃぼんだま。それは、中にいる者の能力ヴィスを奪い、一切無力化してしまう魔力のおりであった。


 [象牙の塔]の結界を破って侵入してきた黒衣の魔術師は、この空球に聖母を完全に封じ込めていた。それは、未だ回復せぬ[大災厄クライシス]による痛手と、不安定な帝都の状態の隙をついたものだった。

 いかに聖母といえど、敵の手中から抜け出すのは容易ではない。それでも、微弱ながら助けを求める声を()の意識へ届けられたのは、統一世界カナン最強の法術師なればこそだった。

 聖母は、己れの無力さに歯噛みし、額につけた重い宝冠ティアラに指を触れた。

 聖母の脳裏に、風人の娘が祭主の手に落ちたこと、東国の青年と氷の妖魔がこちらへ向かっていることが、同時の映像として映し出される。


――今の状態では、この封印を解けはしない。でも……彼ならば……!!


 かすかな希望に賭けるしかない。

 聖母は、自分でも分からぬ魂の声に、耳を傾けることを心に決めた。

 ふと。

 魔術師の結界に閉ざされた、この[象牙の塔]の最上階に、何者かがやってきた。

 その人物は、長身を屈め、優雅な物腰で扉をくぐる。丈なす紫紺の外套マントが豊かに広がり、かすかな燭影しょくえいが映す暗い景色を彩った。

 空球に閉じこめられた聖母を一瞥し、彼の美しいおもてが曇る。


「貴女ともあろう人が、こんな形で捕われようとは……情けない」


 艶のある、よく響く低声。

 雪花石膏アラバスターの肌、湖水のごとく神秘的な緑の双眸――。

 現われた人物を認め、聖母の声が震えた。


「貴方は……貴方はまさか……!」

「お久しぶりです――()()


 微笑んで言う彼は、ノア・ライムスと名乗っていた男であった。そして十二年間、この帝都で皇帝のすぐ側にあり、宰相として務めていたはずであった。


 だが――。それ以前に、彼女は()()()()()()()

 第七代聖母として生まれる前、最後の聖戦が行なわれた時代に、聖騎士として祭主として宰相として三代の皇帝を支え、彼女の右腕となって妖魔と戦った〝至高の騎士〟として。


「アモンリーザ……」


 忘れ得ぬ名を呟き、聖母は固く眼を閉じた。


「Noah Raims――Amonrhisa。なるほど、組み替え文字アナグラムですか。なんということ……」


 色を失う聖母とは対照的に、ついに正体を現わした男は、晴れやかな面持ちで肯定した。


「ようやく分かって頂けたようですね。いつ気付かれるか心待ちにしておりましたものを、なかなか気付いて頂けないものですから、少々気懸きがかりだったのですよ。貴女がそこまで衰えてしまったのかと……」

何故なにゆえ帝都に貴方がいるのです?! 神にわれ、すべての位を剥奪された貴方が!」

「お分かりのはずでしょう?」


 もはや装う必要のなくなった黄金の髪を背へ払い、アモンリーザ皇子は、空球の中の聖母を覗き込んだ。


「……復讐のつもりですか」

「そんな生易なまやさしいものではありませんよ」


 あくまでも穏やかに答える彼の胸先で、左鬢ひだりびんの一房を止める飾り玉が揺らめく。


太陽位ソールを奪われ、生きながら煉獄の炎でかれた私が、どうして生きているかお分かりですか?」


 答えを期待するでもなく言い、死んだはずの皇子は、かすかに残る燭台の炎に白い指を触れた。


「魂の芯まで灼き尽くす煉獄の炎――それに灼かれた者は、死ぬことも許されずに消滅してしまう……こんなふうにね」


 蝋燭に紅唇を近づけると、ふうっと炎を吹き消す。


「ただそれには、ひとつだけ例外があります。それは、煉獄の炎でも消せないほどの強い意志を持った者は、そこから生きて戻ることができるという……。そしてその者の肉体は、不死となる――」

「!!」


 もう一度彼が息を吹きかけると、蝋燭は元のように炎を灯した。


「あの時、私が煉獄の炎で灼かれながら考えていたこと――それは、この世界を破滅させることでした」

「……なんと……なんということ!」


 聖母は蒼白になった。


「何故、今まで時を待っていたのです?!」

「法力を失った貴女を相手にしても意味がありません。それに、貴女を手に掛ける危険を侵さずとも、統一世界カナンを崩壊に導くすべは、幾通りもあります」


 聖母の紫水晶アメジストの瞳に、炎が宿った。


「そのために宰相の座を……!」

「その通り。久しぶりによい退屈しのぎができましたよ。さすがに六百年も生きていると、いささか飽きてまいりましてね」

「この反逆も貴方の仕業ですか!」

「いいえ、愚かな皇兄と皇后の企みですよ。我が不肖ふしょうの弟子のせいで、少々騒ぎが大きくなったようですが……。おかげで私の計画は頓挫とんざさせられ、正体を明かせざるを得なくなりました。いい迷惑です」


 さらりと否定し、不死身の皇子はかすかな笑いを洩らした。


「それにしても、私の正体に気が付かなかったことはともかく、ザグレウスごときに封じられてしまうとは……[大災厄クライシス]の衝撃はあなどれませんね。実に興味深い」

「お黙りなさい!」

「おやおや。私は貴女を助けに来たというのに、冷たいことを……。まあ、貴女が血の通った人間だとは思ったことはありませんが」

「無礼な……」

「事実でしょう。七度も転生し、前世の記憶をすべて受け継ぐなんて、人間ではありませんよ。もっとも……私も今では貴女をとやかく言える立場ではなくなりましたが」


 言って、アモンリーザは指を鳴らした。

 空間が砕け散るような衝撃と共に、聖母を包んでいた空球が壊れる。

 粉々になった魔力の檻が、虹色の光片となって、床に倒れる聖母に降り注いだ。半身を起こす彼女を、長身の男が冷ややかに見下ろす。


「貴女を殺しはしません。貴女には、まだ生きてもらう必要があるのです――つぐないをしてもらうために」

「貴方を殺し、彼女と引き離した恨みが、それほど深いというのですか……」

「――いいえ」


 金髪の男は、ゆっくりと微笑んだ。だがそれは、決して笑顔などではなかった。

 その湖水の深淵をたたえる緑色の双眸は、時さえ止める冷たさに満ちていた。


「貴女の罪は、もっと深い」

「……」


 外套マントが翻る。次にはもう、彼の姿は塔から消えていた。

 低い、感情のない声だけが、残される。


『――次は、貴女が真の法力を取り戻してからお目にかかりましょう。その時は、私も本気で戦いますよ……姉上』


「アモンリーザ……」


 床に座り込んだまま、聖母は、やりきれぬ想いで法衣の裾を握り締めた。




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