7-2
2
「リアン大佐。今の状況を」
「はい。第一隊から第四隊までは、通常通り四門の警戒に当たっておりますが、閣下不在のためファビウス将軍が第五・第六隊の指揮を執られ、黄金宮より指示を出しておりますため、城内で混乱をきたしている模様です」
大股で進む長身のリー・モルガン将軍に必死に従いながら、リアン大佐は説明をした。
三日間の受牢生活を洗い清める間もなく、軍服に身を固め、天飆剣を腰に下げて歩む将軍は、窶れさえも覇気に変える力強さに満ち充ちていた。早足の将軍に負けまいと、従者が追いすがりつつ鎧を着せ、篭手をかぶせる。
「侵入した魔術師は、[象牙の塔]を封じたまま逃走しており、吉祥位の聖騎士が行方を追っています。
新たな侵入者は一名。経路は不明ですが、西門より侵入したものと思われます。未知の獣を伴っているようですが、妖魔かどうかはまだ判明しておりません。現在レノア将軍率いる第三隊が追跡中――。法術師団は、[象牙の塔]周辺より侵入した妖魅退治に追われ、援護出来る状態にありません」
「宰相が姿を消したというが――」
「……は」
鋭い眼光を頭上から浴び、大佐はうつむいた。先夜の会議で宰相をめぐり、皇帝と激しく言い争ったことは、誰もが承知している。
「ライムス宰相は、金剛の宮の飛遠の間にて目撃されたのを最後に、行方が分からなくなっていると聞いております。皇帝代理閣下のおっしゃられるには、[象牙の塔]の異変に何らかの関わりがあると――」
「……」
「ですが、先刻レイファシェール皇子殿下の身柄も保護致しましたことですし、足取りが解明するのは、もはや時間の問題かと思われます」
「そうは思わぬ」
リアン大佐は、はっと顔を上げた。
鳶色の双眸が、炯炯と虚空を見据えていた。
「私は武人だ。法術や魔術は全くの素人だ。だが、その私でさえ聖母の御力や[象牙の塔]の神秘の力を帝都にて日々感じておったのだぞ。それを破る力を持った者を、そう易々と見つけられるとは、私は思わぬ」
「……」
「事を甘く見るでないぞ、大佐」
「承知しております。だからこそ、こうして将軍に――」
リアン大佐の言葉に、将軍は声もなく笑った。
「この私もいつまで首があるかは分からぬ」
「何を……おっしゃられます」
「真実だ。私の首があるうちに――ノア・ライムスを見つけ出す」
押し殺した低い声音。
大佐には、最後の一言が死と同じ響きを持って聞こえた。
天枢城を抜けて皇帝の私邸・黄金宮に辿り着いた一行は、親衛隊を指揮するファビウス将軍に皇帝への目通りを願い出た。
ファビウス将軍は、モルガン将軍の姿を見て一瞬驚いたようだったが何も言わず、無言で敬礼を交わす。
「容体は?」
「思わしくない。先生は今、新たな薬の調合に医宮へお戻りになられた。おっしゃるには、試してみる方法はいくつかあるが、何事も陛下の体力次第だと――」
「む……」
険しい表情で、モルガン将軍は寝室を覗いた。その肩を押さえ、
「申し訳ないが、将軍。剣を預からせて頂きたい」
逆らわず、モルガンは天飆剣を剣帯から外した。
「陛下にお届したい物がある。構わぬか?」
「何だ?」
将軍の後ろから、月のように白い大輪の薔薇の花を抱えた兵士がやってくる。厳つい武人と優美な花の組み合わせに、ファビウス将軍は思わず失笑した。
「調べてもらっても構わぬ。ただの花だ」
モルガン将軍が平然と告げる。
「だが、ただの薔薇ではない。陛下が御覧になれば――分かって頂けよう」
セイデンが過去に〝白薔薇〟と称された女性と恋に落ちたこと、そしてそれがレイの母親であることなど、ファビウス将軍たちは知る由もない。
「よかろう、通れ」
モルガンは、花を抱えた兵士一名を伴い、皇帝の寝室に入った。
寝室は重く帳が下ろされ、いまだ明けぬ夜が続いているようだ。見守る医師たちにも、夜明けを待ち焦がれる疲労が重く蓄積している。
「御苦労様にございます、閣下」
「うむ」
将軍は頷いて、寝台の天蓋をわずかに持ち上げた。濃い眉の下の眼が、瞬きもせず横たわる人物を見つめる。
「すまぬが……しばらく陛下と二人きりにさせて頂きたい」
「は……はい」
張り詰めた将軍の眼差しに圧され、医師たちは席を立った。
「陛下……」
顔色はもはや蒼褪めているというよりも灰色で、胸がゆっくりと上下していなければ、死んでいるのではないかと思うほどの静けさだ。
兵士の生ける薔薇の芳香が、哀しげに漂った。
しばらくして、兵士を伴い、寝室から再びモルガン将軍が現われた。
静かな、長い面会の緊張の余波を浴びていた一同は、安堵し、そして息を呑んだ。
現われた将軍の面上には、これまでにない気迫が漲っていたのである。
「一同――」
今までを鬼気迫ると評すなら、これは、龍。
「これより帝都全土に、ライムス宰相逮捕にむけて捜索隊を派遣する! 抵抗する者は容赦なく切り捨てよ。よいな!!」
ついに帝都の赤き守護龍が、嵐を起こし、敵の追撃に目覚めたのだ。
*
帝都の要であり世界の中心でもあった乳白色の光の塔は、いまや輝きを失い、魔物たちの巣窟と化していた。あれほど優美だった浮き彫りは妖しのそれに取って代わられ、壁の紋様も陰影に沈んでいる。
魔術師の侵入により、帝都を守護していたエネルギー障壁が緩み、その間隙を伝って下等な妖魅どもがなだれ込んできているのだ。
聖母をはじめとする帝都に満ち溢れる霊力は、妖魔たちにとって仇敵であると同時に、手に入れれば強大となり得る可能性を秘めていた。
まるで吸い寄せられるごとく[象牙の塔]に群れ集う妖魅の放つ瘴気に、巫女はおろか、神官たちもまったく近付けない。
このままエネルギー障壁が壊されれば、世界中から集結した妖魔・妖魅たちに蹂躙され、帝都は壊滅の危機に曝されるだろう。
霊力を狙う魔物たちが巨大な叢雲となって、すぐ間近まで押し寄せているのを彼女は感じていた。
――父なる神よ。どうか、我らをお救い下さい……!
祈り続ける間にも、人々の不安や恐怖に、魂が押し潰されそうになる。
聖母は、己れをとり囲む虹色の光の壁を見渡した。
宙を漂う、繊細な石鹸玉。それは、中にいる者の能力を奪い、一切無力化してしまう魔力の檻であった。
[象牙の塔]の結界を破って侵入してきた黒衣の魔術師は、この空球に聖母を完全に封じ込めていた。それは、未だ回復せぬ[大災厄]による痛手と、不安定な帝都の状態の隙をついたものだった。
いかに聖母といえど、敵の手中から抜け出すのは容易ではない。それでも、微弱ながら助けを求める声を彼の意識へ届けられたのは、統一世界最強の法術師なればこそだった。
聖母は、己れの無力さに歯噛みし、額につけた重い宝冠に指を触れた。
聖母の脳裏に、風人の娘が祭主の手に落ちたこと、東国の青年と氷の妖魔がこちらへ向かっていることが、同時の映像として映し出される。
――今の状態では、この封印を解けはしない。でも……彼ならば……!!
かすかな希望に賭けるしかない。
聖母は、自分でも分からぬ魂の声に、耳を傾けることを心に決めた。
ふと。
魔術師の結界に閉ざされた、この[象牙の塔]の最上階に、何者かがやってきた。
その人物は、長身を屈め、優雅な物腰で扉をくぐる。丈なす紫紺の外套が豊かに広がり、かすかな燭影が映す暗い景色を彩った。
空球に閉じこめられた聖母を一瞥し、彼の美しい面が曇る。
「貴女ともあろう人が、こんな形で捕われようとは……情けない」
艶のある、よく響く低声。
雪花石膏の肌、湖水のごとく神秘的な緑の双眸――。
現われた人物を認め、聖母の声が震えた。
「貴方は……貴方はまさか……!」
「お久しぶりです――姉上」
微笑んで言う彼は、ノア・ライムスと名乗っていた男であった。そして十二年間、この帝都で皇帝のすぐ側にあり、宰相として務めていたはずであった。
だが――。それ以前に、彼女は彼を知っていた。
第七代聖母として生まれる前、最後の聖戦が行なわれた時代に、聖騎士として祭主として宰相として三代の皇帝を支え、彼女の右腕となって妖魔と戦った〝至高の騎士〟として。
「アモンリーザ……」
忘れ得ぬ名を呟き、聖母は固く眼を閉じた。
「Noah Raims――Amonrhisa。なるほど、組み替え文字ですか。なんということ……」
色を失う聖母とは対照的に、ついに正体を現わした男は、晴れやかな面持ちで肯定した。
「ようやく分かって頂けたようですね。いつ気付かれるか心待ちにしておりましたものを、なかなか気付いて頂けないものですから、少々気懸かりだったのですよ。貴女がそこまで衰えてしまったのかと……」
「何故帝都に貴方がいるのです?! 神に逐われ、すべての位を剥奪された貴方が!」
「お分かりのはずでしょう?」
もはや装う必要のなくなった黄金の髪を背へ払い、アモンリーザ皇子は、空球の中の聖母を覗き込んだ。
「……復讐のつもりですか」
「そんな生易しいものではありませんよ」
あくまでも穏やかに答える彼の胸先で、左鬢の一房を止める飾り玉が揺らめく。
「太陽位を奪われ、生きながら煉獄の炎で灼かれた私が、どうして生きているかお分かりですか?」
答えを期待するでもなく言い、死んだはずの皇子は、かすかに残る燭台の炎に白い指を触れた。
「魂の芯まで灼き尽くす煉獄の炎――それに灼かれた者は、死ぬことも許されずに消滅してしまう……こんなふうにね」
蝋燭に紅唇を近づけると、ふうっと炎を吹き消す。
「ただそれには、ひとつだけ例外があります。それは、煉獄の炎でも消せないほどの強い意志を持った者は、そこから生きて戻ることができるという……。そしてその者の肉体は、不死となる――」
「!!」
もう一度彼が息を吹きかけると、蝋燭は元のように炎を灯した。
「あの時、私が煉獄の炎で灼かれながら考えていたこと――それは、この世界を破滅させることでした」
「……なんと……なんということ!」
聖母は蒼白になった。
「何故、今まで時を待っていたのです?!」
「法力を失った貴女を相手にしても意味がありません。それに、貴女を手に掛ける危険を侵さずとも、統一世界を崩壊に導く術は、幾通りもあります」
聖母の紫水晶の瞳に、炎が宿った。
「そのために宰相の座を……!」
「その通り。久しぶりによい退屈しのぎができましたよ。さすがに六百年も生きていると、いささか飽きてまいりましてね」
「この反逆も貴方の仕業ですか!」
「いいえ、愚かな皇兄と皇后の企みですよ。我が不肖の弟子のせいで、少々騒ぎが大きくなったようですが……。おかげで私の計画は頓挫させられ、正体を明かせざるを得なくなりました。いい迷惑です」
さらりと否定し、不死身の皇子はかすかな笑いを洩らした。
「それにしても、私の正体に気が付かなかったことはともかく、ザグレウスごときに封じられてしまうとは……[大災厄]の衝撃は侮れませんね。実に興味深い」
「お黙りなさい!」
「おやおや。私は貴女を助けに来たというのに、冷たいことを……。まあ、貴女が血の通った人間だとは思ったことはありませんが」
「無礼な……」
「事実でしょう。七度も転生し、前世の記憶をすべて受け継ぐなんて、人間ではありませんよ。もっとも……私も今では貴女をとやかく言える立場ではなくなりましたが」
言って、アモンリーザは指を鳴らした。
空間が砕け散るような衝撃と共に、聖母を包んでいた空球が壊れる。
粉々になった魔力の檻が、虹色の光片となって、床に倒れる聖母に降り注いだ。半身を起こす彼女を、長身の男が冷ややかに見下ろす。
「貴女を殺しはしません。貴女には、まだ生きてもらう必要があるのです――償いをしてもらうために」
「貴方を殺し、彼女と引き離した恨みが、それほど深いというのですか……」
「――いいえ」
金髪の男は、ゆっくりと微笑んだ。だがそれは、決して笑顔などではなかった。
その湖水の深淵をたたえる緑色の双眸は、時さえ止める冷たさに満ちていた。
「貴女の罪は、もっと深い」
「……」
外套が翻る。次にはもう、彼の姿は塔から消えていた。
低い、感情のない声だけが、残される。
『――次は、貴女が真の法力を取り戻してからお目にかかりましょう。その時は、私も本気で戦いますよ……姉上』
「アモンリーザ……」
床に座り込んだまま、聖母は、やりきれぬ想いで法衣の裾を握り締めた。




